十三話 『吐気』
7月13日 午前11時03分──
「……」
意識が遠のく──、
「冴木さん……! 大丈夫ですか……!」
これでいいんだ──、
「おにいちゃん! しっかりして!」
俺なんていても、ただの重石にしかならない。
「ダメだ! なんででこんな時にテロなんか……!」
「中央病院だ!ソコならまだ……!」
「間に合いそうか……?!」
「脈拍!低下しています!」
「おにいちゃん!ダメ!死んだらダメだからね!」
なんでこんな時に限って、俺は大切にされるんだろう。
「駄目です!もう……!」
「ヤダ!おにいちゃん!死んじゃヤダァッ!」
もっと──、
「お……ちゃ……ダ!」
もっと──、
「……! ……!」
──もっと『いい生き方』をしたかった。
全身が冷たくなって行く中でそんな事を思って、少し後悔した。
まさか首を吊っていた所が、たまたま早く帰って来た妹に見られるなんて思いもしなかった。
お陰で自室じゃなくて、こんな車酔いしそうな救急車の中で最後を迎える事にもなった。
「……」
もう何も見える事も聞こえる事もない、暗い暗闇が僕を包んだ。そんな中──、
『聞こえますか』
──どこか優しげのある、その声だけが聞こえた。
「……?!」
『聞こえる、様ですね』
「なんだ……コレ?」
『私は悪魔、名を“アモン”と申します』
その自身を悪魔と呼ぶその声は──、
『少年よ、私と契約するのはいかかでしょうか?』
──俺に契約を差し出してきた。
******
7月15日 午後5時23分
「いよいよ明日退院ですね、先輩」
「うん、お陰でいろいろゆっくりさせてもらったかな」
商店街の件の後、僕が気を失って、病院へと搬送されてから一週間が経とうとしていた。
“神郷病院テロ事件”として扱われているグラシャボラスの大量虐殺の影響で、神郷病院は一時閉鎖され、僕を含む患者の大半は転院を余儀なくされた。
僕は隣町、神港町の三縄病院へと転院を余儀なくされ、ついに明日、満を持して退院する事となった。
「にしても、先輩が無事で良かったです……! 丁度倒壊した場所にいたと聞いて心配しました!」
「僕も日出さんが無事で良かったよ……!」
ホントに心からそう思っている。
あの日、日出さんが僕と別れた後、院内にあるコンビニへ向かった日出さんだった訳だが、とある警備員の知らせでいち早く非難できたらしい。
「結局、私を含めて全員の目撃者が、その事を教えてくださった警備員さんの顔も思い出させず終いでしたし……警察の方々曰く『極力被害者を出さない連中だ』と『目撃者に言わせる為に共犯者が行った行動』だとか……」
「なのかなぁ……」
ふと、グラシャボラスに使い捨てられた契約者、もとい警備員、荒木さんの顔を思い出す。
“行方不明1名”
世間一般に公表されている話によると、その行方不明の一人はその警備員の事らしく、その警備員がテロリストの首謀者である可能性が高いとされていた。そして──、
「“赤鬼”かぁ……」
“赤鬼”
突如としてその現場に現れ、テロに加担されたと言われている謎の存在、つまるところ僕達の事である。
赤鬼の様に、赤い角の生えた兜のような被り物を被っていた事から、メディアからその正体不明の加担者には、赤鬼と言われていた。そして──、
「確か、赤鬼は先輩と、逃げ遅れた警備員を助けたお方……、でしたっけ?」
「……うん」
バラムには『その赤鬼に命を助けて貰ったと言え』と、言われ『そういう事』になっている。
あの時もし頭を守る為に頭に獄罪鎧を纏わなければ、僕は今頃、監獄の中でテロリストとして扱われていたのかもしれないと肝を冷やす。
「それにしても先輩」
「ん?」
「明後日から始まる期末テストの勉強は……大丈夫じゃないですよね……」
「……あ」
しまった。
「……どうしよっか?」
どうしようも出来ないのに後輩相手にそう聞いてしまう辺り、はっきり言って僕はバカなのかもしれない。しかし──、
『どうしようも何も、我が何とかしてやろう』
そんなどうしようもないバカに手を刺し伸ばすのも、この悪魔の仕事、というか生業と考えると、少し同情したくなってきた。
「す、すいません!私、てっきり紺野先輩がテストの日ぐらいは記憶していると思っていたので!」
