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 私には、極上の、わがままな夢があった。こんなこと、香に話せないことは分かっていたし、叶うはずないのも知っていた。私のわがままさの集大成。言ったのは、今が初めて。

「いつか、自分が、結婚することになるなら、香と、香のダンナとも一緒に、ひとつの家に住んで、四人で一緒に暮らしたい、と思ってたん」

 一生誰にも言わないで、私の内に、理想としてしまっておくつもりだった。こんな形で、言うことになるなんて。予想もできなかったな。

 四人で住むなら、土地はどこでもいい。北海道でも、沖縄でも。でも、離れ小島はちょっと嫌だな。できれば、少し田舎で、おっとりした空気の中だと、すごく嬉しいなぁとまで思っていた。やっぱり、空気は澄んでいる方が良いでしょう。

 私と、私のダンナ。隣には、香と香のダンナ。香が、香のダンナとばかり話していたら、私は、冗談半分で香のダンナに嫌味を言う。やきもちをやく。私はもちろん、自分のダンナも、香も平等に接する。難しそうだけど、努力する。

 香のダンナについては、私は別にどうでもいい。知ったことじゃない。香をヨメにできただけで、ありがたいことだと、思ってもらわないと、私が許さん。だから、私のダンナと、香のダンナが親友だったら、これは解決するから、そうだといいなぁ、とまで想像してた。

 何て、身勝手な奴なんだろう私は。それに、まず、ありえない。百パーセント実現しない。でも、私は、現在完了形で、そんな夢をこれからも見つづける気が、満々だ。このバカな夢は、今までも、そしてこれからも、私の理想の夢でありつづける。

「バカでしょ」

 言葉にすると、一層自分が、バカだと思える。私は、矢和田をじっと見て、矢和田の反応をうかがった。矢和田、今、あなたは何を考えてる?

 声をかけようと思ったら、そうする前に、矢和田が、しゃがみ込んだ。アスファルトの廊下に、ぐったりと。そして、ぶふっと、吹きだした。次は大笑い。

 矢和田が大笑い。

 どないしよう。私は冷静に焦った。予想外だ。

 とりあえず、そのまましばらく、矢和田を見守って、矢和田の次の行動を待ってみた。でも、矢和田がなかなか笑いを止めないから、私は、段々、何だか、すごく恥ずかしくなってきた。顔が熱い。

「あきれないで」私は、矢和田にストップをかけた。矢和田は、まだ体を震わせて、小刻みに笑ってる。そんなに、私は面白いことを言ってしまったのだろうか。矢和田と私の、笑いのツボの違いについて、真剣に、悩んだ。

 矢和田が、顔を下に向けたまま、手招きをした。私は、近づいて、矢和田の前に、しゃがんだ。矢和田が近い。矢和田がぽんぽんと、私の頭―何ヶ月ぶりか!―に、触れて、そして、優しく抱きしめた。懐かしい。矢和田のセーターから、矢和田のにおいが、あふれる。

 そのとき、やっと気付いた。気付いて、私は、血の気が引いた。

「矢和田、矢和田ごめん」矢和田は、泣いてた。矢和田の涙が、私の肩を濡らした。にじんで、私のストラップが、うっすらと、服越しから透けて見えた。

 やっぱり、困らせてた、傷つけた。私は震えた。

「や、違うよ、敬」矢和田が、震えだした私の両肩を持って、顔を上げて、私の目を見た。 「今、ほんとに、敬の彼氏でよかった。って思ってたんだ」

 やられた。今度は私が、泣きだしてしまった。しかし、何だろう、泣くのがこんなに嬉しいことって。こんな涙があるなんて。あるもん、なんだなぁ。私はぽろぽろ涙をこぼして、矢和田を抱きしめた。矢和田も、そのまま、強く抱きしめてくれた。

 帰ってきた。矢和田との、こういう関係。

「帰りたかった」ホント、小さな呟きだったけど、矢和田はききとったかも。

 やっと帰れた、心やすまる、この処。やっぱり、矢和田は恋人だ。

「人が来たら、『何してんだ』って思うよ」しばらくして、私は今いる場所が、マンションの階段前だということに気付いた。

「そうだな、俺等、バカップルだな」矢和田がくすくす笑った。

「とりあえず、立つ?」

「このままでいたい」矢和田が、だだっこのように、言った。あなた矢和田さん? 最初、びっくりして、信じられなかった。こんな矢和田は初めて見た。大人で、冷静で、思慮深い矢和田に、こんな一面もあったんだぁ。何だ、矢和田も、結構、自分を出さない人なのかも。

 私は、すごく、嬉しくなった。三年目にして、矢和田の別の一面が見れた気がして、もう、それだけで、今日は周りのことは、まあ、いいか。という気になった。ま、なにせ、今、私達がいるのは、私が住むマンションの敷地内だ。他の住人が来ても、もう、気の済むまでアスファルトの上で矢和田とくっついていよう。

 アスファルトに、ずっとくっついたままの、私の脹脛はひんやり冷たい。矢和田の懐は、穏やかに温かい。そんなアンバランスな温度差を身体に感じながら、私は、改めて、矢和田と居て得られる、このほっとした空気を、ゆっくり、全身に沁み込ませた。

 季節は、もうそろそろ初夏に入る。悲しみも大気に溶けて、陽光となって、地上に降り注ぐ頃だろう。



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