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想いの次にお金は重い

 鉄触手に蓋された穴の中で、イナバは外からの爆音を聞いた。聞き覚えのある音だ、キュラスの魔法によるものだろう。


 やったか、キュラス。


 イナバは彼女の勝利を確信しながらも、口元を真横に引き伸ばす。彼は嬉しさよりも、悔しさを感じていた。


 結局、彼女に任せる結果となってしまったな。


 イナバはキュラスのことを想った。

 彼女の財産を奪うのに加担してしまった自分を、助けてくれて。

 自分の気持ちを汲んで、死んでしまった冒険者達の冒険者証の破片を渡してくれて。

 自分を仲間だと信じてくれた、優しい彼女のことを。


 イナバには、どうやったら、彼女に恩返しができるかが分からなかった。

 彼は、彼女に対して未だ何もできていない、と思っているのだ。

 あの神器と金の大鐘を持って帰れば、薬代は足りるだろう。そのことに関して(うれ)いを晴らした後は、彼女にお金を時間をかけて渡す。その過程で、彼女に何を返せるのか。


 ────答えが出る前に、穴の蓋となっていた、鉄の触手が引いてゆく。

 上が開け、閉塞感から解放されると、イナバは立ち上がった。


 帰ってから考えよう。今は答えが出そうにない。


 敵となった神官服の男を、倒してくれたキュラス。彼女がいるであろう方向に目を向けると。







 そこにいたのは、キュラスの(ひたい)を片手で掴み、彼女を持ち上げている、神官服の男だった。


「がっ……ぐっ」


 キュラスは神官服の男の腕を掴み、頸椎への負担をなんとか軽減しているようだが、掴まれた額自体にかなりの力が込められているようで、苦しそうに呻いている。


 神官服の男は、にやりといやらしい笑みを浮かべていた。いや、浮かべているのだろう。と予想できる。

 彼の顔は、半分が黒く炭化していて、表情がもう半分からしか読み取れなくなっていた。


 そこまで炭化すれば、普通なら死んでいるだろう。だが、彼は生きていた。その理由は、炭の内側にあった。


 炭化した側の顔から、サリサリと金属の擦れる音がしたかと思うと、表面の炭が零れ落ちる。

 下から覗いたのは、何層にも重なった、蠢く鉄の触手だった。


「だからぁ、言ってるでしょう? アナタ達の攻撃は、ワタシに届かない」

「────キュラスっ!」


 イナバが彼女の名前を叫ぶと、神官服の男もイナバに気が付いたようで、顔を彼に向ける。

 顔の半分、鉄触手の下に隠れているのであろう眼球では見えないからか、皮膚がまだ残っている側の眼をギョロリと動かして、彼に視線を送った。


「ああ、イナバさん。あなたはぁ、彼女の処分は何がいいと思いますかぁ? 刺し殺すかぁ、圧殺するかぁ」

「彼女を、放せ」

「ひひ、両方嫌ですか。じゃあ仕方ありませんねぇ。『実験』に使いましょうか」


 神官服の男がそう言うと、彼が身にまとう鉄触手の内側から、金のハンドベルが出てくる。この迷宮の神器だ。

 男はそれを、キュラスを掴む方の手とは逆の手にとると、視線をイナバから彼女に戻した。


「止めろッ!」


 イナバは、駆けようとした。

 だが、鉄触手の刺突が彼の足を撃ち抜き、転ばせる。


「がっ……ぐぅぅ」


 激痛と、体内から熱が出ていく喪失感に苛まれながらも、イナバは歯を食いしばって、神官服の男を睨み、這いずってでも近づいてゆく。

 そのガッツは褒められたものだ。だが、そんな亀並みの歩みで間に合うわけもないし、神官服の男はもはやイナバを見てすらいない。


 神官服の男は、ハンドベルをキュラスに向けて振るった。


 途端、キュラスが上げていたうめき声やら、服の擦れる音やらが消えて…………パァンと軽い音の後、キュラスは吹っ飛ばされた。神官服の男の手を離れ、結晶の埋め込まれた壁面に激突した彼女は、そのままどしゃりと落下する。

 口から血を吐いて、彼女はびくびくと痙攣しはじめた。


 その様子を見つめていた神官服の男は、頷いた。


「ふむ、意外ですねぇ。罠から推測するに、音を”斬撃”に変換するのかと思っていましたが、”衝撃”ですか。しかし、彼女は大した音も出していなかったのに、この威力は目に見張るものがあります。変換した上で威力を増幅しているのかもしれませんね。ねぇ、イナバさん」

