二十九話 『眼』
「お前……! 今まで何してたんだよ……!」
『話は後で、だ。一先ずはこの状況を打破しようではないか』
紛れも無くバラムだ。
バラムが目覚めたんだ。
『今になってその気配を顕わにするのですね、バラム』
『いやいや、少し考え事をしていたのでな』
『考え事をしていると死んだように静かになるのは以前から相変わらずですね……しかし、その姿は……?』
手だけじゃない、僕の背から何かが這い出て、僕の前へと立った。
「あぁ、この姿か? そうだな、我の『願いが叶った姿』とでも言っておこうか」
腰まで伸びた長い真紅の髪。布一枚も纏わずに立ち、炎から放たれる暖色の光で照らされた白い肌と、スラっとした、小さい背幅の胴体を中心に頭と四肢の生えた体つきに、こんな状況でも思わずドキッとしてしまう自分が恥ずかしい。
そう、今、僕の目の前に現れたバラムの姿は、女性の、それもありのままの姿というやつだった。
「どうだレイ? 我のこの姿は?」
上の冴木とアモンをそっちのけで、その悪魔はその整い切った美さとどこか隠れたかわいさを持つ美貌の口角を上げながらコチラを向いた。
「……えっと……その──」
「見惚れたか? それとも女の様な体つきをしているのに『巨大な乳房』と『卑猥なモノ』が無いのがそんなに不満か?」
確かに、人間の見た目になったにしては、少し物足りない体をしているが、それよりも──、
「──いいや、その……」
「見惚れたのか?」
「……ハイ」
──十六年と少しのの人生で培った語彙力が、一目見て一瞬で消し飛んでしまう程には、バラムのその姿はただただ美しかった。
「フッ……そうか……」
小さく微笑んだバラムを、いや、バラムの表情を僕は初めて見た。
それには思わず愛くるしさを感じてしまい、目を逸らそうかと思ってしまった。コイツ、普段笑う時はこんな感じだったのか。
「立てるか?」
「いいや、ダメだ。両足の腱をアモンの罪刑変化でやられてる」
「肩を貸す。立て」
「ああ」
僕はバラムに肩を借りて、立ち上がり、上を見上げた。
『人と生るとは、バラム、アナタは……』
「わかっているが、今の我には、無になる気は更々無い……それに、人と生るのは現状の我以外、未だどの悪魔も成した事の無い事だろう? 果たして本当に神の怒りに触れ、無になるか試してみようでは無いか……!」
『……相変わらずの好奇心ですね』
冷静さを取り戻すアモン、その横には──、
「……まただ……またお前は! 人を裏切っておきながら、人に好かれるのか!」
──泣きじゃくりながら、僕にそう言う冴木がいた。
「殺せ! アモン! そいつ等を! その二人を殺せ!」
『しかしユウヤ! もう罪が──!』
「罪ならそこの女を殺せば良いいだろ!」
『違うのです! もうアナタは──!」
「お前も俺を裏切る気か?! アモン!」
『…………わかりました』
アモンは僕達の元へ降り立つ。
「……フッ、貴様の契約者も大概だな、アモン」
『ユウヤは……彼は〈良い子〉です』
「『良い子』か……そうなのか? レイ?」
バラムは僕の顔を見て聞いた。
「……『良い子』だった。少なくとも、アモンと契約するまではな」
「だそうだぞ、アモン」
その返答にアモンは気にくわなかったのか、その顔を少し歪ませ──、
『コンノレイ! アナタに彼の何が分かるというのですか……?!』
そう、僕に聞き返す。
「……何も分からないよ。ただ、かつてのどうしようも出来ない僕に似ていたんだ。だから……だから僕は、アイツを、冴木裕也を助けてやりたい」
『……助ける? 神でも天使でも無い、人間風情のアナタにですか?』
「悪魔がそれを言うなら、僕にだったそれが言えるよ。だって僕だって悪魔みたいな物だから──」
生きてるだけで罪という事は、僕が生きれば、誰かが不幸になるという事だ。
人の幸福を喰らって生きるだなんて、我ながら『僕は目の前にいる悪魔達より悪魔そのものなんじゃ無いか』と思う。
