昨日の敵は今日の金づる
イナバの目が覚めてから1分後。
彼の顔に向けて、キュラスは手をかざしていた。
「宣言、1鎖。《水》。【そいやっ】」
キュラスがそう締めくくると、彼女の手から伸び始めた青白い鎖、呪文鎖が砕け散る。彼女の手から発生したバケツ並々分くらいの量の水が、勢いよくイナバの顔面に叩きつけられた。
彼の目に付着している、固化した麻痺毒は洗い流され、ゴホゴホ咳き込む彼の口内からも、同じものが剥がれ落ちてゆく。
濡れ鼠になった彼を見ながら、キュラスは心底楽しそうに、腹を抱えて笑った。
「あはは! 適当な【魔法名】だったけど、《水》の引き出され方が丁度いいじゃないか! 嫌がらせの魔法として教科書に乗せるべき傑作さね。はははっ!」
目の前のイナバを馬鹿にするように、両手を叩いて甲高い笑い声をあげるキュラス。
挑発的な彼女の前で、イナバは沈黙して、座っている。
キュラスは嘲笑うように言葉を続けた。
「大体、たかだか顔剥ぎ蠍2匹相手に死にかけるとか。魔物の下調べしなかったのかい? 冒険者失格だよ。…………おっとぉ、アンタは先に人間として失格だったね! 泥棒野郎! おらっ!」
座るイナバの周囲を歩きながら、時折キュラスは彼に軽い蹴りを放つ。
緩慢に足を押し込むその蹴りは、肉体にダメージを与えるのを目的としているのではなく、挑発して相手を怒らせるためのものだと推定できる。
彼女は品性を自宅に置き忘れてきたのだろうか。ヒトの醜さの化身。非道い有様だ。
加害者と被害者が逆転した空間の中で、現被害者のイナバは、鎮痛な面持ちで沈黙していた。髪から滴る水滴を拭うことも、首から下、重厚な鎧に入り込んだ水を掻き出そうともしない。
一向に憤る様子を見せない彼に、キュラスは段々と笑みを消してゆく。
周りを歩くのをやめて、イナバの前で足を止めると、彼を見下ろしながら、彼女は不満げに口を開いた。
「【魔法消去】を使って水を消すくらいしたらどうだい。いじめてるみたいでスッキリしないよ。男の癖に、アタシに殴りかかるくらいの気概も無いのかい」
「流石に、命の恩人に殴りかかれはしない」
イナバは暗い表情をそのままに、淡々と答えた。
キュラスは、自身が望む結果になりそうもないことが分かったようだ。はぁ、と長いため息を吐きながら、疲れたように肩を落とした。
沈黙がわずかに二人の間に留まる。
それを取り除いたのは、イナバの方だ。
「何故、俺を助けたんだ」
つぶやくようにその質問をしたイナバは、視線を、地べたに転がる2つの黒い塊へと送った。
それは、彼を殺しかけた魔物の成れの果て、炭化した顔剥ぎ蠍だ。
おそらく、《火》の魔法で倒されたのだろう。
「君は、俺のことを恨んでいたはずだろう」
黒い塊に視線を送りながら…………いや、キュラスの顔から目を逸らしながら、そう問いかけるイナバ。
正面に立つキュラスは、彼を見下ろして腕を組んだまま、眉間に皺を寄せて呆れたように言葉を吐き捨てた。
「そりゃアタシは、ご想像通り、アンタのことを恨んでるさ。アンタにはこれから食べる全ての食事で食当たりしてほしいし、本を読む時に紙で全部の指の爪の間の肉を切って欲しいし、住居が全焼して欲しいとも思ってる」
「想像していたよりも恨み方が具体的だが…………なら、なおさら」
「でもね」
一瞬だけここではない、どこか遠くを見るような目をして、キュラスは答えた。
「アタシだって、死んじまった奴の前で、自分にどうにかできなかったのかって思う心くらい持ってるよ。アンタを助けたのは、アタシ自身がそんな思いをしないためさ」
その言葉を聞いたイナバは、視線を、キュラスの顔に移した。
彼の瞳孔が少し開いて、そのまま彼女の顔をじっと見つめる。
キュラスは不快感を露わにした。
「なんだい? 見つめてきて」
