兄と妹
それは突然やってきた。冬扇にしてみれば災厄や天災と置き換えてもいいのかもしれない。それほど苦手ものだ。
「ちぇーーーーーりーーーーーーおーーーーーーーーーーーっ!!」
「…………」
元気いっぱいな声が部屋中に響き渡った。ノックもなしでドアをガーンと力いっぱい開けて這入ってくるその少女は終始笑顔だ。あまりにも突然で堂々と這入ってきたのでSPすら固まって動けないでいる。
「可愛い可愛い妹の吟が来てあげたよ、クソ冬にー! キラッ☆」
と最後にキメポーズを忘れない。彼女の名前は吟子。冬扇の妹だ。ちなみに『キラッ☆』は自分の口で言っている。
「…………」
「キラッ☆ キラッ☆」
冬扇の反応がないので二度言ってみた。
「はっ―――」
ようやく我に返ることができた冬扇。
「おい、誰かこいつをすぐに摘まみ出せ」
「ちょっとーーーーーっ!!!! なに言ってんだよクソ冬にー。せっかく可愛い吟が来てあげたのにさー」
「うっせー! どうしてここがわかった!?」
「えーーー? だってさ、有名人じゃんクソ冬にーは」
「…………」
さきほどからクソクソ言われて少々心が折れそうな冬扇は現実逃避をすることにした。
「あっーーーーちょっとーーーー寝るのやめなさいよーーーー」
布団にもぐる冬扇をゆっさゆっさと揺らして起こそうとする吟子。まわりのSPはそれを見てどうするか悩んでいる。
普通に考えたらすぐにでもお引き取り願う場面だが、彼女は冬扇の妹だと主張している。無下にはできないが、それが本当かどうかもわからない。
制服姿で青いタイツを穿いている。その独特な青いタイツはある有名な中学のものに間違いはない。年齢的にはたしかに年下だろう。
そして褐色の肌。おそらくスポーツの日焼けなのだろうが、それにしては多少黒い気がする。身長はとても小さい。それこそ小学生ほどしかない。
正直なところ冬扇と何一つ似ていない。この天真爛漫で元気いっぱいなところなど似ても似つかない。
「帰れ」
「へいへいへーーーーーい! せっかく来てあげたのにさ、ひどいぢぇー」
「うっせー。だいたい何しにきやがった!? あれほど俺たちは無関係だと説明をしただろーが」
「たった一人の肉親に会いたいと思ってなにが悪いのだぢぇーい」
「わりーつったろーが! 身の安全のためだ! それに、じぇーじぇーうるせー!」
「『じぇー』じゃなくて『ぢぇー』なのだぢぇー」
普通に考えて、冬扇に肉親がいた場合、それは少々やっかいなことになる。血をわけた兄妹がいると知られれば当然その血はどうなっているのかと誰もが疑問に思うだろう。
つまり妹の吟子の中にもガン細胞を殺すことのできる細胞があるのか、という疑問がでるのだ。そうなってくると検査をしなければならなくなる。
そして仮にもその細胞が見つかった場合。
吟子に自由はなくなる。
冬扇はそれがどうしても嫌なのだ。自分の自由がなくなることでそれがどんなものなのか理解している。その苦労を妹の吟子は知る必要はないと冬扇は考えている。
「くっ……このっ―――」
クソが、と毒づくしかない。事の重大さがまるでわかっていない。そんなことを知ってか知らずか吟子は続ける。
「冬にー、これ見ておくれー」
そう言って吟子は携帯を取り出した。
「あー?」
「吟、猫飼ったんだぢぇー。その名も閻魔。まぢで可愛いすぐるぅっ」
「…………」
どうでもいい、という表情の冬扇。おもむろに吟子は鞄の中に手を突っ込んだ。そして―――。
「えいやっ」
「どわーっ! あぶねっ!!」
紙一重でそれを避ける。
「なに投げてんだこのクソ餓鬼!」
「なにってイガ栗ぢゃんー」
「なんでそんなもん持ってんのか聞いてんだよっ!」
「もちろん冬にーへのお見上げだよー。受け取って、キラッ☆」
そう言って吟子はイガ栗を投げまくる。この鞄のどこにこんなにイガ栗が入っているのだろうか……。よほど閻魔を邪険に扱われたことに腹が立っているようだった。
そしてイガ栗がなくなり、そこから吟子の閻魔に対するマシンガントークがさく裂することになる。
気がつけばいつの間にか一時間が過ぎていて当たり前のように会話を楽しんでいた。それは冬扇にとっては久しぶりの普通の日常だったのかもしれない。ここが病院で自分は飼われている存在だということを忘れさせてくれた。
これはとても貴重な事だ。それを冬扇はわかっている。そんな自分のために自らの事をかえりみらずに吟子はここに来たのだろう。自分を元気づけるために。
お互いが自分の事よりも相手の事を想っているという事実がそこにはあり、おそらく二人ともそれに気が付いている。
「んじゃ冬にー、吟、帰るから」
「へーへー」
「さみしくなったらいつでも電話してねっ! キラッ☆」
「……へーへー」
もはや何も言うまい。つっこんだら負けだと自分に言い聞かせた。
「それではSPの皆様、不出来な冬にーをお願いしまーす」
「誰が不出来だこの野郎っ!」
「ぎゃうっ」
冬扇の投げた枕は見事に吟子の顔面にヒットした。あうーあうーと言いながら顔をさする吟子。しかしその顔は笑顔だ。こんなやりとりさえも貴重だと自覚しているのだろう。
けっしてドMではない。
「じゃーねー冬にー」
キラッ☆とキメポーズを忘れずにし、吟子は部屋を出て行ったのだった。