8. 確信
翌日――昼休み。
「昨日、急に帰りましたよね?」
柏木先生が腰に手を当てて訝しげな表情をしている。彼女には申し訳ないことをした。凛々子さんのためとはいえ、良いコミュニケーションの機会だったのに。
「すみません。柏木先生」
「……まぁいいですけど。それで何かあったのですか? うちの生徒が関係しているとか」
「いえ、個人的なことです」
「そうですか。松永先生ってモテそうですものね」
お茶を吹き出しそうになる。
そんなにモテた経験なんてないのだが。
「イメチェンされてから好評ですよ。まぁ私はその前から尊敬していますが」
「それはどうも」
柏木先生、俺のどこがいいんだ。
若手教師の見本になることなんて、そこまでしていないと思うが。
「松永先生ー!」
生徒の声だ。課題を提出しに来たので取りに行く。席に戻ると机に置いたままだったスマートフォンが光っていた。
『弦くん、昨日はありがとう。徐々に体調回復中です♪ 弦くんのおかげ。また会ってほしいな』
凛々子さん……良かった。
ゆっくり休めたようだ。
俺も貴女に会いたい。
「彼女さんですか?」
柏木先生の鋭い一言にドキリとする。
「え……あ……それは」
「すみません、少し通知が見えちゃいました」
「……」
「はぁ……ちょっと悔しいな。でも仕方ないです。松永先生のことはこれからも尊敬していますので……ちょっと席外しますね」
彼女はそう言って、席を立ってどこかに行ってしまった。
悔しいということは……まさか、いやまさかな。そんなことはない。歳も離れているし。
スマートフォンをタップして凛々子さんに返事を打つ。
『回復したとのこと、良かったです。凛々子さんが元気になったらまた会いましょう』
するとすぐに返信があった。
『嬉しい。楽しみにしてるね』
心臓の音が響く。
たったこれだけの文章なのに愛おしい。
ずっと見てしまう。
すると柏木先生が席に戻って来た。
明らかに泣いたような跡がある。
彼女のどこか寂しそうな横顔を見つつ、俺は凛々子さんにメールを打つ。
『俺も楽しみにしています。無理しないでください。早く元気になりますように』
※※※
それからおよそ2週間後、水曜日の昼休みに凛々子さんとランチをすることになった。前と同じ店で待ち合わせる。もうすぐ6月であり、日中はじりじりと気温が上がってきた。
店の前にいた凛々子さんは、俺に気づくと笑顔で手を振ってくれた。半袖の涼しげなシャツを着た彼女は、いつもよりも数倍ぐらい綺麗に見える。
「弦くん! お疲れ様」
「凛々子さん、良かった。元気そうで」
「うん、もう大丈夫だから」
店内に入ると前回のボックス席に案内される。
そして前と同じ場所に凛々子さんがいる――嬉しい。
「あれから徐々に仕事復帰できて、もう本調子に戻ったよ」
「戻ったからと言って、無理は禁物ですよ。凛々子さん」
「はーい♪ ありがとう、弦くん」
すると、誰かの足音がしたと思ったら「あっ」という声が聞こえてきた。
「あら? 弦くんの知り合い?」
「え……?」
そこには――柏木先生が立っていた。
「柏木先生……」
「す、すみません松永先生……どうしても気になって後をつけて来ちゃいました。離れた席に案内されるかと思ったのですが……こんなに近いとお邪魔ですよね」
ついて来られるとは思わなかった。
どうしてそこまで俺のことを。
「それなら一緒に食べる?」
凛々子さんが言う。
どういう状況なんだこれは。
そして彼女は優しい。明るくて気遣いのできる人――そういうところにも惹かれる。
「え……いいんですか」
「いいわよね? 弦くん」
「は、はい」
こうして、3人でランチをすることになった。
俺の隣だとやや狭いので、凛々子さんの隣に柏木先生が座る。
「へぇ……担任の先生なんだ。1年生って初々しいよね」
「はい、徐々に慣れていってくれると思うのですが」
「娘も1年の時は夜中にうなされてたな……」
「それは大変でしたね」
案外女性2人の方が盛り上がっているではないか。
さすが凛々子さんだ。どんな人とでも話せる。
「それで……おふたりは付き合っているのですか?」
柏木先生の確信を持った言い方に、一気に緊張が走る。
どう答えたら良いのか。氷の溶ける音と、アイスコーヒーの香りがやけに鮮明に感じられる。
凛々子さんとはあの時以来、今後どうするかといった話が出来ていない。今日話せたらと思っていたのだが。
「それは……」
言葉が続かない。柏木先生、そして凛々子さんにもじっと見られて手汗が出てきそうだ。
「今日……話そうと思ってたところかな」
そう言ってくれたのは凛々子さんだった。
彼女は穏やかに微笑んで柏木先生の方を見る。
「まだこれからのことはわからないんだけど……私は前向きに考えているの。弦くんの気持ちに応えたい。でも娘が一番であることは変わらない」
凛々子さんからの“前向き”という言葉は俺に震えるぐらいの喜びと安堵を与えてくれた。
柏木先生は「そうなんですね」と頷き、フォークを置いて俺の方を向く。
「松永先生は時々鈍感なところがあるから、ちゃんと気をつけてくださいね。では私は5時間目があるのでお先に失礼します」
すっきりした表情だが、どこか辛そうにも見える柏木先生。彼女はスッと席を立ち、お金を置いて去って行った。
残された俺たちは顔を見合わせる。が、凛々子さんがすぐに笑って話す。
「弦くん、けっこうモテるんだね」
「え? どういうことですか」
「あ、鈍感かも……」
彼女はアイスコーヒーのストローを口にする。
柏木先生のことは少し気になるが、それよりも……。
「凛々子さん、先ほど言ってくれたことは……本当ですか」
「本当に決まってるじゃない。だけど弦くんは……いいの? 私みたいなので。さっきの先生のような若い人だっているのに」
だから――いいに決まってるだろうが。
「俺はどんな凛々子さんでもいい。娘さんを一番に考えている凛々子さんだって好きなんです」
彼女はまた涙が溢れそうになっている。
「ありがとう……弦くん」




