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香が病院に入ってから、もう二ヶ月目に入った。おばさんから電話で、「病院に来てくれない」と言われたのは、まだ寒さが残る4月頭の、ある日の朝だった。
病院の中の喫茶店で、おばさんに会った。二ヶ月ぶりで、おばさんは、少し髪の毛が短くなっていた。私は、コーヒーを、おばさんはココアを注文した。
「敬ちゃん、前より髪の毛、伸びたわね」おばさんが微笑む。
「おばさんは、短くなった?」私は笑って言った。気まずそうな雰囲気は、お互いに持ち込ませてなくて、私はほっとした。おばさんが、少し黙って、私に微笑んで言った。
「お昼の一時から、四時まで。いつでも会えるようにしたから」私の、コーヒーを持つ手が止まった。
「この時間、敬ちゃんがいいときは、香に会いに来てあげて」私は、言葉を詰まらせた。ただ、おばさんを見つめるしかできなかった。おばさんはにっこり笑った。
「こんなに、遅くなって、本当にごめんなさい。見多さんのほうと、色々相談してたりしたら、こんなに延びちゃってね」そして、申し訳なさそうな顔で、私に問いかけた。
「怒ってる?」怒るなんて。
「とんでもないです」私は、焦って、バイト口調で返答してしまった。とんでもないです。私の常用語。
「香に、会いに行ってもいいんですか」私は、おばさんの立場が心配できいてみた。
「もちろんよ。香の側にいてもらえる?」おばさんは微笑んで答えた。でも、私は、まだ不安で、おばさんの好意を、すんなり受け入れられなかった。
「でも、見多さんのことで、私、すごく失礼なことをしたし。おばさん、見多さんから止められていたんでしょう。私が病院に来ることを、見多さんはよく思ってないんでしょう?」
「あの人は一応、婚約者なんだから、いつでも来れるし、ほっといて大丈夫よ」あれ、おばさんの口調、皮肉がこもってる? 私は、きょとんとした。
おばさんが、私の目をじっと見た。そのまま、少し唇の角を持ち上げて、ちょっと悔しそうな微笑をした。
「きいてたの、実は」
「え?」何を? 私はいまいち、おばさんの言うことが、飲み込めなかった。
「部屋の外で。あのとき、私、ちょうど控室のドアを開けるとこだったのよ」私は、口を半開きにして、驚いた。「敬ちゃんが動いてなきゃ、私が殴ってたわ」
おばさんは、心底口惜しそうな顔をして、右の拳を、私のあごにちょこんとつけた。
「ずるいわ」そして、にこっと笑った。
私は、あの日の光景を思い出した。あの日、見多氏との口論を、おばさんは全部きいていた。控室の、ドアのすぐ前で。私と見多氏の会話を、やわなアルミの板一枚だけを隔てて、そこでおばさんはきいていた。
あごに微かに触れている、おばさんの拳をそのままにして、私は下向き加減に、「ほんとに、私、いていいの?」と、おばさんに尋ねた。ききながら、自分の頬が熱くなっているのが分かった。
「香には、見多さんより敬ちゃんが残ってくれるほうが、嬉しいの」私は、おばさんの言葉が、心底嬉しくて。今までの苦労と悲しみは、誤解から生まれてたことに、心底恥ずかしさを覚えた。
私は拒まれていなかった。おばさんは、見多氏(と、多分その一族)から、私を弁解して、香に会えるよう、とりつけてくれた。ずっと私をかばってくれていた。
こんなに、優しくしてもらっていいんだろうか? そう思えてしょうがなかった。今のおばさんの一言が、私の気持ちを、大きく建て直してくれた。見多氏への遠慮は抜きで、香に会いに行ってもいい。
見多氏を殴ってから、ちょうど二ヶ月。長い長い二ヶ月だった。「嬉しい」の言葉しか、今の気持ちは表現できない。