十六話 『柄者』
「ハァ……! ハァ……!」
目の前を走る男に僕も走って着いて行く。
なんというか、ここ数日走りっぱなしな気がしなくも無い……。
「ったく! 明後日までは大人しくしてる予想じゃなかったのか……?!」
僕は獄罪鎧を解し、投げた鞄を背負い直して、仮面の男に言われるがまま、彼を追いかけて住宅街を駆けていた。
その男が付いて来いと言う場所へは、そこそこに斜面がある坂道を上へ向かって走る必要があり、その先に見えた物は──、
「……?!」
目的地へと辿り着く直前に思わず足を止めてしまう。
「クソッ! 遅かったか!」
「なんだよ……コレ……」
息を切らしながら段々と走る速度を落とし、その場にたどり着くや否や、その凄惨な現場が僕の目にそのまま移りこんだ。
中層部から燃え上がる火と、天高くへと黒煙を巻き上げたマンションがそこにはあった。
「冴木が……やったのか?」
『かもしれんな』
消防車はまだ来ていない一方、近所でその騒動をかきつけて来た野次馬達と──、
「やめてえええ!」
「あ……あ……?」
「家が燃えるうううう!」
「上の人達は大丈夫なのか?!」
「誰か! 誰か木下さんを見なかった!」
涙を流す者、口を開けて放心する者、叫び声を上げる者。様々な感情が入り混じり、阿鼻叫喚としているタワーマンションの住民達が人混みを作り上げていた。
「二人とも! こっちよ!」
──と、その中から、一人の女声が聞こえてくる。
声がした方を男は振り向き、僕もそれにつられて、その姿を目に収めた。
「“猫鬼”……! と、その子が二十一番目の子ね……!」
仮面の男を猫鬼と呼ぶその女は、男同様にフードを被り、顔には鳥の面を付けていた。
「そうだ……で、二十二番目は?」
鳥面の女は首を横に振った。
「こっちもツケてたけどダメ! あの火の中にいられたら、いくら私の罪刑変化でも助けに行くのは無理よ……! とりあえずはその二十一番目を──!」
ボンッ──、と鳥面の女が話している最中、爆発音が響き、その後を追うようにガラスが割れる音と共に、マンションの足元へとガラスが降り注いだ。
「きゃあアアアッ!」
「救急車ッ! 救急車まだなの?!」
「うあああああ!」
ある程度離れていたのもあって人そのものにガラスが降り注ぐことは無かった。が、ごちゃごちゃとした状況が更その混沌を増した。
一方で、その状況を見た僕の体は、傍の二人を差し置いて、意志に抗う事も出来ず。足を一歩、二歩と、そのマンションの入口へと足を踏み入れていた。
『駄目』だ──、
『……レイ』
『駄目だ』って分かってる──、
『……まさか──!』
けど──!
「罪刑変化! 獄罪鎧!」
全身、とまではいかないが、顔と腕、それと足。『ほぼ全身』に鎧を纏い、そして──、
「待て! 二十一番目!」
「アナタ! 何をしようとしてるの!」
手を伸ばして止めようとする二人を差し置いて──、
「ごめんなさい!」
と、謝りながら、僕は燃え盛るマンションへと足を踏み入れて行くのだった。
「キミ! 何をしようと!」
「駄目だ! その火の中じゃ──!」
「死ぬぞ!」
「いいやよく見ろ……! あれって──!」
僕はその姿を皆に見せしめ──、
「もしかして“赤鬼”……!」
皆が呟くその名と共に、僕は煙と炎が立ち込めるマンションの中へと入っていくのだった。
『まったく、何をすると思いきや……やはりこれか……』
『仕方無いじゃないか……!』
視界は少しぼやけるぐらいで、まだ良好だ。
しかし煙を吸い込めば、いくら悪魔の契約者だからといって、有害な煙のそれには耐えられ無いだろう。だから僕はバラムとは口ではなく、心中で話すことにした。
『この間にも、まだ逃げ残った人が上の階にいる筈だし、それに──!』
『さっきの奴等が〈二十一番目〉と呼ぶ契約者……サエキユウヤがまだいるとな?』
『……ああ!』
『ほう……』
恐らく殆どの煙は上へと上がっているからだろう。だとしたら、一番被害の大きいのは、中層部より上の階で、逃げ遅れた人も大勢いるはずだ。僕はそれを──、
『できれば……! 全員助けたい!』
勿論、全員助けるつもりでいた。
『貴様は相変わらずだな……』
『……火を消す事ができる訳じゃないけど、助ける事なら出来る筈だ! だからバラム! 力を貸してくれ!』
『我が契約者の為なら……と、言いたい所だったが──、』
バラムは少し間を開けた後──、
