第五話
ラパンの街は探索者の自治都市である。それ故に、基本的に探索に対する効率的な都市経営がなされている場所が多い。
ギルドと宿屋街が隣接され、そこから門前に至る間の大通りに商店が並ぶ。大店ほどギルドに近くなり、門前に近付くほどに青空市場が並んでいる。
中央に存在するのは、この都市の発祥となった遺跡の残骸。一部をギルド本部及び都市運営施設が使い、後は新人探索者の練習場として使われている。
そんな大通りと言える道は良いのだが、その周囲は起源から分かるように、都市計画のケの字も感じさせないほどに入り組んでおり、長年住むものですら迷子になることもある混沌とした場所となってしまっている。
ラパンがまだ探索中の遺跡だった時代から存在する歓楽街、いわゆる夜のお店というやつである。都市運営部……ひいてはギルドとしてみれば、なんとかして区画整理のテコ入れをしたい地帯であるが、その長年に渡る歴史と、店の性質がそれを容易に行わせてくれなかった。
さて、そんな場所である。意外と規則正しい生活習慣を旨としている探索者たちだ。真昼間には閑散とした風景が広がるかと思いきや、そういう訳でも無かった。
夜のお店、歓楽街。そんなダーティな響きもいいが、世間様にはよろしくない。この都市に住む人間が探索者や商人だけならまだしも、今では立派な一つの都市である。子供の教育によろしくないとか、近隣住民の苦情も少なくない。
夜のお店の商店街連合は考えた。なんとかイメージアップ作戦を執れないものかと。そんな時一人の商人が現れてこう言った。
「なら昼間店貸してくれません?」
商店街連合は反対した。
なんで大事な店を他人に貸さにゃならんのだと。しかし商人は続ける。
「昼間におっしゃれーなカフェの一つでも運営すれば、悪い噂なんてたちどころ消えて無くなりますよ」
これには商店街連合が驚いた。
ラパンは田舎だ。砂漠の端にあるくらいだし、遺跡探索以外のこれといった特産もない。何もしなくても探索者という人間が入ってくるのだ。特別な呼び込みなどする必要はない。なので彼らはその手の新しいものが苦手だった。ただ、都会への憧れがない訳ではなかった。
都会から出て来た若手探索者は、最初の頃は歓楽街のヒーローになれる。都会の話はみんな聞きたいし、憧れも強い。ラパン生まれのラパン育ちの若者なんて、いかに都会から来た探索者を落として都会に移住するかを日々考えている。
そんなラパンに、カフェである。あの、伝説の。そう、ラパンっ子からしたら伝説のお店だ。名前は聞いたことがあるがその実態は依然として不明。食堂と飲み屋と大人なお店しか知らない彼らにとって、まさに青天の霹靂。
「そ、そりゃ……きゃふぇが出来りゃ、大繁盛だけどよう」
尻込みする彼ら。なにせ伝説である。
噂に聞く限りでは、泡の乗ったコーヒーが出たり、チョコレートを飲み物にぶち込んだりするとか。そしてそこは自分好みの注文をしていかにツーカーか競い合う社交の場。下手なことをすれば田舎者と蔑まれ、二度と世間に出れない笑い者になってしまうとまで言われる鬼門のような場所。もちろん噂である。
「大丈夫です。私は見てきましたから」
都会にも行商に出たことがあると豪語する商人に押し切られる形で、商店街連合は渋々頷いた。
それだけイメージアップ戦略は急務だった。なにせ痺れを切らしたギルド側が、民意を盾に強制撤去を敢行しようとしているなんて噂が、まことしやかに流れていたのだ。お互い必死である。
そうして生まれたのが新たな歓楽街、もといお昼のお店。国の最先端の流行を取り寄せた、文化の発信場。
確かに、最先端を突っ走っているかもしれない。都会でも見かけないような大胆で斬新なお店が群れをなしている。
「え? これがカフェ?」
そう言う新人探索者がたまにいるが、彼らはラパンっ子によって田舎者扱いを受ける。
「えー、知らないの? マジウケるんですけどー」
そう、本当に知らないのは――――
関係ない話はさておき、そんなお昼の歓楽街。一昔前から比べれば随分まともになったそんな場所。
