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明清交代  作者: 牧山鳥
第二章、ホンタイジ
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一、ヌルハチ


 遊牧民の生活を想像することは我々日本人には難しい。日本には狩猟採集民族のアイヌ、農耕民族のヤマト、海洋交易民族の琉球人/南西諸島民族ーー中華人民共和国が琉球人は我々の民族だから云々という領土拡大の方便はここでは無視して頂きたいーーと大別すると3つの民族が存在しているが、遊牧民は日本において存在しないからである。


 日本と遊牧民族には交流があったか?この問いもやや難しいが、少なくとも遣唐使の時代では遣渤海使というのはあったが、渤海という国は制度が唐朝の模造品に近く、遊牧国家ではなかった。日元貿易も盛んではあったが、基本的に元寇で対立する関係であり、民間貿易の関係に留まった。


 但し、日本と遊牧民の確かな繋がりを感じるのは事実であり、血族単位の政治家や、万世一系を重視する天皇家、アニミズムを中心とする神道といった要素は、遊牧民ならクリルタイ、チンギスハンを代表とする血統重視、テングリ信仰に当たる。これらは日本人が中華という圧倒的に進んだ文明に対して、稲作や文字、律令や仏教を導入しても絶対に譲れなかった要素であり、これが文化の収斂進化による偶然か、Y染色体からバイカル湖辺りだと推測された我々のルーツによる必然なのか、共通項に見えること自体が筆者の妄想なのかは分からない。


 兎も角、農耕民族と遊牧民族、定住地を持つものと持たざるものが交わると、ローマ帝国崩壊のようなダイナミックな変動が起こる。そして、西欧では帝国が民族大移動の混乱から二度と復活せず、そのアイデンティティは広く溶けていった。対して、秦漢の崩壊後、中華は大分裂時代を経験しながらも再度統一に成功し、アイデンティティは黄河と長江流域の農耕地帯に限局したのである。女真族は、中華という概念の東北に位置する遊牧民族だった。


 女真族は現在の中国東北部からロシアの沿海州までの広大な地域に居住する。永楽帝による大遠征の結果、明に編入され、遼東洋河流域を根拠地とする建州女真、輝發河流域から松花江流域を中心とする海西女真、黒龍江を中心とした東海(野人)女真に分かれ、建州、海西は農耕も併用しており、野人は狩猟採集に近い生活スタイルを続けていた。


 明の永楽帝は、この広い地域を支配するため、建州女真(マンジュ)を用いて建州三衛という自治政府を作り、彼らを国境警備に用いた。しかし、野人女真の攻撃を受けてマンジュ勢力は次第に南下し、最終的に興京にまで追い詰められるのだが、明と密接に接することで農業生産性は飛躍的に向上し、女真族の中で最弱だが効率は最も高い組織が完成される。


 ヌルハチの祖先は、建州三衛の一つである建州左衛都督を代々務める家柄だった。しかし、遊牧民の分割相続の風習から左衛府も実質分裂状態であり、祖父ギョチャンガは明側についていた。この分裂状態を収めるため、祖父とその兄弟は兵を借り借金をして混乱を収束させたが、彼らに金を貸した海西女真のワンタイが勢力を大きく伸ばしてしまった。


 ヌルハチの父、タクシは妻が亡くなるとこのワンタイの一族から後妻を選んだ。継母は意地悪だったようで、ヌルハチが独立できる年になると、わずかな羊を渡してさっさと家から追い出してしまった。食うに困った彼は、キノコやら松の実やらを食べてなんとか生き延び、やがて関馬市に行き、交易で身を立てるようになった。この時にモンゴル語と中国語を覚えたことが、彼の人生に大いに役立った。李成梁は身寄りのない哀れな偉丈夫を従者にして、三国志や水滸伝を読ませてあげたが、結果的に明朝に大いなる災いをもたらすことになる。


 さて、建州右衛都督のワンカオは明側の人物でありながら、明の将軍や文官を襲って略奪を繰り返し、遂に朝貢すら行わなくなると討伐の兵が送り込まれた。万暦二年、遼東総兵李成梁は都督を敗走させ、彼は海西女真のワンタイに捉えられ、明に送られ処刑された。この一件で建州三栄衛も解体され、建州女真族は路頭に迷うこととなった。ワンカオの息子アダイは明との戦いを引き継いだが、万暦十年、李成梁との戦いに再度敗れて逃亡した。この時、ヌルハチはその時アダイの元に身を寄せていたため危うく殺されかけたが、何とか難を逃れると、近隣の街に逃げ込んだ。そこは祖父の兄弟が収める町で、彼は暖かく迎えられ、妻まで貰って故郷のヘトゥアラに3年ぶりに帰ることができた。