『ダメだ』
僕にはっきりと、そう言った。
『……は?』
『良いかレイ……お前は私に頼り過ぎだ……』
『〈頼りすぎ〉……って! 僕の願いの為なら力を貸してくれるって言ったのはバラムじゃ無いか?』
いつもは偉そうに話すバラムだったが、今回ばかりはその声に偉ぶった様子は無かった。
『……レイ、お前は本当に、その事が願いなのか?見も知れない他人を助けるのがお前の──!』
僕は階段を登る足を止める。
『……それは前にも言っただろ、僕の本当の願いは〈人を守る為に戦う〉事だ。だから──!』
『もう良い!』
『……!』
『レイ! オマエは本当は分かっているのだろう! 気が付いているのだろう! 自身の本心という物が崩れ始めているという事を──! 自身の大切な者が死しても──! その心には涙が──!』
「うるさい!」
口から、大きく吐き出された僕のその声が、バラムの声を切り捨てた。
その後すぐには、ただ火が燃える音と、やっと到着した消防車や救急車の音だけが聞こえ、かすかな静けさが、僕にバラムが言っている事の理解を促していた。
「僕だって──! 僕だってなりたくてこうなった訳じゃないんだ!」
それが理解できてしまって、僕は叫んだ。
「死にたいから死んで! それでも怖くて死ねなくて──! 訳の分からない奴と契約して! 生き返って! 仲悪かった奴と仲良くなって! 人を助けれなくて! クソみたいな奴地獄に送って! それで──!」
それで……。
「なんで……こうなっちゃったんだよ──!」
バラムが言う様に、心の中に気付いていた事があった。
バラムが力を使う度に、僕の心の何かが可笑しくなっていた。
最初は軽い気持ちでバラムに力を借りていた。けど──、
『レイ、罪というモノは、段々と心を蝕むのだよ──』
僕の心は、気が付けば『未来を約束した友』が焼け死んでも悲しまなくなっていた。
『レイの場合、未だに神定罪が何かは分かっていない上、その神定罪で得られる罪の量が多い──、故に罪を罪刑変化などの力として放出しても、気が付けば罪が溜まってしまう。そして──、罪を得れば得る程、契約者の心には〈蝕み〉ができてしまう。蝕みは罪悪感と喪失感を欠如させ、やがては契約者を〈廃人〉に至らしめる。レイ、お前はここ数日でそれが繰り返され過ぎたのだよ』
「どうして、もっと早く言ってくれなかったんだ……?」
『言ったさ、少し遠回しではあるがな……。しかしそれは……お前の事を思ってだ』
「……!」
僕があの時、バラムの力に頼って日出さんを助けるつもりが無ければ、三城と仲直りもしなかった。
僕があの時、悪魔の力に酔いしれて、女性を助けるつもりが無ければ、グラシャボラスと出会う事も無かった。
僕があの時、グラシャボラスから人々を助けるつもりが無ければ、もっと大勢の人間が死んでいた。
『レイ、良いか、お前は〈人の為に〉と力を使い過ぎた。人の願いを叶えようとし過ぎた、その代償が、その蝕まれた心なのだよ』
でも──、
『だからもう! これ以上は止しておけ! これ以上は──! 本当に人ではいられなくなるぞ!』
僕は──、
「バラム──」
それでも──、
「僕は──! それでも、人の為に力を振るいたい! これが僕の、本当の願いだから──!」
『レイ……ッ!』
「だからバラム、どうか僕に力を貸して欲しい、どうか僕を〈せめて人として人でいられなく〉して欲しい……!」
『……承った』
バラムが僕の願いを受け止めたその瞬間──、心の奥底でせき止められていた何かが、僕の全身へと行き渡ったのを感じた。
「……コレは?」
『……レイ、やはりオマエには叶わぬ』
「……?」
『……今しがた、我が例に与えている肉体強化の罪刑変化の限度を上げた。今までよりは多くの罪を浪費するであろうが、効果は絶大な筈だ。……勿論、先ほど言った通りその分の蝕みも増えるがな……』
「ああ……! ありがとう! バラム!」
僕は笑顔で、階段の続きを駆け上がり始めた。
『……体が……軽い! これなら……!』
一度階段を登るのを止め、柵から上側を見た。
火の手が上がっているのは、丁度僕が今いる7階から3階上にある10階辺りだ。しかしそれ以上は──、
「煙で何も見えない……!」
でも、それが分かっただけで充分だ。
火がある所には、きっと人はいない筈だ。いたとしても……いや、考えるのは止しておこう……! とりあえず今は……!
