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神器の罠

 迷宮の罠には2種類ある。


 一つが物理的な罠。

 落とし穴や押し寄せてくる壁、高速で射出される石など、どれもこれもまともにハマれば命を失う危険のある罠だ。

 しかし、それらは物理的なギミックによって作動する都合、魔物が勝手にかかったり、何も無いところで誤作動を起こしたり、そもそも地面に起動板が露出しているので、明かりで照らしながら慎重に進めばまず引っかからないといった、構造上ヒトに有利な点も数多くある。


 よって、真に危険なのはもう一つの方。神器の持つ摩訶不思議な力を源泉とする″神器の罠″だ。

 迷宮の下層にしか発生しないその罠は、人が10メートル以内に来た瞬間に周囲の大気を三千度にまで加熱したり、一定間隔でそこ以下の階層が全て水没するほどの量の水を出して魔物も人も問わず皆殺しにしたりと、理不尽を叩きつけてくる。

 迷宮によってその罠は異なる都合上、先駆者のいないこの迷宮では、実際に眼にするまでどんな罠かは未知である。


「この4層に、神器の罠がある可能性は高い。心してかからないとね」

「ああ」


 地図に道を記録済みの二階層、三階層は、あっという間に走破できた。

 そして、今、完全に未探索の四階層に、二人は降り立っていた。


 キュラスは、細い火柱を片手に辺りの脇道を目にする。彼女には地図にまだ写していないその道達が、自身を冥府へと手招きしているように見えた。


 顔剥ぎ蠍(カオハギサソリ)や、落とし穴、そんなものよりも何倍も恐ろしい″未知″がこの先には待っている。

 

 彼女はごくりと喉を鳴らし、無理矢理、笑みを作った。

 その未知さえ乗り越えれば、求める未来があると分かっているのだ。臆するつもりは、彼女にはなかった。


 床や壁の異常を見落とさないように目を皿にして歩き、時折、止まって地図をマッピングする。物理罠のスイッチを見つけたら、近くに転がっているもので動作させ、どんな罠か確認する。


 地図に筆を走らせていると、イナバから声をかけられた。


「警戒役と地図係、分担してやらないか? 俺も、君を手伝いたい」

「しないよ、アンタの腕信用できないし。アタシはアタシでやるさ」

「…………分かった。でも、警戒は君の分もしておく。いつでも地図に没頭してくれて構わない」

「はいはい。満足するなら勝手にやってていいさ。ほどほどに頑張りなよ、雇い主サマ。自分の命を落とさない程度にね。死なれちゃ困るから」


 キュラスはそっけなくそう返すと、通算3つ目となるスイッチを見つけたので、動作させて、それも地図に記録する。

 魔物とも出会わず、比較的順調にマッピングできていることに、彼女は拍子抜けしかけていた。


「地図が全体の1割くらい埋まったけど。ここまで何も起きないのは逆に不安だね」

「君の日頃の行いが良くて、こうなっている可能性は?」

「……あんた結構トンチキなこと言うね。そんな自信は無いさ」


「そうか、なら、これから何か起きそうだな」と真面目くさった顔で言うイナバに、キュラスは脱力する。


 こいつ、真面目なんだか、馬鹿なんだか。両方か。調子が狂うね。


 キュラスが長めのため息をついて────と、その時だ。ゴゥーン、ゴゥーン、と鐘の()が迷宮内に響いた。

 キュラスは地図を急いで腰にしまい、火柱を構える。


「変わった音色だ。神器の罠の作動音か?」

「音は随分遠いけど…………油断しないこったね」


 起動は遠くで起きたようだが、なにせ、理不尽の権化、神器の罠だ。遠くで作動した罠の余波が、ここまでやってきてもおかしくは無い。


 キュラスは姿勢を低くしつつ、耳をすましてその鐘の音を注意深く聴く。

 鐘の音はずっと響き続けてはいるものの、徐々に音量が小さくなっていき、やがて、消えた。

 キュラスはキョロキョロと辺りを見回した後、一言小さく呟く。


『特に何も……ッ!?』


 発したその声は、空気中に響かなかった。

 キュラスは地面をゆっくりと足で擦った。足裏に衝撃が返ってくる感覚はあれど、土の擦れる音が聞こえない。

 

 イナバの方を向くと、彼も、異常には気がついたようだ。顔を見合わせて、頷く。


 音が消えている。


 認識を共有すると、動きを止めて、周囲にゆっくりと視線を送った。

 他に異常は無い。そう思った途端、キュラス達の前方はるか先、道の曲がり角から、灯りが漏れてきた。キュラスはすぐに気がつき、そちらの方をじっと見つめる。


 角から現れたのは、ランタンを手にした冒険者達だ。


「…………!」

「……!!!」


 男女混合、重そうな鉄鎧を着た4人のその冒険者達は、皆血を流していた。

 顔から様々な体液を垂れ流しつつ、懸命に助けを求めるようとしているのか、口を限界まで開いている。怪我のせいか、足もどんどんと遅くなっている。

 彼らは明らかに、危機的状況の中にいた。


 何かから、逃げている?

