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病院内の公衆電話で、矢和田に連絡した。
ちょうど大学はお昼休みで、矢和田はすぐにでてくれた。
病院の公衆電話は、待合室の隅にある、ダイヤルをぐるぐる回す、緑色のレトロなやつ。カードが入らなくて、硬貨でしかかけられない。五つあるけど、今使っているのは私だけだ。
香が、病院のICUに入ったことや、意識不明な事を、とりあえず、簡潔に説明した。
「それで、香ちゃんは今は安定してるのか」
「うん、急な発作とかは今のところ。でも、意識が戻る兆しもないし」
「状態が落ち着いてるなら、今は安心だな」
矢和田がゆっくり返事する。
「うん、でも、香、寝たままで」
「うん」
「今は落ち着いてるって言っても、そんなの」
「敬」
「発作って、いつ起こるか分からないのが発作でしょ」
「そうだな」
「そうだよ!」
「十円玉、まだ充分ある?」
ぶふっ!
私は一気に吹き出してしまった。
電話の前で、けらけらと笑った。お腹が痛くなるまで。そしてそのまま声を殺して泣き出してしまった。
「矢和田、どうしよう」
「今日は午後に会議もあるから、それからになるけど、俺もそっちに行くよ」香ちゃんのお家の方が、いいって言うなら。と矢和田は付け加えた。
「多分、いいと思うよ。一応きいて、またメールするわ」
「病院の外で待ってもいいし。とにかく会いに行くから」
「矢和田、ありがとう」
目をこすりながら、私はまた泣きそうになった。
電話の向こうで、矢和田の背中から、講義開始のチャイムの音がきこえた。
「矢和田、次、法律概論の講義じゃなかった?」
「今、気持ち、落ち着いてきたか?」
矢和田がゆっくり、心配そうにきいてくれた。
「うん、大分落ち着いた」
涙も引いてきて、確かに気持ちも少し落ち着いてきた。
病院で、たくさんの患者さんもいるのにとり乱しちゃったな。
私は急に恥ずかしくなって、少し周りを一望した。
彼の姿が、偶然目に飛び込んだ。彼が、見多氏が、病院の自動ドアから入って来たのが見えた。
紺のスーツに、グレーのコート。濃いベージュのマフラーを巻いていた。
香の病室の方へ、そそくさと歩いて行く。見多氏は角を曲がって行って、もう見えなくなった。
見多氏だよね?
「矢和田、じゃあまた、連絡するね」
矢和田が、先に電話を切るのを確認してから、私は、緑の重たい受話器を降ろした。
がちゃん、と受話器が、アルミのとってに、ぴったりはまって、次の使用者をまた、静かに待つ。
私は、少しぼんやりしたまま、見多氏の後ろ姿をもう一度、記憶の中で確認した。
見多氏。意識不明になっていた香を見つけた、第一発見者。