「いや、君は、優しいな」
キュラスは腕組みを解いて、眉をハの字にしたまま眉間の皺を消す。
彼女はかわいそうなものを見る目を、イナバに向けた。
「アタシが優しいって…………アンタ、世界の全てに愛されずに今まで生きてきたのかい」
「…………愛してくれた家族はいたし、いる。俺が迷宮に潜ったのも、その家族を助けるためだ」
真面目な調子でイナバに言葉を返されたキュラスは、その内容に思うところがあるようだ。むっとした顔をして、「家族ねぇ」と呟いた。
彼女があまり良くない思い出を脳裏に浮かべている間に、イナバは手と額を地面に伏せて、頭を下げた。
「助けてくれて、本当にありがとう。そして、地図の件をどうか詫びさせてくれ」
「言葉で詫びても許さないよ。金で償いな」
片手で手招きのジェスチャーをする即物的なキュラス。それを見ることもなく、イナバは地面に頭を伏せたまま、冷静に返答した。
「払える金は無い」
「本気でクソ野郎なことを言い出したね」
「すまない。その理由も含めて、これまでのことを全て君に話したい。いいだろうか」
「…………ま、地図をどうやってパクったかとか気になるし、聞いてやらなくも無いよ。でも、そのまま話す気かい?」
「……俺も立って話すべきか?」
キュラスはため息をつくと、土下座を続けるイナバに手を向けた。
「【魔法消去】」
キュラスがその魔法名を唱えると、彼女の手から目に見える波動がイナバへと飛んだ。
キン、とガラスの割れるような金属音が鳴ると、イナバの濡れていた全身が、乾いた。
キュラスは丁寧に座り込むと、言った。
「濡れ鼠のまま、顔も合わせず話すのは失礼と思わないのかい。面上げて話しなよ」
「! ああ、ありがとう。すまない」
イナバは下げていた頭を上げて、話を始めた。
彼がこの迷宮に潜る理由や、キュラスの地図を盗った経緯、そして、協力者である神官服の男について。
◆◆◆◆◆◆
時刻は、イナバが迷宮の第二階層でキュラスにそれまでの経緯を話し始める、その1時間ほど前に遡る。
場所は、迷宮の第一階層。
傷ついたリスの魔物が、時折壁にもたれかかりつつも、なんとか歩みを進めていた。
数時間前にこの迷宮へ落ちてきた彼女は、落下によって折れた左足をなんとか動かして、牛歩だが着実に、目的の場所である階段へと向かっていた。
いつもなら、第一階層には多くの冒険者がいて、彼女は既に骸となっていただろう。
だが、今日は違った。彼女が今日出くわした冒険者はほんの数人。
それも、全員が地下へと向かうか、あるいは、地下から得るものを得て上がってきた者ばかり。迷宮の外でも容易に狩れる種である彼女を狩り、その身体の一部分で荷物を嵩張らせようと思う者は一人もいなかった。
冒険者組合の規則に従って、彼女を駆除する者がいなかったのは、純然たる幸運だ。……その痛ましい姿のおかげかもしれない。
血の跡をつけながら進む彼女は、曲がり角を曲がって、ようやく探していた階段を見つけた。
その下り階段までまだ30メートルはあるが、彼女は人の感情で言う『喜び』を確かに感じていた。
折れた足をなんとか動かして、これまでより早い速度で階段に近寄る彼女。
その時だ、階段の下から、人の声が響いてきた。
「……ったく、2回目の探索は散々だったぜ。テメェが地図を無くさなきゃ、もっと早く一階まで来れたってのに」
「だから、違うって言ってんだろ! 地図は消えちまったんだって! 取り出す時、千切れたと思ったら、なんか光って、消えてなくなったんだよ!」
「言い訳にしても適当だな」
リスの魔物はびくりと身体を跳ねさせた。
階段を上がってきた3人組の冒険者は、声にイライラとする気持ちが乗っていた。言葉の棘の先が自身に向かないように、彼らが気がつく前に、彼女は両手で頭を抱えて道の端に身を縮みこませる。
