十話 『変』
さっきまでの表情は何だったのか、さっきまでの助けを呼ぶ声は何だったのかと思うぐらいに──、
「……その醜悪な笑い様、間違い無い! 貴様はグラシャボラスだ!」
その醜悪とも言える‟グラシャボラス”という悪魔の独特な笑い声が路地に響いた。
「エゲバヒヒヒヒヒヒ!!良かったァ!覚えててクレテタぁ!」
『“覚えててくれた”?!バラム?!コイツと知り合いなのか?!』
「知り合いも何も、コイツは悪魔だ」
悪魔……?!
その言葉を聞いて、心の奥底で今朝見たニュースを思い出した。
『続いてのニュースです。昨日未明、坂見市神港区美田町のマンションの四階に住む“由崎悟”さん“由崎愛里”さん、の夫婦二名が死亡しているのが発見されました。警察は両名とも複数の刃物のような物で切り付けられた跡がある事から、殺人事件として捜査しています。また、亡くなった二名の息子である『由崎大輝』くんも行方が分からなくなっている事から、警察側は誘拐殺人事件として捜査を続けております──』
『もしかして』と思う間もなく、僕の心が凍り付いた。
『とても』と言って良い程、嫌な予感がしたからだった。
「ソノ賢そウな感じハ……! バラムで間違いナイラシイなァ!!」
「そうだ」
「エヒヒヒヒっ! 久しぶりのッ! あのバラムだ! あの“元天使”のッッっッ!」
元天使? バラムが……?!
グラシャボラスの言った事で僕が驚く一方──、
「……その話をするな!」
よほど気に触れる事だったのだろう、バラムは豹変する様に怒った声を出した。
「ヒエッヘッヘ! 怒るナよォ? 同じ悪魔ダロォ? アァ! デも! ソノ感じジャ契約者に話してないラシイなぁ?」
『本当なのかバラム! お前が“元天使”って!』
咄嗟にバラムに聞いてしまったが、
「……そのうち話す……それよりも……!」
バラムは答えを返すこと無く、そこで倒れている血まみれの女性を指差した。
「その女の傷、お前がやったのか?」
「アアソウダとも!」
隠す事も、戸惑いも無く、グラシャボラスは答えた。
『そんな……!』
あの女性は、コイツにやられたのか?!
「罪ヲ得ていたのサ」
“罪を得ていた”
その事を悪魔が自ら口にするという事は、その事を意味していた。
「その割には、貴様の力で、そこの女を殺そうとしている様だが……?」
「ンぁ? コレか? コレハナぁ?」
グラシャボラスは後ろを振り向き、女性の元へ戻ると、唐突に体の動きが止まった。すると、
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさ……い……」
唐突に謝り始めた。
『何をしているんだ? 嘘泣きか……?』
「レイ、違うぞ……! アレは──!」
グラシャボラスがこちらを振り向くと、大粒の涙を目から出し続けていた。
「奴がいくら悪魔だと言っても、嘘泣き何て到底出来る筈が無い、つまりこれは……!」
グラシャボラス、いや──、
「おにいちゃん、たすけてぇ……!」
男の子は、僕の目を見て涙を流し言った。
「グラシャボラスがその契約者に切り替わって、その契約者が抱いた罪悪感で罪を得ている?!」
「グっ……エぁ…ッ……!グゲボバハハハハハハハグっグバハハハハハハハ! 正解だァ!」
グラシャボラスが笑った途端に、僕の心の中で何かが膨らんだ気がした。
そして、咄嗟に自然とバラムから僕に魂が切り替わり、
「ヤメロオオオオオオオオッ!」
“やめろ”
その言葉が口から爆発した。
「アァ?」
「イッ……!どうして……ッ!どうしてそんな事をする?!オマエの契約者は……!まだ……子供だろ?!」
僕は右腕だった場所に走る激痛に耐えながら、首を傾げるグラシャボラスに聞いた。
「アァ? バラムの契約者ダロー? おまエ?」
「……そう……だ!」
「ゲハハハハ! だっタら聞ク必要も無いダロ!」
しかしグラシャボラスから帰ってきたのは、その人を小馬鹿にするような、醜悪な笑い声だけだった。
『“罪を得るためだけ”だ、レイよ』
「ウヘヒャハハハハハ! 正解ッ! 流石はバラム! 分かってるゥ!」
罪を得る為だけに、こんな非道な事をしているのかこの悪魔は……!?
