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1. 再会

 息が詰まる。視線の先、パンツスーツの女性。

 歩き方も、横顔も――忘れようとしても忘れられなかった人。


 間違いない。高校時代の初恋の人だ。

 


 ※※※

 


 4月――葉桜が目立ち、ツツジも咲き始める。

 今日はこの中学校に赴任して初めての授業。


「社会B担当の松永(まつなが)です。歴史の授業になります」


 ざわつき始める1年生の教室。

 彼らは入学したばかりで学校生活に慣れていない。


 小学生から中学生へ。

 つい最近まで1人の担任のもとで何もかも教えてもらっていた彼らに、中学校(ここ)での勉強はやや高度なことに映るだろう。


 学習指導要領なども変わり、求められる水準は高くなっていく。

 将来を担う彼らであっても――まだこの年齢。

 自分の勉強方法が確立できていない生徒だっている。

 

 だが制度や環境が変わろうと、自分なりのやり方を掴めば前に進めるはずだ。


 1年生の最初の授業の半分はオリエンテーションみたいなもの。これまで2年や3年を教えることが多かったので、今年は少しペースもゆっくり……ではない。


 ざっと説明が終われば内容に入る。そして最後に次回までの課題を出して終了。


 50分の授業などあっという間に終わる。



 ※※※



 放課後、1年5組の担任が保護者と電話をしている。俺はこのクラスの副担任。この地域の中学校では担任は大体が若手教師で、副担任にベテラン勢がつくことが多い。


 その方が生徒にとっては“近い”存在になるからだろうか。


「はぁ……」

 電話を切ってため息をついている担任。

 

柏木(かしわぎ)先生、どうかされましたか」

「ああ、手紙の文章の細かいところを指摘されたんです。確かに説明不足でした。だけど……ちょっと疲れて」


 随分長い間喋っていたからな。


「保護者からわざわざ時間作って言ってくれるのはありがたいことだがな。確かに疲れるか」

「来週の小テストの準備もしたかったんだけど……はぁ」

「なかなか進まないな、俺もそうだ」


 思った通りに仕事が進まないことは誰にだってある。


「えっ? 松永先生でも? 前の学校長かったんですよね?」

「何年経っても終わらない時は終わらないものさ」

「……ですよね」


「そう言いながら雑談もしていたじゃないか」

「あ、分かりました? 生徒の話になると盛り上がっちゃって」


 柏木先生は打ち解けやすい性格で、生徒の母親との会話も思わぬところで話に花が咲く。よって生徒の家での様子も知ることができる。


 三者面談もあるが時間が1人15分程度と限られているので、何かあれば電話をしてくれる保護者の存在は貴重である。


 

 そう、すぐに電話をしてくれる――あの母親のように。


 また思い出してしまった。

 

 俺は教師、彼女は生徒の母親――


 なのに……ずっと忘れられない。



「松永先生?」

「あ、すみません。柏木先生なら生徒からも信頼されているので大丈夫だと思います」

「ありがとうございます……」



 ※※※



 4月ももうすぐ終わりそうなある日のこと。

 いつものように6時間目が終わり、職員室に向かう。


 ゴールデンウィーク後に本格的に単元別テストが始まるので、少し慌ただしい。特に1年生はこの時期、初めて味わうスケジュール感に疲弊しそうだ。


 そう思いながら歩いていると、3年生の教室棟から出てくるスーツ姿が2人。

 

 1人は若手の男性。

 

 もう1人は――彼女は、まさか――


「先輩……?」


 俺はその場に立ち尽くす。


 間違いない……あの凛とした雰囲気、パンツスーツの似合う姿。


 そう。彼女こそが前の中学校の生徒の母親。


 そして俺の高校時代の初恋相手でもある先輩。


 彼女は離婚してシングルマザーになった。地元に帰ってきて、娘が中学校に入学。俺が副担任を務めるクラスの生徒だった。


 まさかその母親が先輩だとは思っていなかった。


 お互いわかった時に少し話はしたものの、あくまで教師と生徒の母親という関係。


 だけど、彼女から学校に電話がかかってくるたび、力になりたいと強く思った。彼女のことも娘である生徒のことも守ってあげたくて、一生懸命だった。


 今年、高校生になったその生徒は……元気に過ごしているだろうか。


 

 そう考えていると、スーツ姿の彼女がこちらを向いた。

 

 息が詰まる。

 ――間違いない。高校時代の初恋のあの人。



「……松永くん?」



「先輩……」



 彼女は驚きながらもすぐにぱっと笑顔になり、俺の方に来てくれた。


「嘘……松永くんがこの中学校にいるなんて! すごい偶然ね」

「はい……4月からこの中学に」

「そうなんだ。ラッキーだね、ここの生徒たちは。松永くんって意外と優しいもの」


「“意外と”って……」

「あ、ゴメンゴメン」

「先輩はどうしてここに?」


「今日は3年生の“税の教室”で来たのよ。急に担当者が来れなくなって、代理で頼まれたの。だけど私は補助講師。メイン講師はもう1人の若手の子」


 彼女は税理士である。

 高校時代から勉強熱心で、将来は自立できるようにと大学在学中に税理士試験を受験し、合格した。


 リモートで子育てと両立できる職場に勤めて、娘のために奔走するような母親。そして娘の学校のことでわからないことがあれば、すぐに電話をする母親。


 娘が高校生になったので、もう話すこともないと思っていたのに……まさかこういう形で会えるなんて。


「あ……先に帰っててくれていいわよ」と彼女はもう1人の若手税理士に言う。


「松永くん、あの……良かったらなんだけど……」


 彼女が遠慮がちに話す。

 だけど俺は先輩の希望であれば、協力したい。


「どうかされましたか? 先輩」


 

「……連絡先、交換できる?」


 

 先輩と……連絡先を……?

 胸の鼓動が一気に早まる。


 

 もう娘も高校生だから、中学校教師の俺のことなんて何とも思っていないだろう。そう考えていたのに。


 

 抑えていた想いが、静かに再び動き出す――そんな予感がした。


 

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