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明清交代  作者: 牧山鳥
序章、袁崇煥
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六、袁崇煥


二十万の後金軍は袁崇煥の奮戦により僅か一ヶ月で撤退した。最終防衛線である山海関で本当に後金軍を防げるのか、大いに気を揉んでいた朝廷は、この報告に安堵した。覚華島(かくかとう)は無惨な状況になってしまったがーー 北京はこの敗北には目を瞑り、寧遠の勝利を大いに喧伝した。袁崇煥は中央官職として右僉都御史(せんとぎょし)まで出世し、満桂将軍以下も全員出世を果たすという大盤振る舞いだった。遼東防衛の総責任者であった高第は、無断撤退の罪で官籍を剥奪され処刑され、ついでに山海関の長官も更迭されてしまった。遼東経略の後任は王之臣となった。


 天啓六年三月、袁崇煥は、山海関と寧遠の防衛長官赴任を打診された。あまりに急な出世に最初は断りを入れたが、後金の大軍と紫禁城からの避難という僅かな可能性を聞かされ、不安だった天啓帝の信頼は篤く、結局遼東巡撫の任を与えられた。彼は孫承宗と以前から構想していた山海関ー寧遠ー錦州を関遠錦防衛線と名付け、軍事的空白地帯だった錦州を再度奪還し、防衛線の本格的な強化に着手した。


 この重用を快く思わない人物がいた。宦官魏忠賢その人である。彼は東林党の教師であった東林七賢まで処刑して講義すら停止に追い込み、東林党官僚との勢力争いに完全な勝利を納めていた。しかし、宦官の権力の源泉はあくまでも皇帝であり、皇帝の寵愛を失えば全てを失う非常に不安定な立場でもあったのだ。天啓帝が袁崇煥を頼もしく思っている事を知って、一番不安だったのは魏忠賢であり、これ以上武功を挙げられては一番困るのだった。魏忠賢は寧遠城の軍監督に、腹心の宦官二人を送り込む人事を決定した。袁崇煥は猛反発したが、王之臣ら首脳部は何とか説得し、軍事副大臣の官職と金銀を下賜させ何とか宥めたのであった。


 憤然としていた袁崇煥は、さらにもう一つ問題を起こした。錦州の完全掌握のため、趙卒教将軍を送り込んでいたのだが、これが思わぬ後金軍の反撃に合い救援要請をした。袁崇煥は信頼厚い満桂将軍を援兵に遣わしたが、残念ながら間に合わず、趙卒教の部隊は敗れてしまった。袁崇煥は怒って満桂将軍を呼び出した。しかし、彼もまた勇猛苛烈な猛将で、袁崇煥の見通しが甘かったのだと憮然とした態度で臨み、怒りに火が注がれた袁崇煥は大喧嘩をしてしまった。そして、前線から満桂を外して内地勤務にするよう朝廷に進言したのである。


 これに焦ったのは遼東経略の王之臣である。前回の戦いで大いに武功を上げ表彰した二人が、小さな戦いに敗れたぐらいで対立して、片方を更迭してしまうというのは如何にも具合が悪い。しかも、仮にも朝廷が定めた人事を一ヶ月で覆すことになれば、次に似たようなことが起こると糾弾されるのは長官の袁崇煥である。魏忠賢が袁崇煥を敵視し始めた今、皇帝と魏忠賢の意向に逆らうような事をして、揚げ足を取られる真似だけは何としても避けねばならなかった。


 朝廷は満桂を更迭する方向で北京まで召喚したが、遼東経略の王之臣は袁崇煥の申し立てに断固拒否する姿勢を見せた。


「援軍が間に合わなかったのは気候が悪かったためであり、ただ天運が無いだけで満桂の如き猛将を前線に用いないのは非常に惜しい。袁兵部侍郎は最近の出世に少し思い上がっているようだ。ここは一つ、満桂将軍には山海関を任せ、袁副大臣は山海関長官の任は外し、関外の攻略に集中してもらうのはどうか。」


合わせて、隠居していた孫承宗に袁崇煥の説得を頼んだのである。


激憤していた袁崇煥に、孫承宗から手紙届いた。曰く、


「君がまだ遼東防衛の一守城の隊長に過ぎなかった頃に、満桂将軍を紹介したのは私だったのを覚えているだろうか。君は非常に賢くかつ勇敢で、その戦略も実に的確。軍議では最も頼りになる存在だった。君の身柄は明において最も重要だと感じ、だからこそ満桂という武勇に優れ、命を賭して守ってくれる存在をつけたのだ。元素も満桂も奮闘して後金を撃退し、明国を滅亡の危機から救ったと聞いた時、私は思わず寧遠城に向けて頭を打ち付けてしまった。そして、私の人を見る目も大した物だったと誇らしく思ったものだ。」


「私の後任だった高第とやらは、僅かな敗北で怖気付いて大局を見失い、武功を立てていた袁将軍の言を無視して全軍撤退を命じ、兵馬兵糧を失い、明朝を危うくした大罪人だと聞いている。そして君は、武功ある腹心の将軍が小さな戦いで敗れたことに腹を立て、未だ後金が瀋陽を抑えて虎視眈々と狙っている状況で、彼の言を無視して更迭しようとしている。君の先生は高第だっただろうか?それとも年老いた私の目が曇っているのだろうか?」


「将軍を纏める大臣たるもの、常に冷静さを保ち、大局を見失ってはいけない。もし君が未だ少しでも私を慕ってくれているのなら、小さな失敗は多めに見て、周りの意見に耳を傾け、くれぐれも自らを戒めながら、本当の敵を倒せるように最善を尽くして欲しい。」


かつての上司の言に、袁崇煥は酷く恥じ入り、己の言動を悔い改めることにした。まずは直ちに朝廷に謝罪を行い、遼東経略たる王之進の言を採用するように申し伝えた。この結果、満桂の名誉は回復され、皇帝から剣璽を賜って山海関の警備部隊長官に付くことができた。一方で、袁崇煥は山海関長官を外される事実上の降格処分を受けることで、付け上がっていると感じていた魏忠賢の溜飲も下がった。


 かくして、袁崇煥の政治的生命は密かに危機から脱出した。この一件以来、袁崇煥は文官的な駆け引きも覚えたが、それが災いを招く遠因となるのはもう少し後のことになる。


孫承宗から手紙があったか否かは、中華史の闇に包まれている。

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