「ン~! にしても良イ罪だッ! オレのやり方はやはりコレが! 一番ンンッ! 良イイいッ! 力も余り使わなくて済むッ! 何より──!」
バラムよりも考えが残酷な悪魔はいないと思っていた。けれどそれは、僕の基準だ……。
『レイ、我より残酷な悪魔など大勢いる。コイツは、その中でもまだマシな部類だ』
「このガキの鳴き声がッッ! 何よりも聞き心地ガ! 良いイイ良いイイいッ!!」
悪魔から見れば、序の口だったらしい。
「面白いぞォ! このガキはなぁ?! 俺が殺した家族のガキでよぉ?! 俺が乗っ取っタ奴二! オレに殺さレかけて死にそうになっタトころに!“家族を生き返らせてやる”って“嘘”の契約ヲ持ち掛けテヤッタらよォ! 二つ返事で契約してくれたんだゼぇ?! しかも脳ミソくれるもんだからよォ?!」
グラシャボラスはまたもや体の動きを一瞬止めて、タチも趣味も悪い説明をして来た。
「たすけて……! おにいちゃん! だず……! ぐっあっ……! アバビビャハハハハハハハ! こんな感じでよぉ! オレがいつでも乗っ取れるんだよぉ!!」
『この外道め……!』
あのバラムですら“外道”と言う始末だった。
「良いダロォ? バラム! オマエもそんな契約者捨てチマッテ! オレと一緒に夢ヲ叶えようジャないかぁ?」
その誘いにバラムは、
『断る』
あっさりと断った。
予想外だった。悪魔であれば、こんな人助けをする様な人間は捨てるべきだと考えると思っていた。
『それは違うぞレイ、そうだからこそ、我はレイを契約者と認めた』
「……良い……のか?」
『ああ、良いさ』
「右手……もう無いんだぞ……! 僕!」
『フッ、安心しろ! 我と契約さえしていれば! 手などまだ生えてくる』
「……生える?!」
『ああそうだ! それに……!』
僕の左手が勝手に動き、目の前の悪魔を指差し言った。
『レイ! 貴様は臆病ではあるが! 小僧一人を弄び、笑い狂うそこの外道よりはマシだ!』
「バラム……」
嬉しかった。昨日今日の付き合いでも、バラムにそう言ってもらえる事が僕は嬉しかった。
「……ありがとう! バラム!」
『全く、下手な人間と契約してしまったものだ! 悪魔と契約をしたにも関わらず人を助けたいなどと! 人間じみた事を言いよって!』
僕は初めて『この悪魔と契約して良かった』と心の底から思い、歓喜に満ち溢れる。
『我が契約者がそう願ったからには!その願い!我が叶えなければ悪魔としての名が廃るであろう!』
一方、グラシャボラスは──、
「アギャハへヘヘへ!そうか!ソウカそうかソウカそうかそうかァッ!」
頭を縦横無尽に振り回した後──、
「だったらその契約者を殺せばいいか」
僕の目を見た。
「……ッ!!」
何だこれは! 今が夏の夜だと言っても、尋常じゃないぐらいに僕の手と足の先から段々と冷えていくのを感じる! 寒気なんて伊達な物じゃない! まるで体が凍り付くような……!
『目を見たのか……!』
動かない! 指先すら動かせない!
『レイ! 落ち着け! 奴の罪刑変化だ!』
口も駄目だ! ガムテープで塞がれたとかそんなのじゃない! 誰かに抑えられてるみたいだ!
『“自身の眼を見た人間の全身の動きを止める罪刑変化“狼の瞳”だ!』
駄目だ! 動け! 動け! 動かないと──!
グラシャボラスはフラフラとコチラに近づいてくる。
「イエッヒヒヒヒ! 効いてル! 効いテル!」
動け動け! 動け動け動けうごけうごけうごけうごけ……!
『我と変われ! そうすれば!』
駄目だ! バラムに変わる事も出来ない! このままじゃ──!
