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ショックというのは、いつまでも後引くものだ。見多氏の真実は、しばらく、私の睡眠と食欲を阻害した。
香が落ちる。見多氏は、それを見送る。見多氏は、落ちきった香を見つめて、もう一度、香の頭を、階段の角に、打ちつける―めりこます―。
ゴゴン
電車の手すりに、こめかみをくっつけたまま、私はいつのまにか、眠っていた。近鉄電車は、もう私のマンションの最寄り駅、ひとつ手前まで来ていた。そのままの姿勢で、電車が駅に着くまで、ぼんやりと時間を過ごした。
左のこめかみは、鉄の手すりに、熱を奪われて、ひんやり冷たくなっている。そこが少し、じんじんして、痛いような、気持ちいいような、妙な感じになっている。
私は見多氏のことを考えた。見多氏は、新聞をしばらく賑わしてはいたけれど、日々の情報の流れと共に、自然と社会から消えていった。
ごごん、と香の頭が、鈍く鳴る音を想像すると、たまらなく、今からでも「見多氏を殺しに行こうかな」と思う。もちろん、本当に行ったりはしないけれど。こんなとき、いつも思う。 私は、行動には現さないけれど、内では、結構、残酷で、残忍な事を考えていたりする。今も時々、ここにはいない見多氏に、殺意を抱く。本気の殺意。
《思うことと、思ったことを実行することは、重さが違う》
誰の言葉だったのか。まぁ、確かにそうだとも思うし、もっと言えば、考えすら起こさないのが一番良いとは思うのだけれど、それはなかなか難しい。
今は、思うだけなら、それなら、許してもらいたい。誰に? 誰に・何に・どこから許してもらいたいのか、自分でもよく分からない。
けれど、私はよく、そう思う。矢和田が、他の女性と食事に行くときの、嫉妬感。以前、矢和田が付き合っていた、女性の写真を見たときの、妙な対抗心。以前、矢和田が、この人と付き合っていたから、今、私と付き合っているんだ、と分かっていても、以前の彼女に気持ちは混乱させられる。
香が、見多氏と旅行に行っているときの、切なさと、寂しさ。見多氏が羨ましいと思う気持ち。そんなことが、たくさんある。
私は、表には出さないけれど、結構どろどろした、それらの気持ちを抱えながら、好きな人達と付き合ってきた。そういえば、いつだったか。そんな私を見つけた誰かが、私に「感情を押し殺してばかりで、損してますよ」と言った。「もっと、自分の感情を、相手に出して良いんですよ」って。
損。はたから見れば、損していると見えるのか。確かに、自分でも、時々は、「損しているのかな?」と思うことはある。でも、突き詰めて考えてみれば、人って結局、自分が一番したいことしか、しないんじゃないかな、って思う。
選べる環境が整っている限りで、人は、何だかんだ言って、一番したいこと、それか、一番「まだまし」なものを、選んでいるんじゃないのかな。
塾の生徒の子が、「時間がなくて、宿題できなかった」と言うとき、私は、「できなかった、じゃなくて、したくなかった、の方が合ってるんじゃない?」と、きき返す。子供はうなってしまう。私は、意地悪かな。
人は、無意識に言い訳をしている。そんな存在なんだ。気を抜くと、私もいつも、無意識に言い訳をしてしまう。大学で、アドラー心理学を勉強していて、「can notの裏には、will not 有り」という名言をきいて、成るほどと思った。
「できなかった」んじゃなく、「したくなかった」って、ことね。
私が、好きな人達に自分の嫌な感情をぶつけないようにしてる理由は、そう、したくないからだ。 私が、矢和田を束縛しないように―幾分我慢してでも―そうするのは、そっちの方が、まだラクだから。わがままを言って、矢和田を困らすのは、嫌だからだ。
突発的に出る感情に任せて、矢和田にあたって、彼を困らせて、そしていつか、彼と離れてしまう結果を招くかと思うと、束縛なんて、怖くてできない。する気も、起きない。
あっさりしているようで、私は結構、執着心が強い。誰にも気付かせないぞ、これは。