ありがとう、さようなら
「あれ? また会ったね。あれから夜顔との戦いは順調?」
「全くよ。フェンリルの時と同じようにどこに潜伏しているか分からないの。ローくん曰く『高度な隠蔽の術を使っている。虫が木の葉と同じ色に擬態しているかのようだね』だってさ」
教会がアヴニール商会に行ったがもぬけの殻だった。行方を探す日々が続き、気晴らしでアヴニールの海岸を歩いていたらまたルリと会った。今回も1人らしい。
それを指摘したら「ルーシェちゃんこそ、ロキがいない状態でアヴニールを歩くのは初めてじゃない?」と返された。確かに。
「と言ってもこのあとすぐにロキたちが来るわよ」
「なぁんだ。2人っきりだと思ったのに……その様子だと宿題の方もまだみたいだね。仕方ないから教えてあげる」
「ねぇ、ルーシェちゃん。ある日突然、『あなたたちが一生懸命成編み出した技術は悪なので無かったことにしなさい』って言われたらどう思う?」
「本当に悪いものだって納得できる説明があれば受け入れるわ。だけど、正しく使えば無害なものを『少しでも悪になる可能性があるなら』と排斥するのは嫌かも」
あ、もしかして
「アリスさんは自分が大切にしてきた神秘の術を無かったものにした大精霊様を憎んでいる?」
「そう。彼女にとっては神秘の術を学んで人々を助けることを誇りに思っていた。彼女の動機は神秘の時代を終わらせた大精霊への恨み。悪竜を復活させて大精霊が築きあげた世界を壊そうとしている」
「……」
「大精霊のことは嫌いだけど、わたしでも同じ決断をする。あのまま神秘の時代が続いていたら人間は衰退していたから」
「今とは違い、魔力を操る道具があればなんでもできた時代。あのまま発展していくと生産活動もなにもかもがそれだけで済む。人間は発明と発見をしなくなる。進歩が終わり停滞が続く。理想的に見えた世界と人間は滅びの一途を辿る。だから魔法という制約の多い概念が必要だったの。魔力の使い道を五大属性のみに縛ることで神秘の術以外の方法での発展を促した」
「聖女のように神秘の時代の名残のようなものはあったけど、存在は秘匿。理由を知らないアリスは術の師匠と自分たちが踏みにじられたと激怒した」
大精霊様の未来視に制限がなければ話して和解できたのかもしれない。それでもアリスさんが納得できたかは私には分からない。
「アリスさんは神秘の時代から生き続けているのね」
「大精霊への復讐。その一心で彼女はずっと生きているの。ルーシェちゃんは知っているはずよ。アヴニール編での夜顔のボスを」
「老婆だったことは覚えているけど……あ」
あの老婆は
「小説内のアリスは老化を止められなくなっているの。恐らく若さを保てている今のアリスの方が強敵でしょうね」
小説でのユッカくんたちは苦戦を強いられていた。それよりも厄介だというのか。だけど、こちらにはイカヅチ様たちがいる。勝機がないわけではない。
「気をつけて。夜顔はフェンリル復活のための研究を応用して魔獣を操れるようになっているの。ただアリスたちと戦えばいいわけではないわ……っ! 危ない!」
ルリに突き飛ばされる。直後、私が立っていた場所が大きな尾で抉られていた。もしここに立ったままだったら……
「突き飛ばしちゃってごめん。ケガは?」
「大丈夫よ。ありがとう」
2人で突如現れたソレから距離を取る。八つの首を持つ魔獣。すぐにセツナの話を思い出した。
「オロチ!?」
「オロチは神秘の時代に倒された。これはわたしも想定外ね。まさか、アリスがフェンリルだけでなくオロチも復活させていたなんて!」
ルリは刀を構える。まずは私が氷で足止め。氷を壊すのに夢中になっているうちにルリが一番左の首に刃を刺す。
オロチはフェンリルと違い、人間の言葉を操れないらしい。刺された痛みに対して言語にならない叫びをあげていた。
「1本仕留めたわ。だけど何回も同じ手は通じないわよね。今度はわたしが陽動かしら」
ルリはあえてオロチに近づく。そして私が大量の氷の槍で先ほど倒した首の隣の首を刺す。
「これで2本目。首が多くて力強いけど、案外いけるわね」
いや、このオロチこそが陽動だった。息を整えようとしたルリに影が近づく。フードからちらりと見えたのはアリスさんの顔だ。
「ルリ!」
咄嗟にルリを突き飛ばす。これでさっきの借りは返せたかな。
「っ! ルーシェちゃん!?」
ナイフが胸に刺さる。恐らくルリを大精霊様と間違えたアリスさんが襲いかかったのだろう。
違う。ルリはルリだよ。例え大精霊様の魔力から生まれたとしても、大精霊様とは違う存在。