『こうなったら……!』
死んでしまう……!
「もうオソオオオオイッッッ!」
『レイ! 耐えろ!』
グラシャボラスが僕に飛びかかって来た瞬間だった。
「……ッ!」
何が起ったかは解らなかった。けれど──、
「イツのマに……?!」
僕の体は、グラシャボラスの後ろにあった。
『すまないレイ……! 少し来るぞ!』
「来るって……何が……!」
『反動がだ……!』
その途端に、
「……ッ!」
頭が割れそうな程の頭痛が僕を襲った。
「ハァ……! ァ……! 痛ッ……!」
鼻の両穴から血が垂れ出てくる。
「……何ヲシタッ?!」
『レイ、代わるぞ』
「……ッ! 分かった……!」
スッと唐突に体の重みと言うのを感じなくなる。しかし、右腕の痛みとは違って今回の頭痛は痛みが治まる事は無かった。
『バラム……! 一体……何をしたんだ……?!』
「後で話す、それよりも今は……!」
グラシャボラスがこちらを振り向く。
「バアアアラああああムウううう」
「奴をどうにかせねば……!」
グラシャボラスの両瞳が蒼く光る。
「無駄だ。貴様の瞳は我々悪魔には効かぬ……正確には、“悪魔の魂を宿す体”には効かぬ。我々の罪刑変化は魂を通じて顕現するが故だ。その“人には恐怖する程理解できない悪魔の瞳”は悪魔には効かぬ!」
「ヒヒひヒッ流石バラム! 博識だなァ! デモッ──!」
グラシャボラスは両手を広げた。
「悪魔にもニンゲンにも効き目の有る力ならッ! 俺ダッテ持っているともッ──!」
そして──、
「罪刑変化!“獄酷惨散”!」
と、唱えた。
「アハヒャはハハハやはやはギャアアアアハハハハハッ!!」
グラシャボラスの全身が、ボキャボキャと鈍い音を立てて蠢く、
『何だあ……?!』
「あれも奴の罪刑変化だ……! 心を構えろレイ! 奴がアレをしてくるという事は本気でオマエを殺すつもりだ!」
手爪は鋭く長く伸び、両腕にはフサフサと毛が生え、骨が突き出し刃の様に形を変える。
「イヒヒヒヒヒヒィィィィィッ! 殺すゥ! 殺してヤるゥッッッッッ!!」
体の変化は止まることなく、背中からは、グラシャボラスが乗っ取っている男の子の体にはそぐわない二つの大翼が生えた。
「イイイイイイいッッッ!」
口からはおびただしい量の涎が垂れ出る。
「グラシャボラス、貴様が我が契約者の命を奪おう物なら、我も尽力を尽くして貴様から契約者を守り通そう」
「ヤッテみロヨォォォォっ! 元天使サンよぉぉぉッ!」
バラムはコチラのセリフだと言わんばかりに僕の切り落とされた右腕の傷口に手を当てると、一瞬にして落とされた僕の右腕から赤い血肉が盛り上がり、その形を作り上げた。そして──、
『マジかよ……!』
皮が張り巡らされ、何事も無かったかのように、右腕が再生した。
「ソノ早さぁ! もしや! モシヤもしや! モシヤ! モヤシィッモシヤァッ! 心臓で契約シタのかぁ!」
「正解だ」
心臓で契約してそれが功を成したというのか?
