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第二話



「う……」


 目が覚める。ルカンは寝覚めだけは良かった。一瞬にして覚醒した意識が、目の前の見慣れた物体を捉える。


「ったく、またでかくなったんじゃねーか……」


 言いながら、その物体に手を伸ばし掴む。そして揉んでみる。柔らかい。とても柔らかい。

 本来ならこの年頃の男子が憧れ崇め奉るその物体を、しかし無表情で揉みしだいたルカンは、落ち込んだように肩を落として項垂れる。


「むなしい」


 まったくその通りだった。憧れも崇拝も、自分にないから尊いのだ。

 ましてや思春期に入ってすぐ、そんな欲望も芽生える以前に変わってしまった彼女からしてみれば、こんなものはただの肩こりの原因であり、走るたびに揺れる邪魔な脂肪の塊に過ぎない。


「はーぁ、顔洗ってこよ」


 言って、伸びをひとつ。ベッドから降りると、パラパラと艶やかな黒髪が舞い落ちてきて視界をふさいでしまう。


「ったく、鬱陶しいったらないぜ」


 言いながら、ヘッドボードに引っかけていた紐を取り、慣れた手つきで髪を纏めて後ろでくくる。いつもの朝の、日課というほどのものでもない動作。


「ま、身体はだいぶマシになったかな」


 言って、ガチガチに凝っていた全身をほぐすように伸びをする。いかな安宿の固い寝台とはいえ、野宿に比べたら天と地ほどの差がある。

 先日、砂のベッドと獣人という布団で一夜を過ごした彼女からしてみれば、まさに天国のような寝心地であり、生まれ変わったかのような目覚めであった。

 

「あ、ルカン。おはよー」


 外の井戸に向かおうと扉を開けてすぐ聞こえた、この半年で慣れ親しんだ声。

 振り返るとそこには案の定、淡いピンク色の肩までで切り揃えた髪の毛をした褐色肌の獣人少女――シフォンが、同じように隣の部屋から顔を出してくるところだった。

 もみあげ部分を三つ編みに編んでいるのは彼女なりのおしゃれなのだろう。この辺りが適当に髪を纏めたに過ぎない蓮っ葉なルカンと違い、彼女が根っからの女性であることを窺わせる。


「おっす。飯は?」

「今起きたとこ」

「んじゃ、顔洗いに行くか」

「うん」


 何でもない会話を交えながら、階下に降りる二人。安宿とは言うが、女二人連れでも安心して泊まれる程度には安全性の高い宿だ。

 ルカンはこの一年で、自分が女として見られることとその危険性について嫌と言うほど学ばされていた。

 少なくとも宿代をケチってとんでもないことにならない程度には、世の中というものを学んだのだ。そこには聞くも涙、語るも涙な山育ち故の世間知らずな苦労話が沢山あったのである。

 何にしても、もう随分と街での暮らしにも慣れたこのルカン。井戸で顔を洗い、歯をみがき、軽く水浴びなんかも……


「ルカン、ここ外なんだけど」

「ん? だからどうしたんだ? 別に周りに他の人もいねえぜ」


 井戸の前で桶に水を張って沐浴を楽しもうとするルカン。

 山育ちである。一年程度ではどうしようもなかった。加えて彼女は二年前まで男だったのだ。そういうことには完全に無頓着である。


「いいから服着てよ、恥ずかしい」

「え? でも砂埃で気持ち悪いし」

「あとで浴場行けばいいでしょ、もう」


 言って、羞恥心の欠片も見せないルカンの世話を焼くシフォン。天然に見えてわりと世間慣れしている獣人少女と、世間知らずで不作法者のご主人様。この半年で作られた自然な役割分担である。

 そうして二人は朝食をもらいに宿屋の食堂に向かう。そこには大皿に盛られた丸いパンの山。好きに取って食べるシッティング・ビュッフェ形式である。ようは食べ放題だ。安宿にしては気前がいい。


