十二話 『深淵』
バラムから聞いた話は『とても』と言って良い程信じ難い話だった。
けれどそれは説明をされれば『とても』と言って良い程納得いかざるを得ない話で、事を遡れば、僕は何度も、その信じ難い話に命を救われていた。そして今も──、
「……ッ!」
途端に頭に響く、割れるような頭痛が、その正体不明の『力』に僕が助けられた事を知らせていた。
『契約者と悪魔のみがその〈事象〉に気づく事が出来る。しかし、その〈事象〉に至るまでの〈過程〉を知った契約者の精神と魂は〈過程〉の中に存在する〈絶望〉のあまりの多さ故に生きてはおられぬ。故に、レイのその頭痛は、我が力でその過程での記憶を消したが故だ』
一瞬のうちに、僕の体がベッドの下にある理由なんて分から無いのが至極当然だった。
『気を付けろ、奴が近づいてくるぞ』
人々の悲鳴が段々と近くなって来る。
「コレって……つまり『まだ』その人は生きているのか……?!」
ベッドの下から顔を覗かせ、自分の前にある病床を見る。するとそこには、未だ血で濡れていない綺麗なカーテンがあった。
「キャアアアアアッ! 誰かアアア!」
来た……! どうする……!
せめて……あの人が殺されるまでに僕はアイツを止めなきゃいけない……けど──!
『その男だけが助かったとしても、オマエは良いと思えるのか?』
バラムが言う通りの迷いが僕の頭の中にチラつく、けど……!
「……当たり前だ!」
どの道、僕は日出さんを守らなければならない! 彼女に助けなければならない! だったら──!
僕はベッドの下から這い出て、勢いよく病室から飛び出た。
「ソコかアアアアアッ! バラムウウウウウッ!」
廊下に佇むグラシャボラスが操っている契約者は、やはり僕の元に語部先生を呼びに来た看護師だった。白かった看護服は血に染まり、真っ赤に──、
「え……?」
目に映った無惨な光景は、凄まじい物だった。
「……!」
こちら側に逃げ駆けてくる人達をもろともせず、廊下に佇む僕の先は──、
『コレは……!?』
余りにも赤かった。
数え無い方が自分の為だと言える程に──、
「嘘だろ……!」
手だけ、足だけ、頭だけ、胴体だけ。血だまりの上に転がる人だった物達は、そのグラシャボラスの残酷さを表していた。
「う……ッ!」
口を塞いで前かがみになってしまう程に、腹の底から吐き気が思わず混みあがってくる。
駄目だ! 駄目だ! 駄目だ! 駄目だ!
ここから先に奴を向かわせれば、みんな死んでしまう! 目の前の光景より想像したくない事が起きてしまう、何よりそんな姿になった日出さんを思い浮かんでしまう!
『レイよ』
「なんだ?」
『人を守る前に自分を守れ』
「…………ああ!」
その通りだった。
正論過ぎて、バラム相手にぐうの音も出なかったけど、一番の悩みがその一言で吹き飛んだ。
『自分を守れない人間に、他人を守れる訳が無い』んだ。
僕は顔を上げ──、
「……そりゃどうも!」
と、バラムに感謝の言葉を述べて、目の前にいる悪魔に狙いを定めた。
「あの力ヲまタ使いやがっテ……! 今度こソぶっ殺ス!」
「今度こそ……逃がさない……ッ!」
僕達は互いを睨み合う。
きっとこのフロアにいる人達はほとんど逃げている筈だが、まだ僕の部屋にいた人が出て来ていない……! 何か手こずっているのか? それともこの事に気が付いていないのか?
気になる! ……しかし今は僕が生きる事が大事だ! 集中しろ! 意志を強く持て……! 僕がここでグラシャボラスを食い止めれば、他人なんて自然と守れる……!
「罪刑ヘン化——!」
来た! グラシャボラスの罪刑変化がまた来る! 対処法はバラムに頼って“あの力”を使うしか無い──!
「ヘイズ!」
「バラム!危なかったらまた頼む!」
『うむ!』
使ったグラシャボラスの姿が消える。
以前は僕もバラム自身も困惑していたのもあって一方的にやられるだけだった。でも今回はあらかじめバラムの力を借りているし、それに今回は『無策』という訳じゃない!
すると、途端に、俺の目の前に背を向けたグラシャボラスが現れる。
「罪刑変化──!」
僕はグラシャボラスの背を取った事を合図に、反動である頭痛を堪えて──!
