九話 『犯』
7月8日 午前2時35分──
僕はドアノブを開けて外へと出た。
バラムとした学校での契約『今日の夜、殺人、強盗、放火、それなりの罪を一つ犯し、バラムを満足させる』を守る為、僕は商店街へと向かう。
『それなりの罪』とは言っても、バラムが例に挙げた『殺人』だとか『強盗』だとかはかなり重いし犠牲者も出る。だから僕は『軽く犯せる罪』というものを学校から帰宅して考えていた。
そしてその答えが──、
『盗みか……』
すこし物足りなさそうに思うバラムの言う通り、僕は盗みを働く事にした。
「仕方ないだろ? 丁度バイトもやめて金も持ってない訳だし、この際もし犯せるなら金品を狙って行くのが一番だろ?」
『深夜、人気の無くなった商店街のどこかの店に侵入して、金目の物を狙う』といういかにも罪らしい事だった。
バラムが『初めてならそれぐらいでもよかろう』と融通の効く事を言ってくれたので、僕はこの手に売って出た訳だが──、
「僕が犯罪を犯すのか……」
やはり抵抗がある。
『安心しろ、我の言う通りに、我の力を使って罪を犯せば、神と我以外にはバレる事が無いとも』
深夜で人を見かけないというのもあるので、僕は普通にバラムと口で話していた。
「いや、バレるバレないの問題じゃなくて……人としてダメな気がしてならな──」
『一度死んだ上で悪魔と契約しておいて、普通の人間のままでいるつもりか?』
「──それは……」
口癖のように何回も聞くその言葉に、返す言葉も見つからない。
『何度も言うが、レイ、貴様はもう普通の人間では無いのだ。一度死に、我という至高の悪魔と契約した人間なのだよ』
「だからと言って犯罪をしてもいいとは……」
『良いかレイ、罪というのは〈犯して成る〉ものでは無い〈生きているだけでも成るもの〉なのだ。生きている内に罪は知らず知らずの内に何度も犯している。数えるだけ無駄だ』
「……まぁいいよ、どれだけ言い訳しても、お前と契約した以上は、僕はある程度の罪を犯さないといけないんだろ? このまま二度目の人生をお前に殺されてしまったら、それこそ前より未練が残る」
それに、前と違って友達や後輩も増えた訳だし。と、二日間の間に増えた未練に僕は足を進め、気づけば住宅街を通り抜け、商店街の前に立っていた。
『で、どうするのだ?』
「とりあえずは人が居ないか確認する。一通り見て歩くぞ」
昼間とは売って違って、人も居なければ、声を上げて商売をする店の店員もいない。シャッターも全てが下がり切って、道が二つの壁に挟まれたかの様になっていた。
そんな有様の、町の商売のシンボルとも場所を今歩いているのは自分だけだと思い、少し背徳感を感じながら、人が居ないかを見て回る。
「とりあえず……この大通りには人はいないかな……?」
目論見通り、この時間に人はいなかった。
『だとしたら早速犯せるな、で、どの店を狙うつもりだ?』
「そうだな、そこの『蕎麦屋安善』を狙おう」
狙うならそこだと決めていた。というのも──、
『どうしてそんな所を狙うのだ! 宝石店等もあっただろう?!』
「いや、ココ、前まで僕が働いてた場所だから……」
自殺を考え、一ヵ月前に辞めたバイト先……正直言って店長も気にくわない性格をしていたし、給料も割に合ってない場所だった。
で、その割に合わない給料が手渡しだった訳で、その時は毎回、店長が渋そうな顔しながら、金庫内から封筒を取り出して渡してくれていた。
僕はその金庫に目を付けた訳で、それでいてここは……、
「あと、ここの防犯対策、凄い甘いから」
店長が勿体ぶって防犯対策を怠っており、表のシャッターを鍵を使って開けるか、裏の出入り口から鍵を開けて入れば、それだけで何のリスクも背負わずに店内へ入る事が出来る。元従業員だからこそ、ある程度の弱点を知っている訳だ。
『なるほど、で、その防犯対策と言うのは、普通ならばどれ程なのだ?』
「んー、シャッター開けた途端にアラートが鳴って、警備会社の人が軽武装で駆けつけて来るかな?」
『ほう……』
少し意味を込める様にバラムは頷く。
「……まさかそいつ等を殺してみたいとか考えてないよな?」
『さぁな、それよりも罪を犯すのだろう? 貴様の初めての大きな罪の味が味わいたくて我は待ちきれんぞ』
「そうだな、始めるか……」
悪い事だとは分かってる。いくら嫌いなバイトだったとしても、防犯対策が甘くても、人の金品を盗むという事は、その人がそれらを稼いだ時間を盗むと言う事なのだから。
『悪くない考えだ。そう考えられる人間だと、一度に得られる罪も大きいからな』
“得られる罪は罪悪感に比例する”という法則に乗っ取るのであれば、きっと、暫くは僕は罪を犯さずに済むし、盗んだ物で、多少は生活も安定する筈だ。『バレなければ』デメリットは無い。
