戦艦の幽霊
昔、戦争があった。
多くの空宙戦艦が飛びかい、互いに撃ち合った。
戦艦の殆どは撃墜され、ある物はデブリとして飛び散り、ある物は地球へと落下した。
地上、森の中。
木々のなくなった広大な空間がある。
宇宙戦艦が墜落した時に森の一部は抉り取られたのだ。開けた土地の端に、数百メートル規模の巨大な物体が鎮座していた。
墜落した宇宙戦艦の残骸だった。
使えそうな資材はあらかた引き剥がされて、あちこちで骨組みが見えている。
この戦艦は、これから長い時間をかけて、朽ち果て、形を失っていくのだろう。
「これが、じいちゃんの乗っていた戦艦か……」
戦艦の残骸を見上げる者がいた。
近くの村に住んでいる少年だ。
時たま、スケッチブック片手にここにやって来ては、戦艦の残骸を絵に描いている。
「今日は、少し違うアングルから書いてみよう」
少年は言いながら鉄骨の下、に入っていく。
崩れるかもしれないから近づいてはいけないと言われていたのだが。
まだ残る装甲板で光が遮られて暗い。
「なんか、寒いな……」
少年は両腕で体を抱きながら歩く。
光が当たる所に戻ろうかと思った時、誰かの気配がした。
「君、少し頼まれてくれないかね?」
振り向くと軍服を着た若い男が立っていた。
「だ、誰?」
「俺はこの軍艦に乗り込んでいた士官だ」
そんなわけがない。
この船が沈んだのは少年の父親が生まれるより少し前ぐらいのはずだ。
仮に乗組員が生きていたとしてもかなりの高齢のはず。
「本当に、この船に乗っていたんですか?」
「ああ。本当だぞ。左舷ミサイルの装填班の指揮を取っていた」
「何その微妙なポジション」
「……不満か」
「別にいいけどさ」
もっと、ブリッジ要員とかの花形職を期待していたのだ。
「そんなことより、頼みがあるのだ」
「頼みって?」
「探し物を手伝って欲しい……」
「何を探すの?」
少年の当然の問いに、士官は答える。
「プレゼントだ」
探し物はプレゼント。
そんな大事な物を落とさないでくれよ、と少年は思う。
「それで? この辺りで落としたって事?」
「いや……なんと言ったらいいかな。少し離れた所なのだが、ついて来てくれるか?」
「いいけど……」
「では行くぞ」
斜めだった船体が真っ直ぐになっていた。
「え?」
いや、二人のいる場所は、もはやさっきの朽ちた戦艦の影ではない。
現役の宇宙戦艦の通路だった。まるで数十年の時間を巻き戻したかのように。
「これ、通路が……」
「どうした、早く行くぞ」
士官はスタスタと歩き始める。
「……この戦艦には食堂もあった。そこにかわいい子がいたんだな。その子も俺の事を気にいってくれてな。俺はその子と将来を誓い合ったのだ」
「はあ」
プレゼントは、その子に渡すつもりだったのだろうか?
もし生きていたとしてもおばあちゃんになってしまっているに違いない。
そして、数十年が経っているのにまるで年をとっていないこの士官は……。
少年は少し前から思っていた疑問をぶつけてみる。
「あのさ……もしかってあんたって、幽霊なの?」
「……さあな」
士官は答えをはぐらかした。だが、違うなら否定ぐらいするだろう。
二人は戦艦の中を歩く。ハシゴを降りて下の通路へと。
どうやら居住ブロックに向かっているらしい。
「ねえ、軍人さん」
少年は、ふと思いついたことを聞いてみる。
「なんか、あんたに似た人とどこかで会った事があるような気がしてきた。もしかして、子どもとか孫とかいる?」
「いや、自分は天涯孤独の身だったし……子孫はいない、と思う、たぶん」
「たぶん?」
「あいつがあの時点で身篭っていたとすれば、可能性は……」
士官はぶつぶつと何か言っていたが、首を振る。
「そうだな。だがおまえも他人とは思えない気がする。弟に似ているのかもな」
「天涯孤独じゃないじゃん」
「俺とは別の戦艦に乗っていたのだ。俺より一年も前に死んだ」
「……」
その後、二人は無言でさらに通路を進み、一つのへ屋の前にたどり着いた。
士官用の部屋。狭いが個室だ。
「その辺りに落ちているような気がするのだ」
士官はベッドの下を指さしながら言う。
「え? 場所がわかってるなら僕が手伝う必要なかったんじゃ?」