「獄罪鎧!」
以前バラムが唱えた罪刑変化を口にした。
『ほう……』
バラムが言う通り、意志の強さが力に反映されるのであれば『この考えも』きっと反映されるはずだ。
『守りこそ最大の攻撃』という意志で、鎧の強度を一点に集中させる。かと言って、強度を集中させる場所は『どこでもいい』という訳では無い、盾や鎧という身を守る物は、いざという時には矛となる必要性も鑑みなければならない。
『……! レイ! それは!?』
「こっちはただただ後悔してた訳じゃないんだ!」
そして、僕は『両腕』にその罪の鎧を集中さた! これあれば盾や鎧としての役目を果たしバラムの契約箇所である心臓を守り易き、時には矛としても扱える! そして──!
「うおおおおおおッ──!」
申し訳ないと思った。僕が原因でこんな事が起きてしまっていると思った。
けど許してほしい! この悪魔を! グラシャボラスをここで倒す為に!
「ご……ごめんなさああいッ!」
そう言って、僕は思い切り、グラシャボラスの頭にその拳を叩き込むと──、
「おのれぇ! バ──!」
パン! と破裂音を立てて、グラシャボラス……その契約者の頭は弾け飛び、脳漿に濡れた肉片と、通う場所を失った血が辺りを真っ赤に濡らした。
『気を付けろレイ! 奴の魂はまだそこにある!』
「どうしたらいい?!」
『まず──』
僕達の行動が遅かったのか、それとも奴の方が上手だったのかは──、
『──いや、待てレイ! まだだ! まだいる!』
きっと上手だったと言うのが正解だろう。
「まだいるって! どういう事だ?!」
『奴の契約者がだ!!』
その瞬間、自分の真上の天井が崩れ──、
「ハビャハバヒャアアアッ! コッチダアアアアああああッ!」
『奴』が降ってきた。
「ガあッ!」
その体と瓦礫が、僕の上にのしかかる。
『レイ!』
なんだ……! なんなんだ……!
『コイツ! まさか──!』
「やっぱ予備は持っテ置かなくチャなあああああああッ!」
『──あらかじめ瀕死にしておいた人間に契約したと言うのか?!』
さっきの看護師とは比べ物にならない程の大きな躯体、更に体に纏ったその藍色の服装──!
今度は『警備員』か?!
グラシャボラスは瓦礫と共に顔を上にあげて、落ち着いたせいでがら空きになっていた僕の腹にその警備員の拳を突き入れ──、
「死ねェッ! バラムウッ!」
「ガハッ!」
その一撃は、僕を廊下の床ごと貫き、僕の体は隕石の様に、瓦礫と共に病院の2階から1階へ突き堕とされた。
『レイッ!』
正直僕の心配より、巻き込まれた人がいないかを心配してほしい所ではある。
しかし、そんな事を今考えても、この状況を変える事が難しいのが悔しい所だった。
「ンアアアアアッ! どうだァっ! バラムゥ?」
グラシャボラスの拳は僕の腹部を完全に貫いていた。
『すまないレイ! 避ける事が出来なかった!』
しかし、バラムの『例の力』は発動していた、腹部の痛みより強い頭痛がなによりの証拠だ。
避ける事が出来ないという事は、何かしらの理由があったのかという所ではあるのだろうが──、
『レイの望み通りにしたがコレは……!』
僕の言った通り、バラムは僕よりケガ人や犠牲者が出ない事を優先してくれたのだろう、だったらそれで良いと言いたい所だが──!
「ゴボッ……!」
出るのはもう無い筈の腹から湧き出る様に出てくる血反吐だけだった。
グラシャボラスの操る警備員の躯体は力も強かった。警備員は『グラシャボラスに乗っ取られながらもこの悪魔と契約した事に対して罪を感じている』のか、それとも『悪魔と契約した際に現れた神定罪の影響で罪を得られている』のか、その体はグラシャボラスの力や罪によって更に強くなっているだろう。
恐らくバラムに力を借りていなけば、きっと既に僕の体は腹部だけとは限らず、僕が看護師さんの頭を粉微塵にした様に、全身をグチャグチャされていただろう。
もはや悪魔何て言葉足らずの『怪物』とも言える奴に、僕は頭を鷲掴みにされ、体も身動きが取れなくなっていた。それに──、
『何故だ!何故罪が得られん?!』
僕の神定罪はこの状況下では罪と成されていないらしく、この一瞬の間で二回連続で力を使った僕の罪はもうその力を使えるほどには無いらしい。
「これじゃもうアノ訳の分からないチカラも使えねェダロォ?!」
そのまま頭を体ごと持ち上げられ、僕の足は地を離れる。ミシミシと段々頭に力を込められているのを感じる。苦しい、体が動かない……!