僕は店の裏側まで行き、裏口の前に座る。
都合のいい事ながらこの店に、表のシャッターと、裏口に厳重にかけられたテンキー錠以外に防犯器具は無い。防犯カメラ何て物すらない。
言うならば、眠らされた豚や、羽を捥がれた鶏の様に、あらゆる抵抗手段を奪われた家畜も同然なのだ。
「……ごめんなさい、いただきます」
バラムが罪は食事だと言うように、僕は手を合わせてそう言って、裏口の前に立った。
『さて、では予定通り教えてやろう』
「頼んだ」
『今からオマエに、罪を犯す為に、我々悪魔と契約した者しか使う事の出来ない術を教えてやる、手に罪悪感を集中しろ』
バラムが言うには、ちょっとした事を僕に教えてくれるらしい。罪を犯す時にそれが出来るのと出来ないのとでかなりの差が出るとか出ないとか。にしても……、
「『罪悪感を集中しろ』ってどうやるんだ……?!」
『うむ、今からその手で罪を犯すという事を考えろ』
「この手で……罪を……?」
手のひらを裏口の錠に向けてみたり、グーとパーを繰り返し出して見たり、たまにはチョキを出して見たり、ちょっと右手に何かが宿ったフリをしてみたり──、
『違う! もっと集中するのだ!』
「……!」
言われて、様々な方法を試したが──、
『違う!』
まるで駄目だった。
「うん……分からない……」
もう放課後の頃の様に力づくて開けてもいいのではと思ってしまう。
『そうだな……レイよ、貴様は一度、その感覚をその身で味わった筈だぞ……?』
「……?! 本当か?!」
『本当だ、それも朝にだ……』
「……朝」
朝だと聞いたら、何があった……。
学校の登校中? それとも──、
「まさか……!」
『分かったか?』
「そのまさかかもしれない……!」
今朝、日出さんと会った時に味わった思い出したいけど思い出したく無い感覚……。
もし思い出そうとすれば、それは人として終わってしまうんじゃないか? いや駄目だ! バラムが既に『普通の人間ではない』って言ってくれたじゃないか! なら……!
「えっと……こうか……?!」
あの時、アレを掴んだ右手を見ながらあの感覚を思い出してみる。
あのムニュッとした感覚……あの時に湧き出た罪悪感……その全てを右手に集中させた。
『そうだ……! その感じだ!』
バラムの言いたい事は、それとなく分かった。
手に余るあの感覚と、しちゃいけない事をした時に起きるあのどうしようもない手の震え……その感覚を手に集中させる……!
『その感覚を保ちながら唱えるのだ!“罪刑変化”!“獄炎”! とな……!』
「……罪刑変化! 獄炎!」
バラムに言われるがまま、その呪文を唱えた瞬間だった。
「うわああっ!」
僕の驚きの声が人気の無い商店街に響く。
「これは……火?!」
蝋燭の程の小さな炎が僕の手のひらで踊っていた。
良く見るコンロや蝋燭の火とは違って『濃い朱色』をしたその火を見る限りは、どうやら普通の火では無いらしい。
『成功だ』
「熱くない……のか?」
『熱くはない筈だ。まぁ説明をするとだな?』
罪があるという事は、それを償う為の刑があるという事だ。
バラムが言うには、今、僕がしたことは『僕が罪を犯して、その時に手に入る罪にかけられる刑を別の形にした』らしい。
『今回の場合は、その刑を我々悪魔がの住む地獄、その種火に変える詠唱だ。どうだ?便利だろう?』
「やっと悪魔と契約したらしくなってきたな……!」
言ってしまえば、これは魔法の様なものなのであろう。
僕は罪という代償を支払って、刑と言う力を使える事が出来るのだ。
『しかしだ、レイ、勿論これにも欠点はあるぞ』
「なんだ?」
『罪刑変化は、その悪魔の契約者が今までに成してきた罪の大きさで使える範囲が決まる。故に限度がある。それと、罪刑変化には我々で得た罪を費やす。罪を刑に変えたと考えれば良い』
「なるほど」
罪を使うという辺り、ゲームで言うMPやスタミナの様に、さほど連続して使えるものでは無いらしい、けど──、
『ちなみにその力を使って罪を成せば、それでも罪を得られる。覚えておくと良い』
常日頃から罪を犯す契約者であれば、そんな事は気にしなくて良いらしい。と、僕は手のひらで踊り続ける地獄の種火を見つめた。
「しっかし……どう使えばいいんだこれ?」
『そうだな、それでその扉の鍵を炙ってみろ』
「炙るって……、こんな小さい火で炙るなんて──」
さっきバラムは、この朱い火の事を『地獄の種火』と言っていた。
その事をすっかりと忘れて、僕がその手の炎を錠の元へ持って行った途端に──、
「うわあああああああ!」
その火は威力を増し、大きく燃え上がった。
