二話 『生(:2)』
授業中は、特に今朝のような悪戯を受ける用な事はあまりない。というのも、三人は成績の維持で精一杯なのだ。親が親で、高校如きで好成績の維持ができないということはそういうことになる。
特に何事も無い時間が続き、やがて四時間目の授業が終わば、一時間ほどの昼休みが始まりを告げるチャイムが鳴り響く。
号令が終われば、僕は昼食を買いに、もとい彼等から離れるために、毎日、C棟一階にある購買部へと向かう。
文具を筆箱の中に収めて、早速『今日もそうしよう』と机から立ち上がった時、一人の男子生徒が僕の元へとやって来た。
「ええと──、よぉ……! 紺野……!」
見覚えしかない細渕の眼鏡をかけたソイツは、同じクラスの男子生徒“冴木裕也”だ。
「ちょっと話があるんだけど……」
と、冴木は少しばかり焦った様子で僕に聞く。
「なんだ?」
「その……、後でで良いから、オカルト研究部の部室に来てくれないか……? そこで話したいことがあるから……」
「…………? わかった、昼ご飯食べたら行くよ」
はて『何かしただろうか』と思う一方で『どうせ昼休み中に昼食以外やる事も無いだろうし』と、冴木のそれを承諾した。
「あ、ありがとう、じゃあ……俺、先に部室で待ってるから」
と、冴木は辺りを見渡しつつ、その場を離れた。
「……?」
思い当たる節を頭の中で探っていれば、暫定でコレだろうと『今日の朝礼』を思い出した。
確かに傍からアレを観れば、冴木自身も話を聴きたくなるのだろう。何せ以前までは『冴木が例の三人の標的になっていた』のだから。
と、考えながら僕は購買部に着き、や否やすぐさま自分の欲しい物を取っていく。心が『今日はパンにしよう』と言うことで、校内きっての菓子パン売り場を見に行くのだが──、
「ふむふむ……」
まるで偶然というか、奇跡というか、今朝見た彼女が、日出さんがいた。
中腰になって、真剣そうな表情で棚に並んだパン達を見ているのを見て、僕は少し話しかけるか迷いもしたが──、
「えーと……日出さん……?」
『どうせ僕が話しかけずとも、向こうから話しかけて来るだろう』と、自分から呼びかけることにした。
すると彼女は二度、三度見し──、
「こ、紺野先輩?!」
と、驚きの声を上げた。
「えっと、朝ぶりかな?」
「あ、朝ぶりです! 制服変えて貰えたんですね……!」
「うん、借り物だけどね」
「……なら良かったです」
日出さんは安堵を顔を浮かべる。
僕はそこまで心配してくれていたのかと、心の内が少しむずがゆくなった。
「ところで、先輩もパンを?」
「うん、いつもお昼ごはんはここで買ってるんだけど、今日はパンの気分だったから……」
「なるほど……私は購買部が初めてでして……」
そもそも彼女は高校という物自体が初めてなのだった。
「にしても、ココっていろいろな種類のパンがあるんですね!」
「ここのパンって、全部今朝通った商店街の“村田パン工房”っていう、巷じゃ有名な店から取り寄せているんだよ、しかも『焼きたて』で」
「わああああ!!」
彼女の目が輝いているのが伺える。
「私! パン好きなんですよ! 焼きたてのパンを学校で食べられるなんて! 良い! 凄く良いです! この学校に来てよかったぁ……!!」
「そんなにパン好きだったのか……」
「ハイ! 大好きです!」
「ならよかった」
まさかパン如きで感動するとは思いもしなかったが。
「にしても、どれも美味しそうで、どれにしようか悩みますね……」
「わかる、悩むよね」
村田パン工房からは、毎日かなりの量の焼きたてパンが取り寄せられている。
それも20種を超え、恐らく全国でも、高校内の購買部で売っているパンの種類と美味さはこの学校が一番だろう。
だからこそ、自分でもここのパンを買う時は彼女の様によく悩む。
