第8話「妹の反抗期」
あー、くそ。
失敗した。
明らかに失言したって、かわいらしい怒り顔を見て察した。
たった一日会話が無かっただけで、本当にこのまま自立しちゃったらどうしようって焦りすぎた。
でも、自尊心が傷付いたっていう不幸の分、他のどこかで幸せになるかな。それなら、嫌われたかいがあるからまだ良い。
ただ傷付いて終わらなければ、まぁ。
わたしの好感度は一旦、後回しでいいかな。
どんなに仲悪くなっても、同じ家にはいるし。顔は見れるから。
「神楽、あんたお姉ちゃんと喧嘩でもした?」
「なんで?」
「分からないけど、怒ってたわよ。ハムスターみたいにほっぺ膨らませちゃってさ」
「っふ……は。そうなんだ」
かわいい。わたしも見たかったな。想像つくけど。
「あんまり、いじめないであげてよ。お姉ちゃんは体が弱いんだから」
「メンタルも弱いもんね」
「そういうとこ。本人には言っちゃだめよ?」
「はーい」
母親からの忠告は軽く流して、自室にこもる。
机の上に参考書とノートを開いて、スマホに接続した無線のイヤホンを装着して、あたかも真面目に勉強してる――フリをして。
『もう〜、なに撮ってるの?』
画面の中に閉じ込めた、過去の姉を視線で辿る。
写真が苦手だと言うから揚げ足を取って、動画を撮影した時のやつ。油断して撮らせてくれたのは三年前の一度きりで、場所は家族旅行で行った旅館の一室。
無防備に着崩れた浴衣から覗くうなじや、恥じらって顔を隠したりカメラを覆うため伸ばされた手の形、掴んだら折れちゃいそうなくらい華奢な体の儚さを、ひとつひとつ。
丁寧に、なぞるように追っていく。
『やーだ。そろそろ、ほんとに……やめて?神楽ちゃん』
姉は、動揺したり必死になると、ちゃん付けで呼ぶ。
幼い頃の名残りが、未だ抜けないんだろう。自分のことを“お姉ちゃん”と呼ぶのも、一種の口癖。あるいは、今もわたしにそう呼んでほしい願望の現れ。
どっちにしても、
「かわいいなぁ、ほんと」
狂おしいくらいに、愛くるしい。
現実に捌け口が無いから、映像を餌に渇きを癒やす。溢れれば溢れるほど、過ぎた後の冷静な時間がしんどくなるけど、そんなの夢中になってる間は関係ない。
わたしが触れたら、どんな反応をするのかと。
夢見ては、夢の中だけで終わらせる。
「はぁー……かわいすぎ。つら。死にた」
罪悪感と背徳感に打ちひしがれる夜は、何回味わっても慣れない。色んな意味で心臓に悪い。
真夏でもないのに全身から吹き出した汗を流すため、一階に降りる。ついでに、喉が渇いたから水を取りにリビングへ入った。
「あ」
「む…」
ちょうど出ようとしていたらしい姉とばったり遭遇して、相手は気まずそうに、ごまかすように頬を触る。
わ……生の、本物のお姉ちゃんだ。
さっきまで熱に浮かされることばかりで脳内を埋めていた余韻のせいで、本人を前に思わず生唾を飲み込んでしまう。
「な、なに。み、見ないで」
慣れない辛辣を、一所懸命に絞り出した唇が、艷やかに映えた。
「あっち、いって」
自分が行けばいいのに。
入ろうとした人を追い払ってまで突き放そうとする行動さえ愛らしくて心臓を抉ってきて、呼吸すらままならなくなる。
欲しい。
喉から、手が出るほど。
砂漠のど真ん中で、オアシスを追い求める旅人の気分だ。
「か……神楽?」
苦しくて、ボタボタ排出される汗も気にせず背中を曲げたわたしを心配して、一瞬だけ意地っ張りをやめた姉の手が肩に触れた。
服越しの体温でも、嫌になるくらい刺激として脳が認識するから、これ以上の暴走を避けるため優しく包んで自分の体から離した。振りほどいたら、また傷付けそうだったから。
余裕がない中でも案じたささやかな気遣いも無駄に終わって、
「そんなにいやなら……もういい」
涙声で横を通り過ぎた姉は、やけくそ感情が行き過ぎたのか。
それとも、帳尻合わせの幸運が舞い込んだのか。
「あら、祈里。どこ行くの?休みの日に珍しい」
「え、へへ……デート。男の子と」
数日後、わたしに特別大きな不幸を連れてきた。
見せつけるようにお洒落をした姉は、幸福を迎えに行くため嬉々とした足取りで家を出る。
あーあ。やってられない。
クソがよ。
神は、不公平だと思う。
幸も不幸も、同じだけあるなんて嘘じゃないか。
わたしは姉のそばにいて、一度だって幸せを感じたことはない。満たされない飢餓状態の中で、病弱な姉ばかりをかまう両親にも放置され、ひとりで……ひとりきりで。
救いはなかった。
なのに、さらに不幸になれというのか。
いつまで待てばいいのか。
どれだけ我慢したらよかったのか。
沸々と、青く滾る炎に揺らめいた視界が、黒く染まっていく。
最愛の人のためなら不幸になったっていいなんて綺麗事は、形すら残さず消え去っていた。




