第三話
「7番テーブルお待ちぃ!」
「あいよッ!」
熱気あふれる調理場の喧騒に負けない大きな声で返事をしながら、料理の乗った盆を受け取るルカン。
その格好は、普段の彼女なら絶対に着ないだろう、フリフリエプロンのついたスカート丈の短い給仕服だった。
「7番、コルネーア砂漠大サソリのステーキお待ちぃ!」
「おお、うまそうだ!」
「ルカン、また給仕やってんのかよ」
「ははは、そっちのが板についてきたんじゃねーか」
「うるせえ! ぶっ飛ばすぞテメエら!」
笑い声が溢れる室内。ここは探索者ギルドが運営する食堂である。つまり集まる人間は同業者ばかりであり、ルカンの接客とも思えない対応にも笑い飛ばして許してくれるだけの関係がそこにあった。
それでなくても、彼女にはどこかそんな蓮っ葉でぶっきら棒な態度が似合う。加え、とんでもない美少女である。前者は女に、後者は男に受けが良かった。
「ルカンちゃん、こっちはオオカブト熊の煮込み丼ね」
「こっちはカンベ牛のサイコロステーキ」
「オオカブト熊の煮込み丼に、カンベ牛……って、んな高級食材うちで扱ってるわけねーだろ!」
「持ち込みだよ。たまたま親戚が送ってきてくれてな」
「そんないいもんをあの熊親父に扱わせんなよ。牛に対する冒涜だぜ」
客と注文を聞きながら談笑するルカン。
いつもの光景。そして、いつものように大雑把な料理しかできない料理長を小馬鹿にするルカン。
「はっはっは、違いね………………」
それに同調しようとした客の言葉が止まる。顔色も青褪めていく。
ルカンはそれに首を傾げながら、いつの間にか自分が大きな影に包まれていることに気付いた。店内の熱気とは違った冷たい汗が背中を伝う。現状を理解したのだ。
恐る恐る背後を振る返る。そこには案の定、2メルタを越える長身に100キオルを越える体重の怪物が、憤怒の形相で腕を組んで彼女を見下ろしていた。
「誰の料理が冒涜的だと? ルカンの嬢ちゃんよ」
「あ、あはははは……」
料理長バルドル。実に20年以上の探索者生活で磨き上げられた肉体は、引退して5年という年月を思わせない未だに精悍な筋肉お化け。
その右手に握られた大包丁で、固い鱗に覆われた飛龍の身体すら一刀両断に調理する様を見せられれば、この伝説の探索者の一人がまだまだ現役だと嫌でも痛感させられる。
この街には逆らってはいけない人間が何人かいる。その一人に名を連ねるのは間違いなくこの料理長バルドルその人に他ならない。
ならなぜそんな人間を揶揄するような言葉をルカンが発したのか。言うまでもない。彼女はあまり物事を深く考えない性格である。反射で生きているといってもいい。カッとなりやすく、怒りを治めるために突っかかっていく。そんな人間だ。
「りょ、料理長、まず話し合おう」
そんな彼女がこう言うほどに、バルドルという人間の圧力は凄まじかった。
それでもこれが何度目とも知れない衝突なのだから、学習能力についてはなんともはや。
「いいだろう。今日の飯はお前の大好きなユカン豆の豆だらけ丼だな」
「お、横暴だぜ!」
「ふん。悪いな。どうやら俺は大雑把な料理しか作れんみたいだからな」
「そ、そりゃないぜ……」
口は災いのもと。ユカン豆は簡単に言うなら超苦い豆である。苦味しかないと言ってもいい。愛好家でも酒の肴にちょっと摘まむ程度の品だ。
豆だらけ丼とは名の通り、丼なのに米でなく豆しか入っていない丼ぶり飯。この世で最も食べたくない組み合わせの一つと言えよう。
彼女は罰としてこの豆をよく出されていた。理由は名前が似ているからという安直なものである。
まあ、それでも好きな人は案外いたりするのだが、もちろんルカンは大嫌いである。草食系の獣人でも余り好きな者はいない豆だ。その代わり栄養価は非情……いや、非常に高い。
昼食に降りて来たシフォンがその食卓に並べられた丼二つを見て、しれっと別の定食屋へ消えて行ったのは言うまでもない。もちろん、シフォンの定食代はルカンへのツケである。
