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 今朝は、いつもより時間をかけて、朝食をとった。ゆっくり、何を考えるでもなく、ただゆっくり食事をとって、ゆっくり、香に会いに行く準備を整えた。

 病室に入る前に、一瞬立ち止まって、そしてゆっくりドアノブを回した。まず、体半分だけ香に見せて、「よ」と、言葉をかけた。香は、返事はしない。私は目を細めて、微笑んで、ドアから離れた。香の前に来て、「借りますよ」と言って、側の丸椅子を引き寄せて座った。今日も、天気は快晴だ。香に直接、見せてあげたいと思った。

「久しぶり。来る間隔が開いたけど、元気やった?」私は香にきいた。顔色はそんなに悪くないから、ほっとして、香の頭を少しなでた。

本題に入ろう。私は静かに、心の準備に入った。

「矢和田にねぇ、あの手紙、読まれちゃったわ。香も、もう、矢和田からきいたんだってね……きいて、引いた? 香……」私の声はもう、震えてきていた。恥ずかしさと、切なさと、怖さが、それぞれ私の中で独立して、交互に私に襲いかかってくる。

 私は、バッグから、封の切られた香への手紙を出して、もう一度、自分でこの手紙を黙読し直した。

  




香へ

 今日で、うち、二十一歳になったで〜!実感はわかないけど、とりあえず、二十一歳です。

 二十一歳になって、今、普通に、よく二十一年、生きたなーって思うわ。それで、二十一年生きて、香にお礼を言いたいことが、いっぱいあるから、これをチャンスに、香に感謝の気持ちを伝えたいと思って、この手紙、書きました。

 今まで、一緒にいてくれて、ありがとう。

 香と出会ってから、もう、十一〜十二年になったけど、出会ったときは、香が、これだけ大事な人だと思えるようになるとは、もちろん考えてなかったですな、当時はな。友達になったのは、小学校からだし、うちらは、八〜九歳か。

 その頃は、まだ香は、私の人生の十分の一も関わってなかったけど、今は、私の人生の二分の一に、香が関わっていることになるんやね。

 このまま、うちが順調に生きていけば、三十歳には、うちの人生の三分の二に、香がいてくれたことになるワケだ。なんて幸せなんだろうって、思うよ。

 時間を重ねる毎に、私の人生において、香の占める割合が増えていくんやで。これは、もう奇跡やろ。

 とね、うちがこうやって、香にメッセージを綴ってて、「幸せ者だなぁ」って思えることが二つあるん。

 まず、こうやって、思いを伝えたいって思える人が、私の人生において、こんなに早い時期から現れたってこと。

 そして、この伝えたい思いを「伝えても、許されるかな」という、可能性を感じることができるっていうこと。

 この二つがあるから、うちは、いつまでも香が好きで、香と一緒の人生に幸せを感じることができるんだと、そう思う。

 香が、私と、もっと一緒にいたいって言ってくれるんなら、喜んで、香の近くにいるよ。もし、うちと結婚したいって言ってくれたなら、即、結婚するで。んで、そのときのうちは、多分、すごい幸せやと思う、なぁ。

 まあ、つまり、香が大事なんですわ。社会的立場も、経済力も、外見も内面も、全部ひっくるめて、香が好きなんですな。もっとゆっちゃえば、香に関わる全てのモノも、大事で好きだと思えるんですわ。香が就く職業なら、それが一番、崇高な職業に思えるし、香がいるなら、どんな場所でも、そこが一番贅沢な環境だと思えてくるんです。香がいるから、周りが良く見えるん。つまり、香が周りを綺麗にしてくれてるってことよ。

 自分でも、なんて贔屓(ひいき)分なんだろうって思う。でも、それで幸せ感じられるなら、別にいいんじゃないかなぁって思う。あとは、社会に迷惑かけないように注意して生活してれば、うちもハッピー、皆もハッピー!いいじゃんねぇ、これ。

 そもそも、価値観ってそういうモノだと思うしね。自分が好きなモノだから、それが素敵に見える。自分の好きなモノだから、それが美味しい。自分にとって必要な人だから、その人が、限りなく大事。価値観ってそういうもんじゃないのかなぁ。

 だから、人それぞれ、幸せの感じ方が違って、幾千通りの幸せを感じることができるんじゃないのかなぁ。

 それで、幸せをたくさん感じられる人って、きっと、幸せの振り子幅が大きいんじゃないかなって思う。私も、そうなのかなぁって最近思った。なんだかんだいって繊細やし(笑)。でも、周りとか、自分の感情に敏感なのは、良いことだと思う。傷つきやすい分、幸せもいっぱい感じられるし。ただ、過敏になりすぎると、自分がしんどくなっちゃうから、そこは微調整やんな。

 そうやって、私は敏感に周りと付き合ってきて、そんで香を、ここまで想うようになったんよ。うちにとって、香は絶対、必要だって想えるようになったんよ。

「助けて欲しい」って言わなくても、助けてくれる人が、この世の中にいてくれるって、分かったとき、うちは、どれだけ幸せな環境にいるのかが、分かった。実感した。香が助けてくれなかったら、私は、きっと、こんな私になってなかった。

 束縛は、窮屈でいかんと分かってるけど、ごめんやけど、固執させて。譲れませんわ、これは。

 香、私は香が本当に大事。

 十二年間、一緒に居てくれてほんとにありがとう。

                                          敬より




 あっぱれ。

 読み返して、あらためて自分を誉めた。すごいよ、ここまでくれば、もう、バカも滑稽も通り越して、天晴れ。だ。

 ほんと、なかったことにできないのかなぁ。私はうなだれた。

 でも、あの手紙の内容、あれは私の本音で、誤魔化しは一切ない、私の本心だった。それは間違いない。だから、今日は、香に「付け加え」を言いに来た。黙って過ごすより、言うことに決めた。言いたい、香がまだ、私の隣に居てくれるうちに。

「手紙は、三年前やん? だから、あの内容が、今もそのまま、私の気持ちってワケじゃないんだ」言うのに、ためらう。本人に面と向かって言うってのは、ほんと、恥ずかしいし、難しい。

「三年前より、私は香のことが、もっと大事になったよ」私は、言った。「今までずっと、泥沼みたいな場所で、もがいてばかりだった最低なうちに、変わらずに笑いかけてくれて、一緒に考えてくれたり愚痴きいてくれたり……『助けて』って言えなかったときでも、香から助けに来てくれた」

 私は、今まで、香に助けられてばかりだった。香なしで、問題解決したことってあったかな? ない。どんなときでも、間接的であっても、香は、私の心を支えていてくれた。

 信仰みたいなものか、ある意味。ふとそう思った。絶対的な「何か」に対して、揺るがない信頼を寄せて心の平安を求める。じゃあ、これは、「香教」か。私はふきだした。悪くない。

 ただ、香は当たり前、人だ。いつか消える。この違いは果てしなく大きい。香がいなくなったら、私はどうなってしまうのだろう。そんなことは、以前からつらづらと考えていた。でも、香がこうなってしまってから、真剣に考えるようになった。四ヶ月間、私は切実に答えを探していた。

「香がいなくなったら、うちはどうなるんだろう、って、ずっと考えてたんだ」椅子に座ったまま、香に向かって左側から、私は香を眺めた。香の左手を軽くとって、香の手の甲を、ゆっくりなでた。



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