「……大丈夫!なんとかなる!」
「本当ですか……?!」
少しズルな気もするが、ここはバラムに任せてみるのもいいかもしれない。幸いにも──、
『人間の知能など遥かに凌駕する我の叡智、篤と我が契約者にご覧に入れよう』
と、当の本人が一番やる気に満ち溢れている。
「それより、日出さんの方が大丈夫?今日はもう早く帰って勉強した方が良いんじゃない?」
「そう……ですね!」
苦笑いする日出さん、果たして彼女こそ大丈夫なのだろうか……。
「じゃあ、今日は私はコレで!」
「うん、また明日……かな?」
「ハイ!」
「……じゃあね」
「ではまた……!」
そう言って日出さんはが部屋から出ようとするが──、
「おっと!」
左から来た看護師にぶつかり、尻餅をつく。
「大丈夫ですか……!」
「いてて、大丈夫……です!失礼しました!」
日出さんが看護師と二人であたふたする様子を見て、
「本当に大丈夫かな、あの子……」
とつぶやく僕に対して、
『ふん、互いに隠し事とは、これまた滑稽な物よな』
と、バラムが呟いた。
「互いに隠し事……?」
『そうだ。お互いに気が付かぬというのが、鈍感というかなんとやらだ……』
「……?」
どうせバラムの事だろうし、何かしらは企んでいる様だが、それよりも──、
「それよりバラム、例の罪刑変化の事なんだけど……」
「ああ、なんだ?」
「僕にも使えないの──」
「やめておけ」
即答だった。
「……どうしてだ?」
『アレは人間が気安く扱って良い力ではない、と言うより、そもそも悪魔ですら上手くは扱えぬ力なのだよ』
「だったらバラムはどうして、あんなに連続してあの罪刑変化を使えるんだ?何か理由があるだろ?」
『それはレイの神定罪のおかげだ』
「……そうなるか」
結局未だに僕の神定罪と言う物は分からず仕舞いだった。
神が決めた罪だとしても──、
『前にも話したが、レイの神定罪は大罪と同クラスの物に値する。そのお陰で、極刑とも言える罪刑変化、獄手顕現も扱える上、例の罪刑変化を上手く扱える事も出来る……、余りにも都合が良すぎるのだよ、レイ』
「……どういう事だ?」
『神が悪魔にこの様な都合の良い事を与えていいのかと言う話だ。新定罪は、悪魔と契約した契約者に〈神が自ら罪を定める〉のだ……我々悪魔では無く〈神が自ら〉だ』
******
7月17日 午前7時23分
「おはようございます!先輩!」
「おはよう、日出さん」
テスト当日、もとい僕の学業復帰。
昨日は久しぶりに家に帰って来れて嬉しかった事もあり、午後一時に帰宅した後、すぐさまいつものベッドで寝静まってしまい、目を覚ましたのは今日の午前0時過ぎだった。その後は少し夜食を挟み、ひさしぶりにに湯船につかった後、二度寝した。
その為、結局一度もノートやテキストを開くことも無かった為、今回の期末テストは完全にバラムに任せる運びとなっている。僕は契約者として、遂にバラムに悪魔らしい事をさせられるといったところだ。
『にしてもレイ』
『なんだ?』
『存分と上手くなったな』
『何がだ?』
歩きながら、日出さんと話しながらバラムと話しているだけだが?
『〈それが〉だ。器用な奴よ、我と話しながら話すとは』
『あー』
『言われてみれば』だ。
確かに契約初日と、四日前の時点では、僕が直接話を口に出すか、思っていた事が偶ににバラムに伝わるぐらいだった。
しかし転院後、起きないバラムに対して何度も話をしようと試みた結果、気付けばこうして、心の中だけでバラムと話す事ができるようになった。
『コツを掴んだって言うか、何と言うか』
『ふむ、やはりオマエには素質があるのかも知れぬな』
『……どうも』
と、心の中でバラムと話す一方。
「テスト勉強の程は大丈夫ですか?先輩?」
「うーん、ちょっと心配かなぁ」
口では日出さんとこんな事を話していた。
「澪ちゃんから聞いたのですが、先輩は勉強が出来ると言っていたので、きっと大丈夫ですよ!」
「まったく……澪ちゃんは口が軽いと言うか、達者と言うか、何と言うか……」
実際この進学校に他校からの入学で入れる程には、頭は良い方なのだろうが、この場でそれを淡々と偉そうに言っても良いのだろうか……?