「キュラス……」


 顔を歪ませるイナバとは対称的に、楽しそうに神官服の男は笑う。


「彼女、まだ生きてるみたいですし、何か最期に言葉をかけてあげたらどうでしょうかぁ。吐血してるあたり、十中八九内臓がイってるので、もう長くないですよぉ。急がなきゃねぇ」

「っ……君を、殺す。絶対に」


 怪我した足から、血が更に流れ出るのも厭わずに、イナバは立ち上がり、剣を構えた。

 神官服の男は、顔の半分の口元に笑みを携えたまま、眼を細めている。


「ねぇ、イナバさん。冷静に考えてくださいぃ。アナタがワタシに勝てますか?」

「勝つ、命に換えても」

「……ひひ、そうですか。ねぇ、イナバさん、アナタへのお情けとして、1つ提案をしましょう」


 神官服の男は、途端に口調から嫌味ったらしさを消して、イナバに語りかけた。


「アナタのお姉さんに、ワタシが薬を届けますよ」

「!?」


 イナバはその提案の意味がわからず、眼を見開いて静止する。その反応を予想でもしていたのか、神官服の男は肩を持ち上げた。


「ま、そうなりますよね。この提案をさせていただく理由は2つあります。1つはアナタの姉への同情ですよ。神から命を賜り、その命を大切にして、生きようとする者が死んでゆく。悲劇的で可哀相だ。そりゃワタシも、手を差し伸べたくなりますよ」

「何を言っている…………ならば、なぜ、君は人殺しを誇るような真似をしていた」


 神官服の男は、口角を下げた。


「見ている(くく)りが違うだけですよ。『人』などという括りで、ワタシは他者を見ません。冒険心やらぁ、名誉やらぁ、金銭欲やらのくだらぬ人の欲を、神から賜った”大事な命”と共に秤にかけるようなカスは死んで当然。でしょう?」


 神官服の男の話を聞いても、イナバは訝しげな顔を変えることはない。

 男は、頷きならがら言葉を続けた。


「そして2つ目、ワタシはそれなりに、アナタのことを気に入っているから。ですよ」

「……俺が迷宮に潜ったのは、金目当てだ。君の言うカスと同じだが」

「はは、お姉さんの命を助けるためでしょう? キュラスさんの命を助けるためにも命を張り、ワタシを殺すためにも命を張る。アナタは、命と同じ天秤に乗せていいのは命だけであることを、十分に理解している。ワタシ好みです」


 神官服の男の口角は、丸みを持って、ニコリと持ち上がった。親しみすら覚えるその笑みからは、今まで彼に覚えていた胡散臭さをまるで感じない。


「まぁ、”奴”に情報が渡らないように、ワタシを知ったアナタには死んでもらわないといけませんが、アナタの望みを叶えたいという気持ちは確かにある。理解していただけましたか?」


 返事を待たずに、神官服の男は、その手をイナバに向けた。

 正しくは、イナバの持つ剣にだ。


「もし、この提案に同意していただけるのなら、お姉さんの居場所と名を伝えた後に、自身の首をその剣で刎ねてください。力の差は分かりますよね? 何も成せずに死ぬより、そちらの方が皆幸福な結果となります、いかがでしょうか」

「…………」


 イナバは、少しだけ迷った。

 神官服の男の言っていることは、本当だろう。一度騙された身だから分かる。言葉から伝わってくる気持ちが、当時とまるで異なるのだ。


 言う通りにすれば、姉の元に薬が届けられる。その確信はあった。

 もしも、イナバが一人でここまできて、男にその提案をされていたら。彼はそれを呑んで、自身の首を刎ねていただろう。自身の命と引き換えに、自分の目標を達成できるなら、安いものだと。


 イナバは、倒れているキュラスに視線を送った。


『死んじまった奴の前で、自分にどうにかできなかったのかって思う心くらい持ってるよ』

冒険者証の破片(そいつ)を上に運んで、アンタもやな気持ちはすっきりチャラにしときな』


 イナバは、眼を閉じて、彼女の言葉を思い出して。

 神官服の男に向き直ると────剣を構えて、刃先を向けた。


「前言を撤回しよう。俺は地上に帰って、届けないといけないものがあった。だから、命に()()()に君を殺す。俺は生き抜いて、前に進む。それこそ、何もできなかった俺が、やるべきことだ」