「あの……先輩」
と、もどかしそうにする日出さん。これはアレだ、今朝『本を貸してくれ』と言われた時と同じ様子だ。
「お願いです! 先輩として! この後輩に何かオススメのパンを教えてください!」
日出さんは一目散に頭を下げ、綺麗な礼をする。
「だろうなとは思った! 思ったけど! ここで頭を下げるのはやめてほしいな! 気まずいから!」
「いえ! 目上の人にお願いをするときは頭を下げろと父に教わったので!」
「あー! わかった! わかったから! 教えるから! 早く頭を上げて!」
日出さんはゆっくりと頭を上げる。
購買部にいた生徒達の目がコチラを向く中、僕は完全に押し切られて口からため息が出そうなのを堪えながらおすすめを考える。
「えっと……じゃあ、ミルクサンドとかどう?」
「ミルクサンド?」
「うん、甘くて美味しいし、何よりココで売ってるコーヒー牛乳とよく合うから『午後からの授業に備えて糖分補給』って感じでおススメだよ」
「なるほど!」
「後はちょっと濃いかもしれないけど、ピザトーストかな……お店の食パンを直接使ってるのもあって無難に美味しいよ」
「じゃあ、今日は私はそのコーヒー牛乳含めて三つを買ってみます!」
「そうだね、じゃあ僕も同じのにしようかな?」
僕達はそれぞれを一個づつ持ってレジへと並ぶ。
「そういえば、この学校はどう? 楽しく過ごせそう?」
「ハイ! お友達もできましたし! 先生とも、今朝の件もあって仲良くできていますし、それに何より……」
「何より……?」
「その……頼りがいのある先輩もいます!」
「おぉ……」
思わず声を上げてしまう程には、その『頼りがいのある先輩』という響きは、僕の頭中を一瞬だけ『無』にするには十分な言葉だった。
「……」
「先輩?」
「……」
「大丈夫ですか?」
「おっと! 失礼! ちょっと考え事してた!」
口調まで変になってしまう始末で、それを見た日出さんには「ウフフ」と、微笑まれた。
「いや、笑わないで……」
「だって! 面白いんですもん!」
と、笑い顔をみせる彼女のそれは、やはり美しい物だった。
そんな事があって、僕達は手に持ったパン二つとコーヒー牛乳の会計を済ませた。
「じゃあ、僕はこの後中庭でご飯を食べに行くけど、日出さんは?」
「私は、クラスで今日知り合った人達が待っていますので!そこで!」
「わかった。じゃあ──」
と、日出さんに背を向け、歩き始めた時。
「先輩!」
と、彼女の声に呼び止められた。
「良かったら! 放課後、一緒に帰りましょう! 校門で待ってます!」
廊下に垂れ流される喧騒をかき分けるように聞こえたその声に、僕は「わかった!」と返事をして、中庭へと向かうのであった。
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中庭にて昼食を済ませた後、僕は言われた通り、オカルト部の部室へと向かう。
学校の校舎全体は『A棟、B棟、C棟、D棟、体育館棟』の四つの三階建ての校舎と体育館に分かれており、体育館棟以外は中庭を長方形で囲むようにして配置されている。
教室と職員室はA、B棟に固められていて、C棟が主に理科室、家庭科室、視聴覚室等の実習教室と、一階を丸々使っての購買部と食堂。D棟に多目的室、部室、自習室が設備されている。
サッカー部や美術部等の比較的人数の多い部は、D棟にある部室が活動場所だったり、そこを丸々借りていたりする訳だが、オカルト部はどうやら部員数が全学年含めて10人程らしく『部員数が20名以上の部には、最低で一つ、最高で3つの教室を貸し出す』という規則に添えずにいた。
そこを何とか、同じ様に部員数が10名程の地域研究部と半合同で活動することにし、何とか一番小さい部室を借りることができているらしく、D棟2階の奥の教室、A棟へと向かう通路と、そこの横にある非常階段の前にその部屋はあった。