だが、その努力も虚しく、冒険者たちは彼女を発見し、そして鬱陶しいものを見る目を向けてきた。
「瘴気…………大栗鼠がいるな」
「ちょうどいい。殺す前に何回か殴らせてくれよ。 本当に無くしたんじゃねぇのに、ご信頼してたお仲間様お二人に疑われて、イライラしてんだよ」
「分かったって、信じてやるよ。だから、とっとと仕留めるぜ。帰って、豪遊すりゃお前の気持ちも治まるだろ。一度目潜った時との報酬もパーっと使ってよ」
「ちっ……分かったよ」
言葉の意味が分からなくとも、リスの魔物は自身に向けられた殺気を感じ取り、震えた。
冒険者達が近づいてくる。足を怪我した彼女には逃げようがない。
一か八か、その短い爪で冒険者達を倒そうと、伏せていた顔を上げて────
────視線の先の脇道から現れた鉄の触手が、冒険者のうち二人を串刺しにした。
「ごっ」「ゔ?」
「…………は?」
一歩後ろを歩いていた一人を残して、先を歩いていた二人は鉄の触手に頭を貫かれたまま中空に持ち上げられる。
触手がしなり、大きく揺れると、二人の遺体はすっぽ抜けて地面に転がった。
唖然とする遺された一人。
状況をまるで把握してない彼やリスの魔物の耳に、脇道から新たに現れた男の声が届いた。
「ああ、死んだ、死んだぁ。こんなところで死ぬってことはぁ、神に選ばれてないってことですよねぇ」
血の匂いの中にふさわしくない、曲線的な笑みを浮かべて現れたのは、神官服を着た男だ。
その男は、片手にランタンを、もう片方の手に剣を持っていた。
いや、剣と呼んでいいのだろうか。平たい金属製の触手が、柄から何枚も生えているそれは、刃の付いた鞭が幾つも重なっている武器、と呼んだ方がいいかもしれない。
そこから伸びる何本もの金属製の触手は重力に逆らって刃を煌めかせ、その刃先のいくつかを、遺された男へと向けた。
遺された男は、やっと、仲間二人が殺されたことと、それを目の前の神官服の男がやったことを理解したようだ。
油を含む大粒の汗を顔面に表出させ、震えながら叫んだ。
「なんだっ! なんだテメェはっ!?」
「名乗るほどの者ではありませんねぇ。次はワタシの質問の番ですね。あなた達四階には降りましたかぁ?」
「よ、四階……? ひっ」
金属の触手の一本が振るわれ、彼の耳を掠める。
怯える遺された男へと、神官服の男は優しげに問いかけた。
「正直に答えてくださいなぁ、答えてくださればぁ、助かりますよぉ」
「っ、行ってねぇ! 俺たちは三階で魔物を狩ってただけだ、だから殺すな──」
「役立たずですねぇ」
鉄の触手が三本、三方向から男を貫いた。
血反吐を吐く暇もない。三本の触手は男を引き裂き、あっという間に分断された肉塊へと変えた。
引き裂いた触手とは別の鉄触手を傘がわりにして血の雨を防ぎながら、神官服の男はブツブツと呟いた。
「四階にあるはずの神器の罠、そろそろ誰か正体を掴んでいるでしょうかぁ。地図の動きから見て、即死系の罠ではないと思いますがぁ、”何かから逃げている”ような動きが気になりますねぇ。…………イナバさんのランタンは、二階の同じ場所で止まってますし。死んでしまいましたかね、もし生きてて鉢合わせると弁明やらが面倒なのですがぁ。ああ、考えることが多いぃ」
足元に転がる肉片を蹴飛ばして、神官服の男は”話しかけた”。
「イナバさんのランタンがある道は通らないようにするとしてぇ。現在二階三階にいる冒険者達達のうち、どれが先ほど4階に降りていた地図なのか分からないんですよねぇ。やはり一組一組聞いて回るしかない…………貴方もそう思うでしょう?」
唐突に、神官服の男はリスの魔物に顔を向けた。にこやかな笑みを浮かべているその男だが、彼女はその顔を目にして、本能的な危険を感じていた。