 刃を向けた先で、神官服の男は、口を横一文字にしながら、眼を閉じる。不機嫌さが伝わってくる声色で、彼は言ってくる。


「薬はワタシが届けると、そう言っているのですが。まぁ、いいですよ…………当てつけのように言葉を撤回するあたり、ワタシに嫌われたいようですからねぇ。残念ですよぉ」


 神官服の男に、嫌味ったらしい口調が、戻った。

 神官服の男が眼を開けると、ギチリと鉄触手が蠢き、その手に持った金のハンドベルが、カランと音を鳴らした。


 向けられた殺意は、真正面からイナバがぶつかってくる。

 肌を刺すような、その空気に、彼は無数の傷を負った身でありながら、瞳に怯えも見せずに立ち向かう。


 鉄触手の一つが、刃先を彼に向けようと、跳ねた。

 その時だ。

 笑い声が聞こえた。


「あはははははっ!!」


 イナバも、神官服の男も、笑い声の方に眼を向ける。

 キュラスが、立って、笑っていた。

 口の端から血を流し、腕は片方折れている。彼女の赤い髪には、別の色の赤が重なっていて、足にも腕にも顔にも、無数の痣があった。

 それでも、ふらつくことなく、彼女は2本の足で真っ直ぐ立っていた。


「キュラス! 生きていたか!……?」

「馬鹿な、血を吐くほどの怪我で、立ち上がれるはずが。……?」


 驚く2人を前にして、キュラスは笑い続けている。

 イナバが、彼女の様子のおかしさに錯乱を疑って、声をもう一度かけようとしたその時、笑い声はぴたりと止まり


 キュラスが、言葉を発した。


◀︎◀︎◀︎◀︎◀︎◀︎

 

 金のハンドベルの神器から発せられた衝撃に吹き飛ばされ、キュラスは壁に思い切り身体を打ちつける。

 口内の傷が開くが、そんな痛みに気を配っている余裕は無い。背中がすごい痛いからだ。


 全身を打ち付けられてから、落下するまでのその間に、彼女は走馬灯を垣間見た。




 まだ彼女が5歳だった時、孤児院に入った日の思い出だ。

 ロキシニアという修道女に促されるまま、優しい笑みを浮かべる神父様とお話しをして、屈託のない笑みを浮かべる他の子供達と遊んだ。


「キュラス、彼が孤児院の管理者でもある神父様ですよ」

「よろしくね。皆も、笑って挨拶しようか」

「「はい、神父様。よろしく、キュラスちゃん」」

「よ、よろしく!」


 孤児院を守る”管理のおじさん”たちからもお菓子をもらった。


「君がキュラスちゃんか。お勉強はもうしたのかな?」

「お勉強?」

「ええ、キュラスはもう終わってますよ」

「そうだよね。うんうん、いい子にはお菓子あげようね。ロキシニアちゃんにも」

「ありがとう。ほら、キュラス」

「あ……ありがとう、おじさん!」


 ロキシニアの言う通りだった。愛を見つけようと、『相手のことを大好きになりたい』『相手に自分のことを大好きになってほしい』。そんな気持ちで人と接すると、みんなが心を開いてくれるのだ。

 心の底から、楽しかったと言える日は、生まれて初めてだった。


 24時を回った深夜の時間、皆で寝ている子供部屋で、ふと、キュラスは目が覚めた。今は街を歩いて、盗みをしなくてもいいというのに。彼女の身体は普段の習慣を覚えてしまっていたようだ。


 温かい布団にくるまって、今それができる幸せを感じながらも、寝付けなくなった彼女は困った。

 そして、ふと思いついた。

 ロキシニアさんに、おれいを言いにいこう。と。


 彼女が話をしてくれたから、自分は生きてもいいんだと思えた。彼女の助けがあって、みんなと仲良くなれた。

 彼女のおかげで、今はこんなにも、心の芯までじんわりとあったかくなれているのだ。


 キュラスは、寝室から出ていって、廊下を歩いた。

 教会に併設されたこの孤児院は、いくつもの棟からなる大きな孤児院だ。

 鉄格子の嵌められた窓から外を見ると、月が綺麗に輝いていた。


 お月さまはどこから見てもおんなじはずなのに、なんだかいつもよりきれいだな。


 キュラスは、月に見惚れて、道を一つ間違えた。ロキシニアの個室ではなく、孤児院の運営資金が納められている大金庫室の前まで来て、キュラスはようやく、道を間違えたことに気がついた。