このままだと──!
『ダメか……!』
僕は頭をこの手に潰されて死ぬ──!
「死ねエエえええええええッ!」
もうダメだ……!
死だ──、
『本当の死』だ。
屋上から落ちた時、グラシャボラスに殺されかけている時、二回ともただの遊びだったのかと言わんばかりに、僕の手は、足は、震え、動かなくなっていた。そんな死に際で──、
「オイ! 何をしている!」
声が聞こえた。
「オマエ……! 荒木か! 何があったんだ!」
駄目だ……!
僕達の元へ、一人の警備員が近寄ってくる!
「それ……! もしかして負傷者か!それにオマエ──!」
足を止めようとせず、気付かず近寄ってくる。いや──!
「なんか変じゃ無いか?!」
気付いてはいるが『信じ難い』のか──?!
「ア……グ……ッ!」
“駄目だ! 来るな!”とも言えずに手だけをその人に向ける。
「早くその負傷者を連れて非難しないか?!テロリストが来たって話じゃないか?!なぁ?!」
駄目だ!ダメだ!だめだ!ダメだ駄目だ!!
「さぁ早く行こうぜ……?」
僕の考えとは反対に、警備員はそう言ってグラシャボラスに手を差し出す。
それを見たグラシャボラスは無言でニヤリと口角を上げ、歯茎を見せ、笑ってみせた。
『極限にまで腹を空かした子が食べ物を見つけた時』のような『満面の笑み』だった。
『殺す気だ……!』
見れば分かる!分かるから──!
「ワかっタ!」
グラシャボラスはもう片方の手でその警備員の手を取ろうと手を刺し伸ばす。騙す気だ。
僕が助けなきゃ……! 僕が! 僕が生きなければ……! 僕が……生きて助けるんだ!
「ガ……アア……! アアアアアアアアッ!」
そう思いながら言葉にならない声を上げた。
『──! コレは……!』
それが原因なのかは分からなかった。
ただ、その一瞬で──!
「罪……刑変……化──!」
人間の……自分でも感じ取れる程の罪が一気に湧き出た──!
「──獄罪鎧!!」
鎧を形成する為の罪は、僕の契約箇所である心臓のある胸から湧き出て来る。
だからもし、胸では無い他の部位へ鎧を作りたい場合、定かではないが主に体を伝ってその箇所へ作る必要があり、外側からしか鎧を作る事は出来ない。それが分かっている上で──!
「……なんダ?」
形成する際に“ある程度の攻撃能力”をイメージする。この状況だと更に“最低でも指を切り落とす程の攻撃能力”が備わった形をイメージする。
罪は泥や粘土の様なドロドロとした物で、僕の意志によって、ある程度自在に形を変える事ができる。更に言えば、あの時僕の体を貫いた様に、武器として使う事も出来る……!
僕は罪をドロドロと首元まで伝わせ、鋭く長い爪を持った手に形を変えて──、
「……何ッ?!」
僕の頭を掴んでいたグラシャボラスの手をその爪で切り落とし、その罪はそのまま僕の頭を包み込み──、
『ふむ、中々に良いではないか』
頭を覆い隠す罪の兜が出来上がった。
そのまま僕は体の治癒はバラムが勝手にしてくれていると信じて──!
「ここで死んでたまるかアアアアアッ!」
鎧の強度を頭にも分けている分、さっきみたく頭を粉砕するまでとはいかないだろうが、僕は叫びながら、グラシャボラスの頭に拳を叩き込んだ。
「ガッアアアアアハッ!」
確実に当たっていると言う手ごたえを感じる。
グラシャボラスの体は吹き飛び、廊下の壁を突き抜け、砂煙を巻き上げながら病院の中庭にまで吹き飛ばされた。
『良い意志だ。レイ』
ひとまずこれで、今目の前にいる警備員と、グラシャボラスを離す事が出来た。
「……早く! 逃げて……!」
僕は未だに血が流れ出る腹部の傷の痛みをこらえながら、警備員に言った。
「逃げてって! 何が起こっているんだコレは?!」
「説明は上手くできません……! とりあえず、奴がまた起き上がる前に早く……!」
「『奴』って……さっきの……アイツは……! 荒木は俺の同僚だ!」
「……アレはもう、あなたの同僚とは言えません!」
「いや……! アレは……! 荒木だ!」
未だに信じ難いんだろう、僕でも警備員がその事を飲み込めていない様に話しているのが分かる。
「あなたの言うその荒木さんは……もう荒木さんじゃないです……!」
「……だったら何だって言うんだ!」
「アレは──」
僕が警備員を何とか説得しようとしている最中──、
「アアああああアッ!アトもうちょっとだったのによォ!!」
その悪魔の声が聞こえて来た。
「アレは悪魔です……!」
砂煙の向こうに奴の影が見える。
「……悪魔?!」
「荒木さんは悪魔に操られているんです」
「……訳がわからんぞ」
「……ごもっともです」
グラシャボラスはまた僕の方へ段々と近づいてくる。
『気を付けろレイ、契約直後ではあるが奴が躯体に馴染むまでそう時間はかからない筈だ……!』
わかってる、けどその前に──!