先ほど、冒険者3人に向けられていた殺意とは異なる、粘りつくような殺意が、彼が柔らかに語る言葉から漏れ出てきた。
「大栗鼠、弱い魔物だぁ。足の怪我も痛そうですねぇ。しかも、そんな怪我をしているってのに、神器に釣られて迷宮を降りようとしている阿呆ときました」
ゆっくりと、その神官服の男はリスの魔物へと歩み寄ってくる。
「もう、死の定めが決まっているも同然の、下等生物。神に選ばれているわけがない。選ばれているわけが無いのに…………」
ランタンの炎に照らされている、不規則に動く鉄の触手。それらが、一斉にリスの魔物の方へ刃先を向けた。
彼女は自らの足が折れていることも忘れて、背を向ける。痛みを無視して駆け出して。
その後方で、神官服の男は、怒りを露わにして叫んだ。
「命を持ってちゃダメだろうがッ!!」
殺到した八本の触手全てに追いつかれたリスの魔物は、全身を貫かれて即死した。
彼女の骸を睨みつけた神官服の男は、今までの作り笑いとは全く異なる、心底安心したような自然な笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ、それが正しい。あるべき姿……ですねぇ」
柄から伸びる八本の触手は、魔物の遺体から引き抜かれ、縮んで神官服の男の元へ戻ってゆく。
神官服の男は興奮した様子を隠さないまま、人と魔物の骸たちに背を向けて、降りる階段へと歩みを進めた。
ランタンが闇を照らしても、彼が手にもつ鉄触手達は、赤黒い血に濡れているせいで輝きを返さず、ただただ鈍く照っている。
にこやかに笑う彼の瞳も、濡れたカラスの羽のような、鈍い黒さを露わにしていた。
「くひ、くひひひ。幾つもぉ、幾つも神器を手に入れ、神の目に留まる。その時こそ、ワタシは……」
◆◆◆◆◆◆
話は戻り、第二階層の、とある通路。
イナバのこれまでの話を聞いたキュラスは、イナバに話を持ちかけてきた神官服の男の話を聞いて、こめかみを震わせていた。
「なぁるほど、つまり、冒険者組合でアタシを煽ってきたあの男が悪いやつで、アンタはそれに騙くらかされた被害者ってわけかい」
「…………いや、俺は被害者じゃない。自ら進んで手を貸して、そして、君を傷つけてしまった」
キュラスは立ち上がり、自身のズボンの尻に付いた土を払いながら、口角を上げる。
「ああ、分かってんだね。『そうだ』って言ってたら殴ってたよ。で、その経緯とかを、アタシに話した理由はなんだい?」
「…………恥を偲んで、君に頼みがある。姉の病気の金を工面するため、そして、あの男に人を殺させないために、神器を手に入れるのを協力してほしい。優れた冒険者の君がいれば、神器が手に入るはずだ。君の手にするはずだった金は、時間をかけて返すから……どうか、頼めないか」
キュラスは無言のまま、イナバをじっと見た。
兜を外した彼の顔は、存外悪くない。
年齢は25歳ほどだろうか? 少し無骨さが強いが、街中で隣を歩いていても恥じる要素は微塵もないくらいの顔だ。
……だが、ここは平和な街中ではなく、命の危機が一歩先にあるかもしれない、迷宮だ。
「お断りするよ。アタシは迷宮には独りで潜ると決めてるのさ」
他人と足並みを揃える。そんなことをするつもりはなかった。ただ独り先駆けるものこそ、もっとも大きな利益を得ると、彼女は信じているからだ。
彼女の思いを知らないイナバは、必死になって、キュラスに声をかける。
「君に、仲間はいないのか。だったら、なおさらだ。たった独りで潜るよりも、複数人で潜った方が安全だ。だから、俺と一緒に……」
「はっ。協会のお抱え共ならともかく、アンタがいても足手纏いさ。死にかけてたあたり弱そうだしね」
「ぐっ」
イナバは小さく唇を噛んだ。
魔物ほんの2匹相手に、死にかけたことは確かだ。彼は言い訳でも探すように、一瞬視線を右往左往させる。