彼女は涙を流しながら、苦いだけの豆を丼二つ分噛みしめた。
もちろん全部完食できるはずもなく。「お残しは絶対許さねえ」とばかりに目を輝かながら包丁を研ぐバルドルの目を盗み、胸ポケットに突っ込んで隠しては、夜遅くまで居残りさせられ、ようやっと丼を空にしたのだった。
完全に自業自得ではあるのだが、なぜかもの凄く理不尽に感じた、いつもの日常的一コマである。
◇
翌日、ルカンはいつものように雑用仕事を熟し、今日はなんとか有りつけた普通の夕飯を探索者ギルドの食堂で平らげていた。隣には、まともな御飯が出ている以上は当然の様にシフォンの姿もある。
「久々の肉ぅうう! うまいッ、うますぎるッ!」
「ルカン、不憫だよね」
「……お前に言われると十倍はムカつくぜ」
そんないつもの会話を繰り広げる二人。食卓に並ぶ賄い料理は主に肉であった。
というより、ルカンが料理長を罵倒さえしなければ割と良い賄い料理を出してくれるのだ。こればっかりはやはり自業自得としか言いようが無かった。
「そんで、新しい魔法は覚えられたのかよ?」
「んー? まあね。きっとルカンも驚くから、楽しみにしといてよ。ふふ」
言いながら、杖を撫でるシフォン。
魔法のことはよく知らないルカンからしてみれば、何がどうなって魔法が使えるのかなんててんで分からなかったが、使えているのなら別に理論なんてどうでも良かった。
獣人の使う魔法と、人間が使う呪術が全く別のものだということくらいは知っているので、たぶん自分の呪いを解くのに獣人の魔法じゃ無理なんだろうとは思っていたし、そもそもシフォンに頼んで呪いを解いて貰えたところで契約違反から即去勢である。安易に頼むわけにもいかなかった。
「ま、なんにしても剣の一つも買えないとな……」
言いながら、財布を広げてみる。今日の給金を貰って多少膨らんだかもしれないが、武器を購入するには全然足りない。
そんな様子のルカンに向かって、シフォンはあっけらかんと口を開く。
「別にナイフでもいいじゃん。私が魔法で守ってあげるよ」
「ふざけんな。失敗ばっかの癖に。だいたいそんな格好悪い真似できるかよ」
「ほんと、ルカンってクンヌ族の男みたいに変なプライドあるよね。面倒くさい」
その言葉にドキリとしながらも、面倒くさいと言われ渋面をつくるルカン。
彼女はこう見えて心は男である。女に守られて小さなナイフを振り回しているなんて格好悪いことやりたくないのだ。
そりゃ、遺跡にでも潜ってしまえば運が良ければ一度で剣一本程度の稼ぎは出せるかもしれない。
こんな同業者しか来ないギルドの安食堂で給仕のアルバイトして稼ぐ金なんかとは、比べ物にならない金額のマジックアイテムなんかも手に入るかもしれない。
だが、それはやはり自分の手で手に入れたいのだ。少なくとも剣一本の代金くらい女に頼らず自分で稼いでやる。それぐらいの気概はまだ保っていたかった。
「そもそも何で剣がないと遺跡に入っちゃダメなのかな?」
「危ないからだろ普通に考えて」
「でも呪術師だっているじゃない」
「オレが呪術師に見えるのか?」
「見えないけど、でも剣士にも見えないよね」
「うるせーな、どうせ細腕だよ」
イライラしながらフォークを刺した肉にかぶりつくルカン。彼女も分かっている。今の自分が剣士として全く活躍出来ていないこと。
それには理由があった。もともと豪剣使いのルカンが、大きな剣を持てなくなり、結果ショートソードを豪剣の如く振り回す。隙だらけなのだ。
だけど、彼女はこれでずっと鍛えていたのである。女になって剣を取り上げられるまでは、彼女は道場でも有数の使い手だったのだ。
過去の栄光に縋るわけではないが、それでも彼女の中に残った唯一の男らしいもの。それがこの剣なのだ。だから、ムキになって型を変えることもせずここまできた。