 あ、もどらなきゃ。


 眼を丸くして、戻ろうとしたその時、大金庫室の扉が開いた。

 キュラスの身体がビクッと跳ねる。誰かがそこにいるとは思っていなかったのだ。おそらく、出てくるのは院長を兼任している神父様だろう。

 そう予想していたが、金庫室から出てきたのは、キュラスの探し求めていたロキシニアだった。


「あれ、ロキシニアさん」

「…………! キュ、ラス。なぜここに」


 キュラスは、意外な人物が出てきたことに驚いた。だが、好都合なこともあり、すぐに笑みを浮かべる。

 一方で、ロキシニアが浮かべたのは苦々しい顔だ。

 キュラスは彼女の表情にわずかに違和感を覚えながらも、ほとんど無警戒で彼女に近づいた。


「えへへ、あのね、今日すごいたのしかったの。だから、あたしロキシニアさんにおれいを────」


 近づいたキュラスが目撃したのは、金貨がギッチリと詰まっている、脚車の付いた箱だ。

 ロキシニアが、それを引いて、金貨を外へ持ち出そうとしていた。


 自分が、似たようなことをやってきたからだろう。キュラスには、ロキシニアが何をやっているのかがすぐに分かった。

 だが、理解したキュラスが声を上げる前に、ロキシニアが彼女の口を塞いだ。


「もがっ!」

「……まさか、貴女に見られるとは。今日だけでも幸せに過ごして欲しかったのに」


 ロキシニアの口から出たのは、ひどく、冷たい声だった。

 キュラスが住んでいた場所でも、たまにしか聞かないような、心の奥底が冷え込むような声色だ。

 キュラスは、震えだした。


「騒がないでください、ね?」


 そう言うと、ロキシニアはキュラスを持ち上げて、大金庫室へ運び込んだ。片手で鍵を閉めると、キュラスの口元から手を放す。


 話せるようになったキュラス。だが、声を上げる勇気はない。外に聞こえるかも分からないし、なにより逆上される可能性があるからだ。


「キュラス、今夜はここで寝ててください。明日には誰か来ます」

「……なんで」


 小声で、キュラスはつぶやいた。


「なんでロキシニアさん、お金をぬすむの。とられたら、みんながこまるんだよ」

「…………」

「もどそうよ。ロキシニアさんあたしにおしえてくれたじゃん。ロキシニアさんは、みんなを”あい”してるんだよね。だったら」

「うるさい!」


 ロキシニアは、キュラスの頬を思い切り引っ叩いた。

 パァンと高い音が鳴り、キュラスの顔に紅葉のような跡がつく。じわっと、彼女の瞳から涙が溢れてきた。

 ロキシニアは心底イラついた様子で、顔をしかめた。


「愛なんて、綺麗事です。一番大切なのは、結局金ですよ」

「あ、あっ、あっ? あ、あたしがわるかったです! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめ──」

「黙れよ」

 

 一瞬にして卑屈な目になり、がたがたと震えながら謝り続けようとするキュラス。

 ロキシニアは彼女の胸ぐらを掴むと、血管を額に浮かせながら、凄んできた。

 震えは止まらぬまま、キュラスは口を噤む。


 ロキシニアは、(ひたい)をくっつけてきて、そのまま至近距離で、心底機嫌悪そうに告げる。


「キュラス、謝れば今まで上手くいきましたか。なってないから親に殺されかけて、殺すはめになったんでしょう? 泣き喚いてる暇があれば、幸せになるために行動しなさい! 人を説き伏せることができないなら、人を殴って、人から奪って、そのぐらいやってみろッ! 貴女の人生だろう!」

「えっ、あ……っ。そ、それをやって、やだったもん、もう、したくないよ、ロキシニアさん」

「今まで貴女がやってきた盗みも殺しも、貴女が幸せになるためにやったことじゃない! 暴力に晒されることと比べた時の妥協の結果でしょうが! 自分で前に進もうとしてないただの弱虫のくせに、貴女は何を達観したみたいにッ!」

「ひっ、ひっ、やだよ……ゆるして……」


 ロキシニアは目元に怒りを浮かべたまま、口元をぎゅっとつぐんだ。

 