「我々悪魔にとって契約者の心臓は最高の契約箇所だ。全身に行き渡る血液、体を作り上げる肉体、契約者の魂、我々悪魔の契約三大要素全てに干渉する事が出来る。故に肉体再生速度、肉体強化、魂の切り替え、全てに利点がある……。にしても──、」
バラムは溜息をついた。
「全く“後々体を乗っ取って好き勝手してやろうか”と考えて、我との契約は心臓を勧めたものの……事情はあれど、こんな人間に情が湧くとはな……」
『“後々乗っ取る”って! 僕の事を騙してたのか?!』
「“騙すつもりでいた”と言うのが正解だ」
『……! この悪魔!』
「フッ、だから我は悪魔だと言っただろう?」
心底呆れた。けれど、バラムが“情が湧いた”と言う事は、バラムにとって僕は──、
「さて、我が契約者! 我はこれより我等が願いを邪魔する悪魔を討つ! 良いか?」
大層気に入った存在でもあるらしい。
『……良いとも!』
「ならば良し!」
バラムが右手を上げると、
「罪刑変化──!」
僕の心臓から赤黒い泥の様な液体がどろどろと湧き出た。
それは僕の、バラムが上へと掲げた右腕全体にぞわぞわと這い上がって行き、纏わり付く、そして──、
「──獄罪鎧!」
バラムがその泥まみれの腕を前へ構えた途端、右腕全体を覆う堅く鋭い、血が冷え固まった様な朱殷の鎧へと形を変えた。
『何だ……? コレ?』
「罪の重みは刑となりて枷となり、その鋼をも凌駕する枷の重みは、形を変えれば矛をも防ぐ鎧となる。罪が重くなれば重くなる程、あらゆる攻撃からその身を防ぐ“罪の鎧”それがこの鎧だ」
『罪の鎧……?』
「さぁグラシャボラス、かかって来い」
バラムはその腕でひょいひょいとグラシャボラスに『来い』と煽る。
「鎧だァ……? ンなモン……!」
グラシャボラスはコチラへと飛びかかってくる。
「オレがぶっ壊してやるゥッ!」
そして鋭い爪が生えた手を僕らに振りかざし──、
『危ない!』
僕の右腕に直撃する。しかし、
「何故ダ! 何故壊セヌ?!」
僕の右腕が先程の様に切り落とされることは無く、『ガキン』と音を立ててグラシャボラスの攻撃を防いだ。
「罪ノ多さナラ! コノガキが! このガキのホウが! 強イ筈!」
「フッ! どうやら罪の強さは我が契約者も負けてはおらぬようだな!」
「……ッ!」
グラシャボラスは羽を動かし、風と共に後ろへと下がり、そのまま後ろに倒れる。
「どうした? 急に逃げ腰ではないか?」
「フーッ! フーッ! フウウうううううああああアアああ!!」
鼻息を荒くしながら、グラシャボラスは甲高く声を上げる。
「イイイイイイ! イイゾイイゾイイゾイイゾ! ソウで無くちゃなぁ! ダッテ久し振リにヤル気になってル相手がいるモンなぁ! この前会った奴よりも弱いシナァ! アヒャヒャヒャは!」
「“この前会った”だと……!?まさか我と貴様以外に悪魔がいるとでも?」
「イヒヒヒヒッ! 秘密だァ!」
「それは秘密にできてはいないが……」
「うううううるせぇ! 殺ス!」
グラシャボラスは再び起き上がり、コチラへ走り寄って──、
「今度は顔に……!」
バラムが拳を構えた所で──、
「た……たすけて……!」
グラシャボラスは男の子を出して来た。
『ダメだバラム!』
僕がそのグラシャボラスの卑劣な策略に乗ってしまい──、
「まずい──!」
コチラの動きが一瞬止まってしまった。
僕の意思と、バラムの意思が違える事によって起きる一瞬の硬直、それにグラシャボラスは目を付けた。
「ココだアアアアああアアッ八ッ!」
渾身とも言えるグラシャボラスの蹴りが腹に入る。
「ガハッ!」
不覚だった。悪魔に人情なんて無いんだ。
今この状況で“男の子を助けなければ”と考える人間は僕しかいない。
「もうイッパああああああッツ!」
今度は頭突き、振動が精神を切り替わった筈の僕にも伝わってくる。
「オマケええエエええええッ!!」
最後に拳が胸元に入り、僕の体は押し飛ばされ、体が地面に転がる。
「レイ……! オマエは……!」
『分かってるけど……けど!』
「殺せないと」
『……そうだ!』
「……レイ」
