二話:店主とミミオ族
「店長、遅くなってすみません」
ドアベルの音と共にフィールが現れた。
「どうした?珍しいな遅刻するなんて」
店のカウンターで何やら作業をしながら店主が怪訝そうに尋ねた。
「ちょっと今朝はお母さんが忙しくて、弟を託児所に送って行ってたんです。」
カウンターの左端、従業員用の入り口の板を押し上げて中に入り、フィールは店主の手元を覗き込んだ。
「何をなさっているんですか?」
丸椅子に座る店主の手元では赤と青の紐のようなものが一つに縒り合されている途中のようであった。
「いいものだよ。特にお前さんのようなミミオ族にとってはな」
答えながらも店主の手は巨体に見合わない細かな動きを続けている。
「もしかしてくださるんですか」
尋ねるフィールの瞳は興味と期待に輝いていた。それに対し、少し意地が悪そうに答える。
「いい子にしていたらな。でもお前には必要ないかもな」
こうやって店長は時たまフィールを子ども扱いする。この店に雇われて季節の変わり目を一つ経験した彼女はいつものようにあしらうことにした。
「いいですよー、別に。私、在庫の確認してきますね」
口を尖らせながらそう言って、急いで紺のエプロンを着けるその背後には今日も黒と茶の縞模様の尻尾が揺れていた。今日も王都、そして雑貨屋ミミナガは平和だった。
時刻は昼過ぎになり、いつものとおりポツリポツリと、しかし絶えることのない客の相手をフィールがカウンターから離れてしていると、一際大きなベルの音と共に店の扉が開いた。
丸椅子に座り、カウンター上でうつむきながら朝と同じ作業を黙々と繰り返していた店主も、思わずその手を止めて音のほうを見上げた。大きく内側に解放された扉にはこの雑貨屋の店員と同じような、しかしこちらは両方ともピンと立った灰色の耳を同色の少し短めの髪の上に掲げた褐色の肌をした女性が立っていた。胸部と膝、肘などの各所にだけ革製の鎧を纏い、短いズボンを纏っているところから、おそらく彼女は軽戦士であろうと二人は判断した。涼しい季節にも関わらずうっすらと汗をかき、息を切らせている彼女はよほど急いでいるらしい。店に入ってきたそのままの勢いで女性はカウンターの前に立ち言い放った。
「ミミオ族用の薬はあるかっ。あるならありったけ頼む」
上気したような表情と激しい呼吸からその切羽詰まった様子が窺うことができた。
「あんた、そりゃあ薬はあるが、何の薬か言ってもらわないと。それに薬なら診療所に行ったほうがいいんじゃないか?あっちのほうが種類は多いと思うが」
店主は努めて冷静に答える。女性は引き下がることなく、一層鬼気迫る表情をして言った。
「診療所はもう行ったが、在庫が切れていたのだ。そこの治癒士にここならおそらく置いていると聞いて。とにかく頼む。これはわたしたちミミオ族にとっては死活問題なのだ」
彼女のいうことは支離滅裂気味でフィールには彼女の謂わんとするところが理解できなかった。彼女は結局何の薬かも答えていない。ミミオ族にとって重要な薬……何かあっただろうか。少なくとも私は常備薬を持っていないし、そんなものがあっただろうか。フィールは少し考えてみる。わたしには必要なく、客の女性には不可欠な薬。わからない。父も母も弟も、家族で日常的に薬を飲んでいる者もいない。フィールには彼女の要求する品について皆目見当もつかなかった。だが、店主は合点がいったらしい。カウンター下の棚を探り、数秒のち、褐色のガラスの小瓶を取り出した。
「あんたそろそろだって忘れていただろう。気を付けないと取り返しのつかないことになるぞ。少しこの場で飲んでいくか?水ならあるが」
そう言って店主が小瓶の栓を抜き、中から取り出したのは紫色の丸薬のようなものだった。カウンター脇の樽からコップに水を汲み入れ、取り出した丸薬一粒と共に女性に手渡した。こういう時に薬の調合で水を備蓄している店は便利だ。
「すまない」
それだけ言うと彼女は店主から薬を受け取り、水と共に素早く呑み込んだ。
「突然押しかけて申し訳なかった。わたしはソディアという。職は軽戦士で主にセントルで活動している。先ほどの非礼は許してもらえるとありがたい。」
目当ての薬を手に入れ、水を飲んだところで少し落ち着いたのか、彼女は先ほどまでとは一転して至極丁寧な口調で述べた。灰色の瞳も冷静さを取り戻している。
「仕方がねえよ、ソレに関してはな。しかし、セントルとは、また遠いところから来たな。大陸の中央から、東の端のここまで来るのは手間だろう。」
店主が疑問をぶつける。
「行商の護衛でな。一日二日ではたどり着かないとは覚悟していたがこうも遠いとは、誤算だった。そのせいで薬を切らせてしまうなんて。」
基本的に独立意識の高いミミオ族の誇りもあり、なおさら彼女は自分を恥じるようにつぶやいた。
「まぁ、次からは気を付けることだ。」
ソディアは逡巡した後、思い切って店主に頼んだ。
「そのことなのだが、この薬を今、できるだけ沢山売ってくれないだろうか?行商との契約では明後日にはここを発ち、セントルに向かわんねばならないのだ。その時にまた薬が必要になるかもしれない。」