「あ! そう言えば! あの人が心配してましたよ!」
「……あの人?」
「三城先輩です!」
「あー……」
言われてみれば、あの日の夜にグラシャボラスと交えて、それっきり三城とは会っていない。
先生達の話を聞く限り僕が気を失っていた間も、病院へ様子を見に来ていた訳でも無いようだし、きっと僕の入院先を教えて貰えなかったのだろう。
岡寺先生の件に関して、僕と一部の生徒からすれば三城は疑いが晴れている存在ではあるが、殆どの生徒と教師には未だに信用もされていない筈だ。しかし──、
「三城『先輩』って言うって事は──?!」
「ハイ! 後日謝罪をしに、私の家まで直接来てくださいました! もちろん! 理由も聞きました!」
「……だよな」
『三城もよくやるな』と思いつつ、一つ心に思った事を聞いてみた。
「……澪ちゃんの事なんだけど、日出さんは、こういうの平気だったりする?」
「それは……」
悩ましそうにする日出さんは少し間を開けてから、
「やっぱり少し、苦手です。やっぱり友達を相手に隠し事をするのは少し気が参りそうです……」
そう僕に返してくれた。
「……だよね」
僕達は友人である澪ちゃんの兄、冴木裕也が裏を握っている事を澪ちゃんに黙り、騙し通し続けなければいけないのだ。
「私達がしている事も、話に聞く先生の件の事も、私は間違っていると思います。どうしてお互いに騙し続けないといけないのか、どうして私達じゃ何も出来ないのか、とても悔しいです……」
「……そうだね」
思う事は同じだった。
あれだけ仲良くしてくれている澪ちゃんを騙す事なんて、僕だっていつかは気が参ってしまいそうだ。けど──、
「でもきっと、アイツは黙ったままじゃいないと思う」
あの三城の事だ。きっと何か策は考えている筈だ。
「……そうだと良いのですが」
今日は特に晴れていて、ぼちぼちと登校路を歩く僕達を、朝にも関わらず嫌に熱い7月の太陽が照らす。
そんな晴れ晴れしている天気に対し、僕達の心の中には、空も見えない程の曇りがかかっていた。
せっかくの久しぶりの登校なのに、僕達は心の中で思うばかりで、口で話す事は少なかった。
あるいは勉強の事、あるいは友人の事、あるいは──、
「『願いか』」
「『願い』ですか?」
『願いだと?』
「『いや、何でも無い』」
思わず口にも心にも出してしまう『願い』という言葉の響き。
聞けば聞くほど酔ってしまいそうなその言葉は、一昨日から僕を酔わせていた。
一昨日のバラムとの会話──、
『レイ、聞き忘れていた事だが──』
「なんだ?」
『オマエの〈本当の願い〉は何だ?』
「『本当の願い』?」
『そうだ、その場限りの願いではなく、その命を通して願う本当の願いだ』
「……『自分らしく生きる』かな」
『ほう、それはどういった願いだ?』
「……僕は臆病だ」
『見ればわかる』
「そう納得されると何も言えなくなるな……。で、僕はバラムと契約するまで、それを隠して生きてたんだけど……」
『なるほど、通りで素直な奴だと思った訳だ』
「バラムと契約してから、自分らしく、自分に素直に生きようと思った」
『それで、あれだけ他の人間を助けようと必死に?』
「……そうだ」
『……呆れた奴だ』
「……助ける事とか、手伝う事とか、人の為にするのが好きなんだ」
『何故だ?』
「何故って……それは……その……人を助けるのが好きだから」
『……嘘だろ』
「……」
『〈己の利益など鑑みずに他を助ける者〉などと、都合の良い生物はこの世にいない〈己に利益があるからこそ、他を助ける〉のでは無いか……?』
「……生きてる気がするんだ」
『ほう、それは?』
「人を助けて『感謝されてる』って思ったら『自分が必用だ』と思われてるって思ったら、嬉しいんだ」
『フム、つまりは自己願望欲とな?』
「……言ってしまえばそうなるかな」
『〈己がいなければ他が死ぬ〉……フム、確かに、心地よい気持ちだ。何と言っても我もそうだしな?』
「……バラムには感謝してるよ」
『ほほう、もう少し褒め称えてくれても良いのだぞ』
「良いけど、それじゃダメなんだ。僕はいざと言う時に、もしバラムがいなくても、戦わなくちゃいけないんだ。この前だって、結局はバラムに頼り切りで僕は……」
