エピローグ
キュラス達が迷宮を走破したことは、瞬く間に街中に広まった。
落胆する者は多かった。
神器はもう手に入らず、迷宮に外から新たな魔物が入ってくることもなくなるせいで、これまでのように落下して弱った魔物を狩ることができなくなるからだ。狩場としての効率は大きく落ちることになる。
キュラスが冒険者組合の建物内に入ってくると、冒険者達は彼女に恨みがましい視線を向けてきた。
一斉に集まる敵意ある視線は、ある種の精神攻撃と言える。
だが、彼女はその視線の筵の中央を、堂々と歩き抜けた。
彼女は口角の片方を上げて、わくわくとした気持ちを隠さず、カウンターに座る受付嬢に尋ねる。
「どうだい、換金は終わったかい?」
「……ええ、終わりましたよ。キュラス様」
受付嬢が呼び鈴を鳴らすと、袋を持った女がやってくる。
その袋の中から聞こえる、軽やかな金属の衝突音は、キュラスにとっては天使の調べに等しい。
彼女は口元を緩ませながら、彼女はお預けされている犬のように、視線だけをその袋に送り続ける。
受付嬢が続けて行った説明は、右から左に通り抜けていた。
「……金の手振り金の神器1点が370万。顔剥ぎ蠍の甲羅、毒、その他複数で1万。真鍮の破片が20。迷宮内情報記録のための質問回答協力の礼金が6万」
「…………!」
「……そして、地図の件に関して上層部へ連絡をしたところ、組合から少ないながらも特別手当が出ることになりました。それが20万。早計、397万20となります。お納めください」
受付嬢がそう言った瞬間、キュラスは卓上の金貨袋を持ち上げた。
ずっしりと手に伝わる、この重さ!
彼女は、心がホワホワと温かくなってゆくのを感じながら、その口から、衝動を解き放った。
「ひゃっふぅぅぅ! 世界で一番! 愛してるよーーーーーッ! 金ぇぇぇぇぇ!!!!」
「……冒険者組合内では、お静かにお願いします。キュラス様」
お金を持って、その場で小躍りするキュラス。
彼女は蕩けた表情で、受付嬢に流し目を向けた。
「ふふ、アンタの無粋さが、今はまるで気にならないねぇ。お金ちゃんがこぉんなに! アタシの手の中ぁーっ! おっほほーっ!」
「……嬉しいのはわかりますが、口調が崩壊してますよ。それとうるさいです。帰ってから好きなだけお喜びください」
じとりと眼を細めて睨んでくる受付嬢に対して、キュラスは意外にも素直に、縦に首を振った。
「ふふ、そうだね。このお金ちゃんへの愛が、早々に冷めることはありえない。帰り道からテントの中まで、じっくり蜜月を過ごすとするよ。…………アンタにも、世話になったね」
「……別の街に行かれるのですね」
「ああ、金を稼げるところにね。また、どこかで会ったら、よろしく頼むよ」
「……こちらこそ、よろしくお願いいたします。また、どこかで」
一月以上世話になったその受付嬢と、別れの挨拶を済ますと、キュラスは外に出ていった。
冒険者組合は、この街で最も高い場所にある。
坂道を降りてテントに戻ろうとして、ふと、視界の端に大穴が映った。
……キュラスは歩を、道の端へと向けた。
崖の淵に立ち、街を見下ろす形となった彼女は、懐からぼろっちい財布を取り出して、穴に掲げる。
「アタシはやったよ。あの迷宮を攻略して、大金を得たんだ。って、一緒に潜ってたから知ってるか」
彼女にしては珍しい、哀愁を帯びた眼をしながら、彼女はここにいない誰かに語りかける。
「アンタがくれた金額の倍近く、アタシが稼いだのさ、立派になったもんだろう? …………分かってるさ、全然足りないってね。これは一歩目さ」
キュラスは、もう片方の手の金貨袋を持ち上げると、にこりと柔らかな笑みを口元に浮かべた。
「アタシは、金をもっと、もっと、もっと稼ぐ。贅沢に暮らすだけじゃ満足しない。誰よりも良い生活をするんだ。…………アタシはアンタの望んだ全部を、人から奪わず、人に奪わせず、正々堂々と手に入れてやるよ。それが、アタシが最高の人生をおくるための、必須条件だから」
彼女は、穴に掲げている財布を掴む手を、ほのかに強める。握手するかのように一度だけ強く握りしめると、最後に語った。
「託してくれて、ありがとう。独り立ちまで、時間がかかっちゃったね。これでやっと手放せるよ。……さようなら」
そう言うと、キュラスは手を回し、”それ”を崖下へと滑り落とした。
……彼女が手放したのは、”差し出されたハンカチ”だ。
それは、どんどんと小さくなっていって、見えなくなった。
キュラスは金貨袋を片手に、爽やかな笑顔で振り向いた。
元の道に戻りきる前に、彼女は一言呟いた。
「────愛してるよ、ロキシニアさん」
