終わりを告げる鐘が鳴る
3人は、自身の目の前の怪物を殺すために、動き出した。
男は、両手にそれぞれ持つ金のハンドベルの神器を、キュラスに向けて振るってきた。
もはや彼の眼中には、迂回して回り込もうとしているイナバはいないようだ。
それは、満身創痍の身でありながら、金への執着を衰えさせる様子のない、怪物を仕留めるために集中しているから……という理由だけではない。
キュラスは、その理由に薄々気がついている。
金のハンドベルの鳴らした音が、無音を呼ぶ頃には、すでにそこにはキュラスはいなかった。
音が変換された衝撃波だけが虚しくそこを通り過ぎる中、神官服の男の右側正面から、キュラスは話しかける。
「ねぇ、アンタの右目、見えてないでしょ?」
その言葉に、神官服の男は顔の左半分、生身の皮膚が見えている部分で歯を食いしばり、明らかな動揺を見せた。
カマかけに身体で答えてくれた彼に対し、キュラスは笑みを浮かべる。
先刻、彼女が男へ振るった炎は無駄ではなかった。届いていたのだ。神官服の男の右半分、鉄の触手が覆うその下では、眼球は無事では無いらしい。
飛んできた鉄の触手の刺突と、通過する金のハンドベルの音を避けながら、キュラスはじっと神官服の男を観察する。いつまで経っても、鉄触手による叩きつけは来ず、高所に自身を持ち上げる真似もしない。
両目を使わねば、距離を把握できないからだろう。現に触手の中には、キュラスを通り過ぎても伸び続けているものや、キュラスに届かない距離で伸びるのをやめているものがある。
深まる確信に、笑みを増してゆくキュラス。
彼女のその顔が気に入らないようで、神官服の男は青筋を浮かべながらも、無理やり余裕そうな声を出した。
「逃げ惑うばかりで、よくそこまで得意になれる! やはりお前は頭のイカれた女だ。ワタシに攻撃は通じないのを、忘れている!」
「忘れてないよ、やりなぁ! イナバ!」
神官服の男の手に、彼の斜め後方から剣が振り下ろされる。
2連続で金属の衝突音が鳴る。最初に鉄と鉄、次に鉄と金の衝突音だ。
皮膚の下の鉄触手に阻まれ、男の手を分断することは敵わなかったが、剣は男の持っていた金のハンドベルを叩き落とした。
「なっ」
「貰うぞ」
即座に、イナバは金のハンドベルを拾い上げて、走り抜き、神官服の男と距離をとってゆく。
キュラスは、作戦が上手くいっていることに内心喜びながら、男に向けて大声で言った。
「アタシの攻撃が通じないなら、もっとデカい力で潰せばいい! 例えば、神器の力とかね!」
イナバは振り返りながら、金のハンドベルを振るった。
ベルの中で音が鳴り、その音が向けられる先は、当然神官服の男。
「しまった!────と言えば、いいですかぁ?」
神官服の男の声は、何事もなく大気を伝わった。それは、神器によって音が衝撃に変換されなかった、という証拠である。イナバはハンドベルを振り抜いた姿勢のまま、愕然とした様子で自身の持つ金のハンドベルに目を向けている。
彼に向けて、神官服の男が手にもつ本物の金のハンドベルをふるうと、そちらは音を奪い去り、衝撃波をイナバに浴びせかけた。
音がほとんど無かったからだろう、発生した衝撃波は強風に吹かれた程度のもの。イナバは踏み留まる。
肉体のダメージは無いが…………放心した様子のイナバに対して、神官服の男は楽しそうに言った。
「くく、今神器が発動しなかったのはぁ、それが模造品だから、ではありませんよぉ。ワタシの『複製』は完全な同一品を作り出す能力ですからね。つまりぃ、神器を使えるのは、ワタシだけ! そもそもアナタには扱えないんですよ。もちろん、気狂い女! お前にもですよぉ!」
「はぁぁぁっ!」
神官服の男が話している隙に、キュラスは【炭追い】を唱えていたようだ、炎の柱を男に振るった。
燃え盛る炎の柱は、しかし、鉄の触手に防がれてしまった。目を潰された経験から、男は防御に意識を配っていたのだろう、反応が早い。
