1803.07 (日本)常陸国『うつろ舟』漂着事件【後編】
ミナティは砂浜の海岸に流れついた。
見回すと延々と松林が海岸沿いに続いている。
「おー? えと」
記憶が混乱している。
自分は誰で、ここで何をしていのか思い出せない。
星空、雲の上の光景、海の上、孤独。
打ち寄せる波の音と、潮の香り。
自分を呼ぶ声がして振り返る。
けれど海岸には誰もいない。
赤く長い髪が風に揺れ、自分が抱き抱えている箱に気がつく。
「これ、なんだっけ……?」
四角い箱は光沢のあるガラス細工のよう。
すごく大事な物、絶対に離すなと誰かに言われたことだけは覚えていた。
見つめていると、表面に文字が浮かんでくる。
――次元回廊貫通成功
――魔法触媒用人造生命体、生存
――現在位置測定……日本列島東岸部
――地球時間測定……西暦換算1803年7月
――次元跳躍通信起動、接続トライ
「ほー?」
ミナティは目を瞬かせた。
わけがわからず、頭の中のモヤモヤも晴れず、何も思い出せない。
ここが何処かもわからず、何をすれば良いかもわからない。
仕方がないので、乗ってきた黒い円盤の横でぼーっと海を眺めていた。
円盤は黒い鍋を逆さまにしたような形で、出入り口がひとつ。窓のような四角いくぼみが周囲に三つついている。
「……お腹が空いたのだ」
足元でカサコソ動くカニを捕まえ、食べてみると美味しかった。
『わー!?』
『妖怪カニ喰い女!』
『ば、化け物だぁああ!』
子どもたちの声がした。
ミナティが声に驚いて立ち上がると、子どもたちは大慌てで逃げ出した。
「まって……!」
円盤の陰で気づかなかったが、松林の向こう側から来たらしい。
ということは人間が暮らしているのだ。
だけど子供たちが何を言っているか、まるでわからなかった。
ここでは言葉が通じないのだ。
戸惑いながら円盤の横で待っていると、ほどなくして、子どもたちに急かされながら、青年がやってきた。
『こっちこっち!』
『そう急かすな……』
日焼けした肌に、黒髪を頭の上でヤシの木のように結いあげた青年は、眠そうな目をこすっている。
服装は粗末で痩せた身体に腰みの。槍のようなものを担ぎ、漁で使う籠を腰にぶら下げていた。
『ほら! あれだよ』
『赤い髪のカニ喰い妖怪』
子どもたちが背中に隠れるが、青年は驚きと好奇心混じりの表情でミナティを見つめ近づいてきた。
『おぉ!? これは……異国人の娘ではないか。鉄の船で流れて来たようじゃの!』
笑みを浮かべると子どもたちに心配ない、と身振りで示す。
「誰なのダー?」
『ぬ……言葉が通じぬのか? まぁ、異国人じゃからのぅ。俺は浦島、そこの村のウラシマっつーもんじゃ』
「ウラシマ?」
『おーそうじゃ! よしよし、飯でもくうか? 腹……減っておるんじゃろ!?』
ミナティがカニを喰いかけているのを見て、身振り手振りで「お腹ペコペコ」と「食う?」と示す。言葉は通じずとも、ミナティもすぐに理解できた。
「何か食わせてくれるのかー!?」
『そうじゃ! 話が通じる異国人じゃのー』
言葉がなくとも何故かウラシマと通じあえた。
『浦島兄ぃ、大丈夫なの?』
『角があるよ、キバも生えてるし……』
『あのひと、尻尾と背中に羽がある』
子どもたちはまだビビリまくりだ。
だが、ウラシマ青年は、豪胆なのか気にする風もない。
『異国人っつうのは、そういうもんじゃ』
物知り顔でウンウンと頷く。すると子供たちもなんとなく納得したようだった。
『でも、カニを殻ごと食っとったで』
『ぬしも食うじゃろうが? ワシらと何も変わらん。さぁこっちじゃ!』
ミナティはウラシマについていき、松林を抜け粗末な小屋に招かれた。
「おー? 奴隷小屋を思い出すのダー」
はっと思わず息を飲む。
自分は昔、こういう場所で暮らしていた気がする。いや、でもあれは地下の……。
小屋は5メルテ四方ほどのワンルーム。漁具や壺が置いてあり、中は木の床と囲炉裏があるだけだった。寝床は藁を集めただけ。
囲炉裏の上にぶら下げられた器具に、鍋が吊り下げられ湯気をたてていた。
『魚とタコの汁じゃ! 美味いで、食え』
ウラシマが笑顔で椀を差し出す。
ミナティは招かれるまま小屋の中にぺたんと座り、箱を傍らに置く。
そして差し出された海鮮汁を受け取り、ごちそうになることにした。
子供たちも固唾を飲んで見守っている。
「はむ……」
箸をぎこちなく握りしめ、食べてみる。
魚が新鮮でとても美味い。タコは初めてで異形の化け物じみているけれど、勧められるまま食べてみると不思議な食感で美味しかった。
「美味しいのだ!」
『だろう!?』
ミナティが目を輝かせてバクバクと食べる。浦島の満足げな様子に、小屋の入り口から様子を見ていた子供たちも顔を見合わせた。
「ふぐふぐ……!」
海の塩味と魚。いつも食べている泥のようなシチューよりずっと美味しい。
魔女さまのシチューよりずっと。
魔女……さま?
