二十二話 『顔』
7月31日 午前9時28分──
「ただいま戻りましたー」
僕はドアを開いて、イスラフィルへと戻ると──、
「お帰り、紺野君」
ソファーでくつろぎながら、帝原さんが笑顔で僕を出迎えてくれた。
「あ、おはようございます! 帝原さん!」
「よしよし、元気なのは良い事だ! でもあれ? 鏡夜くんは?」
「鏡夜はちょっと寄り道してから来るらしいです。にしても、帝原さん今日は早いんですね? いっつも18時過ぎから来るのに」
「あぁ、うん、今日は日野くんが用事で遠くまで行ってるから、代わりに私が来たワケさ」
「日野さんが『用事で遠くまで』って、どこに何しに行ったんですか?」
「ん? 警察署?」
「警察署? ……どうして?」
「さぁねー、私も良く分からないけど、どうやら向こうのお偉いさんに契約者がいるっぽくて、その人に聞きに行ってるんだってさ」
「聞きに行ってるって……何をですか?」
「多分『悪魔の仕業だと思われる事件の事』を……じゃないかな?」
「それって、もしかしなくても……」
「そ、紺野君が商店街裏とか病院で起こした事件も、向こうが上手い事もみ消してくれてるらしいよ」
「……ですよね」
確かに病院での件は事情徴収などはされたが、商店街裏での件で僕が警察と何かしらで関わったことは一度も無かった。
コレで少し疑問が晴れた訳だが、それに関して、更に少し気になる事があった。
「僕達と冴木やグラシャボラス以外にも、契約者っているんですか?」
「うん、いる」
「……」
つまり、僕を含めたリゼル同盟の悪魔五柱、警察側にいる悪魔以外も、まだ契約者がいるという訳だ。
「今の所は、確認できるだけだと……二十二番目のアモンが新しい悪魔、まぁ、今回の聞き入れでまた新しい悪魔が見つかるかもしれないけれどね」
「という事は『悪魔とその契約者が事件を起こしてから』見つかるってことですよね……?」
「……残念ながらね」
「……」
『どうにかならないのか』と、考えても『どうしようもできない』が正解に等しい。
契約者や悪魔の巻き起こす事件を未然に防ごうにも、冴木やグラシャボラスの様に、突発的に起こされては手が付かないというものだ。
「いると確認できても、見つからない悪魔もいる。例えば、一番目の悪魔だとか」
「一番目の悪魔……?」
「……現状、二番目の悪魔は日野君のバルバトスなの──、でも、彼は一度しかその一番目の悪魔に出会った事が無いらしくて、私達の方でも探してはいるのだけれど、それでも一向に足取りが掴めない状態なのよ」
「なるほど……」
「まぁー、紺野君には暫く手伝ってもらうつもりでいるから、その内に見つかったらいいね!」
「……そうですね」
と、帝原さんと二人で話していると──、
「たでぇま」
僕に少し遅れてシュウが帰って来た。
「お帰り、シュウ君」
「お、ミカドさんじゃねぇか!『この時間に』ッつーことは、鏡夜は……」
「うん、警察署に」
「はぁ……相変わらず急にどっか行きやがる……」
「あ、でも、伝言が一つ」
「……なんだ」
「『紺野君の事をよろしく』って」
「はぁ……まぁ良いさ、どの道今日は連れまわすつもりしてたし」
え? 連れまわす?