「ちいっ」
「【魔法消去】……おっと、外しましたかぁ」
神官服の男の手から出た波動に魔法が当たらぬよう、炎の柱に穴を開けて空かせたキュラス。
彼女はそのまま、飛んできた刺突触手を躱し、受け流し、距離をとる。
神官服の男は盗まれた分の金のハンドベルを、複製によって即座に作り出しながら、得意げに、早口で語る。
「くく、ああ、頭が冷えてきましたぁ。『ワタシ自身に殺してもらう』策とやらはぁ、ワタシの複製の能力が神器の制限を解除していると予測しての策────ワタシの複製した神器を、奪い取る策だった、と言いうわけですねぇ。分かってみれば、大したことはない」
「…………」
「ワタシの右眼も、熱と光にやられただけ、完全に潰れたわけではありません。時間をかければ治ります。怒るほどのことでは無い。ワタシは冷静ですよ。アナタに勝ち目は完全に0です」
「…………」
「お前のような気狂いがいること、少し驚きましたが、今はむしろ憐憫の情すらありますよ。詰んでいることにすら気が付かず、ワタシの神器を金に替えるためだけに身体が突き動かされてる、馬鹿なお前にね。ですから────」
「…………」
「とっとと心折れて、その眼を止めろッ!」
キュラスの瞳は、諦める様子は微塵も無かった。
それどころか、勝ちを目前にしたように、その瞳は熱意に燃えている。
「やだね。まだ、勝ち目はあるよ。さっきの炎より、でかい炎をアタシが出せばいい。それで終わりさね」
キュラスは、折れている腕の手で握っている炎の柱の、火を強めた。
その炎の柱を握る手の下、腕はろくに動かない。先ほどの一撃は、身体を回すことで、遠心力を利用して腕を当てたにすぎない。
彼女は、”本命”を当てるための〈呪文〉を唱えた。
「宣言、三鎖。《火》=〈魔纏〉=〈操作〉」
神官服の男は苛立ちを隠さないまま、眼を細めて、キュラスのもう一方の手……彼女が背中側に回しているそれに、視線を送る。
「芸がないな、お前は!」
「はっ、芸なんざ必要ないさ、アンタにはこれで十分!」
キュラスは空中へと跳んだ。
高い身体能力で5メートルほど跳躍したキュラスは、神官服の男を見下ろす。
空中という無防備な環境に、彼女が身を置いた理由が分かったかのように、神官服の男は眉を潜ませた。
カウンター狙い。
触手を打ち出して防御が手薄になった瞬間を狙っての、魔法攻撃。【魔法消去】で消せる魔法は一個まで。折れた腕の【炭追い】を盾に、残る腕での【炭追い】を男にぶち当てる。
うまくやれば、神官服の男を倒せる一手。
だが、逆に、カウンターを外せば、キュラスは無防備で、攻撃を喰らいたい放題となる。その場合の男の勝利は確実だろう。
最後の激突だ。
終われば、どちらかが死ぬ。
「馬鹿が」
そして、十中八九死ぬのはキュラスだろう。
神官服の男は、まず動かせる全ての鉄触手を重ねて自身の顔の正面を覆った。これだけで、100%、カウンター攻撃は失敗する。
そう、触手を一切攻撃に回さなかったとしても、男には別の攻撃手段があるのだ。
「そのまま、くたばるといい!」
男は、両手に持つ金のハンドベルを、空中のキュラスに振るってきた。
通過するその音は、一拍後には、キュラスが手に持つ火柱の音を奪い去り、彼女の全身を打ち砕く衝撃を産むだろう。
だから、その前に、キュラスは【魔法名】を唱えた。
無事な方の腕の呪文鎖、《火》、〈魔纏〉、〈操作〉から構成されたそれに、ヒビが入る。
それらの〈呪文〉は、【炭追い】の魔法を構成する〈呪文〉、だが。
「【罪縫い】!」
キュラスは全く別の魔法を唱えた。
鎖が砕けて、生成されたのは、【炭追い】と同様の炎の柱。
いや、違う。炎の槍だ。
罪人の処刑に使われることもあるその魔法は、しかし、通常ではあり得ないほどの異彩を放っていた。太く、強く燃え盛り、そして何よりも、本来赤色であるはずの炎が、金色に燃えていた。