それは時代が彼らに追いついたのか、彼らが時代に合わせることを覚えたのか。未だ犇めく伝説のお店とは趣を異にした、一つの雰囲気の良い喫茶店。
ルカンはその、店外にあるテラス席に座りながら目の前の男を睨み付けていた。
「どうしたんだい、ルカン? 怖い顔をして」
「別に怖くない。これがオレの普通だ」
言って、メニューを手に取る。
そんな彼女の姿に苦笑しながら、慣れた手つきで店員を呼ぶアベルの姿に、ルカンはまたしても眉を顰める。
「コーヒーを。注文は少し待ってもらえるかな?」
「は、はい! 承りましたッ!」
頬を染めて去っていく女性店員。その光景に周りの男性客たちの怨嗟の視線が集中する。
彼女はこの店の看板娘である。狙っている人間は多い。そんな彼女を初見で落とすなど、常連を自称する彼らにとって許せないことだった。
ましてやそんないけ好かないイケメンの連れは美少女二人。獣人の少女は天真爛漫そうで可愛らしく、もう一人の方などはそんじょそこらでお目にかかれないレベルの整った顔立ちをしている。多少、いやかなり眼つきが悪いが、それすらイケメンが看板娘に声をかけたことによる嫉妬によるものではないかと勘繰ってしまうのだから、モテない男は悲しい。
「この野郎……」
「止めとけ、アベルだぞ」
「あ、あいつが……」
「くそ! 天は何故イケメンを愛するんだ……」
探索者だろう、アベルの容姿を知っていた連れからの忠告に、男たちが嘆き悲しみながら、もう見たくないとばかりに店を辞していく。
もう少し良く見れば、その対面の少女がルカンであることに気付いた者もいただろうが、今の彼女の眼つきではそれも難しい。
ルカンは威嚇していた。目の前の変態ストーカーを。
「ん? 僕の顔に何かついているかい?」
キラっ! と笑うイケメン。鈍感。そう、イケメンは鈍感である。
生まれてこの方悪意を持って女性に見られたことがない彼らは気付かない。好意が普通の彼らはそうして当たり前のように人から優しくされるのだ。世は不公平なものである。
「えっとー、私これがいい! 季節の果物のロールケーキ、あとは……あ、チョコのもいいな。ならこっちのシュークリームも。それでそれで、あ、このゴージャス・スペシャル・ウルトラ・デラックス・パフェに――」
そんなイケメンスマイルもものともせず、色気より食い気とばかりにひたすら注文を繰り返すシフォン。
その余りの遠慮の無さに、流石に頬を引きつらせるアベルの姿を見て、ルカンも溜飲を下げたのかようやっと落ち着きを取り戻す。
「はあ。もういいや。で、話は……」
「ま、まあ。その前に御飯にしないかい? 久しぶりなんだし、ね?」
言って、本当に嬉しそうに笑うアベル。男にこんな顔をされて喜ぶルカンではないが、確かに久しぶりに良い御飯にありつけそうな機会ではある。
ならば彼女も遠慮などしない。そもそも、彼女もシフォンと大差ない食い意地をしているのだ。
「なら、ランチセット五人前に……お、このステーキ定食うまそうだな。飛龍の丸焼き? 噛めるか分からないけど、いいや頼もう。あとは……」
言いながら次々と普段は食べれない高額料理を頼む二人。
そんな姿を優し気に微笑みながら眺めるイケメンの姿に、彼女たちは気付かなかった。
そうして並ぶ二つの山。
片方からは甘ったるい香りが、もう片方からはジュージューと焼ける肉の匂い。それらが合わさり醸し出す強烈な不協和音。どう考えても間違っている。
しかし、若い二人は気にしない。目の前に並ぶ普段お目にかかれない御馳走の群れ。ならばやることはひとつだけだ。
「「いっただっきまーす」」
二人合わせて合唱する。奏でる音が噛みあっていなくても彼らには問題ない。貪り尽くす二人の若者。
そんな姿に、アベルは一人思った。自分はもしかして年を取ったのかもしれないなんて。
「あ、ああ。召し上がれ」
青ざめた顔でコーヒーを飲みながら、彼はそう言うことしか出来なかった。
◇