「えっと……ちょっと待って、どういう事?」
「あぁ、さっき楓から連絡があってだな、今日はアイツが一日仕事になったらしいから『夜までお前の事好きにしていい』って」
「えぇ……」
楓さんも相変わらずのマイペースな人だ『商店街一の本屋の現店主がこの人で良く店が動くなぁ』と時々思う。
「……? シュウ、その花束は……?」
と、シュウの手に花束が握られている事に気づいた。
「ん? あぁ、これか、そうだな……せっかくだ、お前も来るか? レイ?」
「来るって、何処へ?」
「まぁ、ちょっとした所へだ。ミカドさんはどうする?」
シュウが帝原さんの方を向く。
「私はパス、日野君がいない分今日は私が仕込み担当なので、紺野君と二人で行ってきな」
と、少し呆れた様子で答えた。
「わかった。じゃあ早速行くぞ、レイ」
「今から?!」
「今から以外に何が有んだよ! さっさと行くぞ!」
シュウは僕の腕を引っ張る。
「ちょ……! まだ帰ってそんなに時間たって無いって……!」
「るせぇ! 行くんだよ!」
「はぁ……」
僕はシュウに連れられるがまま、ビルをでてすぐ横にある駐車場へ来た。
「ほら! 乗れ!」
と、荒々しく僕を車に乗せようとするシュウと、戸惑う僕の前に合ったのは、いかにも高そうな金色と赤色のみで彩られたスポーツカーだった。しかも乗れって事は──、
「えっと? コレってシュウの車?」
「そうだ」
「え? シュウって車の運転できるの?! 無免許とかじゃないよな?!」
「できるし! 免許もしっかり持ってる! 良いからとっととコレ持って乗れ!」
僕はシュウに花束を押し付けられ、その車の助手席へ乗った。
「そうだレイ、その花束、もしぐちゃぐちゃにしたら……どうなるか分ってるよな?」
「わかってるよ! わかったから早く車出せよ!」
「よっしゃ! じゃ! 行くぜ!」
そうして、車は動き始めた。
流石にこの町中じゃそこまでの速度は出せないのか、見た目の割に遅い速度でタイヤが回っていた。
「ってか、どこまで行くんだ?」
「ん? 坂見湾」
「……結構遠いな」
「なんだぁ?『帰りは歩いて帰りたい』ってか?」
「いや! 何でも無い!」
にしても、この花束、いったいどういう用途なんだろう。と、僕はその花束に束ねられた花を見た。
「……あぁ」
赤、黄、紫色その中に一つだけ紛れた色の無い白い花。
“百合の花”だ。
「……ん?どうした?レイ」
「……いいや、何でもない」
──一つだけ、それとなく気付いた事があった。
僕が同盟を結んで次の日、僕は初めてシュウに戦いの仕方を教わった。
僕はともかく、シュウは僕の事を信じ切れていなかった様で、最初の内は、あの地下排水路へ行くのは日野さんも一緒だった。『シュウが僕の事を殺さない様に』だ。
初めての模擬戦で、罪刑変化を使っても良いと言われたが、それでも僕はこてんぱんにされ、次の日も、その次の日も、僕はシュウに一方的にやられ続けていた。
やがて初めて、シュウの方から口を聞いたのは、五日目の練習後だった。
確か『オマエの事を何て呼んだら良いか』って話だった。
僕が『レイで良い』と言うと、シュウは僕の事を『レイ』と呼び始めた。
次の日、いつも通りの模擬戦と練習が終わって、時刻がすっかりお昼になった頃、シュウは『たまには奢ってやる』と僕を連れて、バー近くの牛丼屋へ連れて行ってくれた。
僕が牛丼屋にも関わらずカレーを頼む一方で、シュウもカレーを頼んでいた。互いのその空気の読まなさに、気付けば互いに笑い合っていた。
次の日からは日野さんも一緒には来ずに、僕とシュウだけで排水路へと向かった。練習中なのに、好きなタイプの女性だとかの話で盛り上がっていた。
その次の日は、好きな事、その次の日は好きな映画、次の日はまた好きな女性のタイプで盛り上がり。
一昨日は僕はシュウに獄式武装の使い方を教えて貰い。昨日もその事だった。
そして今、僕が百合の花を見て気付いたのは、どことなく、雑さと、それに埋もれた純粋な優しさがアイツに似ていた事。
バカっぽい所も、荒い所も、優しい所も、あの“三城優希”に似ていたという事だった。
「シュウ」
「なんだ?」
「……いつもありがとな」
「……ん? どうした? 急に?」
「いいや、ただいつも世話になってるから言った」
「んだよ……照れるじゃねぇか」
「シュウも照れるんだな」
「うるせぇ、下ろすぞ」
「ごめんって──、」
やがて数十分車に揺られ、僕達が辿り着いたのは『坂見市神港町渚霊園』だった。
この坂見湾の港に築かれた霊園は、遥か昔から『坂見市の港には神がいる』と言われ、昭和末期頃に築き上げられた霊園だった。
「海、綺麗だな」
「そうだな」
「ところでさ、シュウ」
「何だ?」
「この人は、シュウとはどういう関係の人なんだ?」
墓石の前で、僕はシュウに聞くと、
「元カノ」
と、シュウは案外普通にそう返してくれた。
「……そうか」
「確か、未だ話してなかったよな、俺がビトルと契約した理由」
「うん、知らない」
「じゃあ、話してやるから、ちょっと俺の顔を見てくれ」
「顔……?」
何の嫌がらせだ? と、僕がシュウの顔を見ると……。
「な……?!」
その顔は、北斗柊、彼の顔では無かった。
「……どうしたレイ? 俺の顔になんか付いてるか?」
「い、いや! ついてるも何も! 皮が! 顔の皮が! ってか誰?!」
頬は抉れ、唇は無くなり刃がむき出しに、鼻に至っては原型を留める処か無くなってる上に穴が二つ開いているだけ、いや、コレが本来の鼻の孔なのか?! というか、コレはもしかして悪魔の攻撃だったりしないのか──?!
