老婆との約束
エリクサーの出どころが分かった、という報告は、皇帝の機嫌を大いに良くした。
「ほう? ずいぶんと時間がかかったな」
玉座に腰掛けた皇帝が、鼻を鳴らす。
「カース山です」
報告に立っていた男は、帝国軍の中でも調査と実働を兼ねる立場にあった。
戦場よりも、書類と尋問に慣れた男だ。
「山から月に数回下りてくる老婆が、よく効く傷薬だと称して売っていたとのことです。値は二束三文。あまりに安価だったため、我々もまさか――」
「言い訳はよい」
皇帝は手を振った。
「その山は遠いのか?」
「いえ。半日もあれば」
「なら話は早い。捕らえて製造法を吐かせろ」
「承知しました」
数日後、帝国の部隊はカース山へ入った。
山の中腹に、半ば隠すように建てられた小屋を見つける。
小屋の中は静まり返っていた。
老婆は床に倒れ、すでに息をしていなかった。
口元には小瓶。毒薬を飲んだのだろうと、誰もが判断した。
粗末な作業台の下から、木箱が見つかった。
中には、瓶詰めの薬が並んでいる。
数えてみると、五十本余り。
どれも、かつて戦場で使われたものと同じ――エリクサーだった。
「……製造法は?」
男の問いに、部下は首を振る。
「見当たりません。記録も、素材も」
小屋には薬草や器具は残っていたが、それらがエリクサーの材料だとは考えにくかった。
男は、小屋の中をもう一度見回す。
生活の痕跡はある。
贅沢はなく、無理もない暮らしだった。
報告を受けた皇帝は、満足そうに笑った。
「五十本もあるのであれば、隣国の一つや二つ、容易かろう」
「……しかし」
男は言葉を挟む。
「数は有限です。製造法も分からぬ以上――」
「分かっておる!」
皇帝は声を荒げた。
「わが軍は最強だ。多少足りぬところは、力で補えばよい」
そして、命じた。
「宣戦布告の準備を進めよ」
戦は始まった。
最初、帝国軍は勢いづいた。
エリクサーは負傷兵を即座に戦線へ戻し、死者すら呼び戻した。
だが、戦争は思ったほど簡単ではなかった。
侮った隣国の抵抗は激しく、やがて薬の数は減り、補給は追いつかなくなる。
戦線は膠着し、帝国は疲弊していった。
帝国の周囲の国で連合が組まれたのは、その少し後のことだった。
結果として、帝国は滅びた。
五十本余りの薬は、戦争を終わらせるには足りなかった。
否。
一見多く見えるエリクサーが、帝国を滅ぼしたのだ。
山奥でひっそりと暮らす魔法使いの老婆は、ひとつだけ望みを口にした。
「傷薬を作って、たまに売ってさ。それで静かに暮らしたいんだよ」
それ自体は、ずいぶんと慎ましい願いだった。
「本当にそれでいいのかい?」
「十分さ」
なら、話は早い。
「いい薬を作るなら、素材は揃ってる。俺自身だ」
老婆は少し驚いたようで、目を見開いた。
「……自分の体を使うってことかい?」
「そう。肉体は置いていくことになる。アフターフォローは、できないかもな」
「構わないよ」
老婆は、少しも迷わずそう言った。
「分かった。じゃあ、ばあさんが死ぬまで使えるようにしとく」
それだけの約束だった。
*
幽界で、再び顔を合わせたとき。
「思ったより早く死んじまったなあ」
俺がそう言うと、老婆は肩をすくめた。
「どうせ老い先短い命だったさ。最後に、静かに暮らせたんだから十分だよ」
「しかし、ばあさん。若いころはずいぶん美人だったんだな」
彼女は別人のように、若くて美しい姿をしていた。
幽界では、自分が思った通りの姿でいられるのだ。
「今さら言われてもね」
「サービスで若返らせとけばよかったか?」
「やめとくれ」
老婆は笑って、何度も首を横に振った。
「どうせ帝国に捕まって、早死にするだけさ。あの国じゃ、魔術者は生きづらすぎる」
「……そうか」
少しだけ、間が空いた。
「先に逝ってるよ」
「ああ」
老婆は振り返らず、幽界の奥へと歩いていった。
姿が完全に見えなくなってから、彼は独りごちる。
「まあ、俺は天国にも地獄にも、『逝け』ないけどな」