土煙が舞う中、体を起き上がらせる。
「今、頭蓋にヒビが入り、肋骨が肺に突き刺さっている」
『……!』
「痛みはある。しかし我は痛みという物には鈍い故、こうして動き続ける事は出来る。しかし──」
バラムが手を胸にあてると、グチャリボキャリとグロテスクな音を立ててその問題の傷やケガが治る。
「こうして治せると言っても、悪魔が契約を破棄したり、契約箇所である心臓を壊されれば、我もろともレイは死ぬ」
『〈我もろとも〉って、悪魔も死ぬのか?』
「正確には、我はこの世の肉体を持たなくなる。今はコンノレイの心臓という肉体を核に生きているが、その核が破壊されるという事はそういうことになる」
『魂だけになるってことか』
「そうだ。そして他の悪魔に喰われるか、新たな契約者を迎える事無く飢え死ぬかでその悪魔の魂は地獄へと戻される。つまりは死と代わりは無い」
『いや、待て、悪魔が悪魔の魂を喰うってどういう事だ……!?』
「悪魔が悪魔の魂を喰らうと、新たな力を手に入れる。例えば我が、グラシャボラスの魂を喰えば、奴と同じ罪刑変化を手に入れる」
『じゃあ、アイツの魂をバラムが食べれば、あの姿になる力を僕も使えるようになるのか?』
「扱いは厳しいだろうがな……」
風が吹き巻き上げられる土煙の中、その青白い二つの眼光はゆらゆらと揺れ、殺意を滾らせながら段々とこちらに近寄ってくる。
「おそらく奴は、我がさっきした事が相当気になるのだろう、奴は本気で我とレイを殺しに来ているぞ」
『悪魔の……本気……!』
またもや悍ましい寒気が背筋をなぞる。
死というもう二度と味わいたくはない感覚、そしてバラムが喰われればそれこそ、もう僕は生き返る術も無いどころか、今度こそ本当に消えてしまう。
『死にたくない……!』
「ならば手を抜くな、例え相手の契約者が子供であれど、今のオマエには悪魔と契約した悪魔そのものの存在だ」
『それは嫌だ!』
「何を馬鹿な事を言う! 殺さねばお前が死ぬのだぞ!」
『子供だけど! 子供だから生かさないといけないんだ!』
「生かして何になるというのだ!」
生かして“僕の為”になるとは僕も正直思えない、けれど──!
「生かせて罪を晴らせてあげたい!『生きる為に、家族を生き帰らせる為に悪魔と契約した事が間違いじゃない』と教えてあげたいんだッ!」
あの子は、僕と似ているのかも知れないんだ!
「死ねエエええええええええッ! バラムウうううッ!」
爪をコチラへ飛びかかってくるグラシャボラス、
『だったらもっと―!』
その顔面に──、
『前を向いて突き進め! コンノレイ──!』
バラムの放った僕の右拳が──、
『オマエの思う罪を我に見せてみよ!』
グラシャボラスの顔面に渾身の一撃をお見舞いした。
「ゴデュバああアアッ!」
悲痛な声を上げて、グラシャボラスは吹こう一直線に吹き飛び、数十メートル先の曲がり角の壁を半壊させた。
「バラム!」
『まだだレイ! まだ奴は起き上がる! 契約者の体を治癒しなければ悪魔も動く事はできまい! それに……!』
「それになんだ?!」
『まだ奴は我等に見せてはいない力を使える!』
僕はグラシャボラスの方を見ると、その姿が見えなかった。
蛍光灯の放つ年代物の明るさの問題でもない、まるで消えたかのようにグラシャボラスはそこにいなかった。しかし、
「バアアアアアアラアアアアアアムウウウウウウ!!」
グラシャボラスの声が上から聞こえた。
『まずい!』
一瞬、何が起ったかは、僕には解らなかった。
しかし、グラシャボラスが目の前の僕が立っていた地面に拳を突き立てていた事と、僕の頭にさっきと同じような頭の割れるような頭痛が駆け巡っているのを考えると、
「アーア、まただァ!またシッパイシタァ!」
グラシャボラスが言う通り、どうやら僕は“殺されかけた”らしい。
『レイ! 大丈夫か?!』
「イッ……タ! ありがとうバラム……! 助かった!」
『気を付けろ、奴は“身を消す力”を持つ……!』
グラシャボラスは、僕の顔を見るや否や、
「失敗しタなら……! もう一回……! いヒヒヒッ!」