 瘴気を感じないから、魔物ではないだろう。

 "何か"は間違いなく、神器の罠による産物だ。


 幸いなことに、キュラス達のすぐ近くには、隠れられる脇道があった。そこから様子見するのが安全だろう。神器の罠の詳細も知れるかもしれない。


 …………追われている彼らの手にある地図を見て、不要な責任感を覚えなければ、キュラスはそうしていただろう。


『ちっ』

『キュラス!』


 キュラスは、イナバへと脇道に隠れるようハンドサインを送りながら、前方へと走り抜ける。

 後方でイナバが伸ばした手には気がつかず、彼女の視線は冒険者達の向こう側、彼らが出てきた曲がり角へと向かっていた。

 角から出てくるものの正体について、キュラスは様々な可能性を考えながら、突き進んだ。何が出てきても、右手のこの火柱の魔法は焼き尽くしてくれるはず。


 その想定が甘かったと分かったのは、角から何も現れないまま、冒険者達4人の胴体と顔に線が走ったこの瞬間だった。


『は?』


 血を被りながら倒れていく彼らを前にして、キュラスは足を止めた。

 命だった飛沫が、キュラスのところまで跳んでくる。


 彼女の思考が、その想定外に追いつかない。


 バラバラになった顔の、転がり落ちた瞳と目が合って…………思考が形を成す前に、彼女は二歩身を引いた。冒険者としての経験が、彼女の身体を突き動かしたようだ。

 

 彼女の足があった場所に血の飛沫が飛んでくる。

 その飛沫が、()()()()()様子を目にして、彼女はひゅっと、息を吐いた。


 氷を背中に差し込まれたが如く、血液が急激に冷えていく。


 角の向こうじゃない。

 見えもしない、音もしない、が、すでにここに”何か”がいる。鎧を纏った者を、一瞬で殺せるような存在が。


 彼女は優秀な冒険者だ。自己の生命の危機を正確に感じ取り、恐怖が心底から這い出てきたその時、彼女は大きな叫びをあげた。


『ああぁぁッ!!』


 キュラスは一歩も動かず、炎の柱をやたらめったらに振るう。

 だが、炎は空気以外のものを焼かなかった。


 次の瞬間、炎の柱は切り裂かれ、彼女の唇も縦に切れた。


 唇を覆うぬるぬるとした感触が、彼女の脳内で傷と結びつかない。広がる痛みが一定値を超えて、彼女はようやく切られたことに気がついた。


 なんだい、いったい。これの正体は!?


 正体不明の”斬撃の怪物”。対峙から5秒近くも経ってなお、人間を一瞬でバラバラにできるような恐ろしい力を持っていること以外、何も分からない。

 キュラスは逃げていた冒険者達の気持ちが心で理解できた。逃げるという選択肢しか残されていなかったから、恐怖に叫びながらそうしていたのだ。


 彼女も、恐怖した。

 彼女も、足がすくんだ。


 彼女の手が震えた。


 そして、青くなっていた彼女の顔は、真赤になった。


 分からない、どうすりゃ、こいつを────ぶっ殺せるんだい?!


 キュラスは激昂した。

 一方的に(なぶ)られて、痛みと恐怖だけを与えられて……それを与えてきてる何者かが、『お前はこうされれば、ごめんなさいと謝るんだろ?』と言ってきているように感じたからだ。


 自らの衝動を紅蓮に燃やし、今の彼女は、もはや反骨心と逆鱗だけで構成された怪物となった。理性が飛んで、出てきたのは短角的な回答である。


 全部焼き尽くしてやるよ。


『空気ごと、全部ッ!』


 キュラスの右手、火柱が赤みを増した。彼女の怒りを宿したかの如く激しく揺らぎ、周囲の酸素を急速に消耗してゆく。

 もし、音が聞こえていたのなら、彼女自身にも耐え難いほどの燃焼音が鳴り響いていただろう。


 光となった火柱を彼女が振るうと、辺り一体が、白く染まった。


 熱波が駆けて、空気が揺れる。

 白の光は瞬く間に赤になり、炎となって道に充満する。20歩程度先の冒険者達の遺体の一部をも焼き、炭色へと変えた。


 焦げの香りが漂って、そして、炎の中から現れた彼女は、右手を少しだけ焦がしていた。

 その手に、炎の柱はすでに無い。

 

