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離婚しよう、と両親がお互いに同意したとき、私はもう、大学一回生だった。
五年間、お互いに、「何とかしよう」と、もがいてあがいて悩んで、坂道を転げ落ちて、お母さんはノイローゼになった。そうなってまでも、離れようとしなかった二人が出した、『離婚』という結論に、私はもう、口をはさめなかった。むしろ、「よく五年間別れなかったなぁ」、とどこか他人事のように、不思議に思う気持ちさえ、その頃には私の中に生まれていた。
離婚を決意しても、そのまま書類を書いて、判子をぽんと押して、「じゃあさようなら」、ということはしなかった。
ここからが、また長かった。
お父さんは、カウンセラーに相談に行って、まず、お母さんの心の治療を始めた。それに並行して、お互いに新しい幸せな人生を進んでいけるように、お母さんと協力して、『離婚』を進めた。
お父さんは、お母さんの就職口を探して、そこが、良い条件なのかどうかも、一生懸命考慮していた。お母さんも、お父さんの風当たりが悪くならないようにと、実家に帰って、お母さんの家族に話をつけたり、とにかく、そう、お互いにお互いを思いやっていた。
はたから見ると、不思議な光景だっただろう。私も不思議だった。あの頃の―離婚の準備をする―二人は、本当に、相手を優先して考えて、とても穏やかな空気で、仲良かった。「あの時期は、病院のことも、近所のことも、何もかも考える必要がなくなると思って、正直、肩の荷が下りた感じで、ほっとしてた」と、お母さんが、最近、私に告白した。
「お父さんだけを、あの人を一番に見つめることができていたのも、あのときね」とお母さんは言った。
でも、あの頃、二人は離婚をとり消そうとは、言い出さなかった。言い出したのは、私。土壇場での、最初で最後のワガママを言った。
「別れないと、これは解決できないの?」二人を見続けてきて、離婚を着々進める二人の側にいて、どうにも納得できなくなったから。ただ、とにかく離婚してもらいたくなくて、わんわん泣いていた中学生の頃とは違って、冷静に、客観的に二人を見て、このまま、こんな昔のような良い関係を保ちつづけるためには、やっぱり離婚しなくちゃいけないのか、疑問に思った。別れなくても、もう一度、家族が直ることはないの? そう思った。
ま、つまり、客観的だ、冷静だと言ってても、なんだかんだいって、私は私の家族がばらばらになるのが嫌だったわけだ。できるなら、あの、幸せだった頃の『朝来家』をとり戻したかった。
私は、お父さんとお母さんが、二人で本を読んで笑ったり、食後のお茶を、緩やかに飲んでいる姿を見ているのが、すごく好きだったから。
私は二人の子供だ。本心から望んで、離婚がいいとは思えないだろう。
私の訴えに対して、二人は、すぐ答えは出さなかった。
「考えてみるよ」お父さんが、優しくそう言った。
お父さんとお母さんは、口だけじゃなくて、本気で考えてくれた。しかし考えがまとまらないなかで、お父さんは出張で、三日間家をあけた。お父さんがいない家の中で、お母さんは、そのまま考えていたらしい。私が大学から帰ると、どこか遠い目をして、物思いにふけるお母さんを見かけた。私は、お母さんから何か言い出すまで、その話題には触れないでおいた。
そして、お父さんが帰ってくる日の前の日、お母さんが夕食の席で言った。
「離婚しないで済まないか、お父さんにきくわ」と。
私は心底嬉しかった。
その夜の夕食は二人で厳かにすまし、私はゆっくりおふろに入って、安心からか、ぐっすり眠れた。
次の日、お父さんが早くこの家のドアを開けることを、私は心待ちにした。
でも、お父さんがドアを開けることはなかった。
お父さんは、帰りの飛行機で他の乗客と一緒に、滑走路の果てに墜落して、ここには帰らなくなった。
老人は、どん底に、ずどんと落ちた。