窓を内側から黒いカーテンで隠し、木製の板に『地域研究部』と綺麗に刻まれた看板の上に、背景にグレイとか言われている宇宙人をバックに、デカデカと『オカルト部』という文字が書かれたコピー紙が貼られている。
その『いかにも』という雰囲気を出すその部屋の扉を、僕は深呼吸して開けた。
「き、来た……」
ボードゲームやらライトノベルやらトランプやらが散らかった机を前に、椅子に座りながら僕を出迎えたのは、僕を呼び出した本人、冴木だった。
「さ、座って」
言われるがままに、散らかり切った卓上を挟んで置かれた椅子の片方に僕は座る。
「き、来てくれてありがとう」
「ん、別に暇だしいいよ……で、話って?」
僕はさっそく話を切り出した。
「そ、それなんだけど……。その……」
言い辛そうにしている上、僕に目どころか顔も合わせようとしない。
「何? 話がないなら教室に戻るけど?」
「ま、待って! だから……! その……! く、悔しくはないのかい!」
冴木は少し荒々しく、僕に聞いた。
「……何が?」
僕は聞き返すが、正直大体の想像はつくし、あらかた予想通りだろう。
「な、何がって、そ、その、あ、アレだよ! あ、あの三人の事だよ!」
ほら──、やっぱり。
「それで?」
「それで……その……、ふ……」
「ふ?」
「ふ、復讐してみないかい?! 僕達で! あの三人に!」
「……は?」
思わず腑抜けた声が口から漏れ出た。
「そ、その! 僕の両親と! 君の両親で協力すれば……! す、少なくとも! 何かしらの仕返しを──!」
しかしそんな気は全くないので──、
「断る」
僕は冴木が言い切る前に、断った。
「……え?」
そんな僕に冴木は漠然とする。
「な、なんで?」
「なんでって、なんでも何も、僕はそういう事をする主義じゃない。ていうか、幾らお前の親が警察官でも、そんなのは無理じゃないのか?」
「そ、それは……」
「それに、力づくで仕返しをしたところで、アイツ等となんら変わりないだろ?」
「……ッ」
期待外れだったらしい僕の返答に、冴木は口が開かない様だ。
一方で僕は『本当の事を告げた』だった。実際元より僕がこうなる理由は特に無く、クラス替えの時に、たまたま例の三人と冴木と同じクラスになって『ある事』をきっかけに、三人が僕に標的を切り替えただけなのだ。
「まぁ、本当に仕返しがしたいのなら僕以外を当たってくれ、少なくとも誰か一人は協力してくれる奴はいるだろ」
「……わ、わかった。……わ、わざわざ来てくれてありがとう」
「ん、じゃあ、もうすぐ予鈴の鳴る時間だし僕は教室に戻るよ。どうせあの三人は予鈴が鳴っても屋上でたむろしてる」
「お、俺はもう少しここでゆっくりしてから戻るかな」
「じゃあ、また後で」
僕は部室を出て教室へと戻った。
が、しかし、後に本鈴が鳴り止んでも、教室に冴木が帰ってくることはなかった。
「冴木はどうしたんすか先生!」
と、例の三人の一人である亀田がふざけ半分で五時間目の理科の担当教師である武田先生に聞くと。
「昼休みの時間中に大ケガをして早退したらしい」と答えた。
クスクスと何人かの笑い声が聞こえる中。僕は『あの後何があったのだ』と疑問に思っていた。
*******
十五時三十分、長いようで短い学校の時間は終わる。
終礼が終わった後、僕はカバンを持って日出さんと約束した校門へと向かった。
帰りを待ちわびていた大勢の生徒がそこを歩く中、日出さんはひっそりと校門の前に立ち僕を待っていた。
遠目で彼女を見るのはこれが初めてで、それはまるで『ただの草っ原の中に一輪だけ咲いた花、それも優しい、風が吹けば散ってしまいそうな、タンポポの綿毛』の様に美しく見えた。
