10. 絵画
月日が流れ、夏休みのある日――
凛々子さんからメッセージが来た。
『娘が市の絵画展に作品を展示しています。良かったら一緒に見に行かない? 今週の土曜日に娘は友達と出かけるのでその日とか……』
彼女の娘は中学時代に美術部であった。去年の文化祭でも3年生として立派な作品を描いていたな。
『土曜日空いています。是非見に行かせてください』
※※※
土曜日となった。
「おはよう! 弦くん♪ 今日も暑いね〜」
袖の短いワンピースから見える、細くてしなやかな腕にドキッとする。可憐という言葉がぴったりだ。
「凛々子さん、おはようございます。娘さんは美術部で活躍されているのですね」
「そうなの、小さい頃から絵を描くのが好きだからね。この絵画展、前も見に行って憧れていたのよ」
憧れの絵画展に参加できて良かった。
俺も嬉しい。彼女の娘が好きなことに打ち込んでいることが。忙しいかもしれないが充実した高校生活を送っているのだろう。
そして市民ホールの2階の展示室まで来た。
「あの子、どんな作品を描いているのかしら」
「きっと心に残るような絵だと思います。昨年も感動したので」
それを聞くと凛々子さんはにこっと笑って「私もそう思う!」と言う。娘のこととなるとさらに嬉しそうで、温かい気持ちとなる。
入り口付近には1年生の絵。中学校で見てきた作品よりもぐっと大人びて、色彩や構図にそれぞれの個性が出始めている。タイトルが書かれた紙が下に貼ってあり、各自がそれぞれの思いを表現していた。
「高校生の作品は本格的よね」
「はい、どれも個性があります」
そして凛々子さんの娘の作品を見つけた。
繋いだ手――皺のある大きな手と小さめの手が描かれている。手の質感や影、細かい箇所まで丁寧だ。背景には壊れた橋とかすかな虹が見える。
タイトルは、『繋ぐ』――世代を超えた人との繋がり、橋を繋ぐような美しい虹。
「素敵なテーマですね、娘さん」
「うん……繋がりっていいね」
2人でしばらく眺めていると、奥の方から声が聞こえてきた。
「来週カレとあの有名リゾートに行くのよー♪」
「リゾート? すごい、すみれちゃん」
――この聞き覚えのある話し方は。
「あれ? 娘もここに来ているのかな」
凛々子さんも気づいたようだ。
一番奥からこちらに戻って来たのは、彼女の娘とその友達。2人とも、昨年度の教え子である。
「……お母さん!? え? ま、松永先生!?」
案の定、かなり驚いている……と思ったら。
「松永先生! うそ……! 会いたかったぁ!」
その友達、菊川さんが両手を口に当てながら寄ってきた。明るさは変わらず、久々の再会に興奮しているようだ。
「元気そうだな、菊川さん」
「はい♪ もう先生に会えないと思ってました……あたしに内緒で別の学校行っちゃうなんて」
内緒というか、君たちが卒業してから異動が決まったのだが。
「でも今日お会いできて嬉しいですー!」
「ちょっと声大きいよ、すみれちゃん」
凛々子さんが隣でクスクスと笑いながら話す。
「松永先生とたまたまお会いして、私が誘ったの。絵を見てもらいたかったから」
「そうなんだ……お母さん、今日のワンピースおしゃれだね」
「え? ああ、せっかく買ったから着ておかないとって思って」
彼女の娘、勘づいていないだろうか。
母親と俺を交互に見つめる視線。その奥に、何かを探ろうとする光が宿っている気がする。問い詰めるような言葉はなかったが、その視線が心の奥に残った。
緊張しながらも俺は話題を変えようと、絵の話をする。
「この絵、素晴らしいな。人との繋がりの大切さが身に染みてわかる」
「ありがとうございます。私もその……先生と関われたことが嬉しかったです……」
少しうつむきながら話す姿は変わらないが、その目には希望が映っているように見えた。凛々子さんの娘が、そして教え子が成長していくのは純粋に嬉しい。
「今日はすみれちゃんとこの辺りにいるの?」
「うん。カラオケに行ってくる」
「気をつけてね」
「では失礼しまーす! 許さないで……恋心は〜♪」
「すみれちゃん、もう歌ってるの?」
そう言いながら凛々子さんの娘と菊川さんは展示室から出て行った。
「……気づかれたかな。私と弦くんのこと」
彼女が照れた表情で俺の手に触れる。そのまま俺は手をしっかりと握って考える。
もし気づかれたとしても、きちんと向き合いたい。
だが教え子の母親を想っている――その事実が胸に重くのしかかる。
「娘さんに何か言われたら、教えてください。必要であれば俺も話しますが……」
それでも受け入れられなければ、どうすれば良いのか。
「……」
「ねぇ弦くん」
自信をなくして黙ってしまった俺に凛々子さんは優しく言う。
「大丈夫よ。きっと娘はわかってくれる。いつになるかはわからないけど……だって私の娘だもの」
「凛々子さん……」
自分の娘を信頼している彼女。
そうだな、まずは凛々子さんのことを信じなければ。
つまり、彼女の娘のことも信じるということだ。
「ありがとうございます。だけど、無理せず少しずつで良いので。俺は今でも十分幸せですから」
「私もよ、弦くん」
その手を離さないようにぎゅっと握って、『繋ぐ』と書かれたタイトルの――彼女の娘の作品を、眺める。
橋に虹がかかって伸びていくように――俺たちの関係も、徐々に形になっていくのだろうか。