刺された痛みとは別に何かが血液に染み込む感覚がする。大精霊様を殺すために特殊な毒でも作っていたのかな。
大精霊様やルリが視た私が殺される未来。
……この時だったみたい。
「は……なんで魔女が」
「ルーシェちゃん、ルーシェちゃん!! 嘘、わたしたちが視た未来って……こんなのやだ! クロノスはいないの!?」
遠のく意識の中でアリスさんの驚く声とルリの泣き声が聞こえる。
「また置いていくなんて許さないんだから……」
「まだ未来は変えられる。ルリ、お前が俺の権能を解放するんだ」
あれ、ロキの声がする。
「おい魔女! 未来視の通りに死ぬんじゃねェぞ! オレがコイツを使うようにけしかけたのテメェだからな! あと死んだらユッカが泣く! ユッカを泣かすんじゃねェ!」
オロチに斬りかかりながらイカヅチ様が叫んでいる。肉体から遠のく意識をなんとか掴まれた気分だ。
「わ、わたしは劣化版だから権能の解放なんて」
「ルリは……ルリだよ……劣化版なんかじゃない。ルリという、素敵な1人の女の子だ、よ」
まずい。息が細くなっていく。なのになんだか他人事のように事実を受け止めてしまっている。
「……やる。ルーシェちゃんを助ける!」
ぼやける視界の中、ルリの身体から光が発せられるのが分かる。一瞬、普段のミナヅキの装いではなく白いドレスを着ているように見えたが気のせいだろうか。
「大精霊……いや、グングニルの名においてその呪縛から汝を解き放つ」
その光はロキの手のひらに集まる。やがて、吸い込まれるように消えた。
「グングニル……お前まさか……いや、今はどうだっていい。これでルーシェを助けられる」
ロキは優しく私を抱えた。傷のある胸元に何か温かいものが注がれる感覚がする。
「まだ意識はあるな……間に合わせる」
「わたしもあなたの権能をよく知らないのだけど。パナケアに近い権能なの?」
「違うがルーシェを助けられることに違いはない。……だが先に謝っておこう」
徐々に視界がハッキリしてきた。呼吸もしやすくなった気がする。
傷口は塞がったどころか何も無かったかのようだ。
「ありがとうロキ、ルリ……」
「ルーシェちゃん! よかったぁ。オロチの相手はイカヅチがしてるから、一旦安全な場所に行こう!」
「いえ……もうアヴニールに安全な場所はありません」
アリスさんは虚ろな目をしている。なんだろう。なにかを諦めたような、残った大事なものを手放したような……
「オロチだけではなく夜顔の元にいた魔獣全てを解放しました……その中にはオロチのクローンもいます。アヴニール以外の国に攻め入るのも時間の問題でしょう」
「おい逃げんじゃねェ! チッ! とりあえずここはオレ1人でいい! テメェらはそのクローンとやらのとこに行け! ユッカは聖女たちのとこにいるが……あいつらだけで他の場所を守るには限界がある!」
「……ここは任せた」
まだしっかりと立てない私をロキが抱えてルリと共に走り出す。
「ルリ。ここからはお前にルーシェを任せる」
「は!? 何言ってるのよ!」
海岸を離れた後、ロキは私が立てるのを確認してからゆっくり降ろした。
「あなた!その首!」
「俺の権能でルーシェの傷を治し、体内に入った毒を吸収したが……」
ルリの言う通り、ロキの首には鱗が表れている。屋敷でロキに食べられそうになった時のことが頭をよぎった。
「毒を吸収したことで人間の憎悪に反応する悪竜である俺が大精霊を強く憎む人間の攻撃を受けたことになった。悪竜になるのも時間の問題だ。だから今のうちに俺を殺せ。悪竜を殺すのは初めてではないだろう。グングニルなら分かるはずだ。悪竜になりかけている今の俺なら殺せる」
何を言ってるの? ロキを殺す?
「今のあなたは悪竜じゃなくてロキだって! ルーシェちゃんが教えてくれたじゃない! それは聞けないわよ」
「お前の優先事項はルーシェだろう。俺も同じだというだけだ。ルーシェを傷つけたくないんだ」
「それを持ち出すのはズルいわよ……!」
「そうだね。だから精霊として死なせてあげよう」
梟の姿ではなく初めて会った時と同じ少年の姿のローくんが、地面から大きく先が尖った植物を生やしてロキの身体を貫く。
血が、地面に流れていく。
「ロートス……恩に着る」
「ほんと最悪。嫌な役目を負うことになった」
ロキは全てを手放すように瞼を閉じる直前
「お前と過ごした学生生活に色んなところを行った日々、短かったけど楽しかった。ありがとう」
自分が死ぬというのに晴れやかな笑みで私に礼を言った。