「フフフッ」
「……ッ!」
「ハハハハハっ! 驚きすぎだろ! オマエ!」
「……え?」
「大丈夫だって! 俺だよ! シュウだよ!」
「……は?」
「だから俺だッつってんだろがゴラァ!」
「その顔で怒らないで?! 怖いから!」
その荒々しい声と言動を聴く限り、どうやら目の前にいる化け物はシュウで間違い無いらしい。
「本当に、シュウなんだな……」
「だから『そうだ』ッつってんだろ?まぁ、俺だって初めて見た時は、そりゃ自分でも怖かったしびっくりしたさ」
「……どういう事だ?」
「……はぁ、事故ったんだよ、お前、変な時には感鋭いのに、こういう時は悪りぃんだな……」
「ごめんって……ていうか、事故……?」
「……二年前、バカやってた頃の自分の話だ。あの時、あの夜に、俺は友達二人と、彼女、四人で車を乗り回してた──、」
シュウの口から語られた話は、衝撃的だった。
十八歳の頃、深夜、シュウと彼女を含む他三人達は無免許で車を運転していた。深夜で走る車も、歩く人間も少なかった事もあって、公道で信号を無視して猛スピードで走っていた。
その時車を運転していたのはシュウで、車が急カーブに差し掛かった頃──、ハンドルが狂うと同時に、気が付けば、シュウは、へしゃげた体がその『事故』の凄惨さを物語る彼女の死体の傍で、身動きが取れなくなっていた。
シュウが体を動かそうとすると、その体の違和感に気付いた。
右腕は車体で押しつぶされ、左腕に関しては原型を留めていなかった。下半身も車体に押しつぶされて見えてはいけない自身の体の内容物が辺りに散らばり、何より──、
「──顔が無かった、血まみれどころか、ズル剥けだよ」
目の前にあった車のバックミラーに写った。皮と肉がズル剥けた自分の顔が、笑う死神みたいにこっちを見ていた。
やがてシュウはそのまま意識を失った。死んだ筈だった。
けど、そんなシュウに、一人の悪魔が契約を申し出た。
『それが儂じゃ!』
「うるせぇ! 人が話してるときに話してんじゃねぇぞ!」
『なんじゃと?! 儂なのに! 儂が! このビトルが! お主を助けたのに──!』
“ビトル”
シュウはその悪魔と契約を結んだ。そして気が付けば、無表情の病院の天井が自分を出迎えていた。
「で、俺の契約部位は顔だ」
「顔?」
「そうだ。ビトルは俺の元の顔が随分と気に入ったらしくてだな、それで顔を契約部位にした。顔を元通りにしない代わりに、ビトルの力で『新しい顔』を普段の顔としてこの世を生きて行く事にしたんだ」
「それで、いつもの顔に?」
「ああ、っつっても、前と変わりは殆どないけどな!」
「自慢かよ……」
後にシュウは、助手席に乗っていた彼女一人と、後部座席にに乗っていた友人二人を失った事を知る。全員即死だったらしい。
最初は、シュウは『どうして自分だけが生き残ってしまったのかと自分を責めた』当然の事だった。皆良い奴だったからだ。
良い奴が死んで、悪い奴が生きてしまった。死んだ皆は良い奴で、生きた自分は悪い奴。それが許せなかった。
「俺が事故を起こしたその曲がり角で、ビトルの力を使って罪を犯していた」
『そうじゃ、罪刑変化で死んだ友人と元カノの偶像をこやつは作り上げ、それを上手い具合に扱って事故を何度も起こしていたんじゃ』
やがてシュウが自分へ向けた罪悪感は暴走し、他人にまで牙を向くようになった。
「鏡夜に出会ったのはその時だった」
“日野鏡夜”
その男は、シュウを見て笑った。
「『良かった、まだ戻れる』鏡夜は俺にそう言っていたよ」
その笑顔にシュウは苛立った。だから日野さんと、その場で争った。
結果はシュウの負けで、敗因は『弱かったから』だった。
「鏡夜は、俺と違って、他人の死と、それに伴う自身の罪悪感を乗り越えていたんだ。だからその分、一歩足らずで俺は負けた」
