彼は約束を破らない
グランディール帝国 ソレイユ城にて
「今日はビアヘロ様からいただいた茶葉でお淹れしますね。貴族たちの間でとても人気だそうですよ」
金髪の侍女がティーカップに紅茶を注ぐ。その様子を主である男は無言で眺めていた。
この時間を過ごすことは、幽閉される前から彼の日課である。
この幽閉生活はまだ続く。それ自体は覚悟していたことであり、特に不満はない。
ただ……
(あの心安らぐ時間は、彼女がいたからなのだろうな)
ルーシェが王国に帰ってから、連絡は取れていない。
そも、国を揺るがす重罪人であるカルティエには手紙を出す資格はあれど1度審査を受けるために他人に読まれてしまう。これは秘密主義のカルティエには耐えられないものだ。
(元気にしているだろうか)
彼女と共に茶を飲んでいた3階の部屋で今日もこの静かな時間を過ごす。
「やぁ、調子はどうだろうか」
穏やかな声と共に、入室したのは実兄だった。この頃、カルティエの中の『幽閉』の定義が揺るぎ始めている。ミシェルたち忠実な使用人・部下たちが城にいる時点で静かに日々を過ごすことは難しいのだが。
プレンの声は穏やかだったが、カルティエの心中は少し荒れはじめている。マトモな用ではないだろうと思ったからだ。
「プレン……見ての通り今は茶を飲む時間だ。飲むなら座れ」
礼を言いながらプレンは正面に座る。
「アテナは」という問いには
「今頃はビアヘロと会っているはずさ」
とやや拗ねたように答えた。どうやら自分だけ除け者にされたのが気に入らないらしい。愚痴を聞いてもらうためにわざわざ来たようだ。
「ではお言葉に甘えようか。あぁ、今日は別に相談があったとかではない。本当に弟の様子を確認したかっただけだ」
カルティエは少し不機嫌そうにしていた。家族への愛情を悟られないようにしている故のこの態度だと気づいているメイドは、話題を探すために窓の外を見る。
突発的な強風で木々が揺れているのと同時に、何かが飛来したのを彼女は視認した。
「ん? カルティエ様、あれ……」
「どうした」と返事をしながらミシェルが見つめる窓の外を見る。カルティエとプレンは絶句した。
「ちょっとアウラくん!? なんでボクたち落下しているのかな!?」
と顔見知りが絶叫しながら空中から落下していたからだ。残念ながら声はカルティエたちには届いていない。それでも彼らがどんどん地面に近づいているのは分かることだろう。
「悪ぃな! 魔力切れだぜ~!」
あまり焦っていない様子の男が、器用に空中でくつろぐように両腕を頭の後ろに回している。そして爆笑しながら追いかけるように落ちていった。
「ミシェル。今日の茶葉は」
「もちろん、幻覚作用などはございませんよ。なのでこれは現実です………!」
カルティエは咄嗟に窓から飛び降りた。
着地点に水でクッションを作ったのて無傷である。
そして、新たに大きな水のマットを作って落下していく2人の真下に設置する。
彼らは「わぁぁぁ!」「あははは!」と対象的な叫び声をあげながら水に包まれた。
「おい、お前らは何故仲良く空中旅行をしていた。センは視察に行っていたはずだろう」
カルティエは手を差し出すことはなく怪訝そうな顔で2人を見下ろしていた。
「た、助かったよ。ってのんびりしている場合じゃないんだ! 今すぐプレンのところに行かないと。ルーシェちゃんたちが危ないんだ!!」
ルーシェの名を聞いたカルティエはぴくりと眉をひそめる。
「ルーシェがどうした」
センがぜぇぜぇと息切れをしていたため、説明はアウラが引き継ぐ。
「えっと、簡潔に言うと魔獣の暴走で国民ほぼ全員が操られている。帝国に援軍を頼めという大精霊の命令でオレたちは急いでここまで飛んで来たんだ」
「その途中で予想よりも早くオレの魔力が切れちゃったってわけ!」