でも、それもそろそろ潮時なのかもしれない。ルカンは次に買う剣はもっと持ち回りがしやすいものを選ぶべきかと悩み始めていた。もちろん、値段的にそちらが安いということもある。
「といってもな……」
ナイフではやはり格好がつかない。剣士なんだからせめてショートソードは欲しいが、彼女からしてみれば伝説の武器のような値段である。中古のなまくらならいくらでもありそうなものだが、等しくボロ剣にしか見えないその中から、見分けるだけの選定眼など持っていない。
鑑定を依頼してもボラれるだけだと、ルカンは信じていた。それはこの街に来た最初の頃に騙された商人のせいなのだが、彼女は基本的に商人という輩を信じてはいなかった。書かれた値札は十倍だし、二言目には身体を要求するような奴らだ。そう信じて疑わない。
何があったのかは語るまでもないだろう。田舎から出て来た人間が通る一種の通過儀礼というやつである。
「魔法剣とかなら軽いのもあるのにね」
「お前はどこの王侯貴族さまだよ」
「呪術じゃ鍛冶は難しいもんね。人間世界じゃ高級品なんだ」
「かーっ、これだから魔法文明人さまはよ」
言って、価値観の違いが嫌になる。もちろん、その価値観はここ一年で構成されたものであり、山にいた彼女は呪術具など当たり前の様に触っていたどころか悪戯でいくつも壊してすらいた。
今考えるとあれはとんでもない値段の代物だったのではないかと気付いたが、恐ろしいので考えないようにしている。
なんにしても、やはりこんな会話も取らぬ狸のなんとやらである。ショートソード一本買うのにあと何十日バイトするのかを計算していた方がまだ実りがあった。
そう思って、財布の中身を数え始めるルカン。
案の定少ない硬貨の数にげんなりするのと前後して、食堂の中がざわつき始める。
「ん? なんだ?」
「誰かが帰ってきたのかな?」
そう思って入口の方へ顔を向ける二人。
そこではやはり、どこかの探索チームが帰還したようで。それが有名人だったらしく、何人かの探索者がそのチームの名を上げて噂話に花を咲かせ始めた。
「ありゃ『暁のクリムゾン・レッド』じゃねえか」
「そういや半年前から長期探索で遺跡に潜ってたって聞いたが……」
「らしいな。ほらあれだよ。入江の『隻眼塔』」
「へえ、あのサイクロプスが門番してるって噂の」
「実際はガーゴイルだって話だがな、そのせいで誰も探索できなかった」
「あそこを攻略したのか」
「どうかな。奴らが出て行ってまだ半年と少しだ。解放したってのが関の山だろ」
「こいつぁ荒れるな」
「ああ」
耳に届くそんな話。長年探索者を悩ませていた門番からの解放。つまり、その遺跡が探索可能になったということだ。まだ誰にも荒らされていない遺跡である。それがどれほどの宝の山か……分からない探索者はいない。
しかし、ルカンたちには関係のない話だった。
そんな未開の遺跡。ショートソード買うのも手間取っているような底辺探索者なんてお呼びじゃない。
一年前ならまだしも今のルカンはそこまでの無謀をするつもりもないし、まずギルドから許可も下りないだろう。
一応、遺跡での私掠行為は国の法によって禁止されている。それが許されるのが探索者ギルドであり、そこに所属する探索者だ。
遺跡の発見、調査などの報告義務を負うことで、『私掠免許を持つ探索者ギルドが派遣する人材』というお墨付きを得る。これが無ければ単なる盗掘行為であり、見つかれば厳罰に処される。それでも盗掘が後を絶たないのが遺跡産業ではあるが、一応法的にグレーなのが探索者ということである。
なので探索者は基本ギルドに忠実なのだ。もちろん、その中での出し抜き合いはいつものこと。そこに横槍を入れるほどギルドも親切ではない。よっぽど迷惑をかけなければ、探索中の不幸な事故にも目を瞑る。それが組織というものである。
まあ、どうしたところでそこまで真っ黒な組織事情に片足突っ込むほどに成果も結果も残していないルカンにシフォン。
