1947.06(米)ケネス・アーノルド事件
「グレイアさん、紅茶をどうぞ」
執事のマース君が慣れた手付きで紅茶を注いでくれた。可愛い年下の執事くんは金髪の美少年。ローズウェル伯爵のお気に入りで、私の目の保養にもなっている。
「ありがと、マースくん」
チーズケーキもう一切れたべちゃおっと。
「お気にめしましたか?」
「うん! 美味しいんだもん」
口いっぱいにチーズケーキを頬張りながら、美味しさを堪能する。甘いチーズケーキはほのかにレモンの香り。
ローズウェル家伝統の味で、腕利きの職人が作ってくれているのだ。
過酷な(?)仕事を終えた自分へのご褒美はまた格別。
あぁ美味しい、幸せだわ。
大好物を食べると苦労も忘れてしまう。
そこへ広いリビングの向こうからローズウェル伯爵様がやってきた。
「ローズウェル様も紅茶をどうぞ」
「いただくよマース」
「はい」
伯爵は貴族服を着こなし、とても気品がある。紺色の分厚い生地に銀の縁取りのある立派な上着はシンプルで、貴族が好む装飾も施されていない。
白いシャツの胸元を開けて、ラフな雰囲気を漂わせ、私の向かいのソファに腰掛ける。
「美味しいかい、グレイア」
「えぇ、そりゃもう」
「君の食べっぷりは好きだよ」
「……っもう、からかわないでください」
耳まで赤くなるのが自分でもわかる。
「本当さ。沢山食べる子は見ていて気持ちがいい」
にこやかな伯爵様。まぁ見目麗しい。一生ついていきますからね。
「食べることなら任せてください」
マースくんは伯爵の後ろで少し苦笑気味。
伯爵様のお屋敷で「魔法使いの弟子」として暮らすのは気苦労も多い。
狙ってくる敵の撃退、社交界での護衛、そして地球の調査などなど。だから魔法力は切らせ無い。健全な魔力は健全な肉体から。
おやつも夕食もバッチリ頂きます。
「グレイアの幸せそうな顔を見るのは、僕も嬉しいからね」
「も、もうっ」
なんたって私は育ち盛りの食べ盛り。
偉大なる魔法使いローズウェル様の弟子だけど、最初は「君は適性がある」と野良の庶民から拾われた身なのです。
身も心も捧げているのだけど、今のところ私は可愛い弟子としか思われていないらしい。
「ところでローズウェル伯爵様、私の顛末記、ご覧になりました?」
ふたつ目のチーズケーキを遠慮無く頬張りながら話を切り出す。
地球への航行記録は提出済み。
魔法による自動手記は思考と同時に、専用の紙に記録が浮き出る。文字と図柄、時には動画も一緒に記載できるすぐれもの。
中級魔法だけど私には余裕です。
「見たともグレイア、今回もご苦労だったね」
地球への次元航行は、超時空通信魔法でリアルタイムでローズウェル様がモニタして下さっている。
けれど細かい航行データはすべて『赤魔石』に映像と音声を記録している。
伯爵が私のレポートと併せて魔石を後で再生、内容をチェックしてくださる。
「今回はちょっと運が悪かったです。いきなり地球人の飛行機械に見つかって、追いかけられました」
「僕の知る限り、地球の『アメリカ』という国で最近造られたカラクリだね。彼らは飛行機、プレーンと呼んでいる。君は向こうに行った瞬間から追尾されていたようだ」
「え? 偶然出くわしたワケじゃないんですか?」
そこに少しひっかかった。
広い空でどうして私を見つけられたのだろう?
