1948.01(米)マンテル大尉、墜落死事件 (前編)
※視点が魔女陣営に変わります。
◆
「逃げたら殺す、失敗しても死ぬ」
黒髪の魔女が、ゆっくりと赤毛の少女の首輪を外す。魔法の封印が施された首輪が、ゴトリと床に転がり落ちた。
「……けほ。あたしは……逃げないし失敗しないのダ」
少女は床の上で膝を折ったまま魔女を見上げる。
薄汚れた粗末な服は奴隷そのもの。
床に届く長さの赤毛の髪、燃えるようなルビー色の瞳。背中には小さな蝙蝠を思わせる羽がある。腰からは赤い鱗におおわれた尻尾が生えている。
半竜人――。
太古に絶滅したはずの種族。その血を引く少女を、黒髪の魔女は使役していた。
「あぁ、そうだともミナティ。封印施設からお前を救いだしてやった恩。努々忘れるんじゃぁないよ」
少女の本当の名はウィル・ミナティ。
支配のため名前の半分を奪われている。
黒髪の魔女――レプティリア・オリオンヌは嗜虐的な笑みを浮かべつつ顔を近づけた。
尖った爪の先でゆっくりと少女の頬を傷つける。
血がにじむが、傷はすぐに癒えた。
痛みを感じつつも、ミナティは怯まない。
「……わかっているノダ、レプティリア様」
「いい子だ、ミナティ。お前の代わりなんていくらでもいる。普通の人間やエルフより、ちいっと丈夫だから、お前を使ってやっているのさ。ありがたく思うんだねぇ、ヒヒヒ」
魔女の顔は美しい。貴族の令嬢にも決してひけをとらないだろう。長い黒髪にやや褐色がかった肌の色。尖った耳はダークエルフの血を引く者の特徴だ。
だが、美しい顔とは裏腹に、心は歪み口から紡がれる言葉は汚い。そして呪いが込められている。
魔女の手のひら、腕、全身に彫られたタトゥが、怪しげに赤い光を纏っている。すべて呪印であり、全身が呪詛や高度な攻撃魔術の塊だ。
「七賢のローズウェルに先を越されたなんて、あぁ忌々しい……! 地球はすべてわきちが支配すべきものなんだよ!」
感情にまかせてテーブルの上の燭台を叩き落とし、大きな音をたてる。
漆黒の瞳には怒りと嫉妬の炎を宿していた。
かつて――。
魔女レプティリア・オリオンヌは、輝かしいメタノシュタリア統一王国の『七賢者』の一翼を担っていた。
だが「魔術の禁忌を犯した罪」により七賢を追放。辺境の地に追いやられた。
なんの事はない。亜人を閉じ込め非人道的な研究をおこなっている七賢者がいた。その噂を聞き、秘密施設を破壊。そこで面白そうな被験者――太古の種族であるミナティを頂いただけのこと。
「いいかい、地球人の力を見極めてくるんだ。魔法の無い影の世界、劣等種が住むさもしい土地さ。数百惑星周期ぐらいで、進歩なんざできるはずもないからねぇ」
「……はい、なのダ」
ミナティは魔女の言っていることの半分も理解できなかった。
ただ、何度か地球送り込まれた時と同じ、生きて帰ってくればいい。
ちょっとした散歩のように。
ミナティを魔法の輝きが包み込む。魔女レプティリアが円盤形の飛行魔法の結晶を励起。
蒸着させ金属化。銀色円盤がプラズマを帯び、輝きだす。
「次元跳躍はローズウェル家の専売特許じゃぁないさぁね」
複雑な術式をこともなげに詠唱。
次元を跳躍するゲートを上空五百メルテに貫通させる。
音もなくミナティの円盤が空へと舞い上がった。
『行って参りますのダ』
「お行きミナティ。地球人にナメられるんじゃぁないよ」
円盤となったミナティが上昇する。
ぐんぐんと空に舞い上がるミナティの眼下には、広大な森が広がっていた。
メタノシュタリア統一王国、西方イスラヴィア大森林。数百年前は砂漠だったとされるこの地は、偉大なる花の聖女ヘムペロルザの加護により、花畑と森が織り成す美しき土地となった。
森の奥深く、廃墟と化した古代王国イスラヴィアの都で魔女レプテリィアは暮らしていた。
「うっ……わわあ……」
上空に開いた暗い渦、次元のポータルへと突入し飛翔する。
酷い目眩に襲われた。
上も下もわからない極彩色の空間を抜け、やがて宇宙とよばれる暗く冷たい空間へと至る。
目の前に浮かぶのは水色の球体。
「……げほげほ、地球……なのダ」
みるみる大きくなる地球は、信じられないことに球形の大地だ。
最初に送り込まれたときは月軌道上だった。
ミナティは数秒で凍死しかけた。
次に送り込まれたのは地球の砂漠だった。
墜落し、灼熱の太陽と乾きに死にかけた。
三回目に送られたときは海の中だった。
円盤は沈み溺れかけた。
「今回はうまくいった感じなのダ」
とにかく魔女は人使いが荒い。
半竜人のミナティをそもそも人間と思っていない。
けれど、ミナティは実のところ嫌ではなかった。
地下深く閉じ込められていた以前に比べれば、今は楽なもの。魔女は意地悪で怖いけれど、ご飯も寝床ももらえるのだから。
「……四回目だし、もう慣れたのダ」
それに、こうして自由に空を飛べる……!
ミナティは自分の姿のみずぼらしさが気になった。銀色に反射する繭の中で、鏡に映る自分を確かめる。
邪魔な髪を二つに結い分けてみた。
「……うん」
ツインテールにまとめた髪を指先で整えつつ、眼下に広がる広大な世界に目を輝かせる。
分厚い大気を抜け、地表が見えてきた。
北米大陸という大きな土地。ここで暮らす人間たちが、この球形大地の支配者になりつつあるらしい。
「ここを見て回ればよいのダ?」
<つづく>
【ワンポイント解説】
・1948.01(米)マンテル大尉事件。
ケンタッキー州に銀色の未確認飛行物体が出現。
報告を受けアメリカ空軍の戦闘機(P-51)が追跡したが、高度7000フィートまで上昇したところで連絡が途絶え、墜落した。「UFOに撃墜されたのでは?」とされる事件。
・敵対する宇宙人たち
様々な伝承、神話、人類の原初的な記憶。あるいは宇宙意思とコンタクトしたと主張する人々からの情報によれば、地球を訪れているのは数種類の宇宙人。
彼らは一枚岩ではなく、対立しているのではないか? 太古から支配権をめぐって争っているのでは? ……というオカルト的解釈が存在する。
(諸説あり、深入りせず)
※ローズウェル伯爵家による地球探索のみならず、旧七賢のレプティリア・オリオンヌが地球で暗躍している状況は、証言を裏付けるものではある。