10
今日は、朝から、矢和田と京阪宇治駅で待ち合わせ。デートだ。
初夏の宇治橋は、本当に気持ちいい。矢和田と少し、ドーナツショップで時間を過ごしてから、三室戸駅の方にある、有名な茶房で、抹茶づくしのお昼を、食べた。
もう一度宇治橋の方に戻って、二人でのんびり、橘島に架かる、朱色が映える朝霧橋を渡った。穏やかな天気が心地良い。この橋から見る宇治川は、宇治橋から見る宇治川より、綺麗に見える。水面は、さらさらと、銀のしずくをまきながら、緩やかに、先へ先へ流れていく。橋の位置が、川に近いせいだね、きっと。そう、二人で話した。
宇治川先陣の碑は素通りで。橘橋を渡って、あじろぎの道に入った。そこから、矢和田と、宇治川と宇治橋を一緒に眺めた。とろとろと過ぎる時間。ただ、一緒にそれを見ていた。
幸せだと思った。こんな日があることに、感謝した。
「俺も、いつかは死ぬんだよなぁ」矢和田が、ぽつりと言った。
「長生きしてね」矢和田の方に軽く向いて、私は言った。「できれば急病とかも、嫌よ」
冗談交じりで、私はお願いした。
「病気かぁ。病気ってのも、ほんと怖いよなぁ」矢和田が、目を細くして、つぶやいた。
言えるかな。私は思った。
「矢和田」
「ん、何」
「矢和田が倒れたときも、ずっと一生、側に居る」矢和田が少し、間をつくった。そして、ゆるやかに、微笑んで、矢和田は丁寧に言葉を返した。
「離れていいんだぞ」
「離れる方が辛い」私は微笑んでみせた。最後まで一緒が、いい。
矢和田が、私の手をとった。私の指先に、矢和田の指先をあてた。矢和田の親指の腹で、私の薬指の爪を、ゆっくりなでる。そして、そっと手をつないで、一緒にはにかんで、微笑んで、表参道の方に、二人でゆっくり歩き始めた。
「ソフトクリーム、食べに行かないか」矢和田が言う。
「うん、いいね」私は答える。
「敬は今日も抹茶?」矢和田がからかう。
「今日は、ほうじ茶アイスにする……矢和田、抹茶にしない?」そうして表参道を歩いていると、携帯電話が音を立てた。いつもは留守電にしてあるから、ほおっておくけど、なぜか、今日はとる気になった。矢和田に謝って、携帯を開いた。
おばさんから。
「もしもし。敬ちゃん」おばさん、焦ってる。
「……どしたの?」私は、鼓動が速くなった。
「ちょっと、きいて、きいてて」おばさんはそう言って、黙りこくった。何? 何をきくの? そう思いながら、耳を携帯に押しつけた。
押しつけた、スピーカーの先から、その先から、途切れるような、音が響いた。
「あぅ……」とっさに左手で、口元を押さえて、そのまま私は、一気にむせび泣いた。
香!
「きこえた? 敬ちゃん!香、さっき、起きたの!」おばさんは、もう感情を隠さないで、私に、喜びを伝える。
突然、私の体が、がくんと動いた。矢和田が、私の手を引いて、私ももう、走り出していた。
「矢和田」おばさんの声、矢和田にも、つつぬけだ。
「行こう」矢和田はさらに、私を引っ張って、スピードを上げた。私は、止まらない涙はそのままにして、笑って、矢和田と京阪宇治駅に向かって走る。
宇治橋を疾走しながら、横目で宇治川を見送って、ほらもう京阪宇治駅はすぐそこだ。