『……それはお互い様と言う物では無いのか?』
「……え?」
『我こそ、レイがいなければグラシャボラスに魂を喰われていた。そもそもレイと契約していなければ、この場にすらおらぬ筈だ』
「でも……」
『我だって零に〈感謝している〉という事だ。我もレイと契約して、この世と言う物をそれなりに楽しんでいるつもりなのだぞ?』
「……ありがとう」
『理解したならば良し、では、話を戻そうか』
『自分らしく生きる』だなんて、なんて贅沢な願いなんだろうか……。
僕はバラムと契約して決めた“願い”を“生きる事”を理由に決めた。それが今の自分に一番合っているし、何よりそれが一番良い事だと思ったから、そう決めた。その一方で──、
『コレは我の憶測なのだが、以前グラシャボラスは我等を〈この前会った“奴等”よりも弱い〉と言っていたな?』
「まさか……」
『その〈まさか〉だ。恐らく、我と、グラシャボラス以外にも、他の悪魔がまだ付近に数柱いる』
「そんな事……!」
『……やはり違和感を感じる。本来、悪魔は10年に一度程、七十二柱中、二柱程が人間界へ呼び出されるか、抜け出る程なのだ。しかし、三柱以上いるとすれば……』
「一柱ぐらいは普通じゃないのか?」
『……神と悪魔の約束だ。〈人間界へ君臨して良いのは二柱まで〉それ以上は──』
「……ヤバいのか?というか──、」
『戦争が起きる、いや、もう既に始まっているのか……?』
「バラムは、どっちなんだ?」
『……我は』
「誰かに呼ばれて来たのか?」
『我は……』
「抜け出て来たのか?」
『何故、ここにいるのだ?』
「バラム!」
『……!』
「どうしたんだバラム! さっきから話が噛み合わない……! お前らしくないぞ……!」
『……すまない、で、何か聞いたのか?』
「その〈戦争が起きる〉ってのも気になるけど、その……バラムは、どうしてここに……人間界へ来たんだ?」
『……それが思い出せないのだ』
「……どういうことだ?」
『レイの神定罪同様に、何も知らされていないのだ。ただ解るのは、呼ばれ、罪に飢え、朦朧とする中、気が付けばコンノレイという人間に契約を持ち出していた』
「つまり、わからないと?」
『……そうなる』
「はぁ……正直なんとも言えないなぁ」
『すまない』
「で、その戦争が起きるっていうのは?」
『……グラシャボラスを見てわかるとは思うが、我々悪魔は、元より〈共存や対話〉という事を望まない。〈争わぬ〉という考えはあれど、それは一時的な物だ。そして、我々七十二柱の持つ悪魔の力は、一つに収束すれば、ありとあらゆる願いを叶う事も可能だ。以前にも話したが、悪魔が他の悪魔の魂を喰らえば、その食らった悪魔の力を行使する事が可能となる。つまり──、』
「『悪魔同士の争い』が起きてしまう、だからさっき言ってた『神と悪魔の約束』って話?」
『そうだ。人間界へ留めておく悪魔は、二柱という契りだ〈そうすれば互いに目的を失わずに済む〉と言う話でな』
「その『目的』ってのは何だ?」
『我々悪魔や神は、人間から生み出される“悪”や“善”と呼ばれる存在から成り立っている。我々は人間を生かす一方で、人間に生かされているのだ』
「ん……? 待て! それだと『神が人間を作った』とか、聖書とかで言われてるのが全部無くなるぞ?!」
『その話は、無となる訳でも間違いでもないのだ……確かに人間と呼ばれる存在は、神が自ら作り上げた存在ではある』
「じゃあ、どうなるんだ?」
『神は己を増やす事を願った。故に人間と言う自身の複製とも言える存在を自らの手で作り上げ、増やしたのだ。そしてその人間と言う存在は、いつしか二つに分かれた。それが“悪”と“善”だ。“善”は神を称え、“悪”は自らが作り上げた存在、悪魔を称えた。神と悪魔はやがて人々を〈自身を称える存在として〉甘く見た。かつては神も悪魔も、平等だったのだ。しかし、それを良くは思わぬ人間達もいた。彼等、神も悪魔も信じる事も無い人間達は、やがて神と悪魔に反旗を翻した』
「それで?」
『しかしそこで、かつての悪魔達は考えた。〈人間を上手く使えば、神を淘汰、自身達が真の善として君臨できるのでは〉と』
