魔獣フェンリル
いつもは様々な人が行き交っていた大通りだが、今では静寂に包まれてしまっている。
人自体はいるが、城下町の人々も虚ろな目でプログラムされた通りにしか動かないロボットのようだ。
人間って自我がなくなったらこんな風になっちゃうんだ……
「あまり見ない方がいい」
鼻に当たるか当たらないかギリギリの距離にロキが立ちはだかる。
街並みと空虚な人間たちだけだった私の視界の光景に、黒い服に包まれた逞しいロキの胸板が入ってきた。
推測にすぎないが、彼にとって自我を失った人間たちは過去の自分と重なる部分があるのだろう。言及はせず視線を地面に移す。
城の中にいた人たちと同じように私たちに襲いかかるのではないかとも思ったが、どうやら彼らはただ町を徘徊しているだけだった。
「さすがに城の外の人間を自在に動かすのは難しいようね。そもそもこの人数の自我を奪うだなんて知能が高くて魔力の多い魔獣でも中々できる芸当じゃない」
「そうですわね。聖女として様々な魔獣と対峙してきましたが、わたくしもこのような話は聞いたことありませんわ」
そう。どうやってフェンリルは国民ほぼ全員の自我を奪ったのかが未だに分からない。
エルフィン王国はそこまで国土が大きな国ではない。
それでも人口はエトワールの中でもトップクラスだ。全員に魔法を使うのは負担も大きいだろう。
「そうですわね。ここまで大がかりだと何かしら下準備が必要になるはずですわ。例えば、全員が同じ物を持っているとか、噂話とか……何か身の回りで流行っていたものはありましたか?」
「噂話……そういえば学校で空き教室の怪談が流行っていたわね」
私の言葉にロキも
「今思えば怪談の主役はセツナとフェンリルだったな」
と反応する。
クレアも「空き教室にいる夢を見た」と言っていたな……
ん?
「今まで気づかなかったけど、どうして夜中の学校にいないはずの生徒たちの間で空き教室の怪談が噂になるんだろう」
思わず口に出してしまった。全員が立ち止まる。あの噂は何年も前からではなく、ここ最近流行りだした話だ。
夜中の学園に探検に行く……というのは中々に難しいもの。以前、私とベルギアがこっそり探検したときは誰にも会わなかったが、本来であれば見回りをする人がいてもおかしくない。
「誰かが吹いたホラかと思っていたが、実際に空き教室にセツナはいたんだよな」
「クレア 夢 セツナ」
ベルギアもクレアが言っていたことを思い出したようだ。
「最初にその話を始めた生徒もクレアと同じように夢であの空き教室にいた?」
「その仮説は辻褄が合う部分があるな。夢はほとんどの人間が目覚めてから時間が経つにすれ忘れていく。時々クレアのように一部分だけ覚えているやつもいるが、実際に体験した記憶と混同する人間も出たことで『怪談』に昇華した」
ラナさんが「フェンリルは精神世界を作って人間の精神を招き入れる権能があったはずですわ」と補足してくれた。
もしかしたら、私とベルギアがセツナと出会った時も……
だけど、ラナさん、セン様、そして私が自我を奪われていないのが気になる。
「どうして私たちは自我を奪われていないんだろう」
「ルーシェ 人間 疑問」
「そうなの。精霊たちは分かるけど、私やセン様とラナ様はただの人間よ? フェンリルは私を殺したかったようだけど、それなら自我を奪っている間に刃物で刺すなり火にかけるなりすればいいじゃない?」
なのに、どうして私たちの自我を奪わなかったのか。
「もし仮にお前の自我が奪われていても俺がフェンリルを止めるが……ラナとセンは最近王国に来たばかりだから影響を受けない。ルーシェは俺がよく夢に出入りするから自然と精神への干渉に耐性がついている。そしてノーブルはヴィアから守護の加護を受けていたから魔法への耐性が上がっていた」
もし、私に耐性がなかったら…あの群衆の一部と化していたのかな。
エルフィン王国は観光地としての知名度が低い。国土が小さいのもあってか観光としてアピールできるものが少ないからだ。どちらかというとセン様のように視察に来る人が時々いるくらい。