「あッ……つくはないけど!コレ! 大丈夫なのか?!」
『安心しろ、力の調整は学校の時と同じだ』
「学校の時……? そうか! 意志を強く……!」
小さくなれと強く願うと、その炎は僕の手のひらに収まる大きさになっていった。
「ふう……」
僕は落ち着いてその場で座り込む。
「これはどうしたもんか……」
正直その『地獄の種火』という物を舐めていた。
先程までがっちりと裏口に掛けられていた錠は、あの火で炙っただけで扉ごと簡単にドロドロに溶けてしまった。
『地獄の炎は一瞬さえあれば鉄をも溶かす』
「二度と使いたくないな……熱いし……。ていうか、バレないかな、コレ……」
『安心しろ、契約者の体は燃やさぬ上、燃え移った火はそこらの人間界の火とはそう変わらず水で消える上、普通の人は違って温度も低い、言わば性質以外はハリボテの様な物さ。バレるかバレないかは、オマエの言うボウハンカメラといかいうのに、そんな扉を溶かす程の道具を持った少年は映ってはいない筈さ』
「それで警察が動こうとしないといいね……。で、この手の火はどうやって消すんだ?」
『調整と同じだ』
「ハイハイ、意志の強さね」
『消えろ』と強く思うと、手のひらのその火はスッと消える。
その扱いやすさと素直さに『調整の失敗さえしなければ、案外使い勝手が良いのでは?』と思ってしまう。
「さて……」
正直このボロ店の裏口を地獄の炎で燃やしただけで十分だとは思うが、
「入れる……よな」
僕達はここでは終われない、罪を犯さなければいけない。
僕はそのもはや扉としての役割を果たせているのか分からない扉に手をかけて開く。
店の中は暗く、勿論だが人が居る訳でも無い、
「スーゥ……ハァー……」
深呼吸して僕は足を踏みこ──、
「キャアアアアアアアアアアッ!」
踏み込もうとした瞬間だった。
突如として、商店街一帯に、その女性の声が広がった。
「……?!」
今の声は……、ここの向かい側の店舗、確か牛丼屋側から聞こえた?
「誰か!誰か助けてぇッ!」
その声は助けを呼んでいた。
『まったく、これから我々が罪を成すというのに、何だこの騒ぎは』
僕は今日、一人の少女を助ける事が出来た。相手が例え僕の度胸試しをしていたとしても、本気で蹴ったり殴ったり、嘘を付いたりをして来た。
だったら──、
『おい、レイよ、まさかとは思うが』
バラムの力を借りれば、それこそさっき使った力を使えば──、
『助けようとしてる訳では無いよな?』
人一人は助けられるんじゃないのか?
「……ごめんバラム」
『やめておけ! 貴様はまた! 人の為にと生きるつもりか!』
「違う……!」
『だったら何なのだ!』
「僕は! 自分の為に人を救いたいんだ!」
『何を言うと思えばそんな綺麗事か?』
「違う! 綺麗事なんかじゃ無い! 僕はただ……!」
『“力を使えば人を救える”とでも言うのか?』
「そうだ……!」
『……レイよ』
「なんだ?」
しかし、僕を止めようとするバラムの一言からは──、
『“人間でありたいなら”その考えはよせ』
何故か悪魔らしからぬ慈悲を感じた。
「なんだよ……悪魔の癖してそんな事を言って……!」
『最後の警告だ……!』
「第一、お前が僕の事を普通の人間でいられるなと言ったんだろ? だったら! 人を助けて人間をやめられるなら……それなら僕の本望だ!」
『……』
「言ったよな?“悪魔は契約者の願いを叶える為にいる”って?」
『……レイ、本当にそれが貴様の願いなのか?』
バラムの問いに僕は、答えた。
「……僕の願いだ」
正直、出来る事なら、人なんてやめたくない、けれどもう、一度死んで、生き返って、罪を犯さ無ければ生きられ無いのなら、もう全うな人間では無い、けれど、そうして生まれた罪で、悪魔から力を借りて、それで人を救えるなら──、
『……ならば行け、力は貸そう』
僕はきっと“人として報われる”だろう。
「ごめん……! ありがとう……!」
始めに謝罪と、最後に感謝して僕は走り始めた。
悪魔に謝罪も感謝もする奴なんて、どうかしてると思う。けれど、バラムは僕の事を思って”人間でありたいならその考えはよせ”と言ってくれた。僕の願いを思ってくれていた。それなのに、僕はその思いを踏みにじる願いをバラムに願ってしまった。“契約者の願いは叶えられる限り叶える”のが悪魔側の契約だ。僕という契約者がそんな願いをしたからには、叶えなければならない。そんなバラムに僕は少し同情してしまったのだった。
「どこだ……! どこだ……!」
僕は息を切らして走る。そう遠くはない筈だ。
「無事でいてくれ……!」
悲鳴から何分経った?もしかしたら……、僕がバラムと言い合っていた間に──!