地球人は遠視魔法も使えないはずなのに。
「彼らは彼らなりの方法で空を観察しているんだ。鉄と火の文明と侮っていては、怪我をするよ」
チーズケーキの最後の一切れを飲み込む。
驚いた。
地球人を伯爵様がそんな風に言うなんて。
「魔法じゃないとすればどうやって?」
「彼らは電気と呼ばれる雷の力を使う。それを応用し電気的な波動が空間を伝わる波、すなわち『電波』をつかっているようだ」
「でんぱ?」
「俺たちが時空振動と呼んでいる魔力の波に近い。それを空に向けて放ち、反射波を検知している原理さ。彼らは一種の『索敵魔法』と似た仕組みを機械を使って実現しているんだ」
「なんだかよくわかりませんが……。えーとつまり、私が向こうに行った瞬間から位置がバレてたってことですか」
伯爵が頷く。
「今後の調査は、より慎重に行う必要があるね」
そうかなぁ、恐るるに足らずよ。あんなヘナチョコなカラクリなんて大したことない。
「アメリカだかなんだか知りませんが、蚊トンボみたいな機械仕掛けの乗り物で、よく空なんて飛べますよね」
私たち魔女や魔法使いは当たり前のように空を飛べる。
周囲の空間を切り離して浮遊する飛行結界『飛行魔法結晶体』によって。
空間は結晶化し円盤状の疑似物質を形成。空間を移動する際、周囲にはプラズマフィールドが生成され光輝く。
今では複数の魔法使いが共同で、数百人を運ぶ飛行魔法結晶体を生成するギルドもある。巨大な葉巻型の船は客船で、今も優雅に王都の空を行き交っている。
地球人はカラクリに頼るだけの、魔法の使えない劣等種……っといけない。これは口にして伯爵に怒られたっけ。
「というわけで、グレイア。次回の調査では相手の目を誤魔化せるか試してみよう」
「ごまます? どうするんですか」
「分身して増えるってのはどうだい?」
「あっ……なるほど」
「グレイア、君の『飛行魔法結晶体』を現地で魔法コピーし、複数で編隊飛行するのさ。そうすれば逃げるときも楽だし、危険度も下がる」
「なるほど、さすが伯爵さま」
◇
3日後、私は再び地球へ赴くことになった。
ローズウェル様のお屋敷の中庭には、複雑な魔法円が描かれている。
これこそが『次元跳躍魔法陣』という次元を飛び越える魔法で、世界でも七賢者しか使えない超高等魔術なのだ。
空中に開く『次元回廊』を通過し地球と行き来することができる。
「グレイア、君が地球へと到着したあとに9つに分離する術式を仕込んでみた。目くらましさ」
「ありがとうございます伯爵様。では、いってまいります!」
私は『飛行魔法結晶体』を形成。そして極彩色の超空間を抜け、地球へと飛翔した。
上も下もない次元の狭間を抜けて、青く広い空へと至る。
「地球だ……!」
何度見ても美しい。
球形の大地。
どうして世界が丸いんだろう?
不思議でしょうがない。球形大地のどこにいっても大地に引きよせられ落ちない仕組みらしい。
――地球座標位置特定開始
眼前にポップアップされた魔法のウィンドゥが次々と情報を表示する。
地球と太陽、惑星位置から相対時間を計測、再計算する魔法術式が自動で詠唱されている。
――地球標準時間特定
――西暦換算1947年6月
「1947年って、前回来たときから十年ぐらい後かな?」
毎回くるたびに場所も時間も変わる。
これは次元跳躍の特性で、次元の重ね合わせの関係で仕方の無いこと。私が同じ時間、同じ場所に来ることは不可能に近いという。
「あ、これが目眩ましね」
記がうt区とオレンジ色の円盤が、右に4つずつコピーされた。
私の本体をふくめて全部で9つ。
「場所は北米、アメリカ大陸のカスケード山脈っと」
王立図書館に秘蔵されていた地球の地図は古いけれど山脈や大陸はそう変わらない。地形照合で場所はだいたいわかる。
――アメリカ合衆国ワシントン州、カスケード山脈、レーニア山付近
――飛行高度、3千メルテ。
飛行は順調。
電波とやらに感知もされていない。
「今日はどこまで行けるかな」
しばらくすると、魔法の索敵結界に反応があった。
「お……また来たの?」
眼下に小さな飛行機械が飛んでいるのが見えた。回転翼式の飛行機械は、私に気づいているらしい。
追いかけてきているのかな?
いずれにしても、いかんせん速度が遅すぎる。
「ごめんね、またいつか遊んであげる。じゃあねー」
私は増速する。
山脈を越えて、大陸を見学。
地球人の都市を上空から眺め、やがて帰路についた。
<つづく>
【ワンポイント解説】
1947.06(米)ケネス・アーノルド事件。
世界最初の「空飛ぶ円盤」との遭遇事件。
1947年6月24日、アメリカ実業家のケネス・アーノルドが、アメリカワシントン州のカスケード山脈、レーニア山付近の高度2900メートル上空を飛行中、
「皿を逆さまにしたような」光り輝く物体9機と遭遇した事件。
※グレイアが分身して飛行する姿を目撃したものと思われる。