呑気なもので、色めき立つ同業者たちをバックミュージックに、食後のお茶を飲みながら雑談を再開する。
目立たないためか姿勢を低くするようにルカンはテーブルに項垂れてすらいた。
「へえ、『暁のクリムゾン・レッド』って言ったらこの街でもトップクラスの探索者チームだよね」
「らしいなー」
「あれ、興味なし? ルカンって強い男の人が好きなのかと思ってたけど」
「気持ち悪いこと言うなよ。オレは男なんかに興味ねーの」
「そうなんだ。変なの。でもかっこいいなー。リーダーのアベルさんってイケメンだし、強そうだし」
「そうか? 大したことねーよ」
「もう、なに拗ねてんの? もしかしてルカン。気があるんじゃ……」
「んなッ!? 気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよッ! 誰があんなヤツっ!!」
余りの言葉に、思わず立ち上がってテーブルに両手を叩きつけるルカン。その音で、一瞬静寂に包まれる食堂。
だが、その発生源がルカンだと分かるとみなすぐに喧騒へと戻っていく。彼女が騒がしいのはいつものことだった。
しかし、今日はそんないつもとは違う客人がいる。
「わわ、ルカン。アベルさんが近付いてくるよ……どうしよ、サインとか貰おうかな」
言って、荷物から色紙を取り出そうとするシフォン。
何で巫女修行中の彼女がサイン色紙なぞ持っているのかは不明だが、彼女にも色々あるのだろう。
しかし、そんな彼女の浮ついた表情とは裏腹に、ルカンの顔は『しまった』といった感情がありありと見える引き攣ったものに変わっていた。その理由はひとつ。
「おお、ルカン。そこに居たのかい。ああ、僕の愛しの天使」
フッと気障に、ベタに、しかし似合っている仕草で髪をかき上げながら口にしたそのセリフに、今度こそ食堂はシーンと静まり返った。
そう、ルカンが壊れたからくり人形のように、ギギギと振り返ったそこにあったのは、今を輝く若手探索者の星『暁のクリムゾン・レッド』のリーダー、アベル・クリムゾン。その名前の通り情熱的なまでに紅いその髪と、チラリと見えた白く輝く歯が眩しい極上の笑顔だった。
世の女性なら一撃でノックアウトされること間違いなしのそのスマイル。凶器だった。案の定、シフォンは既に目がハート。同業者で埋め尽くされた食堂の女性たちも完全に骨抜きにされていた。
しかし、そんな感情とは無縁の女性が一人。そのスマイルを向けられた張本人、ルカンその人である。
無理もない。彼女が男相手に目がハートとか冗談にも程がある。彼女は至ってノーマルだった。現状で言うならノーマルではないかもしれないが、精神的にはノーマルだった。
なのでルカンはそんなニコってポッなんて簡単に堕ちるわけがない。
しかし、他の人間はそんな事情を知らないのである。そう、そして次に来るのは決まっている。
「ちょっとルカン。どーいうことッ!?」
「そうよそうよ」
「アベル様とどういう関係なのよ!」
「ただじゃおかないわよ」
昨日まで、いやついさっきまであれほど受け入れてくれていた同業者たちがこの有様である。いの一番で突っかかってきた相手なんて自分の従者である。
「ははは、みんな。そんなに彼女を責めないであげてくれないかい?」
「はい、アベル様!」
「ルカンは仲間ですもの」
「そうね、後でお話しましょうねルカン」
「そうそう、私たち、仲良しだものねー」
「ねー」
イケメンの一声で掌を返す女たち。しかしちゃっかり後で面貸せやと脅しをいれてくるあたり、流石は荒くれ者の探索者たちでもある。
どっちにしても、彼女の命運は尽きた。ここまで築いてきた色々なものが崩れていく音が聞こえてくるようだ。
「やっぱりルカンは女の子たちにも人気者なんだね。でも女の子だけにしてくれよ。流石の僕も嫉妬しちゃうからさ」
キラッ! と白い歯を見せて微笑む貴公子。黄色い声が響き渡る。対面からの声も物の見事に真っ黄っきであることにゲンナリするルカン。
