十五話 『偶像』
「先を進まないんですか?」
『ダメだ!レイ!その女に近づくな!』
「何言ってんだよバラム、日出さんだよ……!」
『まさか──!?』
「一緒に帰りましょうよぉ! 先輩!」
「うん……帰ろう」
『よせ! レイ! ソイツに近寄るな!』
バラムの言う事なんか無視して、僕は日出さんの手を取った。途端──、
「掛かったな!」
そう言って、日出さんでも、何者でも無い“ソイツ”は、その両手で僕の首を絞めた。
「──ッ!」
『レイ!』
“違う”
判っていた筈だ。
知っていたはずだ。
今の時刻はまだ午前十二時前頃だ。一年生の彼女は、今頃は学校でテストの真っ最中の筈だ。
けど、そんな事も忘れるぐらいに、その『偶像』は、あまりにも完璧に精工だった。
「そのまま放すんじゃないぞビトル──、」
そして『その男』は、何処からともなく現れた。
「そのガキは『例の二十一柱目』だ、もし放せば、俺達が危険な目に合う……!」
頭には黒いフードを被り、その『顔には猫の面を被った長身の男』は偶像に首を絞められる僕に歩み寄り、顔を見た。
「この様子だと、戦いにはあんまし手慣れてはいねぇらしいな……」
「……ガッ……アッ……!」
「……?」
僕の目を見て、男は首を傾げる。
「こんなガキが『二十一柱目』か……お前の悪魔も相当な物好きらしいな?」
面の目の部分から覗かせる目は、獲物を捕らえた豹の如く僕を睨み付ける。
『レイ! わかるとは思うが、この男は契約者だ!』
「オイオイ、悪魔も元気らしいな」
『……貴様、自身を契約者だと隠す気は無いらしいな』
「へぇ、珍しく良く喋る悪魔じゃねぇか……コレは相当に罪が足りてるらしいな?」
『貴様も、我の契約者と比べては良く喋る! しかし──!』
瞬間、僕は無意識のうちに……いや、バラムが勝手に切り代わった。
「──その汚らしい手で我の契約者に触れるで無い!」
「ッ!?」
「罪刑変化! 獄罪鎧!」
「ビトル! 放せ!」
偶像は僕の首から手を放したと思えば、まるで霧の様に消えて行く。
一方で、僕の頭と手を獄罪鎧が覆いつくすと共に、バラムから僕へと切り替わった。
「ガハッ……! ハァ……ハァ……!」
『大丈夫か! レイ!』
「大丈夫! だけど……!」
猫の面の男は、コチラを見て身構えていた。
「その様子! 心臓で契約したのか!」
どうやら僕達が心臓で契約していた事がバレたらしい。
「ど……どうしてわかった!」
『いや、レイ、知識ある相手ならバレても当然だ』
「は?」
『この肉体間での魂の切り替えは、心臓、それか脳で契約した時のみにしかすることは出来ない』
「でも、どうして心臓って言えるんだ?」
『我がこうして〈まともに話せている〉からだ……グラシャボラスの話し方を見ただろう? アレは脳に無理矢理自身の魂を宿すことで起きる障害だ……それが無く、こうして切り替えれるという事は──、』
バラムが僕に説明する中──、
『心臓で契約しているという事は、“アイツ”が苦戦するのも納得行くのう』
その『女の声』が割り込んできた。
「おい! “ビトル”! 敵と勝手に話すんじゃ──!」
『別に良かろう? 結局はこうして話す相手ではあるのだからな?』
「……クソッ! 好きにしろ!」
突然と目の前の景色が陽炎の様に歪み始め──、
「久しいのう、バラム──、」
『ビトルか……』
──その豹の頭と、誰もが思わず目を凝らしてしまう程、妖艶な女性の体を持つ悪魔が目の前に現れた。
「いかにも! 儂はビトル! 十二柱“ビトル”女公爵よ!」
自らをビトルと名乗る悪魔は、僕達の元へ歩み寄って来る。
僕の目は思わず、歩く度に揺れるその悪魔の胸に付いた無防備に揺れる二つの肉塊に──、
『気を付けろ! 奴に目を奪われるな! 正気を保てなくなるぞ!』
「……ッ! 危なかった!」
危うくバラムの言う通りになる所だった。というか──!