会計の領収書を見て一瞬顔をひきつらせたアベルだったが、なんとかその場で取り繕い、ギルドへのツケで清算を済ませる。
持ち合わせが足りなかったと案に示した事態だったが、ギルドの預金システムなど知らない二人には何が何やら。気にする素振りも見せないのだから、なかなかに根性が座っていた。
「ごちそうさま、アベルさん」
「……ごちそうさま」
素直に笑顔で礼を言うシフォンに比べ、ルカンは仏頂面であった。
久しぶりの御馳走に我を忘れていたが、よく考えれば憎きストーカー、アベル・クリムゾンの奢りである。
ましてや自分の稼ぎでは到底払えないような額の御馳走だ。シフォンの満足気な表情を見て、おもしろくないと拗ねてしまうのも致し方ない。
「で、本題は?」
「ああ。そうだったね」
言いながら、アベルは真剣な顔で語り始める。
「これは、例の『隻眼塔』で得た情報だ。僕らにはそれほど重要じゃないけど、君には必要だと思ってね」
言って語り始めるアベル。『隻眼塔』の一層にて見つけた古文書の記述。それは『真実の鏡』というアーティファクトにまつわる物語。
『昔々あるところに、一人の王子様と王女様がいました。王子様は山へ芝刈りに。王女様は川へ洗濯に――』
「ちょっと待て、何かおかしくないかそれ。何で王子様が芝刈りなんだ? 王女様が洗濯なんてするのかよ」
「ルカン。遺跡というのは古いものだ。僕らの価値観で考えられないことが度々起こるものなんだ」
「お、おう」
熟練の含蓄のある言葉に思わず頷いてしまうルカン。何にしても、話は続く。
『そうして、世界の覇王、竜魔王グラザダノアーを倒した二人は――』
「いや、待てこら! 話飛び過ぎだろ! いきなり誰だよ!」
「ルカン、遺跡というのは――」
「う、すまない。もうチャチャいれないから続きを話してくれ」
頭を押さえて突っ込み所を脳みそから追い出そうとするルカン。しかし、そうはさせてくれないのが若手最強の実力者。彼は厳かに続きを語り出す。
『王様から褒美として与えられた有給休暇を利用して、妖精王が営むと言う温泉旅行に出発したゲジゲジとモモチョッキリ御一行だったが――』
「それもう、王子と王女の名前じゃねえよ!」
「ルカン、遺跡というのは――」
「分かった、分かりましたぁ!」
「ま、冗談はここまでにして……」
「殴る、このストーカー野郎。ぶん殴ってやる」
「ううう、ルカン不憫だね」
朗らかに笑うアベルに、拳を握りしめて震わせるルカン。
彼にはこういうツマラナイ冗談をかます御茶目な一面もあった。やられた方は果てしなくムカつく行為だが、傍から見ている分には楽しかった。
「で、要はゾウムシにされた王女様を元の姿に戻すために王子様が探していた遺産が、件の『真実の鏡』というわけさ」
「……なるほど。前後の話が全く分からないけどそこだけは分かった」
「えー、そういうのって王子様のキスで呪いが解けるとかじゃないのー」
随分端折った説明であったが、そのお目当ての遺産が存在するかもしれないということが分かっただけでも十分な収穫だった。
しかし、シフォンはその昔話に納得がいかないようである。不満顔でそんなことを言ったが、ゾウムシにキスとか愛は次元を超える発想である。
「ばーか。現実じゃそんなお伽噺みたいなこと起きないっての」
「うわーロマンがないよね、ルカン」
「ロマンで何とかなるならオレは苦労してないっての、お前みたいな大飯喰らい抱えて遺跡探索だよ。現実ってのはこういうのを言うの分かる?」
ルカンの聞き捨てならない言葉にムッとして問い返すシフォン。
「なによそれ、私が悪いって言うの?」
「別にそうは言ってない。でもお前、今日だって何だよ。あんなに好き放題食ってさ。恥ずかしくないのかね?」
そう言うルカンも恥ずかしげもなく食い散らかしていたのだが、それはそれこれはこれ。どうして他人の醜い部分はよく見えるもの。ましてや腹の虫の居所が悪い時なんてのはなおさらだ。
だから言い過ぎたと分かっても止められない。
「私は巫女修行中なの。財産持てないの。なら他に何を楽しめって言うの?」