「いけるか……?」
残念ではあるが、僕お得意の深呼吸は、この煙が立ち込める環境じゃ自殺行為だ。
だから──、
「……ッ!」
目を瞑って、心を落ち着かせる。
「よし!」
そして──、柵へ足をかけ、大きく上へ跳ねた──!
「……う、うわああっ!」
空を駆けるように、体が宙を舞う、いや、飛んだ。僕の体は10階より上に上がり、煙に埋もれた。
バラムが『限度を上げた』とは言うが、コレは少し上げすぎな気が──!
『その力を我が物にして見せよ、レイ』
いや! バラムの言う通りだ! 弱音なんて吐いてられるか! 無理矢理でも使いこなして見せる!
「止まれええええッ! 罪刑変化ッ! 獄罪鎧ッ!」
僕は右手に獄罪鎧を纏わせ、思い切りコンクリートの廊下の柵へと突き刺した。強制ブレーキだ。しかし──、
「うああああっ!」
体全体に急ブレーキがかかる訳でも無いので、身体は上に上がり、
「いでっ!」
そのまま何階かは分からないが、廊下へと身体が投げ飛ばされた。
「ったぁ……!」
と口に出しても、もう慣れた痛みではある。
「何階だ。ココ……!」
僕は起き上がりながら近くの部屋の表札の室番号を確認するとそこには『1203』と書かれていた。
確かに今いる位置は、煙は酷いが、火の気は無い。流石はセレブが住む町にあるタワーマンション、防火対策はある程度されているらしい。となると、現状で救急隊が来るまでに一番安全なのは屋上か……? けど……!
「何階建てだよ……!」
想定だと25階はある。殆どの住人が屋上へ避難している事だとは思うが、それよりも──!
『バラム、まだこの建物内に、冴木は感じ取れるか?』
ひとまず気にかけたいのは、冴木の居場所だ。
『……いる。我達より上の階だ』
『……分かった!』
急いで階段を登りたい所だが、それよりも逃げ遅れた住民がいないか心配だ……!かと言って、一つ一つ確認していく訳にもいかない……! どうすれば……!
そう、考えている時だった。
『二十一番目くん! 聞こえる?!』
声が、頭の中へ響いて来た。さっきの鳥面の女の声だ。
『……ん?!』
『その様子だと聞こえてそうだね! なら良し!』
話している感覚としては、普段心の中でバラムと話す事と大差は無かった。
『今、私が罪刑変化を使ってアナタに話しかけているわ、あぁ、安心して! そんなに悪い力じゃないから……!』
『という事は、あなたも契約者なんですか……!』
『その話は後! それよりも……逃げ遅れた住民についてなのだけれど! 殆どが屋上へ避難している様ね……』
『……! 本当ですか!』
『ええ、私の罪刑変化で〈見た〉から、信じてほしい』
襲い掛かって来た猫鬼と呼ばれる男と違って、この女性は信用できる様子だった。
『……信じます!』
だから僕は彼女を信じて、その報告を頼る事にした。
『それと、未だ非難ができていない住人の事なのだけれど、今アナタがいる十二階から八つ上の階、二十階にまだ一人、人がいるわ……もしかしたら何か理由があって逃げれないのかもしれないから、できれば助けに行ってあげて』
『……分かりました!』
できればじゃなく、絶対に助けてやる! と、僕は歯を噛み締める。
『それと、22番目はその20階より上の階にいるわ、一先ず私の方から伝えられるの……コレだ……後は……ま……わ……」
最後の方は声が急激にフェードアウトして行き、何を言っているのかは分からなかったが、言いたいことはきっと、僕に伝わった。
『よし……行こう!』
僕は先程と同じ要領で廊下の柵の上に立ち、先程よりも力を控え目に跳ねた。感覚的には、少しフワッとするぐらいで、一階ずつ、柵を伝って上へ登って行く。
十三階。
十四階。
十五階。
十六階。
十七階。
十八階──、
「うわーん!おかあさーん!」
と、ここまで来て声が聞こえて来た。女の子の声だ。
『また子供かよ……!』
数日前の嫌な思い出が頭を過る。
『安心しろレイ、お前でもわかるだろ』
『ああ、分かってる! 契約者じゃない! だから今度こそは──!』
一段飛ばして、そのまま二十階へと突入する。
『今度こそは──! 絶対に助けよう!』
煙は下の階ほどでは無いが、時間の問題だろう。時期に火の手も煙も上がって来るだろう。
「あかあさーん!」
ひとまずは、この目の前で助けを呼ぶ声の主を助けよう。
「……? 誰?」
うずくまるその少女は、きっと小学生低学年ぐらいだろうか、小さな身長と、まだ少しフックリとしている頬が特徴的だった。パジャマ姿をしているのを見ると、平日の今日は風邪で学校を休んだりをしていたのだろうか?