「日出さん──」
僕はその花に近づいて声をかける。
彼女はコチラを振り向き、
「お疲れ様です! 紺野先輩」
と、丁寧に頭を下げた。
僕はそんな彼女にすっかりと慣れたのか。『やれやれ』と思うぐらいで、もう『頭を下げるのをやめてくれ』という言葉を口にすることも、思うこともなかった。
「じゃあ、帰ろうか」
「ハイ!」
僕と日出さんは足並みを合わせて歩き始めた。
「ところで、パン、どうだった?」
「ハイ! とても美味しかったです! ミルクサンドは砂糖の甘さとバターの濃厚さがマッチングして、先輩の言った通り、コーヒー牛乳のほのかな苦みと、牛乳特有の甘みがよく合いました! ピザトーストも──!」
「わかった、つまり全部美味しかったんだな?」
「……ハイ!」
「よかった」
僕と日出さんは互いに微笑みながら今朝通った道を帰っていく。
と、商店街に入って、ふと思った。
「そういえば、ココの商店街って見て回ったことある?」
「いえ、まだ引っ越して間もないので……」
「そうだな……もしこの後予定が無いなら、僕が案内してあげよ──」
「ほ! 当ですか! いんですか?!」
僕が言い切る前に日出さんはキラキラした目で嬉しそうに僕を見つめた。正直もう慣れた。
「先輩として、ね?」
「わああああ」
「で? どうなの?」
「はい! お願いします!」
「じゃあ、行こうか!」
まず向かったのは、学校側から見て一番近い店、本屋の“御堂書店”だ。
新本だけに限らず、古本も扱っているこの本屋は、この神郷町商店街唯一の本屋であり、商店街の中でも特に古くからある歴史ある店だ。
僕が今朝読んでいた本も、ここで買った物で、僕は学校が終わるとしょっちゅうこの店に寄り道をしていた。
内装は商店街の店の中では比較的広い二階建ての店舗で、一階に新本、二階に古本が売り出されている。階層で会計場所が変わるのでそこは要注意で、二階の古本売り場は立ち読みが許される場所なので、時間を潰すには実はそこの向かいのチェーン店のカフェよりも、こっちの方が最適だったりする。
店主である“御堂楓”さんは四代目で、祖母からの引継ぎで店を切り盛りしている。年齢が20代というのもあって、もし店に無い商品があれば、現代人の知恵でネットで取り寄せもしてくれたりもするので、結構あ有難い。
店主が彼女に交代する際、歴代で二度目の改装工事が施工されて、今は内装は完全に新品同様であるが、外装は改装されておらず、一代目店主の頃から引き継がれている“御堂書店”と書かれた古臭い看板が今でも目印だ。
僕達はその店内に入り、適当に話しながら物見し始めた。
「先輩はどういった本が好みなのですか?」
「んー、基本的には『面白ければなんでも』かな?」
「あー、その気持ち、わかります。やっぱり面白さというか、興味があるものだと何でも良くなっちゃいますよね」
「そんな感じで、今日貸した本なんだけど……実は僕って短編集は今で読んだことなくて、それが初めて読んだ短編集なんだよ。タイトルで気になって、立ち読みしててたら結構面白くてさ、家で全部読みたくなったんだ」
「なるほど……ところで先輩、この本知ってますか?面白いですよ?」
「どれどれ?」
という事があり、互いの本の好みが分かった。
次に向かったのは商店街中央付近にあるパン屋“村田パン工房”だった。購買部の事も合って神郷高校の生徒達から大人気なのだが、勿論、この付近に住む、年齢問わず老若男女にも大人気だ。
定休日である日曜月曜日を除いては、日替わりで様々なパンが毎日、朝から手間暇と真心を込めてここで作られ、売り出されている。中でも水曜日と土曜日のみ売りに出されるオリジナル食パン『プレーン、レーズン入り、クルミ入り』の計3種類は絶品で、店が開店する朝の7時からそれを目当てに毎週長蛇の列ができる程だ。