魔法は、〈呪文〉と【魔法名】から成る。
〈呪文〉は魔法の含みうる性質を定義し、【魔法名】はそれら呪文がそれぞれどの程度力を発揮するか、を定めるものだ。
例えば、《水》1語から成る【水球】と【そいやっ】の魔法があった場合、前者の方は人間大の水球を作れる程度に《水》の性質を十分に引き出せるのに対し、後者の方はバケツ一杯分の水を作る程度にしか《水》の性質を引き出せない。
【炭追い】と【罪縫い】を比べた時、後者が優れてるのは、〈操作〉の性質の引き出し具合。
【炭追い】は振ることしかできないのに対し、【罪縫い】は投げることができる。
キュラスは空中で身体をひねり、金炎の槍を頭上に投げた。
天井に向かって進んでゆく槍、そして、その反作用で地面に向かって叩きつけられるように落ちるキュラス。
金のハンドベルの音がキュラスのいた場所から音を奪う頃には、キュラスは動く手足の3点で地面に着地し、同時に、金炎の槍も天井に突き刺さっていた。
驚いたのは、神官服の男だ。
キュラスが一瞬で降りてきて、そして、鉄触手で守っていない角度から、彼女が男の左目を睨みつけてきたのだから。
刺さった槍が炸裂し、天井が崩壊する。金の炎に包まれながら、土や諸々が神官服の男に向かって落ちてきた。
それと同時に、キュラスは身を屈めながら、空いた手で自身の折れている腕の手首を掴み、炎の柱を手ごと男に振り抜いた。
これが、キュラスが鉄触手の防御を突破するために考案した、最後の一撃。
男の頭上と、斜め下。【罪縫い】の火を纏った落下物と【炭追い】の火柱により、双方から同時に強力な一撃をぶち込む、最高威力の痛打である。
「おっ死になぁぁぁぁぁっ!!!」
金炎混じりの土塊と、爆音掻き鳴らす火柱が、同時に神官服の男に叩きつけられた。
土塊が降り注ぎ、炎が大気を焼く轟音でこの大部屋を満たす。
キュラスの頭上に降り注ぎそうになった土塊は、【炭追い】の熱波で吹き飛ばされ、金の炎のみが彼女に降り注いだ。
金の炎が、彼女や、彼女が手に持つ赤い火柱を祝福するように降り注ぐ中で────神官服の男は、鉄触手で2方向からの攻撃を完全に防ぎ切っていた。
「ひひひひ、はははは!」
神官服の男の笑い声は、炎の音でかき消され、キュラスまではおろか、自分自身にさえ届いていない。
だが、笑わずにはいられないのだろう。
鉄触手を屋根として上の瓦礫を完全に防ぎ、残る鉄触手で火柱を正面から受け止めることができた。
天井と下方からの同時攻撃を全く予想していなかったにも関わらず、完璧に防ぐことができた自身の反射神経に、”神がかった”ものを感じ取った。そんな気持ちが、彼の表情からありありと伝わってくる。
「ワタシは、神に選ばれた! さぁ!」
神官服の男は、無理な体勢で火柱を振るっているキュラスに目で捉える。
避ける術の無い彼女に向けて、彼は、金のハンドベルを振るった。
『死になさい!』
炎の音に耳をやられた神官服の男は、気が付かなかった。
自身の声も、たった今振った金のハンドベルの音も、そして、自身の皮膚下を這う鉄触手の擦れ音も消えていることに。
音が変換され、生まれた斬撃が、笑みを浮かべる彼の全身を襲った。
『…………は゛?』
口の中が切れて、血が音のない声を濁す。
振ったハンドベルが、斬撃に弾かれて彼の手を離れる。
全身の皮膚の下の肉を、細かい斬撃がミンチにする。
身体の内側に生じた熱さに、彼は操っていた鉄触手を維持できず、全て消して身体を崩した。
倒れてゆく彼の視界に順に映ったのは、キュラスの笑み。
イナバが元々神器の置いてあった台座の上に、金のハンドベルを押し付けている様子。
そして、金の炎や土にまみれて地面に転がる────
────金色の巨大な鐘であった。