 彼女がキュラスと頭を離し、手を動かすと、反射的にキュラスの身が縮みこむ。また叩かれるかと思ったのだ。

 だが、ロキシニアは自身の懐に手を入れて、ハンカチを取り出した。

 彼女は不機嫌な顔のまま、キュラスの顔をそれで拭き、流していた涙と鼻水を拭う。


 顔から離れていくハンカチ。

 涙でぼやけていた視界が、鮮明になる。

 至近距離でロキシニアの顔を見て、そこで初めて、彼女の首元にアザのようなものがあるのにキュラスは気がついた。

 首を一周するような、輪っか状のアザだ。

 まるで、首輪でもそこにあったかのような……。


「泣き喚いて、人がしてくれる親切はこの程度です。誰も助けてくれません。だから、金を盗むんです。これは、私が幸せになるために必要なのです」

「しあわせ? なんでお金なんかが」

「もういいです。貴女には分からなくてもいい。とにかく、貴女は朝までここで、静かにしていてください。意気地なし」


 ロキシニアは、キュラスの胸ぐらを掴んでいた手を放すと、金貨の入った箱を引いて扉の方へすすみ、ドアノブに手をかける。

 そこで、ぽつりと、ロキシニアは呟いた。


「それと、”親殺し”がまともな孤児院に来れると思わないように。貴女の身体の大きさなら、礼拝堂の地下の通気口から外に逃げられると思いますよ」

「……え、え? まって、ロキシニアさ──」


 扉は閉められ、向こうからすぐに施錠される。

 慌ててキュラスが内側から鍵を開けようとするが、鍵が回らない。何かで固定されてしまったようだ。


 冷たい部屋の中、ひとりぼっちになったキュラスは、すすり泣きながらロキシニアの言葉の意味を考えていた。


 しあわせになるために、こうどうする? 今がしあわせだったのに、なんでロキシニアさんはそれをこわそうとするの?

 お金があると、しあわせなの? いくらぬすんでも、うれしいって思ったことないよ。

 れいはいどうの、ちかの、つうきこう?

 れいはいどうって、さいしょにロキシニアさんとお話ししたばしょだよね。


 考えているだけで、何時間も、時間が経過する。

 身体の冷え込みも気にならないくらいに、考えに没頭してしまったキュラス。


 体育座りで思考を巡らせていると、扉がノックされた。


「キュラスちゃん、いるかい!」


 キュラスにとって聞き覚えのある声。管理のおじさん達のうちの一人だ。彼が助けに来てくれたようだ。


「! いる! いるよ!」

「今助けるからな! 扉から離れてくれ!」


 キュラスがその指示通りに行動すると、扉を蹴破って管理のおじさんが中に入ってくる。

 重武装し、銃を背負った彼は、キュラスに対して笑いかけた。


「もう大丈夫だよ、キュラスちゃん」


 この部屋で、1人ぼっちで数時間過ごしていたキュラスは、彼の登場に、心底ほっとした。先程までの辛い気持ちを一瞬だけ忘れることができた。


 彼の背後から別のおじさんが、金貨の入った箱を持って、現れるまでの、ほんの一瞬の間だったが。


「え?」

「ふぅ、キュラスちゃんが無事で良かったな。それじゃあ、金は中にしまっておいてくれ。ちょろまかすなよ」

「承知しました」

「あの、それは、ロキシニアさんがもっていったお金……」


 管理のおじさんは、困惑するキュラスに向けて、大きく頷いた。


「ああ、あの泥棒女から取り戻したんだよ。そうだ、キュラスちゃんも見に行くかい? 閉じ込められて鬱憤溜まってるだろう?」

「見にいくって、何を?」

「はは、そんなの決まってるじゃないか」


 管理のおじさんは、笑顔のまま言った。


「処刑だよ」



 ここから先は、忘れたい記憶。

 走馬灯が、断続的にチラつく。



 中庭に集められた『洗脳済みの子供達』は、神父様が「笑え」と言った途端、中心にいるロキシニアを嘲笑い始めた。

 地面に転がるロキシニアは、両手両足をもがれた状態で、大粒の涙を流しながら、歯茎を露わにして、叫んでいた。


 「ひっ、ヒっ、うヒィぃぃ! なんて目で私を見るんですかガキどもぉ!! 所詮世の中金なんですよ金ぇ! 綺麗ごとに喜んで飛びつく貴方達には分からないんですかっ!? 私が正しいんです! だから蔑むなぁ!! 貴方方(あなたがた)なんて、ただ出荷を待つだけの────」