「取りあえず全部食うか」

「そうだね」


 言って、大皿のパンを全て掴み取り自分たちの皿に盛り付けていく二人。

 宿屋のおかみさんらしき女性の顔が引きつっているが、無視である。翌日からこの店の朝食の形式が変わったのは言うまでもない。


「しっかし、パンだけじゃ腹膨れねーよな」

「でもおいしいよこれ」

「そうか? 肉入りとかじゃねーと持たねえぜ」


 好き放題言うルカンに、おかみさんの顔面の血管が蜘蛛の巣のように張り巡らされていくが、二人は気付かず会話を続ける。


「やっぱ肉だよ。これだから安い宿はなあ」

「私は修行中は肉食避けるように言われてるんだけど」

「これだから獣人の巫女は、お前がウンチなのはそのせいだな」

「食事中に変な略し方しないでよ」

「いーや、言うぜ。昨日だってお前がちゃんと跳べてりゃ、オレが剣を失くすことも無かったんだよ」

「それならトラップに引っかかったルカンが一番ダメダメじゃない」

「お前が地図を見間違ったからだろ!」

「地図が安物だったんでしょ! そんなところでケチるからルカンはダメダメなんだよ」

「なんだと!」

「なによ!」


 ヒートアップしだす二人。それを見ていた宿屋のおかみさん。今まで浮かべていた井形の軍勢をおさめ、まるで慈母のような笑顔になって二人に近付く。

 何でかって? そりゃ、理由が出来たからだ。この失礼千万な二人を――


「喧嘩するなら表でやりなッ!!!!」


 ――店の外にぶん投げる正当な理由が。





 『第三十五探索都市・ラパン』。コルネーア大砂漠の西部に存在するオアシス都市であるそこは、もともと『ラパン』と呼ばれる巨大遺跡があった場所の周囲に生まれた探索者たちの活動拠点であった。

 実に100年以上に渡る調査の末、その探索終了が宣言され、そのまま残ったものが建物と人である。

 遺跡群在地帯の一つとも言われるコルネーア大砂漠において、大遺跡だったラパンを中心とした都市は探索業を生業とする者たちにとっては既に欠かせない場所となっていた。

 そのため、一部探索者が合同して都市の撤去反対運動を起こし、半ば自治権を手に入れた探索者たちの街。それが現在のラパンであった。

 遺跡から出土される様々なモノを求めて訪れる商人たち。そしてなにより一攫千金を夢見る若き探索者たちが集まる……人種も国籍も思想もごったに溢れかえった、自由な街と言えなくもない混沌都市。

 そんなラパンの街の大通りを、響き渡る大声が二つ。


「くそっ、シフォンのせいで追い出されたじゃねーか!」

「ルカンのせいでしょ!」

「なんだとッ!」


 宿屋のおかみさんの熟練のプレッシャーに、取るもの取って逃げ出した二人……ルカンとシフォンは、荷物を抱えたまま通りを歩きながら未だに口喧嘩をしていた。

 そんないつもの光景。うち何人かの彼女達を知る街の人間は、呆れ顔でそんな風物詩と化した喧騒を眺め、今日も仕事に向かっていく。


 この街にルカンが来て一年。二人が契約を交わして主従となってから半年。それは変わらぬ日常の風景であった。お互い16歳同士。まだ子供とも大人ともつかない年齢でありながら、家を飛び出した少女達。

