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 私の顔のすぐ前に、矢和田の広い胸が見える。私は、つぶやいた。

「私もお母さんも、すごく後悔した」

「うん」矢和田がゆっくり返事する。

「お母さんは、『離婚はやっぱり嫌で、お父さんがまだ好きだ』っていうことを伝えられなかった。私は、二人が憎いくらいになってて、いがみ合ってるのを見てるのが嫌で、いつも現実から逃げてた。そんなとき、香が、ずっと助けてくれてたの」

 二人が家で、ののしり合うのが見るに耐えられないとき、私は香にメールをしていた。香は『そりゃ参るな〜』と返事を返してきた。香のメールを見ると、今の状況が、そんな大したことじゃないように思えた。結局最後は、笑ってメールを返していた。

「でも、お父さんが死んでから。変だけど、私も言いたかったことが、たくさん出てきたの。お礼の言葉とか、お父さんの好きだったところとか。お父さんと、もっと話しをすればよかった、って後悔した」

 もっと、話しをすればよかった。それはお母さんの口癖にもなっている。

「そういうのって、後にならないと気付かないよなぁ」矢和田は言った。

 その通りだと思った。私も、こんなにお父さんとの良い思い出があったなんて、お父さんがいなくなるまで、気付きもしていなかった。

 小学校のとき、お祭りで、お父さんが浴衣を着て、私と金魚すくいをした。そのときのお父さんは、「医者」のお父さんじゃなくって、私よりも無邪気に、金魚すくいを楽しんでいた。とった金魚は、静かに宇治川に放して、「元気に生きるといいねぇ」と言った。

 朝ご飯で、私はどうしても、お母さんの作る、ナスのお浸しが食べたくなかった。いつもむすっとして、絶対に箸をつけなかった。最後までそれを残すのを見て、お父さんが、お母さんがいない間に、ひょいっと、それをつまんで食べた。食べて、「こんなに美味しいのに」と笑って言った。それから、ナスが食べられるようになった。

他にも、お父さんとのいい思い出は、幾らでも思い出せる。家の中が荒れだしてからでも、お父さんとの思い出は、綺麗なものがいっぱいある。そう、いっぱいあったのに。

 お父さんは、医者には、きっと向いてなかったんだ。優しすぎて、繊細すぎた。普通なら、飄々としていればいい世評にも、耐えられなくて、苦しんで、家庭も一緒に崩してしまった。 優しすぎたんだ。そんなお父さんに、早く気付いてあげればよかった。

そんなお父さんは、私達二人の心を、毎日切なくさせた。お父さんとは、突然の死別だし、親類の、ある程度予想されての死別より、ずっと私達の心に、深い悲しみを残した。

 だからかな、そんなことがあってから、私は、「自分も周りの人も、いつ死んでも、何も不思議じゃない」という、一種の危機感を持つようになった。今もそう思っている。だから、大事な人には、できるだけ、自分の気持ちを伝えて、後悔がないように、その人を大切にしたいと思った。

「香がいなかったら、今の私は、なかった」私は言った。「きっと、矢和田とも、付き合っていられなかった」

「香ちゃんはすごいなぁ」矢和田が、感心するように言った。「敬が誰かに、そこまで固執するのって、香ちゃんだけだよなぁ」

 そうかな。私は矢和田を見た。矢和田にも、充分固執してるけどなぁ。

「今から、後悔のないようにしたいよな」矢和田が私の頭をなでた。

「私は、香に何ができるかな」

「話したら。今、敬が言った通り」

「え」

「香ちゃん、喜ぶと思うぞ」





次話から第三部にはいります

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