何にしても、この状況を脱したかった。誤解も解きたかった。なので思い切って最後まで振り返り、キラキラスマイルを真正面に見据えながら、気合を振り絞って声をあげる。
「て、てむえ……」
ダメだった。この手の人間を彼女は苦手としていた。
言っても分からないタイプ。そういうとき、彼女はだいたい手が出るんだが、相手の実力が圧倒的に上なのである。
「ん? 半年ぶりで緊張してるのかい?」
「ちが、誰が、お前なんくあ……」
「ははは、そうか。ボクの武勇伝を聞きたいんだね。いいだろう。君のために今回は……」
「アベル。その辺にしておけ。報告に行かないと」
と、そこでイケメンの肩を掴む一人の女性。この街の女性探索者の憧れ。『暁のクリムゾン・レッド』の副リーダーにして、女性魔法剣士。セリカ・レッド。
シフォンとは違う種族の獣人であろう彼女。後ろで三つ編みに一纏めにした赤い髪から覗く少し尖った耳。その健康的なまでにしなやかな肉体を軽鎧につつみながらも、露出した顔をすまなさそうに歪め、ルカンに軽く一礼する。
「あ、ああ。そうだったねセリカ。ごめんよルカン。これも探索者の義務。今日は遅くまでかかってしまいそうだ」
「そ、そそそそうか。そいつはラッキ……いや、残念だなあ。あはあはあは」
背中から感じる従者の眼光に、言葉を選びながら愛想笑いを浮かべるルカン。
一安心だった。これで今日中に街を出れば問題ない。そう決断して少ない荷物を纏める用意を頭の中で始める彼女。が、しかし――
「だから明日、そうだな午後にランチでもどうだろうか。君の言っていたアーティファクトの話もしたいことだし……」
アベルの言葉に、ルカンの目の色が変わる。
「アーティファクトって、あの時にオレが話した……」
「そうさ。今回『隻眼塔』で入手した情報によると、あの塔の――」
「ほら、行くぞ。アベル」
また話が長引きそうだと踏んだセリカが、アベルの肩を揺らして促す。
そうしてようやっと自分たちの仕事がまだ終わっていないことに気付いたアベルは、申し訳なさそうに謝罪する。
「ああ、ごめんセリカ。じゃあ、ルカン。また明日……ボクたちが初めて出会ったお店で待ってるよ」
言って、気障ったらしく手の甲にキスをするアベル。それに悲鳴をあげる女たち。しかし、ルカンに、もうその喧騒は聞こえていなかった。
半年前、アベルに話したこと。それは彼女が求めるアーティファクトのこと。そのために山を下りて来たのだ。
気付かないうちにキスされていた掌を、それと知らずに握りしめる。
やっと、そうやっとだ。やっと手掛りが手に入るかもしれない。そんな希望に胸が熱くなっていく。
だから気付かなかった。呆けたようにキスされた掌を握りしめて、物思いに耽っているように見える彼女に向けられた、無数の殺意のまなざしを。
「よし、やってやるぜッ!」
拳を大きく突き上げる。そして自分の従者に笑顔を向けようと振り返って……ようやっと彼女は気付いた。
「なにをやるのかな~? ル~カ~ン~?」
「へ?」
「ちょおっとお姉さんたちとお話しましょうか」
「そうね、そうよね、お話は大事よね」
じりじりと近付いてくる女探索者たち。
そうだ。そうだった。アベル・クリムゾン。半年前にもあの男のせいで、彼女は大変な目にあっていたのだ。
そして、女の恨みは怖いのだ。粘質で、同じお話を延々繰り返させられるのだ。たぶん今日、彼女は寝かせてもらえない。
「お話は、嫌いだぁああああああ!!!!」
そうして、逃げ出すルカンだったが、自身の従者の魔法によって身体を雁字搦めにされてしまう。
こんなことのために魔法の勉強させてるんじゃない。そう叫ぶ声が徐々に小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。
その日、どこかの地下室の灯りが一晩中消えずに灯っていたという噂は、たぶんかなりの信憑性がある話だろう。