「うえーん!おねぇちゃああああん!」
子供の泣き声、それも男の子だ。それに今“おねえちゃん”って言った。
二人いたのか?いいや、それよりも……!
「うえーん」
近い! 丁度そこの曲がり角辺りから聞こえるぞ!
僕は危うく通り過ぎそうになりながらもその声が聞こえて来た角を曲がった。
「うえーんうえーん!」
そこでは、男の子が倒れた何かに寄り添いながら泣いていた。
場所的には、蕎麦屋の対面の店舗の路地裏、その更に奥──、
神郷町商店街は、過去に二度の全体大型改装を行っている。
一度目は20年前の震災で、壊滅的な被害を受けた際に、二度目は10年前に老朽化が著しい店舗を対象にした改装。
その二度目の改装を皮切りに、裏路地。元々神郷町第二商店街と言われていた場所は手を付けられる事が無くなった。昼間でもシャッターを開ける事が無くなった店舗が並んでおり、昼間でも人通りが少ない。
僕も時折人が少ない事を良い事に、昨日より遅刻しそうな時はこの路地を使っている。
僕が今いるのは、その旧第二商店街の外れにある小さな小道だった。
チカチカと蛍光灯が、暗い小道を照らしたり、照らさなくなったりを繰り返す。
そしてかろうじで見えるのが、男の子が寄り添っているソレだった。
「う……だす……けで……」
女の人だった。
その女性を中心にする様に、おびただしい量の赤黒い液体が広がっている。
「血……!」
何をしたんだ。何をされたんだ。
『……待て! レイ! 感じるぞ!』
早く助けなきゃ、救急車を呼ばないと……!
死体に寄り添う男の子は、僕の事に気づいて後ろを振り向いた。
「た……たすけて……おねえちゃんが……!」
血まみれの女性の隣に座る少年──、
「待ってて! 今、助けを──!」
『気を付けろレイ! 近くにいるぞ!』
僕は右手でポケットの中からスマホを取り出して──、
『レイ! そいつは──!』
耳にあてた瞬間だった。
恐怖からか、スマホを落としてしまった。
「アレ?」
僕は落としてしまったスマホを右手で拾おうとしたが──、
「え……?」
違和感に気づいた。痛みなんて、感じなかったのに、
「アレ……?アレ……?」
気が付けば、僕の右手が無かった。
そして、僕が右手で拾おうとしたスマホの横には、右手が落ちていた。
「え……なんで……?」
ボタボタとおびただしい量の血がスマホの画面に滴ると同時に、凄まじい痛みが僕を襲った。
「あああああああああ!!」
『レイ!避けろ!』
「……え?」
痛みに悶える僕の目の前に男の子の顔──、
『ええい! 仕方ない! 借りるぞ!』
が見えたと思った途端、体が横へと跳ね飛び──、
「この小僧!契約者だ!」
と、バラムが言うと同時に、僕のいた場所が、そのコンクリートの地面が、ゴリゴリゴリと音を立てて抉れた。
『……?!』
何が起ったかは解らなかった。
けれど、今の現状が僕の想像をはるかに超える物だと、バラムの反応を見てわかる。
『何が起こっているんだ?!バラム?!』
「レイ!気を付けろ!『まさか』とは思ってはいたが……こんな所にいようとはな──!」
バラムはその名を口にした。
「グラシャボラス!」
その名前がバラムの口から出た途端──、
「グゲボバハハハハハハハハハハハハッ!!」
男の子は口から涎を溢れさせて笑った。
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続きは来週土曜日十九時に投稿予定です!