「……契約の始まりか」
『そうだ。悪魔は自身を作り上げた人間と契約を結び、手を組んだ。“火”という悪魔の力は偉大というのもあり、人間達はすぐさま、その悪魔の力の虜になり、その力で神を淘汰しようとした。しかし、神が人間から与えられた“水”と、悪魔の力である“火”は、分が悪かった。神の力と、悪魔の力は仲が悪かったのだ。故に人間と悪魔は神に敗北し、自身の分体である人間と、その成れの果てである悪魔の反逆を恐れた神は“人間と悪魔を二つの世界へ追放し、管理する事”とした。反逆した者達を含む全ての人間は神の力を扱う事の出来ぬ“人間界”へ追放し、悪魔は己の力のみ行使する事の出来る“悪魔界”へ追放した挙句、“罪”のみでしか存在を維持出来ぬ存在とした。罪とは言ってしまえば人間しか生むことが出来ない“悪の残滓”だ。そうして悪魔は、己を維持するために、罪を得る為に人間へ悪を囁く事になったのだ。罪は人間界から悪魔界へと流れ着き悪魔界の悪魔はそれを供給できるが、それはごく一部だ。故に悪魔は“悪”が無ければ生まれる事の不可能な神を称える“善”を人間から生ませる変わり、悪魔二柱までを人間界へ君臨させ、10年周期で交代を繰り返し、その二柱は人間と契約し、悪を生み、善を称えながらも罪を直接供給できる様、神と契約を交わし、それを神と我々悪魔は“二悪誕善の契約”と呼んだ』
「しかし、そんなに色々あって結ばれた契約が、今崩れた可能性があると?」
『そうだ。我々神や悪魔にとって、契約とは即ち、互いが認めなければ破る事も破棄することも出来ない絶対の契りだ。しかしそれが今、破られたとなれば大問題だ。罪の取り合い……〈終焉を知らない悪同士の争い〉が起きてしまう……』
「『終焉を知らない悪同士の争い』って……! つまり、契約者と契約した悪魔が、バラムを含めてまだ三柱以上この人間界にいれば! 僕達が起こしたあの事件が、惨状が、また起きる可能性があるのか?!」
『〈そうだ〉と言い切れる……!』
「そんな……!」
『──しかし、止める事も可能だ』
「……どうすればいい?」
『簡単な話だ。この世にいる契約者と契約した悪魔が二柱になるよう減らせば良いのだ』
「──つまり戦えと?」
『そうだ。悪魔と、その悪魔と契約した契約者と戦い……つまり、勝つのだ。正確には、戦い、悪魔の魂を喰らい、一、二柱に纏めるか、グラシャボラスの様に地獄へ送るか、悪魔界へ帰せば良い。とにかく二柱までに悪魔の数を減らせばそれで均衡は保たれる筈だ。しかしこのやり方は──』
「……イヤだ!」
『──レイのような争いを好まぬ契約者からすれば、毒を持つのも同然だ』
生き方を迫られる選択肢という物が、僕を締め上げていた。
『悪魔とその契約者を見放していれば、恐らく今の人間に生存の余地は無い。悪魔が契約者の願いを叶えるからだ。契約者の中には自己欲だけでは済まず、破壊や滅亡、憎悪と言った悪的思想の籠った願いを持つ者も多い、それが叶えられるとなれば人間はいずれ、一人残らずこの世界から消え去るであろう』
「争う他に方法は?」
『言ったであろう〈共存や対話という事を望まない、争わぬという考えはあれど、それは一時的な物だ〉と』
「……ッ!」
『しかし、だ。一つだけ方法はある』
「それは──!」
『逃げるという方法だ』
「でも──!」
『その愚かさに気付いてしまうのがオマエらしい、そうだ。逃げるという事は、オマエの愛するモノが、もし悪魔や契約者の手で滅する危機に陥っても“見放す”と言う事だ』
「……それも──!」
『“嫌だ”と言うならば“戦え”』
「──ッ!」
『……しかし安心しろ、契約者の願いを叶えるのが我々悪魔の願いでもある』
「それはつまり──!」
『率直に問おう! 我が契約者よ! オマエの願いは何だ?!』
「……!」
『言え! さすればその願い! この我! 五十一柱! 公王バラムが叶えてやろう!』
「僕の願いは──!!」
こうして、僕は『人を守る為に戦う事』を願い、バラムと共に『悪魔と、契約者と戦う事』を決意した。
『自分らしく生きる』という事には、この事も含まれていたからだ。