ミナティはそこで箸をとめた。
思い出してきた。自分は魔女様のところで暮らしている子で……名前は、
『んっ? どした? 骨でもひっかかったか?』
「ミナティ」
それが自分の名前だ。
『魅奈貞? おぉ!? それがぬしの名か! えぇのう、気に入った!』
ウラシマは嬉しそうに自分の膝を叩いた。
「美味しかったのだ、感謝なのだー」
両手を合わせてお礼を述べると、ウラシマは感激した様子だった。
ミナティの中で記憶が戻りつつあった。
ここは別の世界、たしか地球と呼ばれるところ。
「ウラシマ、ここは地球か?」
『てら? ここは寺ではねぇども……まさかおめぇ、神仏に用があるだか?』
「うん?」
適当に頷く。
『なんと信心深いのぅ! そうだ……聞いたことがあるだ! 海から来た人魚が、神仏に祈りを捧げ清らかな娘に生まれ変わって人間と結ばれるっつー話じゃ……』
ウラシマははっとして立ち上がると、ミナティに寄ってきた。
『おめぇ、俺の嫁になる気だな!?』
急に興奮しはじめたが、何を言っているかわからない。
「おー?」
ミナティは身の危険を感じ、傍らの小箱を再び抱きしめた。
箱の表面で文字が点滅している。
――警告
――魔法通信、逆探知警報
『浦島兄ぃが変なこと言いだしたぞ!?』
『たいへんだ、異国の女の人をお嫁にする気だよ!』
『お、お母とおっ父呼んでくる!』
――対人結界展開
――緊急離脱術式
小箱から白い布のような、無数のリボンが噴出した。
『な、なんじゃぁあ!?』
それはミナティの身体にしゅるしゅるとまとわりつくとフワリと宙に浮かべる。
「魔女様の魔法なのだ……」
なすがまま、フワフワと浮かびミナティは小屋から外に出た。
『飛んだ!』
『わぁあ!?』
『すごい、浮かんでる!』
『て、天の羽衣…!? ま、まってくれ魅奈貞ぃい!』
「おー! 美味しかったのだ、ウラシマ!」
バイバイと手をふりながら、松林を飛び越える。
黒い円盤が海岸の波打ち際にあるのが見えた。
飛行魔法結晶体へ戻ろうとした、その時。
にわかに空が曇ると渦を巻き、轟々と暗い渦が開いた。
「あれは……次元回廊なのダ!?」
誰かがミナティが通ってきた次元回廊を通りやってこようとしている。
ミナティが驚き見上げていると、抱えていた箱が警告音を発しはじめる。
――敵対魔術検知!
――緊急離脱をし、ミナティ
「魔女さま!」
慌てて自分の飛行魔法結晶体に飛び込んで、魔力を注ぎ込む。
軽い振動音とともに再起動、浮上する。
ぐんぐんと上昇すると眼下にウラシマと子供たちが見えた。がっくりと膝を折るウラシマ、手を振る子供たち。
「ありがとなのダ!」
飛び立ったミナティめがけ、次元回廊の奥から青白い光が放たれた。
――雷撃防御!