 神父様が、いや、糞神父が、ロキシニアさんを蹴り飛ばして、黙らせた。

 まぁ、黙らせるよね。

 下手したら『商品共』の中に、自分達は従順な奴隷として売られるために育てられてるんだ、って気づくやつが出るし。

 酷い目にあってるロキシニアさんを見て、糞神父が言う通りに、笑って、泣いて、怒る子供達が、気持ち悪かったね。

 隣に座ってた、管理のおじさん────この施設を守るために国から派遣された、兵士の奴も、娯楽でも見るかのように両手を叩いてて笑っててさ。怖かったよ。


 アタシは、周囲の人達の異常さに怯えてた。でも、それ以上に、一人になりたくなかった。親をぶっ殺して、一人になって、すごい後悔したからね。

 逃げ道はあったけど、そこを使って逃げるのが正しいのか、分からなかった。


 そこからにげ出そうと思えるようになったのは、ロキシニアさんのおかげだ。


 木にくくりつけられたロキシニアさんは、しんぷさまの「最期の言葉はありますか? 」ってことばに、しずかにこう言っていた。


「何のために生きたんだか、分からない人生だった。だから、お金が欲しかった」


 ゆっくり、言っていた。


「それがあれば、人並みの人生を送れると思った。自分の部屋を買ったり。自由にどこかに出かけたり。心底安心してぐっすり眠ったり。そんな毎日が……違う!」


 もう、そんなたいりょくものこってないだろうに。ロキシニアさんは、おもいっきりさけびはじめた。


()()()()()()()()()()()()()()()ッ!! 豪遊したかった! 美味いもの食べて、美形を(はべ)らしたかった! なぜこんなことに!! 畜生! 畜生、畜生!あ゛あ゛あ゛!!」

