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明清交代  作者: 牧山鳥
序章、袁崇煥
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満桂


 満桂は出自が知れない。モンゴル族が帰化した人物とも言われているが、一方で漢族の戸籍もあり、ハーフだった可能性もある。内モンゴル自治区のすぐ南部で出生した彼は、万里の長城以北で暮らし、騎乗と騎射を得意とした。体躯が大きく粗暴だったので、若くして軍営に入り、本当に一から叩き上げて地位を得た将だった。


 このような背景から、彼がいつ生まれ、前半生をどのように過ごしたかは謎に包まれているのだが、天啓二年に孫承宗が赴任し、袁崇煥と副官を連れて来ると二年後に彼は見出された。身長2m近くの堂々たる体躯はしなやかさも兼ね備え、武芸に秀でており、孫承宗は絶賛した。そして、彼を何と袁崇煥の副官に取り立ててしまった。


 明の最南部出身で普通よりやや小柄だが博識で弁が立つ袁崇煥と、最北部出身で抜きん出た大柄だが知識も口数も少なく、しかも頑固な満桂は悉く衝突した。あまりに持て余したため孫承宗に相談することもあったが、この意地悪な上官は「この程度も扱えんようでは一国を背負う軍師になどなれない」と笑うばかりだったという。


 当時の大砲は鉄球を撃つだけで、それ自体が爆発して殺傷することはできない。基本はやはり白兵戦であり、満桂自身も華北の守備隊で最強なのは己だと自負があり、袁崇煥のことは軽んじていた。しかし、寧遠の戦いで満桂は初めて口煩く器の小さい男を尊敬した。自軍より遥かに強大な後金軍を、彼は僅かな城兵で完全に翻弄して撤退に追い込んだ。日頃ガミガミ細かいことに拘る男だったが、窮地に追い込まれた時これほどの勇猛さを発揮するとは思っていなかったのである。最後は仲違いしてしまったが、先に謝罪したのは上官であるはずの袁崇煥であった。錦寧の戦いでは、満桂自身何度も窮地に陥ったが、その度に城からの砲弾が彼の血路を切り開き、勲功一番として大同の軍事長官にまで出世できたのだった。


 しかし、今回の戦いは違った。彼の自信と誇りに満ちた鉄騎軍は、北京城からの砲弾で散り散りになり、実力の半分も出せず八旗に蹂躙され壊滅した。北京城にどれほど味方と叫んでも砲弾は収まらず、彼自身も5箇所に矢を受け、這々の体で敗走し隠れることしかできなかった。治療のため矢を引き抜くと、袁崇煥の軍の印が入っていたのだ。


 満桂は全てを理解し激昂した。彼が信じていた英雄は偽りだった。袁軍は付近の村で盗賊となって蹂躙し、友軍からの砲撃は止まず、何よりこの傷と砕け散った明軍最強の尊厳が、袁崇煥の裏切りの証だった。彼は崇禎帝から北京帰還の許可をもらうと、わずか数百となった敗軍を率いて戻ったのだった。


 袁崇煥が逮捕されると、彼が連れてきた関寧軍は慟哭し、戦意を完全に喪失してしまった。部隊長クラスは勝手に山海関へ帰り、兵士達は「北京城内の連中は良い御身分だ。寒さの中で凍える勇気も塹壕で敵を待ち構える胆力も無い癖に、勝利の報酬だけは奴らのものだ」と口々に文句を言うようになると急速に不穏となった。北京城内で袁軍3名が市民に殺害され、北京城の兵士がさらに間諜容疑で6名を殺害すると、遂に我慢の限界を迎えた。


「我々がスパイだと言うなら、北京城内にいるお前らだけで勝手にやれ!!!」


 そして錦州の新兵部隊を率いていた祖大寿を残して、彼らも勝手に帰ってしまったのである。袁崇煥が率いていた2万の軍が消え、危急を知り山海関から続々と来ていた軍も袁崇煥逮捕を知ると恐れて山海関に帰ってしまった。


 もはや北京城外にほとんど軍はいなくなり、皇太極もまさかこれほど上手く行くとは… と正直呆れ果てたが、これほどのチャンスも無かった。長期戦に備えて付近から食料や資材を部隊に確保させていたが、その軍を慌てて呼び戻すと本格的に北京城攻略に乗り出し始めたのである。


 さて、北京城は大混乱になった。袁崇煥が逮捕されるとその軍はいなくなり、やはり袁崇煥は裏切り者だという非難が集中した。しかし、どれほど非難しても、山海関以北の15万の軍勢が来ることはない。崇禎帝と大臣は満桂を軍総司令官に任命し、出撃して後金軍を追い払うように命じた。


「敵は多く、援軍は少ない。軽々しく戦うなどと言うな。」


 何回も無理だと断ったが、崇禎帝は鬼のように催促し、遂に大逆罪での処刑をちらつかせると、未だ傷の癒えぬ満桂は四万の兵を連れて出撃し、門から1キロ程度離れた水辺に布陣した。皇太極はこの動きを知り、とりあえず先遣隊をぶつけると、橋を守っていた明兵は一瞬で散り散りになった。満桂は陣地を十重にしていたが、八旗軍が近づくと兵は恐れるあまり全軍が一斉に発砲して無防備となり、同士撃ちも起こり混乱に陥った。この瞬間を逃さず、皇太極は全軍を突撃させると一瞬で瓦解した。満桂以下将官は全員討死し、四万の兵も全滅した。


 明最強の白兵部隊を率いた満桂が、最期に何を思ったかは伝わっていない。


 北京城を守る兵士はほとんどいなくなった。もはや自由に活動できるようになった後金軍は、通州の大運河を思うまま略奪した。満桂軍の断末魔となった一斉射撃の音は北京城まで聞こえたため、市民の間には大勝利という誤報が流れ、皆安堵したという。大臣達はこの大敗北を直視できず現実逃避を始めた。寧遠ー錦寧の戦いの関係者は全員が敵視、逮捕、戦死した。

 

 そんな中、崇禎帝は頑張っていた。彼は蘇州総督に銀5万両を与えて遵化城を奪還させようとしたが、包囲には何とか至ったものの城を守っていた僅かな八旗軍に完敗し、敗走中に追撃されて壊滅した。蘇州総督は処刑され、いよいよ崇禎帝には頼れる軍がなくなり、北京城は完全に孤立した。もはや明朝の運命も風前の灯火だったのである。



 この未曾有の危機にたった一人だけ、現実を直視し、闘志を燃やす老人がいた。



 孫承宗である。



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