日常
「炎舞」
作者 速水御舟
昭和52(1977)年に重要文化財に指定され、御舟の最高傑作として、また近代日本画史上における傑作としても評価の高い作品である。
作品の制作にあたっては、大正14(1925)年の7月から9月にかけて約3ヶ月間家族と共に滞在した軽井沢での取材をもとにしている。毎晩、焚き火をたき、そこに群がる蛾を写生したり、採集した蛾を室内で写生したという。蛾に関しては克明な写生がいまも残されている。
(山種美術館ホームページより)
じりりりりりりり。
部屋中に響き渡る目覚まし時計の音に顔をしかめつつ、ベッドから手を伸ばしスイッチを切る。
起きぬけのぼうっとする頭を醒ますためにも、先ずは一服せねば。
気怠い身体を起こし、テーブルに置いた煙草を手に取り咥え、ライターで着火しながら昨晩飲み干したビール缶の本数を数える。
―――5本か。昨夜は疲れもあって、大して飲めなかったな。
そんなことを考えながら、白煙をすうっと肺に流し入れる。
肺に煙が満ちるこの瞬間が一番好き。
名残惜しく煙を吐き出しながら立ち上がり、そのまま洗面所に向かう。
鏡の前の灰皿に煙草を置いて洗顔し、濡れた顔をタオルで拭うと鏡の中の自分と目が合う。
醜いみにくい、大嫌いな顔。
でも、そこに彫り込まれているのは大好きな“炎舞”。
顔の左半分に燃え盛る美しい“炎舞”。
そっと“炎舞”をひと撫でし、再び煙草を咥え直して髪を結う。
髪をかき集める際、手に当たる自身の角をうっとおしく思うも、鬼として生まれたからには仕方ない。
仕事着の甚兵衛に着替えて洗面所を後にし、ベッドに腰掛け残りの煙草を堪能する。
最後に吸った煙を細く長く吐き出し、灰皿に煙草を押し付けてビール缶を片付ける。
そして財布と鍵、煙草とライターを懐に入れ、部屋を後にする。
いつもと変わらぬ朝。
いつもと変わらぬ日常。
顔に“炎舞”を刻んだ鬼女・火乃華は、今日も職場へと向かう。