そして平日は店が16時まで開店しているので、午前中に売れ残って冷えて少しばかり値引きされたパンを、高校の生徒たちはこぞって買いに来る。
「お昼に食べたパンはここで作られているのですね……」
「今日の残り物は無いらしいな、相変わらず売れるのが早い……」
僕達が店の前に来た頃には、店員数名が店の閉店作業を進めている最中だった。
「まぁ、ここで買って帰らなくても、毎日学校で食べれるからいいんだけどね?」
「ですね、神郷高校に通えて良かったと思います……!」
正直登校一日目で、しかもパンを理由にその言葉は早いとは思うが、正直僕もかれこれ一年以上はここのパン屋に救われているので、そう思うのも無理はない。
「それじゃあ次は……」
最後に案内したのは、行きつけのカフェ“漣珈琲店”。
ココの珈琲は美味しく、看板メニューである小豆パンとよく合う。ちなみに小豆パンに使われているパンは、毎度おなじみ村田パン工房の食パンだ。
僕と日出さんは店に入り、定員の女性に案内されるがまま席に座り、渡されたメニュー表を見た。
「僕が奢るから好きなもの頼んでいいよ」
「本当ですか!」
「うん、あ、でも、特大パフェはやめてたほうがいいよ、これは二人で食べるものじゃないから……」
以前その特大パフェを頼んだ二人組のカップルが、半分ほどで二人とも力尽きているのを見て『愛でも超えられない壁があるんだなと』実感した。
「じゃあ、私はこの特製イチゴパフェを……!」
「じゃあ、僕はこの特製抹茶パフェで、飲み物はどうする? 無料でコーヒーかジュースがつくけど?」
「コーヒーでお願いします!」
「了解」
僕は机の上に置かれたベルを鳴らした。
「はぁーい」
声がカウンターの方から聞こえ、暫くすると、一人の少女が二つの水の入ったコップを乗せた盆と、伝票を片手にこちらにやって来た。
「あ!紺野君じゃないっスか!」
そう言って、その少女は僕達のいる机の上にお冷を置き始めた。
「えっと先輩、この方は……?」
日出さんは僕の事を『紺野君』と呼ぶ、ポニーテールの少女を見て僕に聞いた。
「あぁ、この人は……」
「いや、紺野君、ここはジブンから言うっス」
「ならどうぞ」と、僕は置かれたコップを手に取り、口をつけ──、
「初めまして、えーっと……、彼女さん?」
「ゲホッ! ゴホッ!」
──盛大にむせた。
「えっ! あっ! その……!」
一方で、ただひたすらに困惑する日出さん。
その様子を吟味したポニーテールの少女は、大笑いしながら自己紹介を続けた。
「なーんて、冗談っスよ! 日出神奈さん!」
「あっ! なっ! 名前! 知ってたんですね!」
「ええ! 知ってるっスよ! 何てったって日出さんは転校生じゃないスか! 名前と何組かぐらいはそりゃもう今日の2時間目にはジブンの情報網がとっ捕まえてるっス! あ、ジブンは! 一年五組の“冴木澪”ッス! よろしくッス!」
流石の情報網と、その小悪魔じみた人の弄り様と饒舌っぷり。
彼女、冴木澪はこの喫茶店の店員で、あの冴木裕也の妹だ。彼女とはこの店で知り合って、兄が同じクラスというので仲良くなった。
彼女の『先輩なんだから呼び捨てで、できたら「ちゃん」付けがいい』という意向もあって、僕は彼女の事を“澪ちゃん”と呼んでいる。
その明るさと人懐っこさは、まるで兄とは正反対で、それは今現在、僕と一人の少女を困惑させていた。
「澪ちゃん……、情報網は流石だけど、初対面相手にその冗談はキツイよ……」
「あ!先輩!顔赤いっすよ!!」
「……っ!」
「なーんて冗談っス!」
『この女……!』と、口に出したくなるほどの感情を歯を食いしばって噛み殺し、日出さんの方を僕は見る。
「わー」
コチラを顔を赤くして、口を開けて見つめていた。放心状態だ。
「あのー……」
「あー」