そう言って、今度はその力を僕の目の前で使ってみせた。
「罪刑変化“霞”」
「……ッ!」
一瞬だった。
一瞬奴に靄がかかったと思えば、ほんの一度、一瞬、瞬きをした間に、グラシャボラスは姿を消した。
『ただ不可視と成る訳では無い……!“自身の肉体としての存在をこの世から一度消す”故に……!』
ドン! とを立てて右……、いや、さっきと同じだ。僕が居た筈の場所にグラシャボラスは踵を落とし、アスファルトの地面を砕いていた。
『現状、我は我の力を持ってして、ようやくこの不意打ちを回避できる……! しかしこの力は……!』
「……大丈夫だバラム! まだ耐えられる……!」
悔しさが伝わってくるかの様に、再びバラムの力の反動である頭痛が再び僕を襲い始める。
痛い、痛すぎるが“殺されるよりは死ぬよりは”と考えれば僕はきっと耐え凌げる。問題は、あと何度バラムはこの瞬間移動とも言えるような力を使う事が出来るのだろうかだ……。
「ガアアっ! まただァッ! マタかわされたぁ……!」
『その力、見たところはまだ使える様だな……!』
「数回もナニも! 次デ! オマエ等を! 殺ス!」
また先程と同じ様に姿を消す。
「バラム……! あと何か──!」
今度は僕の前で腕を振り下ろすグラシャボラスの姿、そして頭痛。
「……ッ! あと何回この力使える?!」
『安心しろ……! グラシャボラスのこの力よりは──!』
「死ね死ネ死ね死ネエエエエエエエッッ! バラムゥッ!」
僕では無く、地面や道の壁が壊れて行く、その度に段々と僕に襲い掛かってくる頭痛は強さを増す。
「ハァ……ハァ……!」
『大丈夫か──!』
僕の顔の横をグラシャボラスの腕が掠める。
『レイ! 大丈夫か?!』
「大丈夫……! まだ……!」
「ココだアアああああああアッ!!」
バラムが僕の事を気にした一瞬の隙に──、
「……あ」
グラシャボラスの腕が、僕の腹部を貫いていた。
『レイ……ッ!!』
「やった! ヤったゾ! 遂二! 遂二……!」
「そん……な……ごふッ!」
体の中から込み上げてくる血の反吐を、口から吐き出す。
頭の痛みよりは弱い、しかしその痛みは──、
「これ……死……」
「ヒャハやはやヒャハヤヒャハアアアアあはヤヤややああああッ!」
僕を死に貶めるには十分の一撃だった。
「殺シタ!殺したゾ!バラムウううううううううううッ!」
「だめ……だ……」
グラシャボラスが歓喜の声を上げ、僕が死を覚悟する中──、
『罪刑変化──』
途中までしか聞こえなかったバラムの詠唱と共に、目の前の景色が変わった。
「……え?」
「ナン……ダ……!」
立場が、状況が、逆転していた。
『すまないレイ! こやつはここで仕留める! でなければオマエが──!』
罪鎧を纏った僕の拳が、グラシャボラスの頭を──、
「バラムッ! 駄目だッ!!」
穿とうとした所を間一髪僕が切り替わって逸らし──、
「ゲブ八ッ!!」
グラシャボラスの胸を心臓ごと貫いた。
『レイ!』
「駄目だ! 絶対に殺したくない! 契約者のこの男の子は僕が絶対──!」
グラシャボラス、いや、男の子はぐったりとしていた。
「え……」
訳なんて考えたら分かるのに、その考えすらままならなかった。
『グゲハハハハッ!』
『まさか……? グラシャボラス! 貴様!』
『残念ッ! ココまでだァ! マた今度!』
『待て!』
静かな夜風だけがその場に吹いた。
「そん……な……嘘だ……ろ……」
胸にぽっかりと穴が空いた男の子の遺体を抱える僕と、既にこと切れた女性の遺体だけがその場に残された。
『契約を切り、契約者を捨てた……?!』
「う……あ……」
『恐らく、この小僧には既に罪は残っていなかったのだろう。故にグラシャボラスは契約を捨て、自身だけをこの場逃がしたのか……うむ、考えとしては悪くない……しかし……』
僕は抑える事の出来ないこの衝動を思い切り吐き出した。
「うああああああああああっ!!」
闇夜の商店街に慟哭が響いた。
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