◆◆◆◆◆◆
「そういや、財布の中身は抜いとくべきだったね。入ってたの全部アタシが稼いだ金だし」
「何の話だ?」
「何でも無い、独り言だよ」
テントの中、キュラスは先ほどの自身の行動を思い出して、少しばかり後悔をしていた。
だが、頭を横に振って思考を切り替えると、机を挟んで目の前に正座しているイナバに対し、金貨袋を突きつけた。
「これが報酬、だいたい400万だよ。で、確か契約だと、即座にアタシに400万渡した上で、600万を時間をかけてくれるんだったよね。どうするつもりだい?」
「…………」
イナバは、明らかに言葉に詰まっていた。
当初の予定だと、神器と引き換えに神官服の男から薬代分1000万を貰えるはずだったのだ。
だが、その取引は成立せず。代わりの組合との取引の結果、貰えたのはキュラスの語る通り、約400万程度。
彼が何とか方々に手を尽くして用意できる額も、400万である。
もしも、報酬金の400万をまるまるイナバが得たところで、合計金額は800万、1000万の薬代には届かない。
いや、彼の姉が病気で死んでしまうまでは、まだあと約4ヶ月の猶予があった。病死の個人差も考えると、猶予はあと2ヶ月ほど。その区間で200万を稼げれば、何とかなる。
とにかく、彼が姉を救うのには、今、この400万をまるまる得ることが必須である。
イナバは唇を噛んで、そして、嘆願した。
「キュラス。頼みがある。すぐ渡すはずだった400万を、後に回させてくれないか」
「嫌だよ、何か対価は無いのかい?」
即答されたイナバは、しかし、その返答が返ってくることを予想していたのだろう。すぐに代案を出した。
「君がそれを後に回してくれるのなら、1000万と言わず、いくらでもいい。時間をかけて、君にその金額を返す。どうか、頼む。薬のために、今は少しでも金が欲しいんだ」
「そう、いいよ。じゃ、アタシへの金は3000万にしようか。契約書がどっかにあったはず、ちょっと待ちな」
キュラスはテントの端に置いてある箱の中から、上質な紙でできた契約書を持ってくる。
ペンで内容をしっかり記載してから、それをイナバに突き出した。小さなナイフも添えてある。
イナバはその書類の内容を確認する。400万の権利をイナバは得るが、3000万キュラスに返す。期日は10年、年300万が最低返却額。
内容がその程度だから、すぐに確認しきれたようだ。
彼は頷くと、ナイフで指先に血のインクを作り、母印を押した。
「よし、ま、せいぜい頑張って返しなよ。ほら、400万だよ。あとついでに200万やるよ」
「ああ……ありがとう」
先ほどから卓の上に置かれていた金貨袋、その横に少し小さめの新たな袋が置かれ、イナバに差し出される。
とりあえず契約が成立したことに胸を撫で下ろすイナバだったが、400万を無事に手に入れても、まだ、薬代にはあと200万を稼がないといけない。
たった二月で、200万稼ぐ。正攻法では無理だろう。
今回のように命をかけた仕事を、もう一度やらなければならない。
腹を括ったかのような、真剣な表情を浮かべたイナバは、卓の上に置かれた大小二つの金貨袋をチラと見るだけで、すぐに視線を下に落とし、手段を考える作業に没頭
イナバは、2つの袋が置かれた卓の上を、二度見した。
「キュラス、この小さい方の袋は?」
「200万だよ」
「……どこから、出てきた金だ?」
「そりゃ、アタシの貯金さね。コツコツ貯め直してきた額さ」
その話を聞いたイナバは、眼を見開いた。
その口は、小さく開閉している。まとまらない言葉を何とか繋げようとしているようだ。
「いや、待て。何故、そこまで? というか、今回君は被害者で、迷宮攻略者だ。そんな君が損する結果になるのは、その、ダメだろう?」
「アンタ算数できないの? 600万払っても最後には3000万貰えるんだろ? アタシは十分得してるよ。……というか、まさか吹っかけた額を即決で了承するとは思わなかったよ。自分で言うのも何だけど、弱みに漬け込んで借金を3倍にするって詐欺にもほどがあるよ?」
「いや、最終的にそうだが……現状は……」
拉致があかなそうな話し合いに、キュラスは眉を顰めて、卓を叩いた。
バンという音と、彼女が次に発した言葉は、イナバの眼を覚まさせるのに十分なものだったようだ。
「お姉さんを助けるんだろ? 黙って受けとりな」
「……! ありがとう。すまない」
イナバは、その2つの金貨袋を受け取った。あとは、彼が金目のものを売ったり、友人に金を借りて400万をかき集めるだけだ。これで、イナバの問題は解決したと言える。
