表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/52

5

 今日は、5月のわりに少し肌寒くて、上着を羽織って香に会いに行こうかどうか、少し考えながら、私は朝のコーヒーを飲んでいた。

 十時頃、テーブルの上に置いてあった携帯が、震えているのに気付いた。私はもう着替えて、化粧もして、朝食の食器を洗っているところだった。三回以上バイブがつづいたから、着信だと分かって、すぐ側にかけてあった、タオルで手をふいて携帯をとった。携帯電話は、水気にほんと、弱いから。

 矢和田からの着信。めずらしいと思った。

「もしもし」私は電話にでた。

「おはよう、起きてたか?」矢和田の声。いつも通り……?

「うん、もう起きてたよ。どしたの」

「……ごめん、敬。電話ってのも、悪いと思ったけど」矢和田の前置きは、フォローになってもいない。私は、部屋の温度が、三度下がったような感覚を持った。矢和田、耐えられなくなったんだ。

 矢和田が続けた。

「香ちゃんへの手紙、読んだ」予想外の内容に、私はほんとに、安堵感を持った。でも、そんなものは、一瞬にして、次に来たショックに打ち消されて、そのまま、恐怖と恥辱が、ずどんと両肩に、落ちてきた。あの手紙!

 そして、さらに、追い討ちが。「香ちゃんにも、読んできかせた」

「何で」私は、思わず叫んでしまった。何で、何で矢和田があの手紙を?

「あの日、敬が面会に行ってるの、知っていたから、俺も香ちゃんに会いに行こうと思ったんだ」私の頭は、急激に醒めだした。

 あの日。

 そうだ、確かに矢和田は、昨日、「あの日」と、言った。手紙を読めなかった、あの日。共通の話題として、私は無意識に了解して、矢和田と会話を続けてた。手紙の話、矢和田には言ってなかったじゃないか!

「俺が思ってたより、敬の気持ちは、すごい深くて、大きかったんだな」矢和田が淡々と言う。感情がよみとれない。

 私の頭と全身が、一瞬にして冷めだした。5月じゃないぞ、ここは。

「矢和田、矢和田。切らないで。お願い、きいて欲しいの」私は焦って、矢和田に懇願した。嫌、これだけは止めて。誤解されたまま、別れるのは、それだけは絶対嫌。

「うん、大丈夫。きいてるよ」矢和田はゆっくり、言った。

「私は、香と、手紙にあった、希望通りの関係になれなかったから、矢和田の側にいたんじゃない。そんなんで、矢和田と付き合ってたんじゃ、ない」

「うん。それは分かってる」矢和田が静かに言った。やっぱり、電話だけじゃ、矢和田をしっかり理解できない。会って話せない気持ちも分かるけど。

「敬がそんな性格だっていうのは、もう、よく分かってるよ」矢和田が言った。「俺だけに対してじゃなくて、他の誰に対しても。誰かの『代わり』として、人付き合いすることを嫌ってることも、分かってる。それって、すごい難しいのに、敬は優しいから、それで孤独になっても、それに耐えてるんだよなぁ」

―何で? 

 言葉は詰まって、視界が潤んできた。部屋が、水槽の中みたいに、揺らめいて見える。

 何で、矢和田はそんなに、私のことが分かるの。

「矢和田、矢和田がすごく大事。大事なん、絶対」

「うん」矢和田がうなずく。

「誰の代わりでもない」

「だから、俺はお前の一番になれない」言葉が、空気ごと、私の心を、刺した。刺された。息が、止まった。矢和田の言葉が消えるのと、同じ位に、電話もぷつり、と、切れた。

そして、玄関のドアから、遠ざかる足音がきこえた。かつーん、という、冴えた音。私は矢和田だと分かった。矢和田としか思えなかった。矢和田じゃないと、ダメだ。

 思ったと同時に、脚は、もう玄関に向かって、何も考えないでも足はサンダルを捕まえて、手はチェーンを外して、鍵を横に回した。ドアを開いて、私は叫んだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