「いっぱいあるだろ。だいたい修行中、修行中って言うんならもっと清貧に過ごせないのかよ。いつもバカバカ食って、払うオレの身にもなってみろよ」
「信じられない! それがルカンの義務でしょ! 甲斐性無し!」
「かいしょ……もっとオレが気持ちよく払えるように努力しろよ!」
「嫌よ。私は好きに生きるの。そのために巫女見習いになったんだから! 契約外のことで、ルカンに文句言われる筋合いなんてない!」
「な、別に文句言ってるわけじゃねーだろ! オレにだってだな――」
「もういいわ! あーあ、私もアベルさんみたいな主人の方が良かったわ。お金持ちで、格好良くて、素敵で優しいご主人様!」
その言葉に、ルカンの頭の血管が沸騰する。
シフォンも一瞬「あ……」と声を漏らしそうになるが、自身の正当性を疑う訳ではないため、キッと睨み返す。
「なら、アベルの従者になっちまえ!」
「そんなの無理だってこと分かってるでしょ! アベルさんは男なんだから!」
「オレだって――」
勢いでつい自分の正体を口にしかけるルカン。そのタイミングで、ヒートアップする二人に見兼ねた大人が止めに入る。
「ま、まあまあ。二人とも、少し落ち着いて」
しかし、その程度で止まらないのが子供の喧嘩でもあった。
「ふん! もう知らないわ! ルカンの馬鹿! 甲斐性無し! 文無し! 剣無し! えと……甲斐性無し! アベルさん。ごちそうさまでした!」
言って席を立ち、アベルに一礼して去っていくシフォン。
そのお礼すらルカンへの当てつけであるのは誰もが分かっていたが、今回はルカンも悪かった。そもそも最初に挑発したのは彼女である。
それが分かっているのに、それでもルカンは謝れない。あの一言が許せない。彼女にはプライドがあった。小さな、そしてどうしようもないようなものだが、そこに価値を求めてしまうのが、男と言う生き物である。
「いいのかい?」
「は、知るかよあんな奴」
言って、椅子の背もたれにふんぞり返る。
「はあ……」
思わぬ事態にため息をつくアベル。
そんな彼の態度にも気が障ったルカンだったが、この場でこれ以上騒ぐのは子供みたいで嫌だった。既に完全に子供の醜態だが、それでも彼女は堪えた。
そうすると、色々と嫌なことを考えてしまう。沸騰していた頭の血が下がってきて、冷静になった自分が思うのだ。何であんなこと言ってしまったんだろうとか。そういうこと。
「前に君と最後に会ったときは、契約なんてしてなかったよね? 何でまた契約を? 獣人との主従契約には仲介人も必要だったはずだけど……」
言われ、思い出す。まだ駆け出しにすらなれていない頃。
アベル・クリムゾンの脅威が去り、穏やかな日常の訪れに反発するかのように遺跡に向かっていたルカン。
そんな危なっかしい若者の姿に思案したギルドのお節介な受付嬢が、調度獣人協会でも困り者扱いされていた少女と二人、引き合わせたのだ。
結果、相性は悪くなかった。
ルカンは魔法の使える仲間は大歓迎だし、シフォンは外に出られるなら万々歳だった。
が、お互いまだ成人扱いもされない年齢の二人。衝突は絶えない。ましてや両者とも我が強かった。
気付けば、お互い口喧嘩する光景がギルドの風物詩のひとつになっている始末。
「別に……他にいなかったから」
そう言ってそっぽ向くルカンの顔を眺めながら、アベルは何かを決めたように一つ頷いて声をかける。
「ルカン。君に一つ提案があるんだけど」
「なんだよ改まって……って、まさかお前ッ!」
肩を抱いて後辞さるルカンに、笑顔を浮かべながら首を横に振るうアベル。
「確かに、それも魅力的な提案なんだが今回は違う」
「……なんだよ」
真剣な顔でそう言うアベルに、ルカンは思わず唾を飲み込んで聞き返す。
ルカンの知る限りにおいて、彼が冗談以外でこんな表情をしているところを見たことが無かった。
それだけに、その話が今回の本題なのだと気付かされる。
そして、アベルがその提案を口にする。
「ルカン、『暁のクリムゾン・レッド』に入らないか?」