店主も納得がいった。セントルと東端の国イストリアでは種族の構成は大きく異なっている。
「そうだな。これはミミオ族の少ないこの辺の村では売ってないからな、道中では手に入らんだろう」
それを聞いてソディアは思わず疑問をぶつけてしまった。
「あぁ、それが少し不思議だったのだ。ここにはミミオ族はほとんどいないし、見たところ店員の彼女もまだ必要でないだろう。なのに、なぜここにはこの薬が置いてあるのだ?」
「昔な……ミミオ族とちょっと面倒な目にあってから、必ずこれだけは置くことにしてるのさ」
店主が遠くを見つめるような目をしている。なんとなく事情を察したソディアはこれ以上この話題をしない、と決めた。
「薬がいるかって見ただけでわかるんですか?」
不意に声が挟まれた。店長たちが話している間に店の客の対応を終えていたフィールが、自分の話題が上がったことで振り返り、カウンター前のソディアに向かって尋ねたのだった。
「外見でわからないこともないが、どちらかというと匂いだな」
同族にしかわからない匂いがある、とソディアは説明する。
「へぇー、そんなものなのですね。」
感心したようにフィールが言う。
「うむ」
ソディアは頷く。さらに興味が湧いたのか、フィールは更に聞いてみることにした。今は長期休暇中のため雑貨店の店員となっているが、本分は学生である彼女は、どのようなことに対しても興味があれば質問する癖が付いている
「ところで、それって何の薬なんですか?」
「ううむ、君ももう少ししたらわかるさ」
褐色の彼女は言いよどみ、その頬に赤みが差した。どう答えたものか、ソディアは悩んだ。そのとき、
「買い物はいいのか」
助け舟を出すように店主の声がかかる。その手には先ほどの薬の瓶と同じものが複数入った木箱があった。助かった、とソディアは思い、本題に入る。
「では、3瓶ほど頼む。それだけあれば今年は切らすこともないだろう。」
彼女はまとめ買いをしておくつもりらしい。
「言っとくが割引はしねえからな。これ調合すんの面倒なんだから」
店主は調合作業を思い出してか、苦い顔をした。
「わかっているさ」
ソディアも理解はしている。自分は調合できないが、故郷の治癒士は特にこれの調合を嫌がっていた。
「じゃあ3瓶で6000インな」
瓶を紙袋に入れながら店主が告げる。
「えっ、ちょっと高くないですか?」
思わず、といったようにフィールが聞いた。普段この雑貨屋で売る薬は特級の薬は別として精々一瓶1000インまでである。一瓶2000インとは彼女には破格な高値に思えた。
「それくらい重要だということだよ。君ももうすぐそう言っていられなくなるさ」
涼しい顔をしてソディアは腰につけた小型のポーチから代金を取り出し支払った。彼女にとっては、この国では需要が少ないにもかかわらずこの価格はむしろ安いように感じていた。そして薬を飲んでからずっと気になっていたことを質問してみた。
「しかし店主よ、よくこの薬の調合法を知っていたな。ミミオ族でも限られたものしか調合できないのに」
その言葉に店主は、
「だからいざというときに足りなくなんだよ」
とぼやく。
「ううむ、だが、わたしたちの種族は野を駆け、狩猟をすることが本能に刻まれているのだ。それに勉強は頭が痛くなる」
自分で言いながら言い訳がましくなっていることに気が付いていたのだろう、ソディアは自然と店主から目をそらしてしまった。それに呆れた目をする店主。
「と、とにかく世話になった」
これ以上はますます墓穴を掘ることになると考え、彼女は会話を切り上げようとした。薬の袋を受け取り背を向けようとする彼女に向かい、店主は、ちょっと待て、と呼び止めた。
「これもやるよ」
そう言って店主は彼が今朝から作成していた紐の一つを彼女に手渡した。それは現在両端が結ばれ輪状になっていた。
「普段は首にかけておいて、今度危ないと思ったらこれに水を含ませてみろ」
店主の言葉に疑問を感じつつもソディアは紐を首にかけた。
「世話になった。」
それだけ言うと彼女は店を後にした。
それからも客足はほとんど途絶えることなくフィールと店主は忙しなく動き続け、そのうちに日が大きく傾いて、閉店の時間になった。
「お疲れ様でした店長。なんだか今日は大変でしたね。普段は静かなお客様ばかりなので驚いちゃいました。」
朝から多くの客の相手をしていたため、さすがにフィールも疲れた様子を見せている。ゆっくりと店内を箒で清掃している。一方店主はカウンターで本日の売り上げを計算していた。
「あんなことめったにねえから安心しろ。今日は客もそこそこで、ちょっと大変なこともあったからな、掃除もそれくらいにしてもう上がっていいぞ」
「ありがとうございます。お先に失礼しますね。明日もよろしくお願いします。」
フィールは箒を倉庫にしまった後エプロンを外してぺこりとお辞儀をする。それに対し店長は手元を見たまま手を左右にひらひら振ることで答えた。
「あっ、そういえばあの薬何だったんですか?それにあの紐も」
帰りがけにフィールは尋ねてみた。
「まだわかってなかったのか。そうだな、家に帰って母親にでも聞いてみな」
意地悪そうな笑みを顔に浮かべ、店主は計算を続けた。