「日出さ──」
「あ! は! ハイ! な! なんでございましょうか!」
凄まじい慌てっぷり。
「お、落ち着いて!」
「は! は! はい!」
「アハハハハ! 二人とも面白い人っスね!」
腹を抱えて笑う澪ちゃん、本当にタチが悪いぞこの女は。
「所で、お二人はどうして知り会ったんスか?」
「あー、実は日出さんが僕と同じマンションに引っ越して来て、それで……」
「なるほど」
と、言って澪ちゃんは唐突に僕の耳元に口を寄せて来た。
「ん?何──?」
「(もしかして……!同じ学校とマンションで、運命感じちゃいましたか……?!)」
またとんでもない事をまた耳に囁く。
「ンンンンンーッ!!」
「アハハハハハハ!!」
彼女の悪魔的な笑い声の中、思わず頭を突っ伏して悶える僕。
「な、何を言ったんですか冴木さん!」
「じゃあ、ちょっとお耳失礼するっスね」
澪ちゃんは僕にしたように日出さんの耳に口を近づけ。
「(……いい……ッスよ)」
と、囁いた。それも僕に聞こえそうで聞こえていない音量で、そう囁かれた日出さんは、
「はわわわわわっ!!」
さっきよりも顔を赤くして僕を見ていた。
「……!」
なんだろうこの気持ち。
可愛いんだ、可愛いんだけど、それよりも先にまた別の感情が──!
「所でご注文はー?!」
が、そんな感情は、恋を囁く悪魔ではなくウェイトレスである事を思い出した澪ちゃんのその一言にかき消された。
「じゃあ! 抹茶パフェとイチゴパフェとコーヒー二つ!」
「はいよー!」
さっきの色恋沙汰をかき消すようにして、僕がその4つを注文すると、澪ちゃんはカウンターへと帰って行った。
日出さんは「あっ! そうだ!」と、携帯電話を取り出し、画面に指を滑らせ始めた。
「……どうしたの?」
「えっ! あっ!『カフェに寄って帰るので、今日の晩ご飯は少なめにしてほしい』と、お母さんに連絡を……!」
「なるほど……」
と、話していると、オーダーを店長に伝えてきたらしい小悪魔が帰ってきた。
「お! 神奈ちゃんも持ってるんっスね!」
「あ、はい! 高校に入学するのをきっかけに、こういった本格的なスマートフォンに……!」
「じゃぁ! お友達になったついでに! ジブンと連絡先交換しましょう!」
「ハイ! お願いします!」
んー、実に今どきの女子らしい会話だ。この中に僕が入ることはきっと無いんだろうな。
「あのー、もしよかったら紺野先輩も……!」
「うん! いいよ!」
「ありがとうございます!!」
「……え?」
『え?』じゃない、なんだこれ。
「先輩?」
適当に返事をした自分がバカだったのか?
「紺野先輩?」
いや違う、これはきっと幻聴的な──!!
「紺野くーん!!」
「ハイ! 何ィ!」
「神奈ちゃんの為に早く携帯出してあげて下さいッス!」
「お! おう!」
僕はポケットから携帯を取り出し、連絡用のアプリを起動する。
「は、ハイこれ、僕の連絡ID」
「ありがとうございます!」
日出さんは僕の携帯に映し出された番号をサッサと打ち込み始め、気が付いたころには連絡先の交換は終わっていた。
「これでいつでも話せるっスね!」
「ハイ……!」
「お……おう!」
「じゃぁ!自分は店長の手伝いしてくるッスー!!」
満足気にして澪ちゃんは仕事に戻っていった。
「なんというか、頼んだパフェを食べきった訳でもないのにとてつもない満腹感が……」
「ですね、でも……」
「でも?」
「新しいお友達が増えて良かったです!」
「……」
確かに、ここに日出さんを連れてきたのには、この店を紹介する他にも理由がある。
「澪ちゃん、普段はあんな感じだけどいい子だから安心してね?」
「ハ、ハイ!」
彼女なら、澪ちゃんなら、日出さんもしっかりと支えてくれるだろうと思ったからだ。
たとえ僕がその場にいなくても。