神官服の男が鉄触手を解いたのを確認してすぐ、イナバは乗せていた神器を台座の上から退けた。瞬間、神器の罠の効果が失われ、音の世界が戻ってくると同時に、男がどさりと倒れ込む音がする。
キュラスは、それまで神官服の男が鉄触手で支えていた土塊を、落下し切る前に【炭追い】の火柱で薙ぎ、弾いた。最後にその火柱を消して、ふぅ、とため息をついた。
イナバが、彼女に駆け寄ってくる。互いに目を合わせると、2人は微笑んだ。
「作戦成功ね」
「ああ、なんとか」
二人のとった作戦は単純なものだ。
真上にある神器の罠の本体をこの部屋に落とすことで、この部屋で神器の罠を作動させた。それだけである。
迷宮の最下層の中央に位置するこの部屋の真上には、当然だが、第四階層の中央がある。そこには金の大鐘が存在している。
天井が崩落したことにより、それが落ちてきて、鉄の擦れ音を掻き鳴らしていた神官服の男は、罠の斬撃により鋼の防御の内側からズタズタにされたのだ。
この作戦におけるハードルは3つあった。
1つは『迷宮の罠が作動する状態』と『迷宮の天井を破壊できる状態』が両立できないことだ。
最下層の台座に神器が置かれている限り、壁や天井の破壊はできず、かといって神器を外せば迷宮の罠は作動しない。
そこで、イナバはその状態の操作役を買って出た。
天井が崩落してから、神器を台座に”戻す”ことで、この課題を解決したのである。
2つ目のハードルが、その神器の所在。
神官服の男が持っていた金のハンドベルを奪う必要があったが、これは意外にもあっさりと成功した。これは、イナバが自身の判断で複製品の方に狙いを定めたことが大きい。本物の神器を狙えば、男の執着の大きさから考えて絶対に奪い取れなかっただろう。『完璧な複製品』は、無事に迷宮の状態変化の鍵となった。
3つ目のハードルが、この作戦をギリギリまで神官服の男に気づかれないようにする必要があったこと。
神器の罠が発動した後に、鉄触手の動きを止めて音を鳴らさないようにされるだけでこの作戦は失敗に終わる。
途中で演技も交え、炎の色を金色にしてまで落下する金の鐘の存在に気づきにくくし、神官服の男の意識をこの策から徹底的に遠ざけて────そして、成功した。
二人は、微笑んだまま手を叩き合った。
折れてる方の腕に響いたようで、キュラスは顔を少し歪めるが、それ以上に満足げだ。
「賭けも多かったな。落下の衝撃で大鐘を鳴らしたところで、神器の罠が起動するとは限らなかったはずだ」
「そりゃ大丈夫。罠の起動間隔は完璧に覚えてたからね。念のため天井崩しは起動に合わせたさ」
「! ……君は、すごいな。いや、しかし、それなら上の階で金の大鐘を見た時、君は鳴ると分かっていたのに暴走したということに────」
二人が話をしているその途中で、血だらけで倒れ伏している神官服の男から、絶叫が放たれた。
「ああ、あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
絶望のこもった絶叫に、キュラスとイナバが視線を向ける。
「なによ、うるさ……は?」
「これは……!」
神官服の男を見た2人は驚いた。無理もない。予想だにしていなかったものが、見えたのだ。
上の階層でそれを見た時と全く同じく、神官服の男の足先が、青い粒子状の光となって、空気に溶けてゆく様子が2人の目に飛び込んできた。
神官服の男は、ズタズタに裂かれた顔面でも分かるほどに、明確な哀しみの感情を持って、涙を流して叫んでいた。
「うう、あああッ!」
「イナバ、これって、そういうことよね」
「ああ……君も、そうだったんだな」
キュラスは、同じように光を放出して消えた、ランタンや地図を思い出していた。それらの、複製された品物が消えていくときの最期も、全く同じだったことを鑑みるに、
この目の前の男も、誰かの複製品だったのだ。
