最終話「帳尻合わせの幸福」
引っ越してから、初めて。
「お、おじゃまします」
姉が、ひとりで家にやってきた。
父か母がついてきてしまうことが多く、姉単身で訪れるまで三ヶ月もの月日が経っていた。今日ようやく、両親とも都合が合わないとかでひとりで行くことを許されたらしい。
どうせなら一緒に行きたい親心を理解しつつも、やっぱり恋人となかなかふたりきりになれないのはつらくて、久しぶりの密会に心躍らせた。
なんだかんだ月に2、3回はちゃんと会ってたけど、ゆっくりイチャイチャできる感じではなかったから。
「祈里ちゃん…」
「なぁに?神楽ちゃん」
「したい。んだけど」
「え〜……もうちょっと、ゆっくりしてから」
招いて早々に後ろから抱きついておねだりしたものの、断られてしまった。
姉はけっこう“ムード”というものを気にするタイプだから、色気のない展開はあまり好ましくないんだろう。いつも、会っても焦らされる。……わたしががっつきすぎなだけかな。
ワンルームの広くはない部屋で、ベッドの上にいるというのに健全な内容の映画を流して、健全に過ごす。
「この映画、気になってたの」
「ふぅん…」
「神楽は興味ない?」
「もっと、スリリングな方が好きかな」
「アクションとか?」
「……ベッドシーンあるやつとか」
「もう。やだ。変態」
そんな呆れた顔で、やだって言われたって。
仕方ないじゃんか。
わたしはまだまだ年頃の女で、好きな人に対する愛も欲もそう簡単に抑えきれるほど大人じゃない。
恋人感のない時間が流れるたび、寂しくなる。伸ばしていた足はすっかり丸まって縮こまってしまうほどに。愛してやまない女性が隣にいるのに、空虚だ。
「神楽はベッドシーン見て、興奮するの?」
「や……別に」
「じゃあ、なんで見たいとか言うの」
あれ。
なんか、拗ねてる…?
「だって……さ、そういうの見たら、そういう雰囲気になるかなー、って」
「あ〜、なんだ。そゆこと?」
「うん」
「じゃあー……見ちゃう?」
「見ちゃう」
遠回しなお誘いきたー!と歓喜に満ち溢れる心は、クールぶった対応で隠す。とはいえ、バクバクな心臓のせいで血流が良くなったのか滲む汗までは操れなかった。
それっぽいタイトルを適当に選んで、その時が来るのを今か今かと待つ。もちろん、表情には出さずに。
壁を背もたれに、膝を立てて座るわたしの横で肩に頭を乗せてきた姉は、勘違いじゃなければすでに準備万端なようで。
「けっこう……後半かも」
「なにが?」
「……先に始めても、いいよ」
質問には答えず、あざとくかわいい仕草で袖を握ってきた。
映画の主人公には悪いが、先に始めさせていただきます!って盛り上がった気持ちで、冷静さを失わないようそっと頬を撫でるところから始める。
精一杯の余裕を見せつけながらも、荒くなる呼気が必死さを伝えていて、自分で恥ずかしいくらいなのに止まらない。止まる気もない。
額から唇へキスを移して、相手の肩を抱き寄せる。
焦らず、ゆっくり。
目的のシーンが流れるまでは、耳の外側に軽く吸いついたり、胸の脇を柔く撫でるくらいに留めた。焦らされた分、焦らし返したい意地悪な企みもあって。
「ぁ……はぅ。神楽…」
「ん…?」
「まだ、しないの…?」
思惑通り、耐え兼ねた姉が後ろ手にわたしの顎を触って、切ない声でねだってくるから、そうなったらもうこっちのもんで。
するに決まってますよね、と。
服の中に手を忍ばせてからはあっという間。
エンドロールが終わった後も仲良しな行為は続いて、驚くほど早く空は闇に埋もれ、暗くなった視界が夜を告げていた。
「祈里ちゃん、今日は泊まってくの」
「ん〜……明日は、大学がある。から…」
「うちからじゃ通えない?」
「そんなことはないけど…」
「なら、泊まっていきなよ」
というか、わたしが泊まってほしいだけなんだけど。
粘れば頷いてくれると分かっていて、何度かお願いしてみる。
「じ、じゃあ……今日、だけ」
押しに弱い姉は案の定泊まってくれて、そこからはずるずると滞在するようになって、
「祈里ちゃん」
「ん?」
「もう、さー……一緒に、住んじゃう?」
親に怒られそうな二週間連続のお泊まりが続いた夜。
背を向けて寝ていた相手を腕の中に引き連れて聞いたら、体温がひとつ上がったことを皮膚を通じて感じ取る。
自分と同じ色の髪の隙間から見える耳は、薄いレースのカーテン越しに照らす月明かりの白さが負けるくらい赤く染まっていた。
「住ん……じゃう」
その日は、恐ろしいくらいの静けさのおかげで、互いの心音がよく聞こえる夜だった。
邪魔者はいない、閉鎖的で開放的な恋人の世界が完成されようとしていた。
「ふたりで暮らす?もうー……あんた達、婚期逃すわよ」
「仲がいいのはいいことだが、もう少し考えたらどうだ?」
しかし、未熟で青いふたりの決断に、大人は渋った。
思っていたよりも早い子離れに困惑した両親の口からは、次々と優しい反対の意見が出る。ましてや姉は大人になった今も体が弱く、人より体調を崩しやすい。余計に心配なんだろう。
ただ、そんな姉だって来年には社会人になる。親も、薄々は心の準備をしていたはずだ。
「お姉ちゃんのさ、ひとり暮らしの練習だと思って。ね?お願い」
「うんうん。私もいきなりひとりで暮らすより、神楽といた方が安全安心かも」
「そうかー……うーん」
「そうねぇ…」
説得上手なわたしと、甘え上手な姉が合わされば、首を縦に降ってもらうことは容易かった。
こうして手に入れた幸せを、おそらくもう手放せない。
誰かの幸せは、誰かの不幸のもと成り立っている。
愚かにも自分勝手なわたし達は、「孫が見たい」と当たり前のように望む両親の願いを踏みにじることで最大の幸福を手にしてしまった。
周りに不幸を振りまいて、生きる。
誰にも言えず、望まれず、祝福されず、なんの生産性もなく、ただただ周囲からの期待に背いて、それでもいいと結ばれ合う。
最悪の不幸と、最高な幸福を胸に。
生意気にも、生き続けていくしかないのだ。