「いや……その辺りに落ちているような気がするのだ」
なぜか士官は同じ言葉を繰り返す。
「僕に拾えって言ってるの?」
少年は不思議に思いながらも、ベッドの下を覗いてみる。
ナップザックのような物が落ちていた。
引っ張り出して開けてみると、手のひらに乗るほどの大きさの箱が入っている。
「これが、探していた物なの?」
「開けてみろ」
少年は開けてみる。
指輪が入っていた。
「キラキラ光ってるけど、ガラス?」
「ダイヤモンドだ。本物のな」
「これ、軍人さんが嵌めるの」
「俺が嵌める指輪ではない……。さっき話しただろう」
そうだった。将来を誓い合った恋人がいたとか。
「その人に渡すって事?」
「そうなのだが……、実は、今まで隠していた事がある」
士官は言いづらそうに、真実を口にする。
「俺は、死んでいる。幽霊なのだ」
「………………知ってたけど」
「そ、そうなのか?」
「うん」
「だがそれなら話が早い。俺はいわゆる地縛霊というやつらしいのだ。なぜかここから離れる事ができない」
「それで?」
「この指輪だけは、あいつに渡したかった。だが、それすら叶わないのだ……だから、頼む。俺の代わりにこれをあいつに渡して欲しいのだ」
そんな事を頼まれても困る。
「あのさ、士官さんが死んだのって、戦艦が落ちた時、なんだよね? その時にもその人は乗ってたんだよね?」
「そうだとも」
「それじゃ……一緒に死んじゃったんじゃ」
少年が言うと、士官はむっとしたようになって歩き出す。
「ついてこい」
たどり着いたのは戦艦の後部だった。
通路にいくつもの丸い扉がある。
「士官用の衝撃緩衝カプセルだ。船が墜落しても、中の人間は生きて脱出できるよう設計されている」
「これに入れば死ななくて済んだんじゃないの?」
「一つのカプセルには、一人しか入れないのだ」
「それが?」
「俺は、あいつを残して、自分だけ助かるという気にはなれなかった」
自分用のカプセルを、恋人に譲ったという事らしい。
「墜落の衝撃から生き残れるのは、どちらか一人だけだった」
士官は遠い目をしながら言う。
「俺は迷わず、あいつをこのカプセルの中に押し込んだ。ちゃんと助かった、はずだ」
「はず?」
「生きて船を出るところまでは見届けた……波長が合わなかったのか、あいつには俺の姿は見えなかったようだが」
「その時にはもう死んじゃっていたって事?」
「そういう事だ」
「でも……」
言いづらかったが、少年は告げる。
「この戦艦が落とされたのって、何十年も前だよ。仮に生き延びたとしても、他の人と結婚しちゃったかもしれないし、もしかしたら寿命とかで……」
「そんな事、解っている!」
士官は語尾を強める。
「迷惑になるかもしれないし、墓前に供えることになるかもしれない……。だが、それでも届けて欲しいのだ。そして、この船内にある限り、永久に届く事はない」
少年は、だんだん士官の事がかわいそうになってきた。この指輪を届けられなかったことが、というかたぶんプロポーズを出来なかった事が、強い未練となって地縛霊になってしまったのだろう。
「わかったよ。出来る範囲で探してみるから……」
「やってくれるか、ありがとう」
士官は笑った。その姿がぼやけ始めた。そして周囲の景色も二重にぶれる。
「ちょっ、ちょっと待って? その人、なんて名前なの?」
最後に、士官はその名を言った。
剥ぎ取られた装甲板の隙間から太陽の光が差している。
廃墟に戻った戦艦の中で、箱を握りしめたまま、少年はぼんやりしていた。
聞き間違えかと思ったのだ。
戦艦の残骸から程遠くない距離に、少年の住む村はあった。
村に帰った少年は、家に駆け込む。
暖炉の前で、祖母が編み物をしていた。
少年はその前に立つ。
「これ」
「なんだい?」
どう説明していい物かわからず、少年は箱をそのまま差し出す。
「その、じいちゃんが」
「はあ?」
祖母はしばらくの間、意味が解らなかったようだが、箱の中を見てから少年の説明を聞き終えると、納得したように頷く。
「そうかい……。あの時、ソワソワしていたと思ったら……こんな物を」
祖母は指に指輪を嵌めてみて、目を細める。
「あの人はね……本当に、馬鹿な人だったんだよ……」