 そんな二人を見つめる大人達の目線は生温かかったりするのだが、二人がそれに気付く余裕はまだなかった。


 そんな街の空気を物ともせず、顔つき合わせて怒鳴り合いながらも向かう場所は同じである。

 通りに聳える一際大きな建物。二人でその扉を開けて、勝手知ったるなんとやらと歩を進める。

 受付カウンターまで、まるで二人三脚でもするように互いに譲らず走り寄り、二人は共に声を張り上げた。


「「何か遺跡の情報ない(か)!?」」


 同時に言って、睨み合う二人。

 そう、ここは遺跡に関する情報を扱うギルド。通称『探索者ギルド』である。

 遺跡探索を生業……とするには多少実力不足の二人ではあるが、ここの常連であることには変わりない。

 そんな見慣れた年若い探索者の姿に苦笑しながら、受付に座る20代半ばに見える人族のお姉さんは、いつものように挨拶をする。


「おはよ。ルカンちゃんにシフォンちゃん。情報っていうけど、ルカンちゃん剣がないんじゃなかったの?」

「う……」


 言われ、思い出すルカン。

 そう先日、落下から逃れるために壁に刺したショートソード。そのまま遺跡の壁に残っているのである。

 つまり、彼女は今丸腰だった。いつもは腰にあるはずのその重みがない。それに気付いたルカンは、慌ててポケットから財布を取り出す。


「ううううううう、やばい。なまくらも買えん」

「ふふん、なら今回はルカン、お留守番だね」


 得意げに杖を掲げるシフォン。

 しかし、そんな彼女に受付のお姉さんは無慈悲にも首を横に振るう。


「シフォンちゃんはルカンちゃんの契約従者でしょ。単独での遺跡探索が禁止されているのは知ってるわよね?」

「えー、そんなぁ」

「仕方ないじゃない。獣人の巫女見習いが単独で遺跡探索なんかして、もしものことがあったら。ルカンちゃんは監督責任違反で獣人族の法に則って処刑されちゃうもの」

「うううううう」


 呻きながら、獣人と人間の主従契約……その証となる首輪を手でなぞるシフォン。

 それは従者の証。ただ、一方的に人間が有利なそれではない。

 獣人が御子、または巫女見習いとして修行する一定の期間。その間に獣人の見習いたちは選んだ人間の従者になる必要がある。

 掟によって見習い期間には財産を得ることが許されないため無償奉仕となるが、その期間の衣食住他は人間側が保証しなければいけない。

 また、お互いが主従契約の失効権限を持っているため、下手なことをすれば見捨てられるし、見捨てられた主人は獣人組合のブラックリストに乗せられ以後、改めて契約を行う場合もデメリットが生じることになる。

 主人を選ぶ数に制限はないため、いずれ出会うだろう素晴らしい主人を見つけることが目的であり、人間も捨てたもんじゃないと若輩獣人たちに気付いてもらう。

 そんな人間と獣人の友好を目的とした制度であるが、なかには獣人が人間の下につくのが当然と捉える輩が一定数おり、そういった人間の選別にも役立っている。

 何にしても基礎能力で優位にある獣人と本気でやり合う人間はそうそういない。

 そしてもう一つ、破ってはいけないルールがあった。それは――


 『異性間での主従契約の禁止』


 あくまで巫女見習いとして修行期間である。そんな思春期真っ盛りな年齢の少年少女を、いくら種族間友好が目的とはいえ、異性で主従など言語同断。間違いがあっては困るのである。巫女見習いが修行中に妊娠など笑い話にもならない。


 さて、ここでおさらいしておきたい。シフォンは獣人の少女である。そしてルカンの従者である。ルカンは年齢的にみて多少大人びた容姿をしてはいるが美少女である。全くもって問題ない。ここまでなら。


 そう、問題は大ありだった。


 ルカンは爺様こと老師の欲望的呪いで美少女にされたオトコである。男の子である。男子である。漢でもある。男に戻りたい。戻るために生きているといってもいい。

 さて、ここで問題。もしこの主従契約中にルカンが男に戻ってしまったらどうなるでしょうか?

 答え――――、去勢されます。


「うぐうううううう」


 契約後に聞かされた、その笑えない話を思い出して、思わず股間を押さえるルカン。

 もちろんそこにお目当てのモノは存在しないのだが、存在していてもこのままではチョッキンさよならである。目的達成したと思ったらシンボルは失われましたでは泣くに泣けない。

 遥か昔のどこかの王朝ではそんなことしてまで権力を得ようとした人間たちがいたらしいが、ルカンからすれば正気の沙汰ではなかった。


 本来なら契約後に性別が変わるなどあり得ない。だから契約書でも軽く流された部分だった。

 しかし、ルカンにとっては大問題である。遺跡探索にシフォンの魔法は必要不可欠だし、でもその遺跡探索をする理由が男に戻るアーティファクトを手に入れるためなのである。矛盾。堂々巡り。

 まあ、どっちにしても今の実力でアーティファクトを手に入れるなんてことは夢のまた夢。まさに取らぬ狸の皮算用。ベテラン探索者に聞かれたら一笑に伏されるほどの、大言壮語にほかならないのだが。


「というわけで、ルカンちゃんは裏で着替えて来てね」

「……はい」


 言われ、項垂れながらも素直に返事をするルカン。

 剣がないなら働いて買え。至極全うな理由である。仕事を用意してもらえるだけ有難いとも言える。


「うーん、仕方ないかぁ。じゃ、私は図書館借りてるね。新しい魔法覚えとく」


 言って、尻尾をふりふりギルドの二階へ姿を消すシフォン。

 そんな獣人少女の後ろ姿を見送った後、受付のお姉さんはルカンに向かって一言告げる。


「図書館利用料、500ジル。給金から引いとくわね」

「…………」


 理不尽だ。叫びたい。しかしこれも契約である。稼げばいいのだ。稼いだ金は、アイテムは、全て主人のものなのだ。

 問題はその稼ぎがないため出費が嵩み続けていること。


「うぅ……ショートソードすら難しいかもしれない」


 ナイフで探索なんて剣士の名折れである。もともと大剣使いだったルカンだ。女の細腕でショートソードしか持てず、結果本来の力の一分も出せない有様。これがナイフになんてなろうものなら……。


「はあ……世知辛い世の中だぜ」


 16歳の身空でそんなことをのたまうのだった。かしこ。




1ジル=一円くらい

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