彼が大事そうに金貨袋を抱えているのを視界に入れながら、キュラスは全く別のこと、未来のことを考えていた。
すなわち、どうやって、大金を稼ぐか。である。
自分が生きていくため、キュラスは5歳でもなれる冒険者になった。今まで魔物を狩って暮らし、今回初めて、神器を得た。
そして、確信した。
冒険者のままでは、彼女の望む最高の生活をすることはできない。より継続的に大金が手に入る、商売をする必要がある。
と言っても、イナバに600万渡して、ほとんどすっからかんなんだよね。
どんな商売でも、初期投資は必要だし……どっかでそのための金を借りれないものかねぇ。
キュラスは、そんな考えをしながら、イナバに母音を押させた契約書を手にする。
400万貸し、3000万返却のその書類を見て、ふと、大きな閃きを得た。
その、金貸し自体を商売にしたらどうか。
その日を生きる金に困っている個人に金を貸す、のではない。それでは逃げられたら困るし、借りた者が魔物に殺されでもしたら二度と帰ってこない。
金を貸すのは、組織。儲ける為の商売を始めたいと思っている組織に大金を貸し、利息分の金銭を搾取する。
これなら継続的に、大きく儲かるはずだ。
キュラスは、その閃きを自画自賛しそうになって、首を勢いよく横に振った。
いや、それこそすごい元手が必要じゃないか。本末転倒だね。
彼女がそうやって自身の考えを否定して、別の考えを捻り出そうとした。その時。
地面から伝わってくる大きな揺れが、その思考を妨げた。
「っ、何さ!?」
「地震……!」
2人は姿勢を低くして、揺れに抗う。
振動が小さくなっていき、止まった頃。テントの外で足音がしたかと思うと、すぐに、女の声が聞こえた。
「キュラスちゃん! いる!?」
聞こえてきたのはキュラスの知り合いの冒険者の声だった。
彼女も、地震にびっくりしたのだろうか。だがその声色は、子供が親に早く早くと急かすような調子で、負の側面はうかがえないものだった。
キュラスは訝しく思いながら、返答した。
「いるよ! 何だい?」
「! キュラスちゃん、今の地震────この近くで、迷宮が出現したみたいだよ! 二月前に迷宮ができた時と、おんなじ感じだった!」
「なんだって!!?」
キュラスとイナバ、そして女冒険者は、周囲を一望できるこの街で一番高い場所、冒険者組合まで向かった。
すでに何人もの冒険者が集まっているそこから、キュラスは見下ろす。すると見えた。
キュラス達が攻略した金の鐘の迷宮の穴よりも、何倍も大きな穴が、大地に空いていた。
冒険者達に混じっていた、組合の受付嬢が呟いた。
「……第零階層の大きさからみるに、あの迷宮の深さは五十階層ほどだと、推測されます。今まで観測された迷宮の中で、十本の指に入る深さですね」
キュラスの背筋に、ぞくりとしたものが走った。
迷宮攻略の証、トロフィーとも言える神器は、それが置かれていた迷宮の深さによって相場の金額が異なってくる。
五階層のものが、相場300万。
そして、キュラスが知っている限り最も金額の高い、三十階層のものが相場1億。
五十階層のものとなるとどれほどの価値になるか、検討もつかない。
……少なくとも、金貸しを始める元手としては、十分な金が手に入るだろう。
今までのキュラスだったら、この迷宮には潜らない。
この規模になってくると、間違いなくプロである組合お抱えの冒険者が複数人出張ってくるし、金銭や名誉をめぐる迷宮内での冒険者同士の殺し合いも起こりうる。
リスクが大きすぎる。
だが、今のキュラスには仲間がいて、巨大なリターンを求めるだけの理由もあった。
「イナバ、とっととアンタの目標を達成してきな。アンタも潜るだろ?」
「……ああ。一月はかけない。薬を届け、すぐにここに戻り、君に恩を返そう」
「恩より金を返しな。先に潜って、待ってるよ」
周囲の冒険者達が、歓喜の声を上げ始めた。
皆、その迷宮に今から向かうようで、足を動かしてその場を去ってゆく。
迷宮に向かう理由は、各々で異なる。
ある者は未知と出会う喜びを求めて。
ある者は内部に集まる魔物を狩って、日銭を稼ぐため。
ある者は迷宮の最奥にある秘宝、神が作った道具とされる神器を手に入れるため。
そして、ある者は────
「アタシが手に入れてやるよ、だから、そこで待ってな」
鋭い笑みを浮かべるキュラスは、大穴を見下ろしたまま、そう呟いた。
彼女の瞳は、金に燃えていた。
ご愛読ありがとうございました。
同一世界観の長編も(セルフボツの荒波を越えることができたら)出す予定なので、機会があればお目通しいただけると幸いです。