日出さんを見殺しにする事も出来ない、かと言って、自分の力『だけ』で戦う事もままならない僕達にとって、一方的に他の悪魔を蹂躙する事は、グラシャボラスの事を思い出せば不可能に近い、だから極力、争う事を見せず、守りたいモノを守る時だけ、戦う事を決めた。そしてそれは、僕の『人を助けたい』という自己願望という罪を孕んだ『願い』を叶える為にはうってつけの願いを“願い”、今に至るのであった。
『所でレイよ、何故、学校には〈テスト〉などと言う選別儀式があるのだ?』
『さぁね、正直僕もよく分からないよ……』
『〈よく分からない事〉に選別を託すのか、フム、やはり人間は我が契約者も含め良く解らないな』
『ま、とりあえず頼んだよ、ひとまず僕達は普段通り生活するのが当面の方針だし』
僕達の考えとしてはまず“未だ不明瞭な僕の神定罪を明白にする事”が最初の目的になった。
その為に、ひとまずは偵察や、力を上手く扱える様に訓練を重ね、出来る限り“男子高校生”としての段通りの生活を過ごす事にした。
「では! 先輩! 頑張ってくださいね! また明日!」
「うん、そっちもね」
「ハイ!」
学校へ到着し、日出さんと別れる。
二年と一年のテスト時間は分かれており、今日は二年が一教科、一年が三教科となっている。
つまり今日は日出さんとも、神奈ちゃんとも一緒に帰る事は無い、流石に僕も二教科と休憩時間含め合計約百四十分間も、学校で人を待つような忍耐力は無いし、学校側も進学校にも関わらずテスト期間中の一時間以上の居残りはご法度としている。
ので、今日は早く帰って、バラムと隣町まで偵察へ出かけると言うのが今日のスケジュールだ。
しかしそれもバラムの学力次第では丸一日勉強漬けになる可能性もあるが……、
『フハハハハ!我の叡智!とくとご覧に見よ!』
ますますその可能性が心配になってきた。
『ホントに頼んだぞ……!』
『我が契約者の願いであれば任せるが良い!』
『うぅ、なんか“それ”言っとけば僕が安心するとでも思ってるだろオマエ……』
僕は教室を目指して廊下を歩いた。
テスト前にしても、いつも通りなんだか生徒の口から出る雑音が騒がしい二年生の教室が並ぶ廊下を、あの三人の顔を思い出しながら歩く『僕の事を心配していた奴等の顔を、早く見てみたいものだ』と、少し楽しみに思いながら、少し足早で歩いた。
やがて気が付けば手は教室の引き戸に手をかけ、腕は教室の引き戸を開けていた。
「え──、」
そして僕の目はその光景を見て、口は唯その一文字を発していた。
「──なんだ……コレ……」
目に映った光景は、余りにも雑味が無かった。
『レイよ、どうしたのだ?』
気にかけてくれたバラムを気にする事も無く、僕は『それ』に歩み寄った。
「……冗談だよな?」
『それ』いや『それら』だ──、
「え?! アレって度胸ある奴がやったんじゃねぇの?!」
「らしいぜ、先生曰く『焼死』だってよ」
「ホントは一昨日夜に見つかってはいたらしいけど、身元がわかんねぇぐらいに燃えてたらしい」
「焼死って……もしかしてこの前あったあのビル火災?」
「あー! アタシそれバイト帰りに見たかも!」
「なーんか、今思えば大した事無い奴等だったのかもなぁ」
「別にコイツが死んでも、得する奴の方が多いんじゃないの? 特に紺野とか!」
「いやいや! それで言ったら冴木だって!」
「ま! あの三人の事だし! ふざけて自滅でもしたんじゃねぇの!」
「まさか、そんな訳ないだろ? アイツら『頭は』良かっただろうし」
「でも、なんかすっきりした!」
「俺も!」
「アタシも!」
「ウチも!」
青木、亀田、三城、彼等三人の机に置かれていたのは──、
「なんで……?」
花瓶に咲いた。百合の花。
「……ッ!」
そしてその事に気が付いたのは、その時だった。
グラシャボラスの件のおかげもあって、傍に悪魔とその契約者が近くにいる際に感じる『独特な罪の臭い』という物を僕は覚えてしまっていたらしい。
『レイ! お前も気づいたか!』
『ここに……来る……?』
廊下から、だんだんとこの教室へ近づいてくるその感覚はここ数日に渡って僕を悩ましていたグラシャボラスとは比にならない程……!