「それが、最後の言葉ですね。なんて浅ましい。さぁ、やりなさい、子供達」

「「「はい、神父様。宣言、3鎖(ウル・チェイン)。《(イグニ)》=〈魔纏(エンチャント)〉=〈操作(コントラ)〉」」」


 さいごに、【魔法名】がとなえられると、ロキシニアさんは火のヤリが三本ささって、しんだ。


 そのあと、あたしは────





 ──キュラスは、礼拝堂の地下の通気口の蓋を外し、ダクトの中を這いずってゆく。

 ロキシニアの言う通り、キュラスの身体の大きさなら、ぎりぎりここを通り抜けられそうだ。


 ぽたぽたと涙を流しながら、キュラスは自分の行動が間違っているのではないか、という不安に怯えていた。

 本当は、みんなの方が正しいんじゃないかと。自分の行動は、自分を一人にするだけの、無意味な行動なんじゃないかと、そんな不安があった。


 だけど、キュラスの脳裏には、ロキシニアの最期の言葉が染み付いて離れなかった。


 キュラスは進む。何も縋るもののない状態で、たった一人で進んでゆく。

 しばらくして、ダクトの外に出た。

 地上に這い出た彼女は、空を仰ぐ。日が登る直前の夜空は、黒い天井の端に、赤い光がさしていた。


「これから、どこに行けば……ひゃっ」


 キュラスは、何かを蹴飛ばした。じゃらっと音が鳴ったそちらを見ると、口の開いた財布が落ちていた。中に、折り畳まれた紙が入っている。


 紙を持ち上げて開いてみると、それは地図だった。

 どうやら、ここは孤島らしい。キュラスは自身が連れてこられる際に、船に乗せられていたことを思い出した。

 地図の中、島の東の方に印がつけられている。船のマークが描かれているあたり、船着場なのだろうか。

 行くあてがないキュラスは、とりあえずそこに行ってみることにした。大きな船に潜めれば、別のところにいけるかもしれない。


 地図が折り畳まれて入っていた財布を、ちらと見る。


 キュラス自身はお金というものに良い思い入れは無い。親が欲しがるもの、という認識しか無かった。

 財布は置きっぱなしにして、地図だけ持って去ろうとした時、ふと、ロキシニアの言葉を思い出す。

 彼女は、一番大切なのは結局金ですよと言っていた。


「……もっていこう」


 誰のだか分からないその財布を手にとって、彼女は赤い光が射す空の方へと向かって走り出した。


 キュラスはまた一人で進む。

 ただ、先程と違う点が、1つあった。

 一歩(あゆ)むたびに、懐の財布の中で、硬貨の擦れる音が鳴るのだ。

 命も、熱も無いその同行者に、キュラスはほんの少しだけ、孤独感が軽減されていた。


 地図のマークのところにたどり着いたキュラスは、船を見つけた。ただ、誤算だったのは、船着場というほど大きな場所ではなく、桟橋であったこと。

 モーターボート程度の、小さめの船が1つだけ、橋に繋ぎ止められ、波でゆらゆらと揺れている。


「どうしよう、舟、どうやってうごかすんだろう」


 近づいて、ポツリとキュラスがそう言うと、突然、船のハッチが開いた。

 中から、男が這い出てくる。頭まですっぽりと外套に身を包んだその男は、目だけを覗かせて、ギョロリとキュラスに視線を送ってくる。

 怪しげな風体のその男が突然現れたことに、キュラスはびっくりして、身を縮み込ませていると、その外套の男は低い声で言葉を発してくる。


「あ゛? ガキなのかよ。聞いてた話と違う、いや、確かに女だが……なぁ、お前あの施設から逃げてきた脱走者だよな」

「え、……は、はい」

「マジでそうなのか。仕方ねぇ、幾ら出せる?」

「いくら、え? なにを」

「誤魔化すんじゃねぇ、金だよ金ッ! 盗んで大金持ってんだろ!?! こちとら国に逆らってここ来てんだよッ! ねぇってんなら殺すぞ! 」


 キュラスは豹変した男の怒鳴り声に恐怖した。ヒュッと息が漏れて、震えながら慌てて自身の懐を探る。

 先程拾った財布を差し出すと、男はそれをひったくり、中身を見る。


 男から、下衆た笑い声が聞こえた。


「大金貨が十数枚、金貨も数枚……へっ、200万くらいか。舟を出してやるよ、ガキ。逃げた先で捕まっても、盗んだ金を俺に渡したことはゲロるんじゃねぇぞ」

「あ、ありがと……あっ」


 男はキュラスの腕を掴んでくると、舟に連れ込む。

 甲板に引き倒されたキュラスが、後頭部の痛みに悶えている間に、舟は機械のエンジン音を吹かせ始めた。


 陸からどんどん離れていく舟。

 キュラスは頭を持ち上げて、船の舵を取る男の背を見る。先ほどの男の憤怒を思い出して、彼女は身震いした。


 財布を拾ってなかったら、酷いことになっていた。


 その実感と共に、湧いてきたのは喜びと、寂しさだ。

 ふと、キュラスは自身の胸中に広がるそれらの気持ちに疑問を覚えた。


 登りかけの日の出の方に進む舟、その背後、沈みかけている月を見る。その下には、ほんの1日過ごしただけのあの施設がある。

 自由を得た代わりに、孤独になったから、こんな気持ちになるのだろうか。


 だが、寂しさがちょっと違う気がする。

 また、1人と今から分かれなくちゃならない。そんな感じの寂しさで……。


 チャリ、と硬貨の擦れる音を聞いて、キュラスは振り返る。自身を励ましてくれていた命無き同行者は、男のじっとりとした視線に晒されていた。

 キュラスを、首を横に振った。ただの無機物に、そんな気持ちを抱くはずがない。

 そんな言い訳で、諦めようとした時、男から信じられない名前が伝えられた。


「へぇ、ガキ、テメェ”ロキシニア”って名前なんだな」

「……え?」

「この財布に名前が縫われてるからよ。ああでも、これも盗んだ財布なのか? 良い作りだなぁ、金はこいつごともらうぜ」


 ばくん、と、キュラスの心臓が震えた。

 ……そうだ、何故、ダクトから出てすぐに、そんな財布があった?

 なんで、地図が都合よく入っていて、大金が入っていて、ここにこの舟を持った男がいた?


