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「忘れていってるわね」お母さんの言葉が全身を駆け巡る。
やっぱり。
私は、たまらなくなって、携帯を持った右手手首の少し上の部分で、顔の右頬を強く押した。こめかみのすぐ下で、顎骨に当たって痛くなっても、力は緩めなかった。
「嫌いにならないのと、忘れないでいるのは、違うのよ」お母さんは、ゆっくり、淡々と言った。お母さんは、もう知ってたんだ。
そう、私もお父さんのことは、今でも好き。それどころか、お父さんが死んでからの方が、お父さんを愛しい存在だと、そう思う気持ちが強くなった。じゃあ、それだから、お父さんがずっと、私の記憶に留まりつづけるか、といえば、そうじゃない。お父さんが亡くなってすぐのときは、毎日、その日の半分以上を、お父さんの記憶と一緒に生活していた。死んだお父さんと、私は「今」を生きていた。
でも、二ヶ月経って、半年経って、一年が過ぎて、時間の経過に反比例して、お父さんは、確実に、私から離れていった。お父さんの記憶が、私の現在の生活に関わってきて、そこに占める率は、どんどん下がった。
今もお父さんのことは定期的に思い出すけど、最初の頃と比べたら、確実に、思い出す頻度は少なくなってきている。
それでも、お父さんは他の思い出の人達に比べたら、ずいぶん長い期間、そして沢山、私の記憶に留まっている。それは、「家族」として、そして「父親」として、お父さんを思い出す機会が、日常生活で多く存在しているからだ。
そう思ったら、ふと気付いた。この世にいなくなった人を、自分の記憶の中に、長く、多く、留めておけるかどうかは、その人との生前の関係の深さと、その人を思い出す「刺激の量」で決まるのかもしれない。
今まで私には、仲良かった、たくさんの人がいた。学生の頃の友人。部活仲間。学校の先生。その人達と一緒にいたときは、その人達を「忘れる」感覚なんて覚えなかった。だって、すぐ隣にいたから。
でも、部活をやめて、学校が変わって、会う回数が徐々に減って、最近では、もう全く、会わない人も出てきた。
そうなると、私の中で、その人達を思い出す機会は、確実に少なくなっていく。その人達を忘れていってるんだ。アルバムを開かないと、名前も思い出せない人もいる。仲が悪かったわけでもない。良い友達だった人がそうなる。
以前、いくら仲が良かった人でも、会わなくなって「現実」から離れた存在になっていけば、いやでも私は、その人を忘れていく。そして、時折、「ああ、そういえば、そんな人がいたな」と、思うだけの存在になる。
儚い。
それを、私が冷たいからとか、淡白だからだとか、人柄に説明を持っていくのは、多分、あまり意味がないと思う。事実として私達は、あらゆるもの忘れて生きていく。ただ、それだけなんだ。
お母さんの愛情と、お父さんに関する刺激の量で、お父さんをどれだけ多く覚えていけるかどうかは、お母さんにしか分からない。でも、お母さんも、いつかはお父さんを「ある人」として思うようになるかもしれない。
それは、私だって例外じゃない。香が死んで、この世界にいなくなったら……私は確実に、記憶から香をこぼしていくだろう。香は私の心から、さらさらと、ゆっくりゆっくり、離れていくだろう。私だけの力じゃ、もう、どうしようもできない。
「お母さんが、お父さんを遠くに感じたときは、いつ?」私は、涙をぬぐいながら、きいた。
「お父さんが亡くなってから、初めてご飯が『美味しいかな』って思ったときと、お父さんがいなくても、心から笑えるようになったときね」
「お母さん、しばらく鬱だったもんね」私は言った。
「あの頃は、一生こうやって、泣いて暮らすんだ、って確信してたわ」お母さんは、昔話を語るように、遠い感じで言う。
「ほっとした?」私は鼻をすすって、きいた。
「ほっとしたというより、一層、悲しくなったわね」