「コイツ……! 自分の体を『そのまま』出せるのか!」
バラムやグラシャボラスと違って、その悪魔は自身の姿を具現化していた。
『いいや、目に見えない物やその場に無い物を具現化する力だ……肉体そのものではないさ……』
「そうだとも! 今のこの儂の姿も、お主等を取り囲んでいた『偽の街』も、標的を真似た囮も、全て儂の力で作り上げた偶像よ! しかし──!」
ビトルは腹を抱えて笑いながら話始めた。
「カハハハハッ! その様子だとお主も変わらない様じゃのぅ! バラム」
『貴様もまた、その契約者と言い、随分と男共をたぶらかしていそうで何よりだ!』
「フッ! 元天使が何を言うと思えばそんな事か!」
『……黙れ! その話をするな!』
「ハハハハ!相も変わらず!面白いの!」
どうやら、グラシャボラス同様、この悪魔もバラムの事を『元天使』だと言うらしい。
「しかし……その契約者の少年は中々に良さそうでは無いか……!」
「……ッ!」
警戒も無く歩み寄って来るビトルに僕は思わず身構える。
「何、安心せよ、我が契約者が『やれ』と言うまでは何もせぬ」
「それは……信用できない!」
「ほう……」
とは言っても、グラシャボラスの様に話が通じない相手でも無いらしく──、
「どうだ、我が主様? この少年、上手く扱えば力になると思うのじゃが?」
「……知るか」
ビトルが自身の契約者と話をしている様子を見て『もしかしたら交渉できる相手なのかもしれない』と、僕は思った。
「一つ、聞いて良いてもか! ビトルの契約者!」
「なんだ……聞いてやろう」
「お前は……お前達は……冴木の仲間か!」
「……逆に聞こう、お前は『二十二柱目』……そのサエキとかいう奴の仲間か?」
「……違う!」
「……本当にか?」
「本当だ」
「……だったら、アイツを殺せと言われたら殺せるか?」
「……ッ!」
「奴の後ろをつけていたって事は『殺すつもり』はなかったんだろ?!」
「それは……ッ!」
確かに殺すつもりは無かった。だって──、
「俺は殺すつもりでいる。だからお前がもし、アイツを殺さないと言うのならば、俺はお前を殺さなければならない」
「アイツは……冴木は、冴木裕也は友人の兄なんだ!だから──!」
「……は?」
その瞬間、一瞬僕の思考も、身体も動かなくなった。
「お前……友達の兄貴にまで情を抱くのか?」
そう言われてのその一瞬だった。
「だって──!」
「もういいさ、お前みたいな『妙に情が深い奴』がいる程、後々後悔する事が増える……」
男はそう言ってポケットから手に何かを取り出した。僕が目を凝らしてその何を見てみると、それは──、
「『爪楊枝』?」
何の変哲も無い、歯と歯の間に詰まったりした食べ滓を取ったり、料理道具としても扱える。どの家庭の食卓にも百本は纏めてみんなの手の届く場所にあるであろう、ただの普通の爪楊枝だった。
「罪刑変化──!」
ただの爪楊枝だった。
「獄式武装! 霧刀!」
だった。
「……?!」
時に罪は目に見える姿で現れる。
例えば獄罪鎧を作り上げる赤黒い泥だったり、僕に致命傷を与えたドス黒い液体のような形だったりする訳で──、
「なんだよそれ──!?」
男が付けている仮面の隙間から、もやもやと黒色の霧が溢れ出て、男が人差し指と親指でつまむ爪楊枝に纏わり付いて行き──、
「その様子だと、この使い方は知らないみたいだな」
爪楊枝は、やがて長く『刃が幽艶と青白く光る刀』へと姿を変えた。
「一つ教えてやる──」
その男は、獄罪鎧の様に、罪を鎧にして自信を守るのではなく──、