 大抵の人にとって、簡単に結びつけられるであろう、それらの出来事が、幼い彼女には今初めて繋がって見えた。


 涙が出てくるキュラスの脳裏に、大金庫室の中で彼女に向けられた、ロキシニアの叫びがリフレインする。

 その財布は、ロキシニアから差し出された”ハンカチ”とおんなじだ。泣き喚いた結果、彼女がキュラスに差し出してくれたものだ。


 キュラスの手が震え、そして────



 月が完全に沈んだ頃、キュラス達を乗せた舟が、とある桟橋に着いた。

 男は、ふんと鼻を鳴らして、キュラスに告げた。


「ついたぞ、ガキ。降りろ」

「……あたしをここまでつれてきてくれて、ありがとうおじさん。ところで、ききたいことがあるの」


 男は、ぴくりと眉を動かした。

 キュラスの様子は、舟に乗った時と明らかに違う。

 伸ばした背筋や目から、怯えは微塵も窺えず、顔は前を真っ直ぐに見ていた。


「このふねにのせてもらうの、ふつうなら、いくらぐらいなの?」

「あ゛あ゛? なんだ、全部取られるのに文句あるのか? 普通ならそりゃ、大金貨1枚ありゃ多いくらいだが、命が助かったってのにつべこべ言うんじゃ──」


 跳び上がったキュラスから、男に向けて蹴りが飛んだ。

 上体を蹴飛ばされた男は、その身を強張らせる、その隙に甲板に着地したキュラスは、彼の緩んだ手から財布を抜き取った。


 そのまま、彼女は男の膝の甲を撃ち抜くように蹴飛ばすと、足のひらで彼のもう一方の膝の裏を引く。

 斜めに崩れかけた彼の身体、降りてきた背中側の外套を掴んで、海へと背負い投げるように放り込んだ。


「ぽがっ、く、なにし、がぼっ、なにしやがるっ! このガキっ!」


 キュラスは財布を漁ると、大判の金貨を1枚取り出し、男に向けて投げる。

 水中の男の額に大金貨が叩きつけられてすぐ、彼女は叫んだ。


「あたしは、もう、なんにも、あきらめない……あんたなんかにッ! これいじょうわたすものはない!」


 男の怒号を背に、キュラスは、走り出した。

 一歩前に出るたびに、財布の中で金貨が揺れる。

 冷たいはずの硬貨が、熱を持っている気がした。


 あたしも、お金をあつめる。ロキシニアさんとおなじものを、あたしがしあわせになるためのものにする。それで──


「あたしは、ほかの人いじょうの人生を、すごすんだっ!」


 太陽の射す方、金の光が眩むような行き先に向かって、彼女は走って行った。




 そして、彼女の全身に()()()痛みが走る。走馬灯は途端に見えなくなり、自らの瞼の裏の暗闇に変わる。

 意識が覚醒してすぐに、キュラスは現状を思い出すと、立ち上がり、目を開けた。


 傷口の開いた口内に貯まる血を吐き捨て、目を開くと飛び込んできたのは、2人の男、イナバと神官服の男。

 そして、神官服の男が持つ金のハンドベル。


「あはははははっ!!」


 思わず、キュラスは笑ってしまった。

 あの日から、15年間も経過したというのに。今、自分はその程度のものを手に入れるために、一月以上も命懸けで、この迷宮に潜っていたのかと。

 300万? 1000万? 上の階層の黄金の鐘を含めても、まるで()()()()


 男2人から向けられる奇異の目を微塵も気にすることなく、キュラスは言った。


「あー、ダメだね。初志は度々振り返らなくっちゃ。いつの間にか妥協してたねぇ……アンタに、感謝するよ。思い出せた」


 キュラスの手に、炎の柱は無い。にも関わらず、彼女の瞳には炎が映り込んでいた。


 神官服の男は手に持つ金の鐘を、キュラスへと振るう。そして、自身が振り抜いたその手を見て目を驚いていた。本能的に振るってしまった。そんな様子だ。


「な!……はっ?」


 鐘を振るった先、音が消える。そして、衝撃が抜ける頃には、キュラスは消えていた。

 困惑する神官服の男の右横を、足音が通過する。


 音の方に神官服の男が慌てた様子で首を向ける。彼と、イナバのちょうど中間。そこにいたキュラスは、非常に落ち着いた様子で、イナバに話しかけた。


「イナバ、アンタは特に怪我増えてないね。やれる?」

「……ああ。だが、策は無い。どうやって奴を殺す」


 唖然としている神官服の男、その体表や皮膚の下では、今だに鉄触手の神器がひしめき、サリサリと鉄の擦れ音を鳴らしている。

 攻撃は、通らない。なら。


「殺さないよ。第一、アタシあんま人殺したく無いんだ。さっきまではその気持ちも妥協してやってもいいかと思ってたけど、もう、そんな気はないよ」

「……気持ちの問題なら、俺がやる方法を」

「いや、アンタもやる必要ない。()()()()()()()()()()()()()()()()()


 イナバは、息を呑んだ。視線は一瞬だけ視線を天井に送り、すぐにキュラスへ。

 彼は、彼女の言いたいことを全て理解したようだ。

 彼は頷いた。


「オレが、”戻す”役をやる」

「アタシが”崩した”後にね。頼んだよ、イナバ」

「ああ」


 キュラスも、満足して頷くと、次に彼女の瞳は神官服の男を見据えた。

 男は明らかに動揺していた。彼女の姿は異常さを考えれば無理もない。


 彼女は、口の端から血を流し、腕は片方折れている。彼女の赤い髪には、別の色の赤が重なっていて、足にも腕にも顔にも、無数の痣があった。

 しかし、眼は輝いている。

 昨日今日感じた全ての激情が、大したもので無かった。と断言できてしまいそうなほどに、彼女は心が燃えていたからだ。


 神官服の男は、心底理解できないといった様子で、彼女に語りかけてくる。


「殺さない? ワタシ自身に殺してもらう? 何を言っている。いや、それよりも! 命を失う恐怖は無いのか。なぜオマエはそんな状態で、そんな目ができる!?」

「なぜって。決まってるじゃない」


 キュラスは、道理を知らない子供に真実を教えてあげるが如く、一点の曇りもない笑みを浮かべて言った。

 

(かね)のためさ」


 キュラスの(かね)に燃える瞳と言葉が伝えてくる、澱みない熱意に、神官服の男は青筋を浮かべて、眼を見開いて叫んだ。


「っ、この、気狂いがァッ!」

「アンタに言われたくは無いね、クソ野郎!」


 3人は、自身の目の前の怪物を殺すために、動き出した。

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