誘拐と覚悟 其の二
どたばたと廊下を走り抜けていく。誰かがそんな自分を注意するが気にしている余裕などない。目的の部屋に何よりも急いで向かわないといけない。
その部屋の前の廊下を走っているとある大きな男が立っていた。それは友人から聞いた人物なのだろう。その人を見て良かったと思った。話がなんとか通じるかもしれない。
美流は息を整えることもせずに開口一番、口を開いた。
「お、お兄さんに会わせてくださいっ」
「?」
この子供は何を言っているのだろうと西堂は思った。お兄さん? それは部屋の中にいあるはずの警護対象か。しかし妹はこんな顔ではなかった。
「私は吟子さんの友人です。その吟子さんが危ないんです。お願いします。お兄さんに会わせてください」
状況が理解できない。これだけの言葉から答えを見つけるのは無理がある。
「何がどう危ないのかな? 落ち着いてしっかりと説明をしてもらわないと、出来る協力も出来ないよ?」
そう言われて美流は息と考えを整えた。
「お兄さんの妹の吟子さんが誘拐されました」
そう言われた直後に西堂の携帯が鳴る。嫌な予感がする。
「失礼」
西堂は美流に一言断ってから電話にでた。
「はい…………わかりました。少々お待ちください」
そう言って西堂は美流を見る。
「君の言っていることの裏付けはとれた。正直最悪だが、このことは本人には知らせない方がいい。どんなワガママを―――」
最後までその言葉を待っている余裕はなかった。
美流は少しでも確率が上がる方を選ぶ。たしかに冬扇の身に危険が及ぶかもしれないが、その方が吟子が助かる確率は遥かに上がる気がした。
だから待っている余裕はなかった。ドアもノックもなしに開けた。
「お、お兄さんっ!!」
大きな声で叫んだ。
「おーみるみる。久しぶりだな」
冬扇は驚きもせず、美流の方を見ることもなくテレビを見たままそう言った。
「助けてくださいっ!!」
その言葉にも冬扇は特に反応はしなかった。
遅れて西堂が這入ってくる。
「失礼します」
携帯で話しながら部屋に這入ってきた。冬扇はそんな西堂を一瞥し、すぐに画面に視線を戻した。
「もう手遅れです。既に見ています」
その西堂の言葉は電話の相手に言った言葉だった。
「何の用だ?」
「テレビを見せない様にしろと電話がありまして」
「それはなぜ?」
「言わなくても分かっているかと」
冬扇は気まぐれだ。気分次第で何でも要求する。しかもそれは拒む事を許さないのでどうしようもない。この誘拐事件を知れば、また面倒な考えを起こすかもしれないと西堂の電話の相手は思ったのだろう。しかも誘拐されているのが冬扇の妹だ。無理難題を通しても助けにいく可能性があるし、それはかぎりなく危険だ。妹の命と冬扇の身の危険を天秤にかけるまでもない。ここで冬扇になにかあったら多くの命がまた失われていく事になるだろう。
「こいつはなぜ俺を呼んでいる?」
西堂は隠しても仕方がないと話し出した。
「取り引きをしたいらしいです」
「取り引き?」
「貴方の血が欲しいと。応じられないのなら、妹さんを殺すと」
「なぜ俺の血が必要なんだ?」
妹の言葉に何も反応しない。ただの単語としてしか認識していないのではいかと美流は焦った。
「あの男の子供がガン告知をされたみたいです。しかし金に余裕がなく治療が出来ないと」
そこまで聞いた冬扇は黙って画面を見つめた。そして真顔だった表情はだんだんと不敵な笑みに変わっていった。
「西堂。俺が何を考えているか―――わかるよな?」
西堂はため息をつき答えた。
「車をまわしてきますので少々お待ちを」
「宜しく頼む」
それを聞いてパァっと美流の顔が明るくなった。