『気を付けろ! レイ! 臭うぞ……! 相当だ……! この契約者……相当の罪を犯しているぞ……!』
血生臭い、悍ましい罪の臭いを漂わせていた。
『三柱目の契約者……! まさかここへ来てか……!』
『僕はどうすればいい……! バラム! 教えてくれ……!』
『敵意を見せるな! 話が分かる奴であれば、この場での戦闘は避けれる!』
『……わかった!』
にしても……!
『誰なんだ!』
その契約者は、僕達の教室へ入って来た。
「……え」
何食わぬ顔でその“冴木裕也”という男は、教室へと入って来た。
「ひさしぶり紺野、元気で良かったよ」
そして僕の横を通り際に、まるで今までの嫌な事が“全て燃えて無くなってしまった”様にスッキリした様子で、僕の耳元で言い、自身の席へと歩いて行った。
「……ッ!」
たちまち込み上げてくる吐き気、
「……!」
それに耐え難くなった僕は鞄を自分の机へ投げ捨てて──、
『大丈夫か!レイ!』
僕は教室を飛び出した。
そして口を押え、足早に向かった先のトイレで──、
「オエエエエエエエエッ!」
吐いた──、
「ゲホッ!ゴホッ!」
さっき食べた朝食も──、
「ガハッ!」
消化され切っていなかった晩飯も──、
「ハァ……ハァ……!」
全部便器へ吐き出した。
「ハァ……」
流しをつまんで、上に捻り上げる。
僕しかいない静かな空間に、ただ吐き出されたモノと水音が流れる。
「……」
信じ難かった。
あの三人の死、そして──、
『知り合いか?』
「……うん」
冴木裕也、三柱目の悪魔の契約者。
『……幸いにも、奴の契約した悪魔は、現状は眠っている様だ。つまり、我々の事はあの契約者には察知されてはいない、恐らくは力を行使した後なのだろう』
「……」
『にしても、机の上に花瓶が置かれていたが、アレは──』
感情に任せて僕はトイレの壁を強く殴った。ドンッと、重たい音が男子トイレ全体に響き、壁は大きく割れた。
「アイツが……殺した……」
『……何故わかる』
「前に話していたんだ……。復讐しないかって……断ったけど……!」
『それはいつだ?』
「僕がバラムと契約した前の日だ……! アイツが契約者だって気づく筈もない……!」
『……しかしそうであれば、あれ程までに溜まりに溜まった罪が見境無しに漏れ出す事も無い筈だ。契約したばかりの人間に多い漏れ方だ。恐らく……アレはここ一週間以内に契約したであろう』
「だったら僕が入院中か……」
『だと言えるが、まさかここまで足早に見つけてしまうとは……』
怒りと、悔しさが入り混じり、何ともいなくなった感情が僕の心の中で渦巻いた。
「交渉の余地は……!」
『相手によるが、漏れ出ているあの罪の量だ。可能性があるとしても薄いであろう』
「だめか……」
『目を覚ます前に叩いておきたい所ではあるが──、』
「せめて学校の外でしてくれ……!」
『だろうな』
「……」
『と言う事で、そんなレイの為にもとっておきの策を考えたが、どうだ?』
「……教えてくれ」
『そうだな、まずはテストという物を終らせてからだ。何、安心していろ、あの様子であれば目を覚ますと言っても今日の夜だろう』
「……」
こういう時のバラムの策は、確実性があると言っても良い程に上手く行く。僕はバラムの策を無言でのみ込み、大きく息を吸って教室へと戻る一方で『心に大きく開いた筈の穴が、得体の知れない物で埋め尽くされる』そんな言葉にし難い気持ちの悪い『心の異変』を、僕はこの頃から感じ取っていた。