「──だからアモン、お前も冴木を助けたいって言うなら、もう僕達と戦うのはやめてくれ……!」
『……それはできません』
「なんでだ……?」
『……彼には、ユウヤには自らを信じる存在が必要なのです。ユウヤから見た、かつてのアナタの様に自らの手を差し伸べ、手を取り合ってくれる存在が』
「……僕じゃダメなのか?」
『アナタは一度ばかりか、三度も彼を裏切りました。もはや彼は、アナタを信じようとはしない、例え私に勝ったとしても、彼は歩みを止めはしないでしょう』
「……そうか」
僕が冴木をそうしたのは、僕自身も承知の事だった。
彼を庇ったのは僕で、それでいて彼を裏切ったのも僕だった。
もう僕達は『争えない』選択肢を選ぶことなんて出来ないんだ。
『……話はここまでです。コンノレイ、私は我が契約者の為にアナタを殺さなくてはならない』
「だったら、僕は僕自身と冴木の為に戦うよ」
『自らの力で立てない体でまだ戦うつもりですか?』
「いいや、僕には、まだバラムがいる。戦いに自分の力だけで勝つつもり何て無いさ……だろ? バラム?」
僕はバラムの顔を見上げる。
「そうだ」
バラムは僕の気持ちをリレーする様に、ニヤリとアモンへその顔を見せた。
『……ならば……ここで死になさい!』
そう、アモンが言うと同時に、周囲の人型達が一斉に動き始める。
囲まれていた三城の人型はこと切れた様にその場に倒れており、その他の人型は僕達を囲むように前へと出て来た。
「レイ! その傷を受けてからどれぐらいが経つ?!」
「まだそんなに経って無い!」
「どれぐらい痛む?!」
「結構痛い!」
「なら少し踏ん張れ! 動かせる代わりにもっと痛くする!」
「……わかった……ッえ? もっと痛く?!」
「罪刑変化“獄罪鎧裂式”!」
バラムは獄罪鎧を手に纏わせた。僕が普段纏うそれとは違って、その獄罪鎧はあまりにも尖り過ぎていた。
しかしそれにはバラムなりの考え方が有るらしく。バラムはその手で──、
「まさか──!?」
「スマン! 耐えろ!」
僕のその穴の開いた左肩を切り落とした。
「ッ! ガアアアアアッ!」
いつぞやの医者の様に『ダメなら切り落とせば良い』という考えがなんともバラムらしいし、コレで正解なのがまたバラムらしい所でもある。となると次は──!
「バラム! 待──!」
両足、一気に切り落とされた。
勿論、僕はその場で芋虫の様に地面に無防備に仰向けにほおり出された。
「大丈夫だ! 生える!」
「雑なんだよォォォォッ!」
一方で、バラムは次に全身に獄罪鎧を纏わせた。
“獄罪鎧裂式”
僕も一度、楓さんに教わり、シュウ相手に練習で扱ったことがあった。
その攻撃性能は普段僕が纏っている獄罪鎧よりも『尖っている』一方で、その分強度には限度があり、強い衝撃を加えれば直ぐに崩れてしまうのだ。
それが“強度を一点集中し、身を守り、そのまま強度と威力任せの攻撃”を扱う僕に合う事は無く、結局は普段の獄罪鎧を纏っている。
裂式を扱える者、それは恐らく『相手側の攻撃をひたすらに避け続け、間を詰め、少しの衝撃だけで相手を傷つける事が出来る者』或いは──、
「フハハハハッ! 借り物では無く、己の体そのもので戦えるとは! 良い! 良いぞ!」
バラムの様な『あえて短所生かすことの出来る者』だ。
バラムが放つ一撃はその『裂式』の強度にそぐわない強さを持っていた。しかし『それ』が一周回って今の状況では利口なのだ。
人型がバラムの攻撃を受け、消えると同時に、罪の塊である獄罪鎧へ燃え移る。が、バラムの一撃で逐一破壊されるそれに燃え移ったとしても、直ぐにバラムから剥がれ落ちる為、以前の僕の様に直接的に攻撃を受ける事は無い。更に──、
「甘い! 甘いぞアモン!」
──僕が生き続ける限りは継続的に成される神定罪で供給される罪のお陰で、剥がれても剥がれても、何度も新たな獄罪鎧を纏える!