「ふん……運がよかったな。ご所望の皇帝はここにいる」
その言葉とほぼ同時にプレンがミシェルと共に階段を降りてきた。
「おい、兵をエルフィン王国に出せ」
と事情を説明せずに詰めより、プレンは「え!?」と慌てはじめたため、調子を取り戻したセンが説明する。
「なるほど。それは一大事だが、ここから城に戻ると時間がかかるな…」
当然、ここから城に戻って事情を話し、兵士を集めるのは時間がかかることだ。
悩む様子を見かねたミシェルが城内に向かって叫んだ。
「皆の者! 集合でーす! ルーシェ様をお助けにいきますよー!!」
その声に応じて城内にいた兵士や騎士が全員集まった。
「はいはい。ミシェルがソレイユ城の兵士たちを集めてきましたよ。カルティエ様の現在の立場上、私たちはプレン様の部下で、カルティエ様の監視担当の人間。つまり、プレン様の命令さえあればここの兵士たちだって動けるはずです」
一声で大人数を集めた手腕にカルティエまでもが驚いたが、ミシェルはなんてことないと言わんばかりだった。
「ルーシェ様たちがいる王国の危機であれば、行きましょう! 魔獣との戦いの心得はあります!」
事情を聞いた者たちは、文句1つ言わなかったどころか、闘志を漲らせて全員出立の準備を始めた。
「カルティエたちってルーシェちゃん親衛隊なの? アウラくんびっくり」
「ボクもここまでとは思わなかったよ……ルーシェちゃんの人望もすごいね。それで、プレンはどうするんだい?」
「私は一度城に戻って援軍の手配と光魔法の使い手を集めよう。こちらの指揮はセンに任せる」
「仰せのままに」
センは仰々しく一礼した後に兵士たちの元に移る。
プレンが申し訳なさそうにカルティエの方を向いたが、カルティエ本人は、兄の表情の理由を察しても怒らず冷静だ。
「分かっている。私を城の敷地外に出すわけにはいかないことくらい。ミシェル」
「セン様や兵たちのサポートはミシェルにお任せください」
その様子を黙って眺めていたアウラは
「うん、これが人間のいいところだよな~」と当事者ではないかのように呟いたが、
「それに応えるのがオレらの役目だ」
と静かに加護を施す。
(加速の加護。ロキやアテナ嬢を助けに行ったときや、さっきのオレたちほどではないが、兵士たちは速く移動することができる)
「アウラ?」
「カルティエ、ごめん。アウラくん魔力切れだから……めっちゃ眠ぃ」
精霊といえど魔力切れは避けたかったことである。風の精霊は気を失いかけていた。
(クソ。こんなところで……オレも王国に戻らないと)
体は言うことを聞かない。休息を取るために瞼が閉じていく。フェンリルから逃げた時点で半分近く魔力を使っていた。そして帝国に全力で移動したために魔力は枯渇。
限界を迎えていた。
『お兄ちゃんは物語の王子様みたいだね! いつか私を連れ出して……』
遠い昔に出会った幼子が何故か目の前に立っている。
「幻覚か……オレも長生きしすぎて感傷的になったのかな……」
「おい! アウラ!」
カルティエが倒れかけたアウラの体を支える。触れた腕は死者のように冷えきっていた。
「だ、大丈夫だ。準備が終わる頃には少しは回復する。オレも王国に戻るぜ」
「……」
「気づいてんだろ? オレが本当の『アウラ』ってことに」
言葉にはせず、頷くことで肯定した。
王国からソレイユ城までの短時間の移動。
強力な風魔法使いだとしても、そう簡単にできる芸当ではない。
アテナたちと城を脱出していた時点でカルティエが抱いていた疑問は、この瞬間、確信に変わっていた。
「風の精霊は威厳ある精霊と伝わっているはずだがな」
カルティエの軽口に
「完全に脚色されてるぜ」
とバツが悪そうに髪をいじる。