同じように、周囲に転がる鉄触手の剣の柄や、金のハンドベルも、それぞれ本物である1つを残して、青い粒子を発して消えてゆく。
神官服の男は無数の青い光に囲まれる中で、歯茎を剥き出しにして、叫んだ。
「いやだ、いやだ、! 何故、ワタシが! 消えたくない! 何も、できていないのに!」
「……アンタも何人か冒険者殺してきたんでしょ? 因果応報さね」
キュラスのその言葉に、神官服の男は涙を流しながら、心底憎々しげに睨んできた。
歯が震えているのは、恐怖からか、怒りからか。
彼は倒れたまま、叫ぶ。
「お前たち、には、分からないよな!! 産まれてきたことを祝福してくれる両親! 辛い記憶、楽しい記憶! 自分の生きてきた軌跡…………『命』を欲する気持ちが!」
地面に伏せたまま、彼は必死になって顔を横に振り、辺りを見ていた。
すぐ側の地面に転がっている、本物の鉄触手の剣の柄に視線を合わせると、彼は血まみれの手を動かし、その身をそこに向かって這わせ始めた。
そのまま、彼は叫ぶ。まるで、この世界に何かを遺したいかのように、必死に、必死に。
「……ワタシには、”本体”の『命』しかない! 分かるか、”本体”が自分を、道具として使うために創り出した時の記憶があるこの苦痛が! そこまでの全ての軌跡が、自身のものではないことへの絶望がッ! 自身の命を、生まれたときから途切れなく持っている、お前達には、分からないだろうッ!」
「……!」
イナバは眉をひそめている。何かを思い出しているようだ。
キュラスにとって思い当たる節が無いあたり、イナバと神官服の男の間で交わされた会話の中に、男のその心情を思わせるものでもあったのだろう。
キュラスは、肩を持ち上げて答えた。
「ま、分かんないね。分かりたくも無いよ」
「っ、だろうな、そんな大切な、神からいただいた命を、金なんかと同じ天秤に置くお前に、分かってもらおうとは思わない! クソ、クソ、くそぉぉぉ……うう」
吐き捨てるようにそういうと、神官服の男は、傷だらけの手を伸ばして鉄触手の剣の柄を握った。
男の身体は、腰から下がすでに光となって消滅している。
上半身だけの状態で、鉄触手の神器を自身の元に手繰り寄せると、男はポツポツと震え声で言葉をつぶやいた。
「ああ……神よ、どうか、どうか。ワタシの嘆願を聞いてください。ワタシに、命をください。どんなに恵まれない環境でもいい、もう一度人生を始めさせてください。ワタシを、母の胎から産まれた、1人の人間として。どうか、どうか、お願いします……」
これまでの余裕綽々とした態度や、怒りに震える姿は見る影もない。彼は子供のように震えて、消えゆくその身で、ただただ祈っている。
藁にも縋るとは、まさにこのことだろう。
神に届け、神に届けと、届くわけがないと分かっているだろうに、ひたすらに願いを込めていた。
進行してゆく身体の消失に比例して、どんどんと、その声は消え入るように小さくなってゆく。
キュラスは、ため息をつくと、イナバを見た。
彼は、相当にバツの悪そうな顔をしている。無事に勝利した、というのにだ。先ほどまでの作戦成功の喜びはどこにも見えない。
キュラスは、もう一度ため息をつくと、神官服の男に話しかけた。
「ざまぁない、ってのが、正直な感想だね。危害を加えてきた奴が無様晒して死んでゆく、ってのがアタシ視点。溜飲が下がりまくりだよ」
「……ぐ、ううう」
神官服の男が歯を食いしばると、流す涙の粒が大きくなる。
キュラスは、それを気にすることもなく、言葉を続けた。
「アンタがいま、大事に握ってるその神器、売ったらいくらになるんだろうねぇ。今の見た目は地味だけど、強かったしね。出すところに出せば、相当な額になりそうだ」
「う、うう」
「……キュラス、それは」
イナバがキュラスを諌めようとしたところで、彼女は、なんの気なしに言った。
「で、アンタは墓の中入れてもらうなら、どっちがいい?」