分かる。その感覚は、今ここで、私が感じている、そのものだ。悲しくて、切なくて、いっそ、壊れてしまいたい。
肩を丸めて、携帯に吸い込まれるような姿勢になった。母親のお腹の中にいる、赤ちゃんのようにも見えそう。本当に、赤ちゃんが羊水に守られるように、今、私も何かに包まれて、安心させてもらいたい、と切実に感じた。
こんな孤独感。生きていて、こんなに切ないことってあるものなのか。
そのまま、お母さんの言葉をききつづけた。お母さんの言葉は、孤独感を、さらに、大きくする。
「『あの人がいないと、私は生きていけない』と思っていたのに、『あの人がいなくても、生きていけるものだ』って、思えたとき、すごく、寂しくなったわ。人って、案外丈夫で、結局最後は独りでも何とかやっていけるものなのね」お母さんは、少し悲しそうだけど、淡々と語った。
「その、『寂しさ』ってゆうのは、お父さんへの罪悪感も含めて?」私はきいた。
「罪悪感はなかったわね。私は、そういうところ、冷たいから。単に、人っていうのは、そんな風に生きるのかしらって、そう思っただけ。『永遠の変わらぬ愛』は、独りだけじゃ、つづけられないって、分かっただけよ」
「うん……」もう、何も言えなかった。多分、お母さんの言っていることは、真実だ。
香や矢和田が、もし、死んだりして現実に二度と私と顔を合わせることが出来なくなったら、多分、私は、一度は発狂するか重度の鬱になるか。とりあえず、心は粉々になるだろう。でも、かかる時間は置いておき、自殺をしない限りは、きっと私は、徐々に元気になっていって、また、現実を生きていくだろう。
毎日の矢和田は、いつか、二日に一度の矢和田になって、一日何十回、思い出す香は、一日数回の香に変わっていくだろう。
二人を思い出す瞬間は、私の人生において、確実に少なくなっていくだろう。
そして、いつかは「大好きな人がいたの」と、誰かに切なく話す、そんな日が来るのだろうか。
そのときは、もう、私の中で、矢和田も香も完全に「思い出の人」になって、私と現在を歩くことは、決してない。
そのときの私は、幸せなのかどうか。それはなってみないと分からない。でも、二人の居ない世界は、多分、すごく味気ないんじゃないかな。きっと淡白で、味気ない人生になる。
もちろん、これは私にも当てはまる。私が居なくなった人を忘れていくように、離れれば、私だって周りの人達から、忘れられていく。それはとても寂しくて、辛い。私の周りにいる人達は、私がその人達から疎遠になれば、確実に私を忘れていくだろう。もし、私が「死別」として疎遠になったなら、インパクトが強い分、多少は長く、多く覚えていてくれるかもしれない。でも、それすらも時間の問題だ。だって、私は、その人と一緒に「現実」を生きていないもの。一緒にいない人と、「心」だけで一緒に生きていくのは、大丈夫なのだろうか。いつまでも、もう居ない人を引き連れて、それで現実を生きていくのはどうなんだろう。そんな人生、生きていながら、死んでる気がする。あまり幸せだとも思えない。不健康な人生で、「人生」と言ってもいいのかどうかも朦朧としてくる。
「私は、大好きな人とは、一緒に死にたい」携帯を耳に押しつけて、私は泣きながら、ささやいた。
「忘れるのも、忘れられるのも嫌だから?」
「うん」
「でも、それは偶然にするには難しいわねぇ」
「うん……」お母さんは、普通に、怖いことを言う。
「そうでもしないと、これは解決しないのかしら」
「どういう意味?」私は、目をうっすら開けて、少しぼんやりした頭で、お母さんの言葉を待った。
「忘れる寸前まで、その人の思い出が素敵なら、それはそれで幸せじゃない」お母さんの口調は、優しくて、静かで、落ち着いていて、今までお母さんと話をしてきて、一番穏やかな物言いだと思えた。
そうか、そうなのかな。私は、ぼんやりしながら、そのまま涙をぱらぱら落とした。
思い出は、美化される。これも、そういうことなのかな。
もう少し、これは自分で考える必要がありそうだ。