「えっと……大丈……夫……?」
僕は少し前かがみになり、そう女の子に声をかけた。が──
「……うぅぅ……!」
この感じ、まずい──!
「……うわああああああん!」
ほら来た。と言っても、僕の今の子の姿じゃ仕方も無いか。
獄罪鎧を頭に纏った姿は、前に少し鏡で自身で確認してみたが、ヒーローか敵かと聞かれたら敵だし、そりゃ泣くよな。ので──、
「だ、大丈夫! 安心して……は流石に無理そうだね、うん! 泣かないで! 助けに来ただけだから!」
なるべく落ち着いて、優しく接する。
『フッ』
と、バラムの笑い声。
『笑うな悪魔』
『いやいや、続けよ』
確かに柄じゃない、けど、人を助ける事って、誰にとっても『柄にも無い事』が付き物だ。それこそバラムが人助けなんてしてたら、僕だって思わず笑ってしまう。
「……うう!」
「えっと……! お母さんは?」
「おかあさん……おかいものいっちゃった……!」
なるほど、それで風邪で子供一人留守か、で……。
「誰か来なかったりはしなかったの?」
「ううん、だれも……こなかった……」
「……そうか」
何と言うか──、
「こわくておそとにでたら、たいへんなことになってて……」
『柄にも無い事』をする人って、少ないんだなと考えてしまう──、
「……」
「わたし、どうしたらいい……?」
けど──、
「……逃げよう」
「にげ……る……?」
「うん、付いて来て!」
『柄にも無い事も出来ない人間に柄なんて一つも無い』と、僕は思う。
僕は女の子に手を差し出した。
「でも、しらないひとについていっちゃだめって……せんせいが……!」
「でも、このままじゃ君は独りぼっちだ」
「ひとりぼっち……?」
「うん、お母さんも、君の隣に住むお隣さんも来ない」
「ひとりぼっちって、こわい……?」
「うん、怖い」
「『あかおにさん』より、怖いの?」
『あかおにさん』とは、きっと僕の事だろう、確かに今の見た目の僕は怖いだろうな、けど、確かに──、
「うん、僕より怖いよ、だから、逃げよう!」
「……」
その少女の瞳が、酷く脅えていたのは僕にも目に見えていた。けれど、その怯えた瞳の向こうで、ひっそりとその輝きが輝いていた。
「……わかった」
怖いだろう、けど、そんな怖さなんて、一瞬のそれで一気に消し飛ぶんだ。
「……よし!」
『勇気』──、
彼女は勇気を振り絞って、僕の手を取ったのであった。
「行こう!」
「……うん!」
僕はポケットからハンカチを取りだし、女の子に渡す。
「……?」
「これで口と鼻を押さえておいて、あと、出来る限り姿勢は低く」
「……わかった」
「……良い子だ」
ゆっくり、ゆっくりと階段を登って行く。屋上を考えると、あと6階分の階段はある訳で、これぐらいならきっと、この歳ぐらいの女の子でも登れるだろうと言いたい所だが、
「けほっ! けほっ!」
「……! 大丈夫!」
「うん、ちょっとせきしただけ……」
この子は病人だ、きっと途中でへばってしまう。だとすれば──、
「……乗って」
僕はしゃがんで女の子に背を向ける。
「こほッ、うん」
躊躇いも無く、女の子は僕の背中によじ登ってくれた。これで一緒に上へ行けるわけだ。
「僕が良いよって言うまで、僕にしっかり掴まって、目を瞑って、息止めてて!」
「……わかった」
「うん、良い子だ」
「……フッ!」
よし……! と、心に活を入れて、柵に足を乗せる。
大丈夫、変わらない、ただ少し──!
「フンッ!」
──重いだけだ!
心配なんて気にせず、僕は思い切り上へと飛び跳ねた!
「……ッ!」
上へ! 上へ! 一気に、屋上へ──!
「……え?」
『……ほう』
──しかし、そこに広がっていた景色は、
「なんだ、これ……!」
『……これが22番目か』
大きく燃え上がった蝋燭、ではなく──、
「人が……燃えてる……!」
大きく燃え上がる人柱達。そして、その前に立つのは──、
「冴木……!」
「……誰だ?」
冴木裕也、本人だった。




