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第三部 1


 二ヶ月ぶりに会った香は、こんなに綺麗だったかな、と思うほどだった。目を瞑ったままの香を見て、泣けるくらいの愛おしさがこみ上げてきた。二ヶ月。長かったなぁ。

香の病室は、普通病棟の小さな個室で、ICUのとき程じゃないけれど、身体にはまだ、たくさんのコードが全身から伸びていた。その先には、それを感知して動く心電図が、規則的な音をたてて、静かな病室全体に響く。単調な電子音は、私には一種の音楽のようにもきこえた。

 命のリズムだ。私は思った。香の命の鼓動は、まだここに存在している。呼吸器も、そんなに大げさじゃないし、香も辛そうな顔をしてない。

私は香の顔を眺めた。閉じられたままの香の瞼が、微かに、震えている。両眼に反応があることは、おばさんからきいていたから、それが確認できてほっとした。ただ、香自身で目を開けるような、意識のある行動はまだないそうだ。

「手にも反応はあるのよ。握ったら微かに指先が動くの」おばさんは言っていた。私は、今日は両手が布団の中に収まっているから、触れずにそのままにしておこうと思った。反応があっても、それが、ただの『反射』としての反応なのか、どうなのかは、まだはっきりしていないのも、石詰先生からきいてあった。私がここに、香の隣にいることを、今、香は感じているのだろうか……?

「……ま、そんなことはどうでもいいよな」私は少し頭を掻いて、そんなことは脇に置いて、香にまた会えたことを、とにかく感謝した。ほんとに感謝し尽くせないくらい。椅子を引いて、香の眠るベッドの側に据えて、私はそこに座った。

「久しぶり、香」香と会うときの決まり文句。久しぶり。この言葉は、言うのも、言われるのも大好きだ。久しぶりには、「会えなくて寂しかった」のニュアンスが込められている気がするから。三日会わなかったら、私達は「久しぶり」を使っていた。

 今日初めて入った香の病室。ここは本当に穏やかな空気に包まれていると思った。時間の進む速さがここだけ遅れているような。使いふるした消毒液のにおいも、ここなら浄化されて、何か、花のかおりに変わっているようにも思える。香が居るからだ。そう思った。

「眠ったままでも、『香効果』は顕著に表れるよなぁ」私はつくづく感心した。

 足を組み替えて、腕を前に組んで、私は静かに、香の顔を眺めた。あれ、そういえば。香の顔をこんなに、落ち着いて、ずっと眺めることができるのは、初めてじゃないかな。香と会うときは、たくさん話をして、遊んで、動き回って、ふざけあっていた。お互いに、表情がころころ変わって、じっとしていることは少なかった。だから、こうやって、一方が一方をじっくり眺めたことなんて、なかった。私は、見多氏を思い出した。見多氏。見多氏はこうやって、香の寝顔を、誰にも邪魔されずに眺める機会を、何度手に入れていただろう。恋人の特権のひとつ。そのときの香を見ていて、見多氏は何を感じていたのだろう。私は思った。香と、そうしていたのに、あんな言葉を吐けるものなのかな。……見多氏にしては、吐けるものなんだな。

 考えることじゃないな。私は思考を切って、頭を香の方に戻した。「よし」

 ベッドの端から少したれた、布団を整えて、丸椅子にかけ直した。私は香に向き直す。

「さて、香。何から話そうか」私は香との思い出を、丹念に綴り始めた。




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