「まぁ、そういうことでオレたちには人間を助ける使命がある。じゃ、留守番よろしくな~」
「気をつけろ」
アウラは振り返らずに
「アウラくんは最強精霊だからな!」
と明るく叫び、援軍の方へ走った。
「精霊は不死身。それは私も知っている。だが……」
味わう痛みや苦しみは人間と同じだ。
それでも、精霊は止まることはない。
「お兄ちゃん、どうして私がここに閉じ込められているか知ってる?」
「知らないし、興味ない」
「食べ物くれる優しいお兄ちゃんになら教えてあげる!」
拒絶を完全にスルーし、格子越しに幼子は微笑む。薄暗い塔の小さな部屋の中にいるにも関わらず、柔らかな春の陽射しのような暖かい瞳を持つ黒髪の子どもだった。
「私ね、忌み子なんだって。生まれたときに占い師が『この領地を滅ぼす』って予言したから、ここにずっといるの」
「アンタみたいなひょろいガキが? 笑えるぜ」
男は塔の窓の目の前にある木の上でくつろぎ、『予言』を鼻で笑った。
「もっと言って! 具体的には領主たちに!」
幼子はぷうっと頬を膨らませて地団駄を踏んだ。可愛らしく膨らむ頬だが、痩せこけて青白い。まともに食事を与えられていないのだろう。
「アンタはガキの癖に賢い。気が向いたら連れ出してやるぜ」
別に子ども1人どうでもいい。果物を渡したのも、買ったはいいものの食べる気分ではなくなったという理由であり、幼子に同情もしていなかった。
当時の彼は冷めた目で周囲とは距離を取っていた。後にかけがえのない友人となる精霊のことも『監視対象兼弟子』としか見ていない。
ただ、子ども1人にこのような塔を建てて閉じ込めている人間がなんとなく気に入らなかった。
子ども本人のことはどうでもよかった。
「ほ、ほんと!?」
精霊の言葉に喜ぶ幼子の顔を見るまでは。
(思い出したくないことを……)
「もう少しで国境を越えるね」
「……そうだな!」
センの言う通り、カルティエの軍は王国に入ろうとしていた。
疲れを悟らせないように口角を上げ、鬱陶しいくらいに声のトーンをあげる。
欺くつもりはなくとも、己を隠すのは生きるために必要であると考えていた。
目の前にいる男には見破られている気もするが。
道中、道を塞ぐように大きな岩があったが、アウラが風化させたことによってそう時間を取られることはなかった。
「アウラくんがいて助かったよ」
「岩のことか? あれくらいお安い御用だぜ!!」
(そう。どれだけ頑丈な物でも、オレなら簡単に消し去れる。もしあの時……)
もっと早く塔を壊していたら。
もっとたくさん綺麗な景色を見せてあげられただろうか。あの青白い頬を美しい薔薇のように赤くできたのかもしれない。
(ガキ1人、どうでもよかったんだがな)
先頭を走っていた兵士が止まる。
「大型の魔獣が!」
行く手を阻むように現れたのは、フェンリルほどではないが、魔力を持つ人間が10人してなんとか辛勝できるくらいの大型の魔獣だった。
この魔獣を相手にしていたら、部隊の人間たちは疲労し、無傷では先に進めないだろう。ミシェルが同行しているが、彼女と数人の光魔法使いはルーシェたちの回復まで温存しておきたい。
そしてなにより、時間がなかった。
「セン、アンタなら部隊を導けるはずだ」
「……いくらキミでも危ないよ。ここに来るまでに魔力を」
「大丈夫! 昔のロキよりかはアイツの方がマシだぜ。魔力は強いだろうが知能は他の小型魔獣と変わらない」
センの言葉を遮るように、アウラは先頭に立ち、風を起こす。
「行け! オレも必ず追い付く。約束するぜ」
「……城で待ってるよ」
アウラの風が魔獣の動きを止める。その間に部隊は先へ進んだ。
「さぁ、久しぶりに本気を出すか……って言いたいところだけど、魔力枯渇状態でどこまで耐えれることやらだな。これはこれで楽しそうだ」