 何という、強力な力だろうか。彼女が使った炎の柱の魔法、【炭追(すみお)い】は〈操作(コントラ)〉の呪文を含む魔法であり、それは、思念による魔法の操作を可能にする呪文だ。魔法名によって定められた限界を超えない程度に、色や形状、そしてエネルギー量を思念により変動させることができるようになる。

 この結果はまさしく、彼女の怒りが魔法に伝わった結果起きた、通常あり得ないほどの大火力だ。


 冒険者達を殺し、彼女を襲った怪物の正体が透明なデカブツだったとしたら、あるいは、空気そのものだったとしたら、その火力は意味があっただろう。


 ────新たな傷が生まれ、キュラスは吐血した。


『…………っ』


 どれほど強力な力でも、通じないものは通じない。

 吐き気を感じてえずく彼女の口元から出てきたのは、吐瀉物とぬるりとした血液だ。


 口内をズタズタに切り刻まれた。そして、右腕にもまっすぐ浅い裂け目が入った。両方とも、たった今の出来事だ。

 まだ、怪物は生きている。


 彼女の怒りは、無意味だった。

 

 なんだ、何だい、本当に。どこにいるんだ!? 力が抜ける。怖い──いや、怖がってたまるか。ぶっ殺してやる。 ぶっ殺してやるッ!

 

 腕から流れる血液は我慢して、口は閉じる。目を血走らせて、怒りはおさまら()ない。

 弱気を出さない、戦うことは、諦めない。大怪我を負っておきながら、その闘志は立派と言っていいが、通用しないものを通用しない相手に叩きつけようとするその理のない姿勢はいただけない。

 彼女は明らかに死への道を歩いていた。


 消えてしまった魔法を唱えるために、血を嚥下して、息を吸う。

 大きな声で、呪文を唱えようとして。


 そんな彼女を、背中側から何かが抱きしめ、手折(たお)るように地面にゆっくり押し倒した。


『な…………んぐっ?!』


 ”怪物”が後ろから襲ってきたのか。

 いや、そうではないようだ。キュラスの口が手で塞がれる。乾いて表面が固くなっているその手は、男性の手。見た覚えはないが、誰の手なのかキュラスにはすぐに分かった。


 イナバ!?

 

 地面に伏せされられた状態で顔を動かすと、イナバの顔の顔が見えた。予想は当たりのようだ。

 何故か彼は鎧や籠手を脱いでおり、厚手の皮の服を着た状態になって、彼は彼女の背にのしかかっている。

 キュラスは、さっきまで覚えていた怪物への怒りを瞬く間に忘れ、さっと顔を青くした。


 嘘だろ、コイツ、この状況で(サカ)りやがったッ?!?!


 キュラスの胸の中、怒りよりも先に困惑と混乱が湧いてくる。

 ジタバタもがこうとしても、叫ぼうとしても、背中からがっしりと押さえつけられて口も塞がれている彼女のその行動は結果を産まない。


 彼女は涙目になって……すぐに、その目を鋭いものに変えると、イナバを睨みつける。突き刺すような視線をしばらく送る。


 そこでようやく彼女は彼が浮かべている、真剣な表情に気がついた。

 情欲に突き動かされた様子は微塵も無く、彼女を見つめる目は、どこか心配そうにしている。

 ふと、彼女は思った。


 ……攻撃が、止んだ?


 動けない状況だというのに、体のどこにも、斬撃が浴びせられない。

 口の中で自らの血を味わいながら、冷静になった彼女は、ふと思考を巡らせた。


 いや、待てよ。なんでアタシの口の中が斬られてるんだい? 呼吸の時に取り入れた空気が、口を切った? でも、それなら何でアタシの右腕が斬られて、いや違う、斬られたのは腕じゃなくてアタシの魔法? それに腕が巻き込まれた。やっぱり空気が怪物の正体?

 いや、今斬られない理由にならない。呼吸してるし。それに、最初にアタシの方に飛んできた血の飛沫が斬られた理由は?


 ひたすら考える中で、背中のイナバが、彼女の口を押さえている手とは逆側の手に石を持って、道の端に転がる別の石に向かって投げた。


 見事に命中して、音無く弾かれて、投げた方の石は地面に転がる。そして一拍遅れて、()()()()()()()()()()()()()()()()


 キュラスは、目を見開いた。


 そういうことか!


 イナバの方を向いて、キュラスは頷く。すると、彼女の口元を塞いでいた手が外された。

 そして、二人はゆっくりと立ち上がると、道の端に座り込んで、この音の無くなった世界の中で、静かに神器の罠の効果が終わるのを待つことにした。

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