そのうえ、隣国であるミナヅキは魔獣との大きな戦いの後。グランディール帝国は内乱が収まってはいるが大臣の汚職の再発防止のためにプレン様による改革が行われている最中だと聞いた。
つまり観光客は0に等しかった。
よって王国へ来た他国の人間はラナ様とセン様しかいない。
来てから日数はそこまで経っていないからか、夢への干渉を受けておらず自我を失っていなかったのだ。
ここまで話していると今まで不可解だったことに全て理由がつく。
頭の中で引っかかっていたものが消えていく。
謎を解き明かしながら歩いていたら城の入口が見えてきた。
「流石に簡単に進ませてはくれないか」
敵が近づいてきたことに気がついた魔獣たちが私たちの行く手を塞ぐ。
一触即発の空気を切り裂くように、ノートさんは魔獣の群れの中に突っ込み、地面から現れた刀を手に取る。
刃は鋼色ではなく、全ての光を吸い込むブラックホールのような漆黒だった。
「消えろ!」
彼女が刀を一振りするやいなや、魔獣たちは力が抜けたように倒れた。
「その刀がこいつらの魔力を吸収したのか?」
「そうよ。魔獣は体内の魔力が全てのエネルギー源。それを全てこの刀で吸っちゃえばこいつらは空っぽになっちゃうわ」
私たちの驚く顔を見たノートさんはドヤァと効果音が聴こえてきそうなくらいに満足しているようだ。
「でもその間に止めを刺さないと、空中に漂う魔力を吸収して復活する」
すぐに冷静になったノートさんは、そう説明しながら迷いなく一体一体素早く刀を突き刺した。
「聖女ちゃん。あんたにはフェンリルをセツナの体から追い出すっていう重大任務があるから、この辺のやつらは全部あたしに任せて」
「お願いしますわ!」
魔獣たちが左右に分かれて中心に道を作る。
その道をのんびりとした歩幅でフェンリルは歩いてきた。奥まで進む手間が省けたと思っておこう。
「とうとう闇の精霊まで来たか。大精霊も本格的に儂を排除したいのかな」
「そりゃそうよ。国民全員にこんな魔法使ったらね」
まだセツナの体を使っているため、ノートさんもロキもフェンリルに攻撃はしない。
「フェンリル。あなたがリンドウを…」
ラナさんに敵意を向けられたフェンリルは、いつもの胡散臭い微笑みではなく嘲笑を浮かべた。
「悪いが儂はたかが騎士一人の名前を覚えられないんだ。あぁ、でも君のことは覚えているよ。聖女殿」
ラナさんは私を助けてくれた時と同じように、掌をフェンリルに向ける。怒りを表に出さずに冷静を保ってはいるが、声音が固くなっていることから彼女の覚悟がこちらにも伝わってくる。
「そう。もう動かないでくださいまし」
魔女は魔法使いたちの中でも魔力が多く適性が高いものが大精霊様に選ばれるらしいが、聖女は違う。
魔力の有無は関係なく、魔獣を鎮める力を発現させたものが聖女と認定されるのだ。
魔力への耐性はあるフェンリルだが、魔力ではない別の神秘の力には為す術がない。
ラナさんに動きを封じられているのに抗っているのか、段々と表情が苦しそうなものに変わっていく。
「行け!」
フェンリルの苦しみが混ざった声に答えて、王を助けようとする魔獣たちはラナさんめがけて襲いかかった。
阻止するためにノートさんが刀で魔力を吸った後、すかさずロキと私が止めを刺す。
「もう少しだけお願いしますわ!」
「小癪な…」
絶え間なく訪れる魔獣からの襲撃。
私はこういうことは初めてだけど、不思議とスムーズに動ける。
次は右。次は後ろから。
「ルーシェ 魔女 さすが」
「そうね。プリムラはある程度分析して対策を練るタイプだったけど、ルーシェちゃんは本能で動く。一般的な魔法使いだとそれで戦うのは難しいけど、あの子は策がなくてもそれを補えるくらい火力を出せるというのだから称賛に値するわ」
精霊たちが私を称賛してくれるのは光栄だ。だけど、魔獣は一向に減らない。それどころかどこからか援軍も駆けつけてしまい、増え続ける一方だ。
こちらの援軍が来てくれることを信じて、私は再び魔法を繰り出し戦い続ける。