「きっと荒木さんは良い人だったんだと、僕は思います」
「……確かに良い人だ。あんな事も言わないし、負傷者をあんな感じにしたりもしない、でも──!
「だからと言って、僕はこれ以上、あなたのワガママに構って、荒木さんに人殺しをさせたくないです」
「だったら……、だったらどうするんだよ?!」
「だったら──」
僕はグラシャボラスに目をやる。
段々と体が変形している様で、以前戦った時の様な鋼の羽や、鋭い爪、体から突き出る刃のような骨が現れている。
「──僕が食い止めます!」
「……正気か?」
「少なくとも、アナタより正気な自身は僕にはありますよ」
「……顔も見せずに良く言うじゃないか」
呆れた顔で警備員が背を向けて逃げる一方で、僕は前向いて立ち向かう。
「グラシャボラス──!」
そしてその名を呼ぶ──、
「──オマエをここで倒す!」
腹の傷はバラムが治してくれた! 今なら──!
『レイ、いつでも行けるぞ!』
絶対に倒せる!
「いい度胸じゃネェか、バラムの契約者!……でもなァ!」
グラシャボラスが両手を広げ、背に生えた羽が開かれる。
黒く煌めく鋼の羽が生えそろう翼、まるで話に聞く天使が背に生やした白い翼とは真反対のそれは──、
「そんな半端ヤツ! 俺に比べたらクソ雑魚なんだよォッ!」
──コチラに暴風を送ると共に、無数の羽をコチラに飛ばして来た。
「まずい……ッ!」
この強さの風圧だ、鋼の羽の強度が僕の纏うこの鎧と同じ物だとしたら……!
僕はまだ逃げ切れていない警備員の前に立ち、
「早く逃げてッ!」
投げナイフの様に回転し、無数に飛び交う刃を──、
「グっ……!」
僕は背で受け止めた。
「痛っあ……ッ!」
悪魔と契約したからと言って、別に自分の背を見れるわけでは無いが、度重なる痛みに慣れたのもあって、その見えない部分が“痛さ”と“感覚”で大体どうなっているかと察するぐらいは出来る訳で、確実に5枚は羽が背中に刺さっている事ぐらいは分かる。
「……大丈夫か?!」
「大丈夫だから速く行って……!」
警備員が足を止めて僕を心配するが、強がるしか道が無い。
「……わかった!」
警備員ぼ走って逃げて行くその姿は、もう僕に“助けを呼ぶことも、後戻りをする事も出来ない”と僕に伝える様だった。それでも──!
「……まだやれる!」
絶対に負けない! 死なない! 勝って! 生きて! 皆を守るんだ!
『レイ』
「なんだ?」
『奴の躯体だが、恐らく相当にガタが来ている様だ』
「そうなのか?」
『あの形態になる度に思うのだが、あの姿は人という姿から逸脱している……悪魔や神などの存在からすれば、元ある形から姿を変えるという事は、大罪に値する。つまり──』
「アイツがあの姿である限りは体も消耗し続けるし、その分罪が増え続けるって事か?」
『いや、少し違う。恐らく奴の神定罪は『容姿が人間という決められた形から離れる事』ではない筈だ。事実、奴はあの罪刑変化を我々と拳を交える前に発動した様にも見える。つまり“変貌”は奴の神定罪では無く、他に神定罪が発動する行動がある筈だ。そして、奴の脳に体を治癒するという考えは無い』
「『体は幾らでもあるから大丈夫』って事か……で、バラムは何か策はあるのか?」
グラシャボラスはコチラにゆっくりと近づいて来ている。あちらもあちらで、以前僕達を追いやった時の様なスピードで襲い掛かる事が出来ない理由があるらしい。
『一つ、と言ってもかなり捨て身ではあるにはある』
「それは?」
『……一度我に体を貸せ、レイ』
「……わかった」
承諾した途端に、バラムと切り替わるのが分かる。一体どうするつもりなんだ……?
