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「またね」おばさんは、笑って、私を見送ってから、また病院に入って行った。病院の正面玄関の向こうに、おばさんは消えて行く。私は、おばさんが完全に見えなくなるのを確認してから、病院に背を向けて、最寄り駅の方に、歩を進めた。
今日はもう、香には会えなかった。一時から四時までの面会時間は過ぎていたから。でも、晃君には会えた。久しぶりに見た晃君は、髪の毛が明るい栗色にかわって、ずっとカッコ良くなっていた。大学は希望通りのとこを合格して、「今、楽しいよ」と笑う晃君を見て、私も嬉しくなった。
「敬ちゃん、見多は俺に殴らせて欲しかったな」晃君は、私が帰るまでに、何度もそう言っていた。ごめんね。あれは譲れないわ。
駅で、切符を買って、すぐに来た、帰りの電車にゆっくり乗り込む。空いた席を見つけて、隣の人に接近し過ぎないように、穏やかに腰を下ろす。今日は、入り口ドア付近の座席の端は、満員だった。私は空いているなら、必ず、シートの端に席をとりたくなる。頭を傾けて、すぐ側にある、鉄パイプの手すりに、頭をもたれさせるのが好きだ。そんな私は、疲れて眠たそうな、OLのように見えるらしい。以前、香につっこまれた。
香の家族に久しぶりに会って、あの穏やかで優しい空気の残り香が、まだ私の全身から出ていっていないのが、分かる。
香は現在、マンションで一人暮しだ(った)けれど、おばさん達の住む実家とは近くて、週に二度は、三人の居る家に帰るらしい。「家が一番いいわ!」と、香はいつも豪語していた。
私も香の家には、よく遊びに行っていたし、香と、香の家族が一緒に居るのを見ていると、香の、あの爽やかな雰囲気は、『ここ』から生まれているんだなあ、と実感した。軽やかで、穏やかで、澄んだ空気を持つ香の家族。香の家に遊びに行くと、みんな、いつでも私を、ふわりと受け入れてくれた。
ここに慣れたら、自分の家族に帰るのが、辛くなりそう。いつか、そう思ったことがある。でも、「香の家族に加わりたい」と思うことはなかった。
香の家族は、私が入ったり―私じゃなくても、多分、他の人が入っても―したら、私が心地良いと思う、香の家族では、なくなってしまうだろうと、そう思っていたから。私は、香の家族の中に入るときは、「親しいお客さん」の位置をとる。そこ―香の家族の輪の中―は、私が「帰れる処』ではなかった。
だからかな、私は、早く本当に「帰りたい」と思える場所が、切実に欲しくてしょうがなかった。でも、家庭を持つという、「結婚」には、別にこだわりはなかった。社会的に認められている、形だけの場所なら、無い方がラクだと知っていたから。
《結婚したかったから、あの人を選んだんじゃない。あの人を愛したから、結婚したの》私の好きなセリフだ。
欲しかったのは、心から居心地がいいと思える処。そこは、安心できる人が、隣に居てくれる処。
夢みがちな私は、今もまだその夢を描いている。