「罪ってのはな、身体を守ったり、ただひたすらに放つだけじゃ無い、こうして武器にする事だって出来るんだよ」
ただの爪楊枝を、罪を使って、一つの刀に変えて変えてみせた。
『ほう、使い方としては正しいな』
その一風には、バラムも思わず称賛してしまう程らしい。
「あれ……僕にもできないのか?」
『さぁな、我も聞いた事が無い罪刑変化だ』
「聞いた事の無い罪刑変化ってあるのか?」
『あるのでは無く、我の知らない内に編み出されたと言うのが正解だろうな』
一方で『自分にもできないものか』と考えてしまう僕がいた。
「さて、ビトル、こうして『敵に』手の内を見せて、刀の刃まで見せた訳だ──!」
そう言って男が刀を振ると、その後を追うようにして霧が広がる。
「──後は分かるよな?」
ビトルは男の方を向いて──、
「はぁ、相変わらず主様は仕方が無いのう──、」
大きく息を吸って──、
「まぁ良かろう、後に殺す相手じゃ」
その鋭い豹の眼で僕達を睨み付けた。
『レイ、奴の力に惑わされるな、奴は──!』
バラムがそう言っている間に、僕の後ろにもビトルがいた。
「『奴は』なんじゃ?」
「──ッ!」
何をされたかは分からなかった。けど、振り向いて、僕は後ろにいたビトルの蹴りを受けて、後ろへと蹴飛ばされただけで済んだ。
『気を付けろレイ! 奴は囮を扱う! 気を緩めれば騙されるぞ!』
それをやられた後に言うなと言いたい所だったが──、
「ッ!」
僕が蹴飛ばされた先にいた男が、そうはさせてくれなかった。
「フンッ!」
背中に刀を一撃、
「ガハッ!」
そして──、
「罪刑変化──!」
もう一撃いや──、
「“偶像”! “分体”!」
男が唱えた途端、振った刀から吹き出たその霧は形を変え──、
「……?!」
男がもう一人現れ、男と共に二撃同時に僕の体へ、刀で──、
「バラムッ!」
『わかっている!』
刀が当たりそうになったその瞬間、バラムの『例の罪刑変化』が発動する。
気づけば僕の体は、男の背後を取っていた。
「何……ッ?!」
戸惑う男、その後ろを──、
「貰ったッ!」
──僕が取る!
「うおおおおっ!」
僕は反動の頭痛に耐えながら、拳を男の顔面へ向けて放つ──、
「掛かったな」
が──、
「まさか?!」
いつの間に、囮へと変わったと言うのか、僕が拳を当てた男の顔面は霧となって霧散した。
「今だ!ビトル!」
気付かなかった。いや、気付ける訳が無い。
僕の傷口からにじみ出る血は、液体として流れ出るのではなく、気化して、霧として漏れ出ていた。そして──、
「か弱いのぅ……」
ビトルの力は、霧を操る力だろう。
僕の傷口から漏れ出るその血煙は、ビトルへと姿を変えていた。
「……?!」
「止めじゃ」
ビトルの腕が、僕の胸を──、
「と、言いたいところじゃが」
──貫かなかった。
ビトルは手を僕の胸の直前で止め、僕の胸を優しく撫でた。
そしてその手は、妙に暖かかった。
「……ッなぜ殺さない! ビトル!」
男は声を荒げる。
「『殺さない』のではなく『殺せない』のじゃ……それよりも、二十二番目を気にしたら良いのでは無いか? 我が主様?」
「どういうことだ! 手の内を晒したんだぞ! 殺さねぇと──!」
男が話している中──、
『リリリリリリ』
電子音が鳴り響く、良く聞く音だ。恐らくは携帯電話の鳴る音、僕の持っている物が鳴っている訳では無いだろう。となると──、
「ああクソッ……! ったく、こんな時に限って──!」
男は携帯電話を取り出し、耳に当てた。
「……んぁあ!? 二十二柱目が動いた!?」
そして声を荒げ、
「オイ! 二十一柱目! 一緒に来い!」
僕にそう言った。