「のわぁあ!?」
結界が展開し、なんとか雷撃を防ぐ。
次元回廊の彼方から黄金に輝く巨大な円盤が飛来、稲光を放ってくる。
『違法ッ! 次元回廊を勝手に貫通させるのは違法です! って、やはり魔女の手下でしたのね!』
甲高い、聞き覚えのある声がした。
聖女プレアデス・ハーモニアの眷属、アルクトゥス。黄金のプラズマフィールドに包まれた飛行魔法結晶体だ。
「ミナティは知らないのダー!」
次々と雷撃が放たれる。だが狙いが甘く、直撃をなんとか避ける。
『だまらっしゃい、現行犯で逮捕ですわ! 王国聖者連審問会に代わって、ジャッジメント!』
「バイバイ、またなのダー!」
『あっ!? コラ、まちなさーい!』
ミナティの黒い円盤は、アルクトゥスの黄金の円盤の横をすり抜けて加速。
一気に次元回廊へと突入する。そして極彩色のトンネルを通り、元の世界へ向かう超空間へと消えた。
こうなっては追撃は不可能だ。
『あぁもう、取り逃がしましたわ。逃げ足のはやい!』
聖女プレアデス・ハーモニア様の指示は「殺せ」だった。
雷撃も致死性の威力があるものが仕込まれていた。
だが、アルクトゥスは次元回廊酔いのため「調子が出なかった」のだから仕方ない。
ちっと悔しげに舌打ちしつつも、内心はホッとする。
『結局後片付けは私の仕事ですのね』
眼下には現地人がいる。
アルクトゥスの乗る黄金の飛行魔法結晶体を見上げている。
ウラシマと子供たち。
記憶を操作しておかねばならない。
どんなシナリオがいいだろう?
強引に記憶を操作すれば齟齬が生じる。
『そうですわね。海辺で「黒い亀」を助けたなんてのはどうかしら』
アルクトゥスは思案しながら、牽引ビームでウラシマたちを拉致する事にした。
洗脳、記憶改竄のシナリオはこうだ。
亀を助けたお礼に、海の底の楽園へ招かれ楽しい宴会をする。
帰りにお土産を渡される。決して開けてはならぬ箱。
箱には「秘密」が封じられている
それは「封じた記憶」を紐解かせないためのバイアスだ。
開けてしまえば悪夢を見る。
年老いて親しい者たちを失うという、悪夢を。
『うふふ、いいアイデアですわ』
<つづく>
【作者ワンポイント】
★常陸国『うつろ舟』漂着事件
『漂流記集』によれば流れ着いたのは常陸国の原舎ヶ浜。
乗っていたのは若く身なりのよい美女だった。
顔色は白く、眉毛や髪は赤い。言葉の通じない異国人で、箱を大切そうに抱えていたという。
……ミナティである。
★記憶操作と『竜宮城』
助けた「亀」に乗せられて(「宇宙船」あるいは宇宙人)、助けたお礼に「竜宮城」に招かれ(アブダクション=誘拐)る。
楽しい時を過ごし、地球に戻ると百年ほど経過していた。
渡された玉手箱を開けると一気に老化。
箱の中には若さという宝が入っていた……というのが一般的な「浦島太郎」の「宇宙人遭遇」的解釈である。
助けた恩を仇で返されたわけで、浦島にとっては災難意外の何ものでもない。
だが、実際のところ浦島は年老いておらず「記憶操作」をされただけであった。
アルクトゥスは浦島の記憶を操作。
ミナティとの遭遇について誤認識させられらものである。
亀は『うつろ舟』の印象を利用、招かれたのは「竜宮城」ではなく「粗末な自宅での食事」を宴会として認識させられた。
(ミナティとのひと時を、浦島はとても楽しいと感じていたようです)
竜宮城での「タイやヒラメの舞い踊り」は子供たちの様子、乙姫はアルクトゥス。
玉手箱はミナティが抱えていた生命維持ボックスの印象を利用。箱を開けることで老化する恐怖を植え付け、記憶操作を強化するバイアスとした。
アルクトゥスの巧妙な記憶操作により「浦島太郎」の物語は後世へ語り継がれることになりました。