しかし日野さんはシュウを殺しはしなかった。シュウが優しかったからだ。
『他人を憐れむ事が出来る人間に悪い奴なんていない』鏡夜はそれを理由に、シュウからビトルの魂を少し抜き取り、自身がこれから営業を始めるという店で働かせた。
「ある日店に来たホストクラブの経営者の男が『いいねその顔つき、良かったらこっちで働かないか?』って俺に言った」
シュウは最初は断っていた。本物の自分の顔じゃないし、人の死で成り上がった顔だからだ。
「で、悩んでいたら、鏡夜は俺に言った『君のその神定罪なら丁度いいんじゃないかな?』ってな」
日野さんはシュウの事を『人を殺した人間』という目では見ていなかった。シュウの契約の成り立ちを知っていても『そういう』目では一切見ていなかった。だからシュウは、日野さんを信じた。
「俺をスカウトした店は町じゃ有名なホストクラブで、俺の神定罪は『人と顔を合わせる事』だった。だから丁度良かった、仕事をしながら罪を稼げたからな」
働き終わったら、日野さんの店へ行き、酔って家へ帰る。たまにはそのまま酔いつぶれて、店の中で夜を明かす。そしてまた働く。
「気が付けば、過去の過ち何て忘れそうになってた。でも、それで良いんだよ……忘れて、たまに思い出す。その事に気づいた頃には、仲間が増えていた」
「仲間……帝原さんと楓さんの事?」
「そうだ、二人とも良い奴だ。ミカドさんは面倒見良いし、楓さんは美人で悩み事を良く聞いてくれる」
良い人に出会えて良かった。だから──、
「俺は後悔をやめた」
『後悔をやめた』
その事がどれだけ難しい事か、今の僕には理解できた。
僕があの時、バラムと契約せずにそのまま死んでいれば、助かった人もいた筈だ。『生きる事』が罪にならなかった筈だ。
「でもな、レイ──、未来何て誰も解りやしねぇんだ。何時何処で何が起こるかも知らねぇ、自分か何時死ぬなんて事も、結果は知ってても何時かは解らねぇ。だから考える意味なんてねぇんだ。大事なのは、今を楽しく生きる事だ」
「でも、シュウはそれで事故を──」
「そうだ! 俺はそれで事故った! けど! でも! それで良かった! 事故はあの時のバカな自分を引っ叩いてくれて! 事故のお陰で、俺はビトルと鏡夜達に出会ったんだ! でもって! 俺は今を生きてる。この顔の傷は、それを忘れない為に、あえて治してねぇんだ! 良いか、レイ! いつ受けるか分からねぇ天罰の事なんかより、今、自分の目の前で起きてる事に真剣になれ、そうすれば、きっと、何時か迷って後ろを向いた時に思うさ『コレが自分が歩んで選んで来た道だ』ってな!」
「……シュウ」
「今で良いんだ! 今が良けりゃ! それで良いんだ! だから後悔だけはするんじゃねぇ! どんな些細な事でも! どんな辛い事でも! 良い事だと思え! それが『今を生きる』って事だ!」
そうだ。
僕が生きていなければ、助からなかった人もいるじゃ無いか。
僕が死んでいたら、シュウにも、日野さんにも、帝原さんにも会えなかった。楓さんと、それに、日出さんとも、仲良くなれていなかったじゃないか。
「わかったよ、シュウ……僕はもう、後悔はしない」
「そうだ。それで良いんだ紺野零、今を生きろ……!」
「……ありがとう、北斗柊」
「……ハッ、お互い様だ」
僕達はその後、少し墓の手入れをした──、
「なぁ、シュウ」
「なんだ? さっきのでなんか文句あんのか?」
「いや、少し気になったんだけど、シュウのビトルは何番目の悪魔なの?」
「ん? 確か、五番目だった筈だ。それがどうした?」
「いいや、バラムで二十一番目で、シュウが二年前で五番目なら『二年の間でどんな感じでどれぐらいの悪魔が増えたのかな』って──」