「レイ──」
『なんだ?』
「オマエの神定罪を、我は信じるぞ!」
『……は?』
バラムはグラシャボラスに向かって走り出した。
「……ハハハッ!万策尽きタか?!バラム!」
「……どうだろうな!」
身構えるグラシャボラスに、曲げる事も無く一直線に突っ込んで行くバラム、このままじゃ……!
「死ねッバラムッ!」
「どうかなッ!」
視線がグラシャボラスの後ろを取る。例の罪刑変化だ!しかし──!
「だと思ったヨォォォォッ!」
グラシャボラスは分かった様にコチラを振り向いて来た。
気づかれている? まさかコイツ! 感覚で見切ったのか!
「貰った」
「……?!」
グラシャボラスが弱かったのか、それとも僕達の運が凄まじく強い物だったのかは分からない。けれど──、
「グガアアアアアアアアッ!」
グラシャボラスの真下には“地獄”があった──、
小さな水溜まり程度の黒い穴から、黒い無数の手が生え、それはグラシャボラスの全身を強く掴む。
「コレで終わりだ。グラシャボラス」
「……ッ!」
グラシャボラスの瞳は酷く脅えていた。
「嫌ダっ! 嫌だ嫌だ嫌ダッ!」
偽物でも、僕みたいに契約者に切り替わったと言う訳でも無い、つまりこれは──、
「助けてクレッ! バラムッ!」
──あのグラシャボラスが本当に怯えているという訳だ。
「嫌だッ! バラムッ! 助けて!」
全身を無数の手が掴んで行き──、
「痛いッ! イダイッ! イダイッ!」
思い切り下へ、引っ張る。
「嫌だッ! 嫌だアアアアアッ!」
悪魔の断末魔が響く──、
「アアああああああアアアアアッ!」
バチリ、ブチリ、とグラシャボラスは骨も、肉も、皮も、見境なくその手に全身が、文字通り八つ裂きに引きちぎられ──、
「ア……ッ! ガ……ッ!」
その漆黒の闇とも言える、地獄へと沈んでいった。
「……勝負あったか」
バラムが息を吐き出すと同時に、その黒い穴は元あった地面へと戻っていった。
『バラム……今のは?!』
「地獄だ……」
『地獄?!』
「極刑変化“獄手顕現”その名の通り、地獄の手を顕現させる力だが、我でも少し悍ましいと思ってしまう」
『バラムが悍ましいと思うって……どんな力だ……」
「……まず一つ、この手が連れ去る“地獄”は、普通の“地獄”では無い、“悪魔の為の地獄”だ」
『悪魔の為の……地獄?』
「我々悪魔に死という概念は存在しないが、あの世と言う概念は存在している。我々悪魔にとっての地獄は“深淵”と呼ばれ、そこは永遠と続く暗闇、動くことも、生という物を実感することもできない。我々悪魔にっとって『限りなく死に近い』場所だ」
『そりゃ辛そうだな……』
「そして二つ、この罪刑変化は『刑』で言う所の『極刑』の変化に値する。つまり、契約者が凄まじい程の『大罪』を犯さなければ、この力はそもそも使う事すらままならないのだ。つまり、レイの神定罪は、その『大罪』とも呼ばれる部類の罪と思われる……」
『僕の神定罪が……大罪……?!』
「“人間の器”では無く、“神の器”での大罪だ。恐らくは、レイのその行動一つが、この世、いや……“神の世界”にまで影響を与えると言う事だ……!」
『じゃあ、僕は……』
「『神のお墨付き』と言った所だ。まぁ、気にする必要は無い、奴等はそう言った事が得意で好きな奴等だ……それに……」
体の主導権が戻る。
『……最後に……極刑変化は凄まじい量の罪だけではなく、我々悪魔の心まで奪い行く……あまり使いたくないと言うのが……本音……だ……我は……すこし……やすむ……』
「おい! バラム──!」
珍しくバラムが返事を返す事は無かった。
眠ったと言うのが正しいのか、それとも一時的に僕の声が届かなくなったのか、はたまた別の理由かは分からない。
次に僕がバラムと話したのは“神郷病院テロ事件”と呼ばれる物が、世間一般で報道され始めてから二日後の夜の事だった。
僕は不思議と警察に目撃証言などを伝えるのみで特に怪しまれる事も無く、それと同じで、行方不明となったテロ首謀者と呼ばれる警備員、“荒木義美”の行方を知る人は、僕を除いて、いる筈も無かった。