だが最終的に、彼はまっすぐな目をキュラスに向けてきた。
「頼む。どうしても、助けたいんだ。姉さんは、父と母が死んだ後、俺の保護者代わりになってくれて……」
「同情を誘われても一緒に迷宮を潜るつもりは無い。もし、あんたが強かったとしても同じさ。アタシはアタシのためだけに神器を手に入れる。これは、絶対に曲げる気のない、アタシの信念だよ」
「……そう、か」
彼女の信念の強さが伝わったのだろう。黙り込んで項垂れるイナバを前に、キュラスは魔法を唱えて、右手に炎の柱を作り出した。
その柱で床に置かれたイナバのランタンとは逆の道を照らす。
「ま、話してみたら案外気持ちはすっきりしたよ。真に憎むべき相手もよぉく分かった。次に会うのはアタシが神器を手に入れて、地図を盗んだ実行犯野郎を煽る時だね……ん?」
その場から立ち去ろうとしたキュラス。
だが、神官服の男について口に出して、あることがふと気になった。
彼女は足を止めて、振り返った。
「あんた、薬代相当かかるって言ってたね。工面できる金集めても、半分に満たないとかどうとか。神器が手に入ったら、その男からいくらもらうつもりなんだい?」
イナバがここから北東にある大きな街、『王都』で手に職をつけていたというのなら、それなりに稼ぎはあるはずだ。
目の前の男は言動的に、貯蓄をしっかりする人種に思えた。知人から集められる金もそれなりにありそうなものだ。
それで半分に満たない金額とは…………薬代とやらはどれほどなのか、そして、いくらくらい神官服の男から貰うつもりなのか。
神器は冒険者組合でも取引できるが、五階層から成る迷宮の場合、その売却金額は相場300万ほどである。キュラスも神器が手に入った暁にはそのルートで取引するつもりだ。
それに少し色をつけたくらいが神官服の男からの報酬か? と疑問に思うキュラスへと、イナバは意気消沈したままの声色で、答えた。
「薬代と同じ額丸々と交換と言っていたから、1000万だ。君が協力してくれるのなら、俺の全財産分の400万をすぐに君に渡した上で、残り600万を時間をかけて君に返していくつもりだったんだが……仕方がない、君にそのような信念があるなら────」
──話している途中で、キュラスが両手を一度叩いて、高い音を出した。
音の方向、イナバの視線が向かった先で、彼女は金の瞳の下、黄金のような笑みを浮かべていた。
「──病気のお姉さんの話、感動したよ! アンタみたいな家族のために頑張る奴、アタシは大好きさ!」
「は? え?」
「ふふ、察しの悪いやつだねっ。アタシの信念を曲げてでも、金ェ!……じゃなくて、アンタの力になりたい。って言ってるんだよ! 手伝ってあげるよ。金のため! ……じゃなくて、お姉さんの病気を治すためにね!」
「金を取り繕うのが下手すぎないか、君は!?」
「ん〜? 助力いらないのかい?」
キュラスは胸を張って、踏ん反り返るが如く上体を逸らしてそう尋ねた。
イナバは困惑を隠せていない様子のまま、暗かった顔色を明るくしてゆく。彼女の言葉が自身の望んでいた返答であることを認識できたようだ。
「いや、そんなことはない。金目当てだとしても、助けてもらえるならありがたい。頼む」
「そうだろう? さ、善は急げだ。行くよ! アタシについて来な、弱々金づる男! 四階へ降りる階段までは、アタシが先導してやるよ!」
「ああ…………いや、その呼び方は、できれば変えてほしい」
あっさりと信念を撤回したキュラスの内心には、もはや恨みとか怒りとかは欠片も残っていなかった。この雑魚を最下層まで連れていけば、迷宮の走破報酬が3倍に増えるというのだ。暗い感情に思考を回す必要など無い。
炎の柱を片手に、ずんずんと進んでいく彼女を前に、イナバも慌ててその背を追っていった。