12. 月光
『次の木曜日、仕事終わってから会える?』
週末に凛々子さんからメッセージが来た。夕方に会おうと言われるのは初めてだった。気になったので通話をする。
「あのさ、弦くん。娘が友達と1泊2日で旅行するの。だからその日……一緒に過ごせるかなって」
胸の高鳴りを感じる。
凛々子さんと一緒に……まるで夢のようだ。
何度か夢に出て来た彼女を思い出し、さらに緊張してくる。
「じゃあ俺の家に来ますか?」
「いいの? 嬉しい」
ようやく夢が現実になる日が――近づいてくる。
※※※
木曜日。
片付けをしながら、今日まで落ち着かない日々を過ごしていた。そして彼女がこの家に来ることが未だに信じられない。
「やっぱり今回は夢だった、ということはないだろうか」
前みたいに独り言を呟き、お茶を飲んで息を吐く。
スマートフォンを手に取ると『もうすぐ着きます』とメッセージがあった。
インターホンが鳴り、ドアを開けるといつもの笑顔で凛々子さんがそこに立っていた。
「お邪魔します……」
少し彼女も緊張しているようだ。
「凛々子さん、どうぞ」
彼女の荷物を受け取って部屋に連れていく。
「弦くん、けっこう広い部屋に住んでるんだ。さすが先生だね」
「そうですかね」
何を言われても今日は鼓動が速くなるような気がしている。
「娘さんはどこまで旅行に?」
「テーマパークにすみれちゃん達と行くんだって。それにしては念入りに準備してたけど……あの子やっぱり彼氏でもできたのかな?」
淹れたコーヒーをこぼしそうになる。
水族館でデートしていたように見えたが、ひょっとしたらまだ付き合っていないかもしれないので――何も言わないでおこう。それにこういうのは娘本人から聞いた方が良い。
夕食のデリバリーを食べながら話をする。
「あれから体調は大丈夫ですか?」
「うん、心配かけてごめんね。あの時……弦くんがいてくれて良かった。弦くんがいるって考えるとホッとするの。娘とも心に余裕を持って話せる」
「それは良かったです」
自分がいるから、と言われると途端に胸が熱くなる、俺はこれからも凛々子さんの支えになりたい。
「……父親のこともあれ以上言われていないわ。高校生活でそれどころじゃなくて。私もバタバタしていたし」
「そうでしたか」
「だから、話すのはもう少し後でもいいと思う」
確かにその方が良さそうだ。今は高校生活のことだけを考えてほしい。
「それでいいと思います、凛々子さん」
風呂に入ってからソファに座り、肩を寄せ合う。彼女から漂うせっけんの香りが心地良い。
「弦くん……」
凛々子さんの瞳が潤んでいて何かを求めるかのよう。
唇を静かに深く重ね、ふたりの鼓動が混ざり合っていく。彼女の細い肩を胸元に引き寄せると、かすかに吐息が震える。
「もっと……そばにいて」
その願いに応えるように、俺は彼女の背に手を回す。
――もう後戻りはできない。
それでも、この人と生きていきたい。
そう思うほどに、彼女が愛おしかった。
寝室に連れていくと、今までの時間を埋めるように俺たちは互いを求め合った。
長いあいだ想っていたことが、ようやく形を得たように。彼女の温もりを腕に抱き締めながら、何度もキスを落とす。
「実は、夢に弦くんが出て来たことがあるの」
「え? どんな夢ですか」
「恥ずかしいんだけど……今みたいな夢」
「……俺もです」
「そうなの?」
夢の中で彼女を呼びながら抱いたことを思い出す。だけど今ここにいる凛々子さんは――現実だ。
「凛々子さんのことが忘れられなくて……ずっとこうしたかった」
「あっ……弦くんっ……」
抱き寄せる腕に力をこめると、彼女の体温が伝わってくる。香りも、鼓動も、すべてが全身に染みわたる。
「娘さんには……もう少し時間を置いてから、ですね」
「うん。今は……私たちだけの大切な時間にしたい」
そう言う彼女の表情が、あまりに愛おしくてたまらなかった。
唇を溶かしてとろけ合う。重ねるだけでは足りなくて、何度も確かめるように深く求めてしまう。
彼女の吐息が耳元で揺れて、胸の奥が熱くなる。
「俺はこれからも、貴女と生きていきたい」
そう告げると、凛々子さんは目を閉じて微笑んだ。
彼女の声も、笑顔も、これからの人生で何度でも確かめたい。
窓の外、月の光がカーテン越しに差し込む。
彼女の熱を抱き締めながら、この甘い夜を――俺は一生忘れないだろう。
秘密でもいい。凛々子さんと過ごす明日があるなら、それだけで生きていける。
そう心から思いながら、俺は彼女の手を強く握った。
終わり
お読みいただきありがとうございました。
二人のもうひとつの夜「再会は運命を連れてきた――月明かりに抱かれて」はムーンライトで公開しています。
(2025/10/7 公開)