 万暦十一年、李成梁はアダイが逃げ込んだ古勒城の攻略に乗り出したが、堅固な城で攻め落とすのは難しかった。祖父ギョチャンガはアダイの妻の祖父にも当たるため、彼は息子タクシも連れて降伏するように説得を試みた。しかし、同じマンジュのニカンワイランが明軍を手引きして古勒城に侵入したため、女真族のギョチャンガもタクシも一緒に殺されてしまった。ヌルハチは父と祖父の横死を知ると、李成梁に猛抗議したが、祖父と父の遺体とわずかな馬を渡され、これで身を引くよう言われた。ヌルハチはなおも食い下がり、せめてニカンの身元を引き渡すよう要請したが、仮にも明に味方した男を渡すことなど到底できず、むしろ彼を建州女真を纏める新たなリーダーにするつもりだったため拒否されてしまったのである。ヌルハチは明とニカンワイランの裏切りに憎悪を燃やした。


 ヌルハチはニカンに不満を持つ仲間を集めて同盟を結ぶと、遺品となった父の13の鎧を身につけさせて決起した。しかし、最初に同盟を結んでくれたノミナはヌルハチを裏切るとニカンに密告し、ニカンはトゥルン城、ギャバン城と逃げ回り、最後は何とか明に逃げ込んで隠れた。


 ヌルハチは裏切りを知ってノミナの排除を決め、バルダ城攻略と偽り合同軍を出して、ノミナに先陣をきらせようとした。ノミナはこれを断り、ヌルハチは仕方なく言った。

「では、我々が先陣を切るが、生憎武器も防具もほとんどない。君たちの武器と防具を貸してはくれないだろうか?」

ノミナは喜んで武具を貸した。すると、ヌルハチ軍は徐に彼の弟を斬り殺すと一斉にノミナ軍に殺到した。軍は壊滅し、居城のサルフ城は陥落した。


 ニカンは明の後援を受けており、ヌルハチを放置すると建州女真族が反明勢力であると疑われるのを恐れた父タクシの兄弟達は、ヌルハチの殺害を決めた。さて、海西女真のワンタイは老いと共に権力を失い、怒りのあまり死んでしまうと、ワンタイに反動的な勢力が海西女真で主流となっていた。タクシの兄弟は彼らを味方につけ、ヌルハチ領を攻撃させた。


 砦の兵士たちは攻撃を受けると逃げ出したが、ヌルハチの部下が侵攻を知ると城に駆けつけ、略奪していた海西女真軍と遭遇した。偶然奇襲となった攻撃に海西女真軍は潰走し、ヌルハチも送り込まれた暗殺部隊を返り討ちにすると、マンジュでの彼の名声は一気に高まった。外国と手を組んで権力を保とうとする連中よりも、自力で権力を保ち、血統も申し分ないヌルハチの方が遥かに遊牧民のリーダーに相応しかったのだ。


 ヌルハチはその後もニカンが逃げ込むタクシの兄弟達相手に次々と勝利を収めた。ある時は冬山を超えて三倍の軍を降伏させ、ある時は二正面作戦を成功させ、矢を受け生死を彷徨うこともあった。遂にニカンは逃げるところを失い、再び明に頼ろうとしたが、建州女真族の制御を期待されていたニカンに、もはや利用価値は残っていなかった。彼を追う過程で、漢人が何人か殺されてしまったが、明朝はこれを黙認し、逃げ場を失ったニカンは遂に殺された。万暦十四年、父と祖父の死から三年が経っていた。


 李成梁はニカンに代わってヌルハチを建州女真のリーダーとして操ることにした。彼の若い頃のことはよく知っていたし、ヌルハチも文句は言うものの贈り物は欠かさず、礼をきちんと弁えていたからである。面従腹背、彼が三国志から学んだことだった。明への恭順を示してお墨付きをもらったヌルハチは、李成梁の支援も得て裏を突かれる心配なく、安心して建州女真の統一に乗り出した。エイイドゥという勇者が運河を渡って夜襲を仕掛け、体に50以上の傷を作っても止まらず一撃で城主を屠ると、万暦十六年には彼を畏れて続々と傘下に加わる者が増え、ワンニャン市を制圧して遂に建州女真統一を成し遂げた。数十人で決起して五年で、ヌルハチは一万人の兵士を従え、満洲国を建国したのである。


 李成梁はヌルハチの軍を頼みにして場当たり的な軍の運用が増え、海西女真、朝鮮、モンゴルと相次いで攻撃をして、特に海西とモンゴル、そして明の軍に多大な犠牲を出した。李成梁はますますヌルハチを重用し、建州女真は大きな被害を出さずにゆっくりと力を蓄えることができたのだった。


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