「え?」
「……は?」
突然の提案に、男2人は思わず声が出る。
キュラスは、2人のその声が、言っていることが理解されなかったために出たものだと考え、より詳しく話すことにした。
「その調子だと、アンタ遺体も残らないでしょ? だから墓穴に、その神器か、換金してできた金を入れて、アンタの墓にしてあげるって言ってるのさ。アタシとしちゃ、金の方がおすすめだよ。神器をあの世に持っていったところで……」
「アナタは、金のために命を賭けてるんでしょう? ワタシに恨みもあるはずだ、なのに、何故、そのようなことを?」
神官服の男のその言葉に、ハッとした表情をしたのはイナバだ。彼は、自身が似たようなことをキュラスに尋ねた時を思い出しているようだ。
キュラスは、その時とほぼ同じ答えを出した。
「そりゃ、アタシも同情心くらいは持ってるからね。そのまま見捨てりゃ、アタシの心にしこりが残っちまうだろ? 最高の人生をおくるには、そんなしこりない方がいい。────端的に言えば、アタシが嫌な思いをしないためさ」
「キュラス……! やはり君は、優し──ぐっ」
「黙りな、4度目だよ」
キュラスが折れてない方の腕で、イナバの腹を突く。
彼女は、悶える彼に呆れ顔を向けたままに、唖然とする神官服の男に対して、言葉を放った。
「誰にも産まれを祝福されなかったのなら、死ぬときくらいアタシが弔いをしてやるよ。アンタはそれで、潔くくたばりな」
神官服の男の瞳に溜まっていた涙が落ちる。
彼はその一筋を最後に、笑い出した。
「……ふふ、はは。やはり、アナタは変人ですね。金を真剣に追い求めたかと思うと、手に入れられるはずのそれを敵への施しにするなんて」
「アタシは、アタシが最高の人生をおくるためだけに金を使うんだ。アンタのことなんざ知ったこっちゃない」
「そうですか……アナタは、炎のような女性だ。貪欲に手を伸ばし、熱に駆られ、他者を焼き、他者を温める。人生の中で、どんな火種を与えられた末にそうなったのか、知りたいですよ」
キュラスは眉をひそめた。
「アンタにゃ知られたくないね。で、どっちがいいのさ? 神器か金か」
「……叶うなら、神器のまま埋めてください。場所はここで構いません。走破済みの迷宮の最下層でしたら、”本体”がやってくることもないでしょう」
「わかったよ。で、アンタ、名前は? 墓標に掘るよ」
「『フォース』。ワタシの識別名です」
「そ、墓標に希望は? 石とかしか無いけど」
すでに、脇から下が無くなっている神官服の男、フォースは、頭をなんとか持ち上げて、金の大鐘の方に顎を向けた。
「あの真鍮の鐘でしたら、アナタの炎で溶けるでしょう。それでお願いしますよ」
「そう、分か────は? 真鍮? 純金じゃなくて?」
口をポカンと開けるキュラスに対して、フォースは首を捻る。
「色や照りが純金とはまるで違うでしょう」
「いや、え? 勘違いじゃないのかい?」
「少なくとも金ではないのは確かですね。……ああ、そろそろ、時間のようですね。クク、最後にアナタの困惑顔が見れたのは溜飲が下がりましたよ、ほんの少しね」
フォースの、残る部位全てから青い光が出始める。
彼は、すっかり消えゆくことを受け入れた様子で、2人に語りかける。
「イナバさんは、お姉さんを大切に。彼女の病気が治り、人生が謳歌できるようになること、ワタシも祈りましょう」
「ああ、ありがとう」
「キュラス、アナタには、そうですね。恨みも感謝もありますが。精々、楽しい人生を送ってくださいな」
「はぁ………アンタは地獄で、神様とやらに直訴するこったね」
意気消沈し、覇気の無い様子のキュラスのその言葉に、フォースは作ったような笑みを浮かべて、「ええ」と言ったあと、最後の言葉を2人に贈った。
「おめでとう。アナタ方の、完全勝利です」
そう言って彼が消え去った後には、鉄触手の剣の柄が遺されていた。