『なんと……!』
耐久戦において、僕達は最強だ。ただひたすらに罪を消費し合う中、僕達は僕という存在が生きているだけで罪が得られるのだから。
しかしそれは僕がやられてしまってはいけないという事にもなるが、それはどの悪魔も同じで、罪を消費しきった状態で契約者を殺されれば身動きが取れなくなる。
「まだか……!」
バラムが人型達を相手にしている間、僕は切り落とされた手足が生えるのを待っていた。
継続的に成されると言っても、一度に供給される罪には限度があるらしく、バラムがああして僕を守りながら罪を消費している分、僕の治癒には多少なりとも時間が掛かっていた。
じわりじわりと、手と足の形は修復されて来ている。僕はその様子を確かめながら、バラムが戦っている様子を見守る。
「数は──!」
一体。まだだ。
「多いのに──!」
二体。触感が戻って来た。
「強さは──!」
三体。イケる!
「微塵の無いのだな──!」
「罪刑変化! 獄罪鎧!」
四体。僕は獄罪鎧を纏いながら立ち上がり、バラムの元へと駆け寄った。
「バラム!」
「もう動けるのか?!」
バラムは僕に寄って来た一体を排除しながら驚く。
「どうして驚くんだ……!」
「我の想像よりも遥かに早い……! この二週間で更に神定罪での罪の供給量が増えているのだ!」
「……良かったじゃ無いか! こうして早く僕が戦線復帰できるんだから!」
思う事はあるが、今はそれどころじゃない。この状況をどうにかせねば……!
と、人型がある程度減った頃、
『罪刑変化──』
遂にアモンが動き始めた。
『“千寿菊百輪”』
目の前の炎が一点に収束して行き、その様子を見た僕達は『この後に来るもの』を頭で容易に想像が出来た。
「バラム!」
まずい──!
「心配無用! それより自分の身を守れ!」
と、バラムは僕を押し飛ばし、そのまま凄まじい爆発に飲まれた。
「ぐうううッ!」
体が爆風に飲まれる一方で、すっかり忘れていた力があった。
「貰った!」
『何──?!』
例の罪刑変化だ。
爆風の直後、バラムは既にアモンの後ろを取っていたのだった。
『バラム! アナタもしや──!』
そしてバラムの腕がアモンの体を貫いた。
『──神を裏切ったが上の〈枷〉ですか』
「……」
『……その様子を見る限りは、枷である“先観の眼”だけでは無いのですね』
確かに人の形を得たバラムは美人だ。
笑顔だって可愛らしいと思ったし、身長も僕より高くて羨ましい。ただ──、
『この不可解な罪刑変化は……悪魔であるアナタでさえも涙を流す程の力ですか……』
まだバラムがそれに慣れていないからこそ、その人の体としての最大の弱点を思い知った。
「……黙れ」
そう、悔しそうに言ったバラムの頬には涙が伝う。悪魔も涙を流す物なのか?
『……その覚悟、私だけでは無く、そこの契約者にも伝えなさい。まだ話していないのでしょう?』
そう言って、アモンは蝋燭の火の様に姿を消した。
途端に静寂が僕達を包み、バラムと僕は目を合わせた。
「……バラム、教えてくれ」
「……レイ」
バラムは僕の元へ歩み寄り、
「……今まですまなかった」
そう言って膝を突いた。
「……いいよ、バラムだって迷っていたんだろ?」
「いいや、本当は迷い等は無いのだ……」
「……ん?」
「……我のこの眼は……先観の眼は未来を見る力を持つ、ただ──」
僕の後ろで音がした。
「──!?」
急いで振り向くと、一体の燃え盛る人型が僕へ飛びかかって来ていた。
が、一瞬にして、まるで先が見えているかのように、バラムがその場でその人型を捻じ伏せた。
「……二千九百六十八だ」
「……え?」
「二千九百六十八通り目の『今』だ」
「どういう事だ……?」
「『例の罪刑変化』の事だ。罪刑変化の名は──」
バラムがその名を口にしようとした時──、
「コンノオオオオオオッ!」
上から冴木の声が響いた。
声のした方を向くと──、
「この女がどうなっても良いのかァッ!」
と、冴木が、怯える日出さんに手を向けていた。
「先輩!」
「日出さん!」